第53話 これが孫子の兵法(なお未読)
撤退撤退!
金貨150枚よりもベルーナの安全と貞操だ。
読んだことないけど、孫子の兵法でも初手に逃げを打つのは有効だと書いてあるに違いない。
「きゃっ!」
ベルーナが悲鳴を上げるのも無理はない。
俺たちはきびすを返して逃げ出そうとしたところ、後ろには大男が立ちふさがっていた。
くそっ、いつの間に後ろに……。
俺の裏をかくなんて、これが孫子の兵法ってやつか。
やたらガタイのいい大男がここは通さねぇぜ、と言わんばかりに俺達の行く手を阻んでいる。
肩口の破れた服を着て、こちらもやはり手にはナイフを持っている。
大男とナイフの縮尺を見ると間抜けな様子に見えてくるのだが、そこに騙されてはいけない。
小さく見えるだけで、あれは刃物。刃物怖い。
多分これが剣だったらそれほど怖くないと思うんだよね。
前世で剣を見ることなんかほとんどなくて架空レベルのものだから想像力が及ばない。
だけど、ナイフ、包丁の類は身近にあって、切れ味も想像できてしまう。
あっ、紙でスッと指を切った時の恐怖が!
あれよりも痛いんでしょ!?
くっそ、ビビるな、俺はベルーナの上司で彼女を守る責任がある!
そら、ナイフがなんだ、つるっぱげがなんだ!
いや、すいませんでした……。
じりっと、距離を詰めてきた大男に対して、鼓舞していた俺の心はなよなよになってしまった。
「ベルーナ」
俺は大男からベルーナを隠すように、俺の背中の後ろに導く。
「ヒロさん……」
怯えた声を出すベルーナ。
ごめんベルーナ、俺がきっと何とかする。
大男がじわじわと距離を詰めてきて、それにあわせて俺たちはじりじりと後退する。
そして再度広場まで戻ることとなった。
「くくく、さあもう逃げられんぞ。
お前らが城のやつらだというのは分かってる。
軍の兵士でも連れて来ているのかと思って警戒したが、何のことはない、素人が二人だ。
後はお前らを始末して俺はこの国から高飛びするだけって寸法だ。
お嬢ちゃんは実に単純な……カモだったよ」
俺たちの背後、つまりあの悪徳商人がしゃべっている。
相手は倍の人数でそれに囲まれている。
俺がいつもの2倍高く跳んで、いつもの3倍回転したら勝てる可能性もあるけど。
「金貨返してください! あれは大切なお金なんです!」
俺の横でベルーナが声を張り上げる。
確かにお金は大切だ。出来ることなら取り返したい。
でも、それもこれも勝算があってのことだ。
「はっはっは。お嬢ちゃん、俺は悪徳商人だぞ。
返せといわれて返すわけがない」
悪徳商人って自分で言うと格好悪いな。
「ううーっ、ヒロさん!」
何かを訴えるような目で俺を見上げるベルーナ。
お金を返してくれませんでした、なら、うん、それは俺も返してくれないと思うよ。
あいつらをやっつけてください、なら、うん、勝てそうにないんだけど……。
やつとその左右の2人の男。そして俺たちの後方の大男。
あわせて4人。
前方も後方も固められて、左右は家の壁で逃げ場がない。
……逃げられないのならやるしかない。
おれは魔法障壁管理者だ、やれる!
ベルーナの想いに応える!
さすがヒロさんです! ってベルーナに言ってもらいたい!
危険を乗り越えてこそ育まれる愛もある!
それつり橋効果なんじゃない!?
不純な動機がなんだ、この場を乗り切れるのなら俺は悪魔にだって魂を売ってやるぞ!
自分を鼓舞し、心を決める。
もはや心も揺らぐまい。
俺は鉄。熱く燃え上がる鉄!
まずは魔法障壁さんにアクセスして、それから拘束してやる。
出張のとき女アサシンを拘束したことがある。
それと同じ事をすればいい。
よーし、心は燃えているけど頭はクールだ。
これ勝利の方程式だよね。
ログイン画面、ログイン画面は、と……。
俺はどこからでも魔法障壁さんにアクセスできるスペシャルな力を持っている。
おそらく俺にしか出来ない。
……あれ?
いつもなら簡単に見つかるんだけど、どこだ?
いつも必要な時には目の前にあるんだけど……。
「おい、ブルッちまって声もでないのかよ。そんなタッパしてなさけねぇやつだな」
ええい、うるさい。
バンダナの男が小物らしいセリフをはいてくるが、俺は今それどころではない。
彼を小物たらしめている所以は、今から俺がコテンパンにする所にある。
無い、無いぞ。
いつもなら簡単に見つかるはずの、いや探さなくてもそこにあるはずのログイン画面が出てこない。
どうしてだ。
俺は魔法障壁さんにアクセスできる。
それはたぶんこの城の魔法障壁じゃなくてもだ。
ミラーの街ではその街の魔法障壁さんにアクセスできている。
じゃあいったいなぜ……。
もしかして、魔法障壁の外側だからか?
確かに普段はいつも王城内つまりは魔法障壁の内側にいる。
ミラーの街もおそらく街を囲むように魔法障壁が展開されていたのだろう。
いやいや、ここも内側だろう街中だよ?
城下町を取り囲むように石造りの城壁があったけど違うの?
もしかしてあれはただの城壁で、精霊の加護を受けた魔法障壁じゃないのか?
確かに、何度も警報で呼ばれることはあっても、街の外側の城壁に呼ばれたことはなかった。
つまりここは……魔法障壁の外。
ベルーナに確認したいが、声に出すと相手に状況を悟られてしまう。
ここはハッタリを使ってでも乗り切らなくてはならない。
「おい何とか言えよおっさん!」
もう一人のスキンヘッドの男が痺れを切らしたようだ。
「いや、失礼。君たちがあまりに滑稽で声も出なかったのだよ。
俺のことを知らないなんてな。いや、失礼」
俺は自身たっぷりに、そしてオーバーアクションをとり、そう言い放った。
「なんだと、お前のことなんか知らねえよおっさん」
脊髄反射で返事しないで!
もう少し、もう少し考えてみてよ。
「お前たちも聞いた事があるだろう?
この城に降臨した勇者のことを。
それが俺だ。信じても信じなくてもいい。
俺はここにいる。それだけだ。
ああ、逃げてもかまわんよ。
いったいいくらで雇われているのかは知らないが、命より高くはないだろ?」
ほら、ね、聞いたことあるでしょ、この話。
お城で盛大に儀式したよ?
街中でのパレードはやってないけど。
「勇者だぁ?」
そうそう、勇者勇者。
ね、脊髄反射やめよ?
「た、確かに勇者の情報は知っている……。
背の高いひょろいおっさんらしい」
「本当ですかい!?」
「ほう、さすがは悪徳商人。情報が命なだけはあるな。
お前達も聞いたことがあるだろう。大切断の技を。
どんなものでもぶった切る勇者専用の技だ。
今逃げるのなら見逃してやるが、そうでないなら腕の一本や二本無くなっても恨むなよ?
この技は加減が難しいんだ」
俺は高々と右手を上に上げる。
ハイリカバリーと並んで勇者の代名詞と語り継がれているのがこの大切断だ。
勇者物語はこの国の人なら知らない者がいないほどメジャーな話だ。
さりとて御伽噺ではなく、皆が実在するものだと捕えているのがこの話の凄い所だ。
もちろん俺は大切断など使えない。ハッタリだ。
しかし、この俺の演技力。
商人はともかくチンピラは逃げるだろう。
「いや、ハッタリだ!
大切断は勇者専用職のバスターブレイダーが使える技。
情報によるとこの国の勇者は一般職だって話だ。
つまり100万歩譲ってこいつが勇者だとしてもそんな力はない」
げげっ、さすがに良く知ってる。
100万歩譲っては余計だが、確かに俺にそんな技はない。
「愚かな下々の者よ。このお方は神の御使い。勇者ではない。
なぜなら私が勇者だからよ!」
べ、べるーな?
俺に合わすにしてももう少し、こう、信憑性の高そうな、そういうアドリブをお願いしたいんだけど……。
バンダナの男が悪徳商人の方を向く。
悪徳商人は無言で首を振った。
「けっ、脅かしやがって、こいつは高くつくぜ。
ボコるだけで済ませてやろうと思ってたが、それこそ腕の一本や二本覚悟してもらうぜ」
「勇者のお嬢ちゃんも覚悟しな。
そんなに勇者プレイが好きならあとでたっぷりと俺達が相手してやるよ」
前と後ろ、いきり立った男たちが包囲を縮めてくる。
やばい、やばい、やばい、やばい。
命乞いをするか?
いや、それは悪手だろう。
抵抗もせずにベルーナが汚されてしまうだけだ。
何か手はないのか、俺が犠牲になってもベルーナが助かればそれでいい。
何か、何か!
俺は勇者なんだろ?
異世界転生者なんだろ?
女の子一人守れなくて、何が異世界転生者だ!
目覚めろ、俺の力、眠ってる俺の力!
ここから一発逆転のすごい力!
頼む、あるんだろ、あるよね、きっとある!
うおー、さあ、こい、こい、こい、こい!
【うるさいのう。寝られんのじゃ】
きた、きた、きた、きた、きたー!
俺にだけ聞こえる頭の中に直接語りかけてくる声きたー!