第45話 二度と女の子に触れる機会なんか来ないかもしれないぜ?
「す……すみません。ちょっとだけ眩暈がしました」
俺の腕の中でえへへと笑うベルーナ。
ちょっとだけって……そんな事はない。
俺がいなければ床に倒れ込んでしまうほどだった。
「ベルーナ疲れてるでしょ。休憩した? お昼ごはんは?」
「……お昼ご飯ですか?
……まだ食べてませんが、もうそんな時間だったんですね」
俺の問いかけに対して幾分か反応が遅いベルーナ。
これは相当疲れてるぞ。
「って、ベルーナお昼ご飯食べてないの!? もう夕方だよ!」
時間が過ぎるのも気づかずに、ずっと仕事してたって事!?
「えへへ、すみません。
倉庫で見つけた機器が使えるようにならないか頑張っていたんですけど、なかなか難しくて……」
力なく笑うベルーナ。
なるほど。それでずっと頑張ってて疲れてしまったわけか。
眩暈がして倒れるほどだ。これ以上はドクターストップ。
俺はドクターじゃないけど上司としてストップだ。
「ベルーナ、今日はもう上がりなさい。家に帰って休むんだ。
お昼休みもずっと働いていたんだ、定時前だけどその分は早く帰っていい」
「でも、私は何も出来ていません。こんな状態で私だけ先に帰るわけには……」
「いいかいベルーナ。体調管理というのは社会人の基本なんだ。
体調が良い、元気である、ということは何よりも大切なんだ。
無理して仕事を続けても、おしなべてうまくいかないことが多い」
辛そうなベルーナを見てられない、というのが俺の本音。
ただストレートにそれを伝えるとセクハラだと訴えられる場合があるので、本音は隠して上司トーク。
ベルーナはそんな事言わないと思うけど、そうやって油断して死んでいった上司たちを俺は何人も見てきた。
それに、言い方は悪いが、この方が圧力をかけることが出来る。
真面目なベルーナにはこちらのほうが聞き入れてもらいやすいだろう。
「でもそれじゃあ交換する機器が……」
「大丈夫。後は俺がやっておく。
俺は魔法障壁管理者だ。すごい力で何とかするよ」
「はい……」
これはまだ納得がいってない返事だ。
納得というか、本当に大丈夫なのだろうかという不安だな。
つまりまだ上司としての信頼が醸成されていない!
確かにベルーナには俺のかっこいい姿を見せてないことも原因だけど……。
「大丈夫ベルーナ。俺を信じて。
それに経理から1台分の金貨はもらってきた。
これで確実に1台は何とかできるから心配せずに休むんだ」
「分かりました……。ありがとうございます」
「いいんだ、ゆっくり休んで」
よしよし、説得できたようだ。
金の力に負けた気がするけど、それはそれ。
俺の薄っぺらいプライドよりもベルーナのほうが大切だ。
「はい。あ、あの……ヒロさん、もう自分で立てますので……」
しまった!
ずっと抱き留めたままだった!
無意識のうちにセクハラ案件!
いつの間にか俺の腕はベルーナの躰を包み込むように、まるで捕えて逃がさないと言わんばかりに、俺に体重を預ける彼女を抱き留めていた。
一旦気にしてしまうと、気にしない事なんて出来やしない。
腕に、手の平に、指先に、ベルーナの華奢ながら女の子の身体が触れている感覚が伝わってくるのだ。
脳もそれを認識しているのか、がっしりとベルーナの体を掴んで離そうとしない。
(天使の俺)バカ、早く離すんだ俺!
(悪魔の俺)向こうから倒れ込んで来たんだ、こいつはセクハラ案件じゃないぜ。
(天使の俺)そうだとしてもベルーナが嫌な思いをするだろ、離せ!
(悪魔の俺)離していいのか? 二度と女の子に触れる機会なんか来ないかもしれないぜ?
(天使の俺)……。
(悪魔の俺)な、もう少しだけだ、こうしてようぜ。
(天使の俺)……。
(悪魔の俺)分かってもらえたようだな。よしよし。(天使の俺チョロい)……ぐわっ! き、きさま後ろから刺すなんて天使のやることじゃねえ! がくっ……。
(天使の俺)悪は去った。だがいつまた第二第三の悪が出現するか……(締めに入る)
「ご、ごめんベルーナ。つい」
俺は鉄の意志で自分の腕を戒め、抱き留めていたベルーナを解放する。
「いえ、こちらこそ倒れそうなところを助けていただいて、ありがとうございました」
そう言うとベルーナは俺から顔を背けてしまう。
ごめんねベルーナ。
疲れている上におっさんに触れられる二重苦を与えてしまって。
心なしかベルーナの顔色が良くなっている気がする。
でも無理は禁物だ。速やかに帰るように促そう。
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そしてベルーナは自分のカバンを手に、最後までぺこぺこと頭を下げながら職場を後にした。
さてとそれでは。
俺は経理部に置き忘れた台車&3台のマナボックスを引き取りに向かうのであった。
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・
俺は賢くなった。
朝はハイネと一緒にえっちらおっちら重い機器を持って地下まで階段を下りたのだが、実はその必要が無かったことをベルーナから聞いた。
魔法障壁管理部には小荷物専用自動昇降装置があるのだ。
通常の人が乗り込む自動昇降装置より遥かに小型で、荷物の搬送に使われるものだ。
それを使えば簡単に地下まで運ぶことができる。
小荷物専用自動昇降装置の地上側の入口は王宮内にあるので少々運ぶのが手間だが、長い螺旋階段を何度も往復するよりは断然いい。
そしてその便利な昇降装置を使って地下にある魔法障壁管理部まで台車と3台を降ろしてきたところだ。
「ふう、これで終わりだ。あとは俺の秘めたるスペシャルな力でこれを動くようにするだけなんだが」
昇降装置の管理部側入り口から取り出した台車を押しながら、事務室へと向かう。
しっかし3台分だと台車があっても重いな。
ぬっく……足が前に進まないぞ。
なんだか目の前も急に真っ暗に……日が沈んだのか? 地下なのに。
いやいや、これもしかして、眩暈?
確かに俺もベルーナと同じで昼ごはんは食べてないし、さっき経理部で150枚の金貨獲得のために膨大なマナを吐き出したし……。
うぐっ。
そして目の間が完全に真っ暗になり、ひんやりとした床の感触を味わったところで俺の意識は終了した。
・
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・
・
――ヒタ ヒタ
――ヒタ ヒタ ヒタ
音が聞こえる。
――ヒタ ヒタ
誰かが歩く足音のような音。
ベルーナが帰ってきたのだろうか。
確認しようにも体が動かない。
それでも俺が今床の上で寝そべっている状態なのだけは分かる。
これは夢なのだろうか。
意識だけが覚醒しているような感じだ。
ヒタヒタという足音の様なものが次第に俺に近づいてくる。
――ヒタ ヒタ
そして止まった。俺の元で。
何か……いるのか?
【少しは成長したかと思ったのじゃが、あんまり変わっておらんようじゃのう】
なんだ?
女性の声が聞こえる。前にどこかで聞いたことがあるような。
思い出そうとすると頭の中にもやがかかったようになる。
だれだ、と声を出そうとしたが、それは声にならなかった。
寝そべる俺の背後に声の主の存在を感じる。
ふと空気が揺れたかと思うと、俺の体に何かが触れた感覚がする。
手?
声の主の手なのか。
手の平とそして細くしなやかな指が触れている気がする。
首を後ろに向けようにもやはり首は動かない。
薄暗い中、ふわりと銀色にきらめく細長いものが俺の視界に入った。
これは……髪。銀色の長い髪の毛。
【わしの封印はあらかた消え去ったのじゃ。あともう少し。お主には期待しておるぞ】
封印?
いったい何のことだ?
【ふぁーぁ、まだ眠いのじゃ…………】
そして女性の声は聞こえなくなった。
と同時に俺の意識も深い闇へと落ちて行ったのだった。




