第42話 前髪ぱっつんちゃんの名前をそろそろ覚えよう
「げっ、あなたは……」
眼鏡をかけた前髪ぱっつんの若い女の子が俺を見るなり苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。
「こんにちは。この前はありがとう。それで」
「あー、聞きたくないです。今忙しいので。見て分かりませんか?」
即拒否られた。
俺は今経理部に来ている。
前に給料の前借りをお願いした部署だ。
そしてやはり一番手前の席の前髪ぱっつんちゃんに声をかけようとしたのだが、残念ながら席にはおらず不在だった。
どうしたものかと思案を始めようとしたところ、運よく探し人の前髪ぱっつんちゃんが戻ってきて……声をかけられたという訳だ。
そんなこんなで日常会話トークから入った所なんだが……見て分かりませんか、と言われると……。
ぱっつんちゃんは何かが入った大き目の箱を抱えている。
つまりこれを運ぶので忙しいということかな。
「わかった。ではその箱は俺が運ぼう」
俺は紳士的に提案を行う。
まずは交渉の前に印象アップだ。
「はぁ……見て分からなかったようですね。
いいですか? 何が起こったのか分かりませんが、計算に必要な魔法機器が止まって仕事ができません。
だから紙の資料を持ってきて、手で計算するところです。
ですのであなたの相手をしている暇はありません」
手に持った箱をどかっと自分の机の上に置いたぱっつんちゃん。
よく見ると他の人も慌ただしく箱を運んでいる。
ふむ、魔法機器が止まったとな。
そういえば部屋は違うとはいえ、さっき呪詛を吐かれた3か所目も経理部だった。
今いるここも同じ魔法力充填領域だったのか。
マナセグメントが消失して、同様にマナで動く計算用の魔法機器が停止して計算が出来なくなって困っていると。
手伝って好印象を与えたいとはいえ、俺は会計の仕事は大の苦手なので手伝うことは出来そうにない。
どうしたものか……。
「さあ、帰ってください。
どんなに頼み込んでも今チーフは不在なのであなたの思い通りにはなりませんよ」
チーフとは俺に便宜を図ってくれる頼もしい存在だ。
どうやら極度の勇者マニアらしく、異世界転生者、つまり勇者の俺に良くしてくれる。
「聞こえませんでしたか? お引取りください」
つっけんどんな対応。
確かに以前にもぱっつんちゃんには交渉で敗北している。
手強い相手なのは間違いない。
俺の最強の手札、チーフがいないとなれば勝ち目は無いに等しい。
ぱっつんちゃんも早く帰れ、仕事の邪魔をするな、とすごく嫌そうな顔をしてる。
今回は引き下がるしかないか……。
諦めてベルーナの所に帰って天使スマイルでこの気持ちを癒してもらおう……。
俺は失意のまま経理部の部屋を後にする。
と、その矢先。
「あらー勇者じゃない! どうしたのこんなところで」
最強の手札降臨キター!
ちょうど部屋を出るところで運よくチーフさんと遭遇したのだ。
「あ、その節はお世話になりました」
「あらーいいのよ。あ、こんなところで話もなんだから、入って入って」
「お、おじゃましまーす」
一度敗走している身なので小声の俺。
チーフさんに促されるまま経理部の部屋にカムバックした。
「聞いてくれる勇者?
朝のうちは何ともなかったのにね、さっき急に機械が動かくなって。
どうやら他所の部屋も同じ感じでね」
なるほど、不在だった理由は他部署の様子を見に行ってたわけだ。
「あ、ミカさん、別の部屋も同じだったわよ」
前髪ぱっつんちゃんが引きつった表情を浮かべている。
チーフと俺という最強コンボを決められることを想像しているようだ。
「それに大臣部もここと同じらしくて、どうやら原因はランチパック?
なんかしょぼくれたおっさんが大臣の所に来て平謝りしたらしくてね、その人が悪の権化らしいんだけど、どこの部署の人か分からなくてね。
秘書さんがいたら確認できたんだけど、秘書会議に入ったらしくて当分戻ってこないらしかったから私も帰ってきたのよ」
まさか、そのしょぼくれたおっさんって俺の事か!?
あの大臣め。あんたの所は直す順番最後だからな。決めた。
「別の部屋も阿鼻叫喚でね。
どうやら直接触ってマナを送り込めば機械が動くようなんだけどね、頑張っても数分しか動かないらしくて、マナを使い果たした人たちが屍のように床に折り重なってたのよ。
うちはどうしようかしら……」
マナが失われた部署は想像どおりそんなことになってたか。
ここも阿鼻叫喚の地獄絵図になるようだったら、無理くり俺のお願いとか通せないよな……。
「それで勇者? 今日はどうしてここに?
まさか勇者フェス開催のお知らせ?
それなら絶対に行くわ。部下の子にも自腹を切らせて参加させるから見てて!」
えっと、これ以上前髪ぱっつんちゃんに恨まれたくないので、そういうことはやめてください……。
「いえ、そのたぶん……その大臣室に行ったしょぼくれたおっさんって俺の事で……」
俺はかくかくしかじか事情を説明した。
「なるほど……。
それでその、領域統制中核機を買いたいからお金を用意して欲しいという訳ね。
いいわ、いくら必要なの?」
「チーフ!?」
前髪ぱっつんちゃんが素っ頓狂な声を上げる。
「ええ、分かっているわミカさん」
チーフが発したのはその言葉だけだった。
目と目で前髪ぱっつんちゃんと会話したのだ。
いったいどのような内容が交わされたのか俺には分からない。
「一台、金貨150枚です。
今必要なのは四台分。合計金貨600枚です」
「き、金貨600枚!? チーフ!?」
焦りの表情でチーフを見るぱっつんちゃん。
それはそうだ。金貨600枚と言えば600万円。
飛び入りで出してくれるような金額ではない。
だがもう交渉は始まっているのだ。
まずは最大値を伝える。それは大きければ大きいほうがいい。
チーフは腕を組み片手を頬に当てて試行中。
俺の最大の切り札であるチーフでもこの状態だ。
金貨600枚を即金でという事がどれだけ無茶を言っているのかが分かる。
「ごめんなさい勇者、いくらあなたの頼みでもそれは聞けないわ」
しばしの思案の後、チーフは申し訳無さそうにそう言った。
やっぱりそうか。
あ……、ぱっつんちゃんが笑顔でうんうんと頷いている。
でもここからが交渉の腕の見せ所だ。
ここから大幅に譲歩する!
奇妙な冒険漫画で学んだ交渉術を見せてやる。