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後編

 4月も半分が過ぎ、桜の木がピンク色から緑色へ変わり始める頃。比呂はとある高校の校門の前に立っていた。

――女子高生の制服を着て。




 数日前の事。一週間の研修を終えた比呂は、友部との面談の為に会社から呼び出しを受けていた。

「鳥海さん、研修はいかがでしたか?」

「散々でした」

 初日の子守り任務の後も、たくさんの痛い目に遭わされた思い出が走馬灯の如く甦り苦々しく答える。

「……でも、続けてもいいかなと思ってます」

「え? 今、なんて?」

 比呂の苦い顔を見て、正式な登用は絶対に断られるだろうと思い込んでいた友部は驚いた表情で聞き返す。

「その代わり、これからも新井と組ませてください」

 その返事を聞いて、友部は合点がいったように手をぽんと打った。

「あぁ、新井さんのことが気に入ったんですか」

「ちっ、違います!」

 慌てて否定したが、桃子のことを気にしているのは間違いではなかった。研修期間中、桃子は一度も比呂に対して笑い掛けることはなかった。しかし口では悪態をつきながらも、比呂が困ると必ず手助けをしてくれる。ありがとう、と言うと必ず不機嫌そうに別に、と答える。そんな彼女のことをいつしか笑わせたいと思うようになっていた。

「とにかく、これからもよろしくお願いします」

 頭を下げた比呂に友部は優しく笑い掛けた。

「それでは鳥海さん。次の任務はこれを着てくださいね」




 ――手渡された春ヶ丘女子高等学校の制服を身にまとった比呂は桃子にメールを打つ。

「校門で待ってる。……送信っと」

 淡いピンク色のブレザーに茶色いチェックのプリーツスカートは桜の木をイメージして作られたものらしい。そんな可愛いらしい制服を身に付けた比呂の姿は意外に違和感がない。スカートから伸びる細く白い脚は女子そのものだ。男子にしては髪も長く、友部が用意してくれた小さな白い花のピンで前髪を留めればカツラなど被らなくともすっかり乙女であった。

 校門から出てきた桃子は辺りをきょろきょろと見回す。完璧な女装の比呂に気付いていないようだ。

「新井、こっち」

 さすがに声だけは乙女を装うことが出来ないので、ひそひそと周囲にバレないよう声を掛ける。振り返った桃子の瞳孔が一瞬きゅんっと閉じた。顔にこそ出さないが、比呂の格好に驚いたのだろう。

「何それ」

「へへ、似合う?」

 比呂はスカートの裾を両手でつまみ上げながら、足を交差させて笑う。意外に乗り気なようだ。

「似合わない」

 桃子はノリノリな比呂をあっさり切り捨て、校舎へ向かう。

 すれ違う女生徒はみんな立ち居振舞いが上品で、「ご機嫌よう」と比呂が人生で一度もしたことがないような挨拶をしており、フローラルの芳しい香りを振りまきながら歩いている。まさに秘密の花園だ。

「すげぇお嬢様学校だな。お前もここに通ってるとは思えな――」

 言い掛けて途中でしまったと口をつぐんだが、時すでに遅く、桃子は憎らしげに比呂を睨み付けていた。


 春ヶ丘女子高等学校は桃子の通う高校だ。都内屈指のお嬢様学校で、この学校の制服を着て歩く事が女子たちの憧れとなっている。そんなお嬢様学校に【IE】が潜伏しているというのだ。比呂は友部の説明を思い返す。


「今回の任務は危険度Cランクの【IE】の検挙が目的になります。本来ならば地球への入星すら許されないランクですが、どうやら不法入星したようです。今までの【IE】とは訳が違いますから、くれぐれも用心してくださいね、鳥海さん」


 急に恐怖心が芽生えてきた比呂は身震いをした。その恐怖心を掻き消そうと桃子に話し掛ける。

「なぁ、【IE】について何か噂とか立ってねぇのか? 変なヤツとかいたらわかりそうじゃんか」

「知らない」

「友達とかと何か話したりしねぇの?」

「しない」

「もしかして……友達いない?」

 冗談っぽく聞いたつもりだったが、比呂はそれを後悔する。今までにないほどの殺気を放ちながら桃子がこちらをねめつけてきたからだ。

「爆ぜろ」

 最大限に憎しみの込められた桃子の言葉に比呂はそれ以上何も返せなかった。




 それから二人は一切言葉を交わすことなく校内を巡回したが、【IE】の手掛かりは何一つ見つからなかった。ぎすぎすした空気に耐えきれず、比呂は最後に外を見て回り今日は解散しようと提案した。桃子は返事をしなかったが、靴に履き替え外に出たので比呂もそれについていった。

 外は既に日が暮れ、冷たい風が吹いていた。部活動をしていた生徒たちも片付けを始めている。校舎内と同じく、やはり校庭にも異常はない。途方に暮れた二人の短いスカートが風にはためく。そして足を露出することに慣れていない比呂の下半身がみるみる冷えていく。

「さ、寒い……」

 思わずひとりごちる比呂を桃子はちらりと見やり

「次の中庭で最後」

と足早に中庭へ向かった。美しくパンジーが咲く花壇とベンチが並ぶ中庭には誰もおらず、ここにも特に手掛かりになる物はなさそうだ。ふぅ、と溜め息を吐く桃子の耳に呻くような声が聞こえた。

「あのぉ……新井さん?」

「何」

「トイレはどこでしょうか……?」

 吹きすさぶ風にすっかり身体を冷やされ、尿意が限界点を突破した比呂は青ざめた顔で尋ねる。呆れ顔の桃子が近場の女子トイレを指差すと、比呂は漏れる! と絶叫しながら韋駄天の如く駆け込んだ。

「女子トイレだぞ……。もう少し躊躇え」

 桃子は夜が迫る寒々しい空気に溜め息を吐き、先に校舎の中へ戻っていった。



 すんでのところで膀胱の決壊を免れ、無事に用を済ませた比呂が手を洗っている。

 すると一人の女教師がトイレに入ってきた。やべぇ、と心の中で呟き、そそくさと退出しようとする背中に女教師の声が投げ掛けられる。

「君」

「……?」

「この学校の生徒じゃないね」

 どくんと心臓が嫌な音をたてる。振り返ると女教師は比呂が使った個室の前で立ち止まり、比呂を蛇のような鋭い眼光で睨んでいた。

「(何でバレたんだ?)」

 冷や汗が額を伝う。おどおどと泳ぐ視界に、用を足して上げられたままの便座が入った。

「(あれか――! 俺のバカ!)」

「何をしにここへ来た?」

 女教師がゆっくり近付く。一歩近付くごとに女教師の顔が徐々に形を変えていく。

「な……」

比呂はその異様な光景に言葉を失った。頭の中で何度もやばい、やばい、と繰り返す。

比呂の目の前まで歩みを進めた女教師の顔は口が耳元まで裂け、赤い舌がちろちろと覗いている。まるで蛇だ。

「ひっ……」

 比呂は逃げようとしたが、まさに蛇に睨まれた蛙のように身体が動かない。

「もしかして不法入星の【IE】でも捕まえに来たのか?」

 女教師が耳元で囁く。生暖かい息が耳にかかり不快だが、それを振り払うことすら出来ない。

「(こいつが【IE】か……!)」

 声も出せずだらだらと冷や汗だけが吹き出す。そんな比呂の首筋に女教師はそっと牙を立ててきた。途端に、視界がぐにゃりと溶けるように歪む。音が遠のく。触覚が奪われたように身体の感覚が無くなっていく。

「殺しはしないよ。いろいろと面倒だからね」

 フェードアウトする意識の中で女の声が遠くに聞こえた。



「――遅い」

 すっかり夜に染まった校舎でひたすら待たされ続け苛立つ桃子は、怒気のこもった足音をドスドス立てながら中庭のトイレに向かった。

「おい、いつまで――」

 勢いよくトイレのドアを開けようとしたが、何かがドアにぶつかり開かない。

「……?」

 かろうじて開いた隙間から頭を入れ、中の様子を伺う。そこには気絶し、倒れている比呂がいた。

「おい! どうした!」

 無理矢理ドアを押し開け、比呂の元に駆け寄る。手早く呼吸と心拍の確認をし、ほっと胸を撫で下ろした。

「気絶しているだけか……。一体何が……」

 何か異変はないかと警戒する桃子はふと比呂の首元に視線を留めた。鋭い牙で噛みつかれた跡がある。青紫のアザになっており、腫れ上がっていた。

「これは……毒か?」

 急いで携帯を取りだし電話をする。

「新井です。鳥海比呂が負傷しました。至急救護班の出動を要請します」





「――即効性の神経毒を首元から注入されたようですね。シュナークと呼ばれる【IE】が使う毒で、主に捕食の際に使用されます。致死量には至らなかったようですが、数日は目覚めないでしょう」

 友部が資料を見ながら桃子に説明する。社内の特別看護室に搬送された比呂は処置を受け、今は穏やかに眠っていた。

「すみません。私がついていながら……」

 眠り続ける比呂の顔を見つめ、悔しそうに下唇を噛み締める桃子。

「新井さんのせいではありませんよ。危険度Cの【IE】だということ以外、何も情報が無い状況でしたから」

 優しく慰めるような友部の言葉に、ぐっと手を握りしめ俯く。

「私が、必ず検挙します」

 桃子は低く、強い口調でそう言うとがたんと立ち上がり部屋を飛び出して行った。その後ろ姿を少し驚いた表情で見送りながら友部が呟いた。

「あんなこと言う子だったかしら……」



 翌日、桃子は学校の屋上で一人サンドイッチを頬張りながら険しい表情をしていた。必ず検挙するとは言ったものの、相手の手掛かりが何一つない状況だ。せめて昨日、校舎に戻らず中庭で彼を待っていれば……。はぁ、と小さく後悔の溜め息を吐く。

「――ん?」

 滅多に人の来ない屋上に、誰かがやって来た。

「堂本先生……?」

 それは桃子の担任であり、昨日比呂を襲撃した張本人でもあった。今年度から新しい国語教師として赴任してきた堂本は常に一人で、他の教師と話しているところを一度も見たことがない。恐らくは職員室でも居場所がなく、人気のない静かな屋上へ昼食を取りにきたのだろう。自分と似たような境遇なのか、と桃子はこの珍しい訪問者を特段不思議にも思わなかった。彼女は桃子に気付く様子もなく、フェンス沿いの日なたに腰を下ろすと弁当を広げた。その弁当の中身に桃子は目を疑う。

「は……ねずみ……?」

 弁当箱の中に数匹詰められているねずみの死体を箸で持ち上げると、さも普通の弁当を食べるかのようにそのままもぐもぐと食べる堂本。目の前のグロテスクな光景に桃子は確信する。

「あいつが……」

 握り締めた手の中のサンドイッチから中身が溢れ出た。桃子はこれまで感じたことがない程の怒りにうち震えていた。




 ――放課後、桃子は国語科教員室の前に立っていた。大きな深呼吸を一つして、自分を落ち着かせる。

「失礼します」

 ノックをし、中に入ると教員たちが一斉に桃子を見た。その中に堂本はいない。

「堂本先生はいらっしゃいますか」

「あぁ、堂本先生なら……」

「ここにいるが」

背後からの冷たい声にびくっとし、素早く振り返るとそこには堂本が立っていた。

「何か?」

背の小さな桃子は見下ろされる形で堂本の冷ややかな視線を一身に受ける。しかしそれに臆することなく、桃子も堂本を睨み付けながら言った。

「相談したいことがあるのですが、お時間よろしいですか」

「今は忙しい」

「昨日、私の知人が中庭のトイレで倒れたのですが、少し不審な点があって……」

 そこまで話すと堂本の眉がぴくっと小さく動いた。桃子はそれを見逃さなかった。ビンゴ、と心の中で呟く。

「……教室まで来なさい」

 堂本は横目で桃子についてくるよう促した。誰もいない廊下に堂本のコツコツというヒールの音と、桃子のパタパタという上履きの音が響く。桃子はその音を聞きながら目の前にいる敵の特徴を頭の中で整理していた。――鋭い眼光は見た者の動きを止め、鋭い牙から猛毒を注入する。人間の女を好物としており、捕食の際は大変獰猛。狙った獲物は確実に仕留め、餌にする。

 堂本が静かに教室のドアを開け、中に入る。

「動くな」

 桃子はドアの前で立ち止まると、素早く五つの銃口がある銃を手に構え低い声で言い放った。

「宇宙法律に則り、お前を宇宙拘置所まで転送する」

「プッ……アハハハハ」

 乾いた高い声で堂本が笑う。

「何がおかしい」

「お前、美味しそうだよねぇ。ずっとずっと見てたんだ。その柔らかそうな肉」

 ゆっくりとこちらを振り返ろうとする堂本に桃子が声を荒げる。

「動くなと言うのがわからないのか!」

 しかしそんな言葉を気にも留めず、ゆらりとこちらを振り返る堂本。瞳は蛇の如く鋭く光り、口元はご馳走を前にだらしなく緩み赤い舌が見えている。桃子は目を合わせまいと咄嗟に目を反らした。

「馬鹿かぁ? 敵から目を背けるなんて」

 耳元で声がしたと同時に女の細腕からは想像も付かない怪力で首を締め上げられ、桃子の身体は宙に浮いていた。

「……ッ!」

 息が出来ず、声も出せない。脳の中が鬱血しそうになる。

「君は私の故郷に連れて帰ろう。我が種族の食物として、その細胞で君を大量生産するんだ。こんなに光栄なことはないだろう? あぁ、もちろん君はその後でしっかり骨まで食べ尽くしてあげるから安心してくれ」

 桃子の手から力が抜け、銃が落ちる。

「どうせ友達の一人もいない君だから、この星からいなくなっても誰も悲しまない。それよりは私たちの食糧としてその身を捧げた方がよほど有意義だよ」

 残酷な言葉に桃子の心までが締め上げられるようだった。確かにこいつの言う通りだ。ずっとひとりぼっちで生きてきた私が消えても誰も気に留めない――そんな孤独感が胸によぎった瞬間、眼前の蛇女が真横からロケットのように吹っ飛ばされた。一緒に宙を舞う桃子の身体はそのまま廊下の床へ叩き付けられる。その衝撃と解放された喉に一気に空気が流れ込んだせいで激しく咳き込む。


「うおっ! すまん新井! 大丈夫か!?」


 聞き覚えのある声。声の主が駆け寄ってくる。咳で涙ぐむ桃子の瞳が捉えたのは、肩で息をし、汗だくになっている比呂だった。

「おい、クソ蛇女! テメー勝手なこと言ってんじゃねぇぞ! 新井がいなくなったら俺が困るんだよ!」

 比呂は中指を立てながら堂本にいきり立つ。

「げ……下品だぞ……っけほッ」

 咳き込みながらそれをたしなめる桃子。比呂はいたずらっぽくニッと笑い中指を引っ込めた。

「さっすがお嬢様」

「黙れ」

 いつも通りのやり取りに桃子は胸を撫で下ろす。看護室で寝ているはずの彼がどうしてここにいるのか疑問ではあったが、それよりも安堵感に胸を満たされていくのがわかった。比呂が、戻ってきた。その事実に何故かとても勇気付けられる。


「貴様ぁ……何故動ける? 昨日確かに……」

 堂本が呻きながら頭をもたげた。比呂が喰らわせた渾身の飛び蹴りが効いているのか、脇腹を押さえ立ち上がれずにいる。

「立てるか、新井」

「当然」

 桃子は毅然と立ち上がり、床に落ちている銃を拾い上げた。

「随分物騒なモン持ってるな、おい」

「これは宇宙拘置所への転送装置だ。殺傷能力はない」

「へぇ。そんじゃ、俺はこれで戦いますかね」

 そう言いながら比呂が背中のリュックから取り出したのは一升瓶の日本酒だった。何故そんな物を? と首を傾げる桃子に得意気な顔つきで説明する。

「昔、何かで読んだんだ。蛇は酒に弱いってさ。こいつを浴びせればあの蛇女も腰が立たなくなるんじゃねぇかなって」

「大吟醸……勿体無い」

 桃子の予想外の返答に、えっ? そこ? と言いかけた途端、堂本の怒声が飛んできた。

「私を無視してんじゃねぇぇぇッ!」

 その瞳は怒りに燃えぎらぎらと金色に光っている。桃子が素早くポケットから手鏡を取り出し顔の前に掲げた。目が合った者を石にしてしまうメデューサの退治方法を咄嗟に真似ただけだったが、効果は抜群だった。堂本、もとい蛇女は自分の顔が写し出されると、その眼光を鎮めざるを得なかったからだ。

「クソメス豚がぁぁッ」

 蛇女は怒りに任せ腹這いのまま物凄いスピードでこちらに這い進んでくる。いつの間にか下半身は蛇と化しており、その姿はギリシャ神話のラミアそのものだった。そしてそのスピードのまま鋭い毒牙を桃子へ突き立てようと襲い掛かってきた。

「下がれっ!」

 比呂は桃子を突き飛ばし、蛇女の前に立ちはだかった。

「次はぁぁぁっ! 殺してやるよぉぉぉッ!」

 絶叫しながら向かってきた蛇女は素早く比呂の足首を掴むと、太股目掛けて毒牙を突き立てた。比呂が小さく、ぐぅっと痛みに耐えるような声をあげる。肉が裂け、血がぱたぱたと落ちる。蛇女は口元についた血を舌で舐めとりながら歪んだ笑顔を浮かべた。

「昨日の倍の毒だ。すぐに死ねるぞ」

 そして死の恐怖に染まった表情を見ようと比呂を見上げる。その瞬間、眉間に鈍痛が走った。何が起きたのか理解出来ないままよろめく。顔中が酒臭い。アルコールの匂いに意識が揺らぐ。比呂の手には割れた一升瓶が握られていた。

「終わりだ、酔っ払いが」

 ぐわんぐわんと熱を帯び痛む頭に比呂の声が聞こえたが、酩酊状態で言葉の意味も理解出来ない。その場でぐったりと動けなくなった蛇女に桃子が銃口を向ける。

「十六時四十三分、危険度C・シュナークを転送する」

 引き金を引くとパシュッという噴射音と共に、五つの銃口から黒い半円状の物が発射された。その黒い物体が蛇女の首と両手首、そして胴と尾を拘束具のように捕らえる。

「転送開始」

 桃子の合図と同時に拘束具は青く点滅し、眩い光を放つ。あまりの眩さに目を閉じる比呂。光が収まり、目をそっと開けると蛇女は跡形もなく消えていた。

「転送終了」

 桃子は淡々と呟き、銃を下ろした。ふぅ、と溜め息を吐くと横でばたんと比呂が仰向けに倒れた。

「毒が回ったのか!?」

 慌てて駆け寄る桃子に比呂が笑い掛ける。

「心配ねぇよ。昨日打った解毒剤が特殊らしくてさ。打った後二十四時間は同じ毒が体内に入っても中和してくれんだって」

「そうか……。でも数日は目覚めないはずじゃなかったのか?」

「んー……。新井が一人であいつに向かっていくんじゃないかって思ったら目が覚めた」

 いてて、と言いながら起き上がる比呂は桃子の顔を見て驚いた。うさぎのように真っ赤な目と頬を伝う涙。初めて見る桃子の涙は小さなガラス玉のように光って美しかった。比呂はぽん、と桃子の頭に手を乗せ、泣き顔を覗き込んだ。

「何で泣いてんだ?」

 その言葉に桃子はきょとんとする。泣いている自分に気付いていなかったのと、何故泣いているのか自分でもわからなかったからだ。比呂は目を丸くしている桃子の頬をつまみ上げた。

「笑った方が可愛いって言ってんじゃん」

 そう言って無邪気に笑う比呂を見て、桃子は心の中が温かくなるのを感じた。それは他人との交流をほとんど持ったことがない彼女にとって生まれて初めての感情だった。細めた目から再びぽとりと涙が宝石のように落ちる。いつも眉をひそめてばかりの桃子が穏やかに笑った。



――やっと笑ってくれた。



口にしたら桃子の笑顔が消えてしまいそうな気がして比呂はこっそりと心の中で喜んだ。




 会社に戻った比呂は友部に大目玉を喰らった。

「鳥海さん! あなた動ける身体じゃないでしょう! また怪我までして……。何を考えてるんですか!?」

 いつもは優しい友部が物凄い剣幕で捲し立ててくる。その迫力に気圧されながら比呂はぽりぽりと頭を掻いた。

「す、すみません」

「謝れば済む話じゃありません! もしものことがあったらどうするんです!?」

「でも……仲間の事は放っておけないです」

 男らしく凛々しい表情を作りながら、決まったな……と内心にやりとする比呂に桃子が横槍を入れる。

「誰が仲間だ」

「えっ? 違うの?」

 さっきまでのしおらしさと愛らしさは何処へいってしまったのだろうか。素気ない桃子の態度に比呂は思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。桃子はそんな比呂を無視するようにくるりと背を向けて部屋を出ていこうとした。しかしドアの前で立ち止まると、背を向けたまま言った。

「仲間は仲間でも私は先輩だ。これから嫌ってほど厳しくしてやるから覚悟するんだな」

 小走りで部屋を去っていく桃子の後ろ姿を見ながら比呂はぼそっと呟く。

「ス……スパルタ……」

 そんな二人のやり取りを微笑ましそうに見ていた友部が比呂に尋ねた。

「鳥海さん、ヒーロー業は楽しいですか?」

 比呂が振り返り、照れ臭そうに笑いながら答える。

「時給900円なんて割に合わねぇって思ったけど、それ以上にすげぇもんがたくさん見れてます」




ヒーローは時給900円。地球を守るだけの簡単なお仕事です。

あなたも一緒にどうですか?


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