前編
地球を守るだけの簡単なお仕事! 初めての方も一から教えます!
「いや、それ簡単じゃねぇだろ」
アルバイトの求人雑誌を眺めていた比呂は思わず声に出して突っ込んだ。
「なになに? あなたも憧れのヒーローになってみませんか? 時給900円。制服支給。研修制度あり。まずはお電話を……。ヒーローショーか何かのバイトか?」
春から大学生になる比呂はアルバイトを探していた。コンビニや居酒屋のような普通のアルバイトには興味が持てずどこに応募するか決めあぐねていたが、この突拍子もない広告に好奇心も相まって心惹かれた。幸い、運動は得意で体力にも自信がある。思い立ったが吉日とばかりに、すぐさま広告に載っていた番号へ電話を掛けた。
『お電話ありがとうございます。株式会社トウセイでございます』
アナウンサーのような滑らかで落ち着いた口調の女性が電話口に出た。
「あっ、あの、アルバイトの求人を見て電話したんですけど」
『アルバイトのご応募ですね。それでは面接をさせていただきますので、ご都合のよろしいお日にちをお願い致します』
「明日とか……」
『かしこまりました。それでは明日十一時に履歴書をご持参の上、弊社までお越し頂けますか』
「は、はい」
『お気を付けてお越し下さい。それでは、失礼いたします』
女性は手慣れた様子でてきぱきと話を進め、あっという間に面接の日取りが決まった。初めての面接。わからないことだらけだ。不安そうに比呂は呟いた。
「り……履歴書ってどう書くんだよ?」
翌日、緊張で強張った表情の比呂が株式会社トウセイと書かれた門の前に立っていた。予定の時間よりもかなり早く到着してしまった為、眉間に皺の寄った般若のような顔でもう三十分近くも会社の周りをうろうろしている。息は浅く、肩に力がこもり、歩き方もぎこちない様子で明らかに不審者だ。通行人もちらちらとこちらを見ている。
「い、行くぞ。俺は行くぞ」
意を決し、エントランスへ歩を進める。自動ドアが開くとショートヘアの美しい女性が立ち上がり、こちらに向かって微笑みながらお辞儀をした。
「こんにちは。面接の方ですね。こちらへどうぞ」
優しい笑顔と物腰柔らかな話し方に少し安心した比呂は、女性の後を歩きながら辺りを見渡してみた。社内は広々としており明るく清潔だが、従業員が全く見当たらない。皆ヒーローショーにでも出てしまっているのだろうか、とぼんやり考えていると、小さな会議室のようなところへ通された。
「失礼します」
中へ入ると部屋にはスーツを身にまとった一人の男が窓辺に立っている。年齢は比呂の少し上といったところだろうか、まだ若い青年だ。しかし背丈は比呂よりもずっとあり、二メートル近いその巨躯は威圧感を放っている。男は振り返ると比呂に声を掛けた。
「やぁ、君が面接希望の方かな? 面接官の晝間だ。あぁ、どうぞ掛けてくれ。履歴書は持ってきたかい?」
比呂は返事をする間もなく言われるがままに椅子に腰を掛け、おずおずと履歴書を差し出す。男はそれを受け取ると、声に出して読み上げた。
「ふむ……鳥海比呂、十八歳。もうすぐ大学生かい。特技は運動か、華奢な身体なのに意外だね。志望動機は普通とは違うことがしたかったから……ほう」
晝間は比呂の顔をまじまじと見つめ、うーんと一人唸り声を出し始めた。彼の神妙な面持ちに比呂も何を言われるのかと、再び緊張し唾を飲み込む。そして暫しの沈黙を破り至極軽い口調で言った。
「うん、合格」
「はっ?」
比呂は目を見開いた。
「いや、あの。俺、何も聞かれたりとかしてないんですけど? 面接ってもっとこう、質疑応答とか……」
「聞かずともわかる。君にはヒーローの素質があるよ。さぁこの誓約書にサインを頂けるかな」
「でも俺こんなあっさり合格とかしちゃったら、人生って楽勝じゃんとか舐めた人間になっちまうし……」
「ふふ……その心配は無用だよ。さぁサインを」
晝間は含みのある笑顔を浮かべながら一枚の紙を寄越してきた。何が何だかわからないが、混乱しながらもとりあえずサインをする比呂。晝間はそれを見て安堵したような声音で再び話し出す。
「これで君も晴れてヒーローというわけだ。弊社は常に人材不足でね。君みたいな若くて体力のある青年が来てくれてとても助かるよ、比呂くん」
そしてサインのされた紙を受け取ると
「じゃ、ガイダンスは僕の助手が行うから、しっかりと話を聞いてくれ。では、僕は仕事があるのでこれで失礼するよ」
と足早に部屋を出ていってしまった。
「な……何なんだよ一体……」
比呂が唖然とした様子で呟くと、すぐに先ほど案内をしてくれたショートカットの女性が入室してきた。手に持った分厚い書類を手渡しながら自己紹介を始める。
「本日ガイダンスをさせていただきます、友部と申します。鳥海さんの研修期間中は私がサポートいたしますので、わからないことがあれば何でも聞いてくださいね」
彼女の日だまりのような優しい笑顔に、先刻まで動揺し通しだった比呂の心もほぐれていく。心なしか鼻の下が伸びているようだ。――が、すぐにその鼻の下も縮み上がることになる。
「では、資料の一ページ目をご覧ください。まずヒーローの仕事ですが、地球に住まう地球外知的生命体の犯罪を未然に防ぎ、取り締まることが主な内容となります。我々が【IE】と呼ぶ地球外知的生命体のほとんどはうまく人間に擬態し、地球の生命体に危害を加えることなく日常生活に溶け込んでいます。しかし中には凶悪な犯罪に及ぶ者もおり、我々は命を懸けて……」
「……ちょっと待ってくれ」
「はい?」
「突っ込むところが多すぎてどこから言えばいいのか……。命を懸けるって死ぬかも知れないってことか?」
「はい」
「は……はいじゃねぇっ! 俺まだ死にたくねぇし! 大体なんだよ、地球外なんちゃらって! そんな得体の知れねぇモンと戦えってか!?」
顔面蒼白になりながら大声で抗議する比呂に困惑する友部。
「でも誓約書にサインをされましたよね? あれには任務中、不慮の事故で命を落とす可能性についての旨も記載されていたはずですが……お読みになられていませんか?」
「は……? ……だからアイツあんなに急いでサインさせたのか……!」
怒りがふつふつと沸き上がり、握り締めた拳がぎりぎりと音を立てる。
「お、落ち着いて下さい、鳥海さん。まずは一週間の研修を受けられてみてはいかがですか? 合わないと思えば辞めていただいても結構です」
「誰がやるか……!」
「お願いです。絶対に後悔はさせませんから」
友部は真っ直ぐに比呂の瞳を見据えて、語気を強めた。
「鳥海さん、あなたが求める『他とは違うこと』。見たくはありませんか?」
翌日、比呂は友部に指定された集合場所にいた。結局研修だけでも、と言いくるめられ一週間の研修任務に就くことになってしまったのだ。綺麗な女性の押しにはめっぽう弱い。
「あーーもうすっげぇやだ……」
この世の終わりかのように悲壮感を漂わせその場にうずくまる。すると、目の前に誰かが立ち止まった。顔をあげると、真っ黒な髪を耳の上で二つに結い、有名私立高の制服を着た女子が立っていた。
「鳥海比呂?」
開口一番、ぶっきらぼうに呼び捨てにされた比呂は驚きながらも、は、はいと答えた。
「私、新井桃子」
その名前を聞き、昨日の友部のガイダンスが脳裏に浮かぶ。
――研修中は先輩ヒーローとマンツーマンで任務にあたります。鳥海さんには新井さんという方とタッグを組んでもらいますね。ちょっと気難しい方ですが慣れれば優しい方ですし、とても頼れる方ですよ――
「じょ、女子高生かよ」
予想に反し、小さくてか細い女の子が目の前に現れ呆気に取られている比呂。桃子はそれをねめつけ
「見るな」
と低く小さな声で言い放ち、さっさと歩き去る。その背中を慌てて追い掛けながら僅かばかりの反論を試みた。
「み、見てねぇし! てかお前いきなりその態度何なんだよ?」
桃子はその言葉を無視して歩き続ける。
「気難しいってレベルじゃねぇだろ、これ……」
二人は無言のまま歩き続け、こじんまりとした建物に到着した。入口には『シルド保育園』というプレートが掲げられ、中からは幼い子どもの声がする。桃子が久しぶりに口を開いた。
「今日の任務はここの園児の面倒を見ること」
「へ? 地球を守るんじゃなくて、子守りかよ?」
その質問には答えず桃子はこんにちは、と小さな声で挨拶し、中へ入っていく。比呂も続いて入ろうとすると、中年の女性の声がした。
「桃子ちゃんいらっしゃい! あら、今日は新人さんも一緒? 可愛らしい男の子ね」
しかしその声がどこから聞こえてくるのかわからず比呂は辺りを見回した。
「あらやだ、ここよ。下、下」
と声の主は鈴の音のように笑う。促されるままに足下を見やると、身の丈一メートルもない小さな生き物がこちらを見上げていた。風貌も奇抜だ。黒く短い触角に身体はクリーム色のふさふさした体毛に覆われている。小動物のように真っ黒で丸い目、口元は上唇の中心が少し裂けていて猫のようにふっくらとして愛らしい。
「ここの保育園の園長をしています。よろしくお願いしますね」
「あっ、ととと、鳥海比呂です。お願いします……」
思わず自己紹介をしたが、見たこともない生き物がにこやかに話しかけてくる異様な出来事に頭の中はパニック寸前だった。
「(なに? これ何!? 喋ってる! これが地球外なんちゃら? すっげぇぇぇぇ!)」
「【IE】を見るのは初めて?」
比呂の心を読んだかのように園長が尋ねる。
「私たちはシルドと呼ばれる【IE】。ぱっと見は動物みたいでしょう。ささ、中に入って」
気付けば桃子は既にいない。慌てて靴を脱ぎ後を追い掛ける。
「置いていくなよ、新井――ぅおっ!」
玄関からすぐ近くの部屋を覗きこむと、そこにはたくさんの仔犬のような生き物に埋もれている桃子がいた。よく見ればみんな園長と同じような姿形をしている。
「ももこだぁー!」
「ももちゃん! だっこー!」
「ももこー! えほんよんでー」
園児たちは桃子に非常に懐いているようで、それぞれに構ってもらおうと必死だ。桃子は言葉数こそ少ないが、先程までのつんけんした態度とは打って変わり、穏やかな笑みを浮かべている。
「アイツ……ちゃんと笑うんじゃん」
その様子を眺めていると、園長がズボンの裾を引っ張った。
「さぁさぁ、比呂くんにも働いてもらうよ! まずは園児たちのおやつを準備してもらおうかな」
比呂は台所に通され、メモ用紙を渡された。メモ用紙には『コウくんのおやつメニュー』と書かれている。
「みんな同じものを食べるんだけど、一人だけチョコを食べると不都合のある子がいてね。その子の分だけはメモ用紙通りに用意してもらえる?」
「ふ、不都合?」
「人間でいうところのアレルギーみたいなものかな。身体にちょっとした影響が出るから、絶対その子にはチョコレートを食べさせないようにね。準備が出来たら桃子ちゃんと一緒に園児たちに配っちゃって」
比呂は慣れない手付きで園児用の皿に菓子を取り分けていく。一人分だけは違う色の皿にメモ用紙通りの菓子を乗せ、園児たちがいる部屋へ運んだ。すると嗅覚のするどいシルドの子どもたちが一斉に輝く瞳をこちらに向ける。
「お! や! つ~!」
「おかしーっ!」
「うっ、うわぁぁぁぁぁい!?」
比呂は目にも止まらぬ速さで突進してくる園児たちに押し倒され、情けない悲鳴をあげながら菓子を全て床にばらまいてしまった。
「ボンクラ」
桃子が溜め息混じりに呟く。
床にばらまかれた菓子に群がる園児たち。みんな思い思いの菓子を手に入れリスのように頬張っている。
「ちょっと待てお前ら! 勝手に食うな! こら、聞いてんのか……」
事態を収拾しようと躍起になる比呂の足下で、一人の園児が小刻みに身体を震わせているのが目に入る。手にはチョコレート。
「まさか……」
顔から血の気が引いていく。園児はぶるんと大きな身震いをすると、素早く首をこちらに向けた。と、同時に目の前で爆発が起きたかのように何かが弾けて比呂の身体が吹き飛ばされた。
「いって……」
すぐ横の壁に叩き付けられ、軽い脳震盪を起こしながら爆発元を見やる。そこには先程の小さな身体からは想像もつかないほど巨大化した園児がいた。背の丈は三メートル近くあるだろうか。真っ直ぐに立てず天井に沿って首を折り曲げている。
巨大な園児は、顎が外れて転がり落ちてしまいそうなほど驚いている比呂を見るや否や、彼の足を掴んで持ち上げた。握力もかなりあるのだろう、掴まれた足が潰されそうなほど痛い。逆さ吊り状態になり手足をバタつかせながら叫ぶ。
「わぁぁああっ!? あ、新井! これどうすりゃいいんだ!?」
「本当にボンクラ」
助けを求められた桃子はうんざりした表情で比呂に歩み寄った。
「少し我慢しろ」
低い声で言うと、桃子は急に比呂のTシャツを剥ぎ取り脱がせた。逆さ吊りで何の抵抗も出来ず、あっさりと半裸にされた比呂を桃子は指差す。
「コウくん。今、ママはいないからこのおっぱいで我慢してくれる?」
コウくんと呼ばれた巨大な園児は返事をしなかったが、手中の半裸男子を高々と持ち上げると口を尖らせおもむろに顔を寄せた。
「ちょっ……何すんだ! えっ何!?」
尖らせた唇がバキュームの如く胸に吸い付く。某掃除機メーカーも驚きの吸引力だ。
「うっ、うぎゃぁぁぁぁぁぁっ!」
「結局今日はほとんど失神して終わったね、比呂くん」
大笑いしながら園長が涙を拭う。
「あの子はチョコレートを食べると神経が昂ぶってああなっちゃうのよ。いつもはお母さんがおっぱいを吸わせて落ち着かせてるんだけどね。まさか比呂くんのおっぱいでも大人しくなるとは思わなかったわ、あははっ」
「モウ、オヨメニ、イケナイ……」
全く笑えない当の本人は魂が抜けたような表情で呟く。乳首が真っ赤に腫れあがりひりひりと痛む。母乳も出ない比呂の乳首をコウくんが引きちぎらんばかりに吸った結果だ。そんな比呂の脇を通り抜け、桃子がありがとうございました、と小さく頭を下げて玄関を出た。比呂も挨拶をし、桃子に続く。
「あのさ、今日はありがとな。助けてくれて」
「助けてない」
つっけんどんに返す桃子に怯まず続ける。
「新井」
「何」
「お前笑ったほうが可愛いのに、何でそんなにしかめっ面ばっかなの?」
桃子の歩みが突然止まった。
「どうした?」
顔を覗き込むとそこには耳まで赤くなりながら下唇を噛み締める表情があった。
「は、爆ぜろ……っ」
少し上擦った声音で言うなり桃子は駆け出してしまった。その足はあまりに速く追い掛ける事すら叶わぬ速度だった。見事に置いてけぼりをくらった比呂は空を仰いだ。満月が空に上り始め、どこかで咲いている沈丁花の香りが鼻をくすぐる。
「新しい匂いがする」
動き出した奇妙な新生活に、少しだけ胸を弾ませて比呂は歩き出した。