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2.

 結論だけを言うなら、今生最大の厄日だった。

 もしも人生をやり直せるならば、朝起きた時にわたしはわたしに警告するだろう。この日だけは焼きたてパンを我慢しろ、と。あるいは寄り道せずに何があっても、真っ直ぐ家へ帰るべし。

 それで、全ては回避できたはずだ。


「深幸姉?!」


 素っ頓狂な声は、上から降ってきた。

 正確には六頭もの馬が引く豪奢な車の、二階建て分はありそうな高いお立ち台の、キラキラしい人たちに囲まれて、煌びやかな衣装に身を包んだ少年から発せられた。

 周りがハイスペックな美男美女だからか、黒髪黒目の彼はとても地味だ。

 衣装に着られているというか、似合わないといわなくても微妙なアンバランスさは否めない。腰に伝説の剣とやらを帯びているのだけど、これもまた装飾がすごくて「いかにも」それっぽい。

 ああ、なるほど。

 わたしの中の誰かが納得する。


「なあ、深幸姉だよな! 見た目変わっちまってるけど、深幸姉だよなっ」

「ハルト様?」

「ハルト、急に大声を出したりしてどうしたのです」


 お立ち台から身を乗り出さんばかりの少年を、周りが宥めようとしている。けど、あれは全く聞こえちゃいない。ミユキ、ミユキと連呼して実に喧しい。

 素知らぬふりをして、人混みから抜け出せばよかった。

 わたしは「ミユキ」じゃないし、彼のことも知らない。だから、スルースキルを発動させる。それで何も始まらないまま終わる。そうすべきだと分かっているのに、体が動かない。勇者ご一行様を見ようと押しかけた人々に挟まれているから、だけじゃない。


 わたしは、思い出してしまった。


「悠斗……」

「そう! オレだよ、オレ!!」


 オレオレ詐欺、はもう古いんだっけ。

 口の中で呟いたはずの声をしっかり聞き取って、あの馬鹿は今にも飛び降りそうな勢いだ。緑髪の人、そのまま襟首を掴んでいてください。王女様(仮)はせっかくなので、腰にしがみついちゃうといいかもしれない。

 昔から、ちっとも変わらない。

 やればデキる子、成績も上位常連組なのに、普段の行いが残念すぎる。どう見たって「深幸」ではありえないわたしに向かって、嬉しそうに名前を呼ぶ辺りとか。


「ちょっとよろしいですか」

「いえ、全然。全くよろしくありません」

「捕獲しました!」


 聞けよ、人の話を。

 がっしり掴んだ手は離れてくれそうにない。腕を拘束しているのは騎士団の人よね、たぶん。パレードで何度か見ているから知っている。お立ち台にいる人より装飾が控えめなので、一般騎士だと思われる。

 騎士は弱き者に優しくしろ、と教育されなかったんだろうか。

 ぐいぐいと遠慮なく引っ張られて、すごく痛い。涙が出そう。でも下手に暴れると余計に痛くなりそうだから、大人しくしていた。

 正直なところ、抵抗する気力もなかった。

 わたしは思い出したのだ。この人生が三度目だということ、最初の人生はこの世界じゃなかった。平凡な女子高生だったわたしは不幸な事故で命を落とし、この世界で生まれた。二度目の生は平凡どころか、波瀾万丈の慌ただしい一生だった。

 どちらも十代で終わる短い人生。

 神様の都合に振り回されるだけの憐れな運命。いや、それでも最初の生は事故に遭うまで幸せだった。二度目の生は「巫女」として覚醒するまでは普通に生きられた。

 そして三度目の生、奇しくも事故で死んだ年齢と同じ16才。

 近所の生意気な小学生はすっかり大きくなって、わたしよりも背が高い。最後まで懐いてくれなかったくせに、ぎゅうぎゅうと力いっぱい抱きしめてくる。

 感動のご対面、というやつだ。

 その前に、ここはどこか聞いてもいい?


「会いたかった、深幸姉! やっぱり生きてたんだな。オレ、ずっと信じてたんだ。こんなところで会えるなんて思いもしなかったけど」


 そうね、わたしは会いたくなんかなかった。

 思い出さなければ、こんな沈んだ気持ちにならなかったのに。焼きたてのほかほかパンはすっかり冷めて、騎士の一人が抱えている。何か仕込んでいないかと一通り検査済みだ。

 バラバラにされたパンは、今のわたしの気持ち。

 勇者ご一行様を見物しなければ、きっと思い出さなかった。この世界がどれだけ歪んでいて、ご都合主義に作られていて、理不尽で溢れているかを知らぬままでいられた。


「……ハルト、そろそろ離れたらどうかしら」

「うわ、ごめん! 10年ぶりだから嬉しくてさ」


 そう言って、わたしから離れる悠斗。

 王女様の声で動いたのに、王女様に顔を向けるどころか声すらかけない。まるで、彼にはわたししか見えていないみたいだ。

 喜色満面だった顔が、さっと変わった。

 上から下まで遠慮なく眺めていたから、彼の知っている「深幸」じゃないと理解したのなら有り難いけど。


「この人に縄をかけたのは誰だ」


 ざわっと空気が揺らぐ。

 この場にいた人たちの動揺が、そんな風に感じたのは「巫女」だった記憶が戻ったからか。わたしから彼を離そうとした王女様の声より、数倍低くて冷たい。

 悠斗は怒っていた。

 すぐに反応がこないので、ぐるりと見回しながら同じ台詞を繰り返す。今度は戸惑いと怯えが伝わってきて、思わずため息を吐いてしまった。


「あ、ごめん。深幸姉、すぐに解くから」

「人違いですよ」


 とりあえず、そう言ってみた。でも無駄だった。

 驚いて目を丸くしてから、彼は笑ったのだ。


「相変わらず嘘が下手だなあ、深幸姉は」

「嘘じゃな……」

「生まれ変わったんだろ? 大丈夫、神様から全部聞いてるし。どうせ勇者として召喚されるなら、深幸姉と同じタイミングが良かったぜ。あ、でも……それだと小学生のままか」


 一人ぶつぶつと呟く彼にツッコミはしない。

 小学生で勇者だなんて、漫画でも滅多にない設定だ。もしも本当に小学生の悠斗が召喚されたとしても、その見た目を最大限に利用するに違いない。

 小学生に骨抜きにされる王女様を想像してみた。

 うん、時間の無駄だった。しかも良からぬ想像をしているのが見透かされたらしく、凄い目で睨まれている。まずい、不敬罪で牢屋行になるかしら。

 とかなんとか考えているうちに、わたしの縄が外れた。もちろん、悠斗が解いたのだ。縄をかけたのは団長の配下だったらしい。逃げられたり、勇者によからぬ行動を起こしたりしたら大変だということで、予防策だと釈明される。

 よからぬ行動って何さ。

 こちとら、善良で一般的な庶民娘だっつの。



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