常連客の素性
「はい、終わり」
「ありがとうございます」
クリスが素っ気なく言うと、ゼルは包帯を巻いた手を胸において礼をした。なんとなくイラッときてしまい、その頭をひっぱたく。
「あんた反省してないわね?」
クリスはにっこりと笑みを浮かべた。その額には綺麗に青筋が浮かんでいる。
「いやー、すみません」
眉を下げて謝っているが、否定しない。クリスは収まらない怒りのままゼルに詰め寄る。
「そもそも何で怪我するの!」
「刃は人を切るためにありますから」
ゼルはもう一度はたかれた。
「じゃあ、何でグローブ外した訳?」
クリスは眉間の皺をもみほぐしながら聞いた。
どんな触れ方をしたってグローブを付けていればあのような事態にはならなかった。だからこそ彼女も安心してゼルから目を離せたのだ。
「美しい物を直に触りたいと思うのは当然でしょう!」
「………そお」
目がきらきらしている。何だか真面目に言い返すのもアホらしくなってしまったクリスは立ち上がった。テーブルの救急箱を棚に戻す。
病気にかかりにくい彼女は、救急箱など滅多に出さない。実際初めて使ったとき、彼女は何処に置いたか忘れてしまっていた。しかし今なら、目をつぶってでも救急箱を開いて止血の応急措置が出来る気がする。
応急措置をしても、傷の痕が消えても、怪我をしたという事実は変わらないが。
「あの人、また来てくれるかなぁ…」
不意の呟きに、ゼルは首をかしげて彼女を見た。
「ルディさんに惚れたんですか?」
三度目はチョップだった。
「新しいお客だったのよ!? しかも、新米さんみたいだったいし…。あの人が常連になってくれたら、他の新米さんも連れてきてくれるかもしれないじゃない。」
「常連さんならいるじゃないですか。」
「馬鹿なの? 常連が数人いたって一度に買う数はたかがしれてるわ。……トラブル持ってくる奴もいるし」
「え、そんな人いるんで……すみませんごめんなさい冗談ですジョークです」
とうとう腰に差している短剣に手を添えたクリスに、ゼルは両手をあげて降参の意を表した。
「だから、実はうちの店ヤバイのよ」
「……赤字、ですか」
ふざけられなくなった事情に、ゼルが笑みを消した顔で問う。
クリスはゆっくり首を振った。横に。ゼルはそれを見てほっとしたが、クリスは苦い顔をしている。
「でも、ギリギリなの。」
切実な事情を知って、ゼルは沈黙した。その沈黙がやけに重く、クリスは自分の込み入った事情を話したことを後悔した。
だが、ややあってゼルは笑った。いつもと同じように。
「なら、僕を雇ってくれませんか?」
「………はぁ!?」
思わず素っ頓狂な声が上げてしまったがそれは仕方ない。だって、訳が分からない。
ぽかんとする彼女を置いてゼルはどんどんヒートアップする。
「一ヶ月くらいだったら日を空けずに来れます。……いや、一生ここで働いたって構いません!」
「…色々ツッコミたいけど、人を雇える余裕は無いわ。」
「じゃあお金はいりません。ボランティアさせてもらいます。」
「…何が出来るわけ?」
まともに取り扱いたくない、と思うもののクリスは切実な状況にいる。訝しげな顔のまま問うと、意味不明男はあごに手をかけて考え込んで言った。
「力仕事とか…あと、売り子さん?」
クリスはうなった。確かに、それをしてもらえるだけで自分は大分楽になる。
そもそも彼女が赤字ギリギリになってしまっているのは、店を開ける時間が極端に短いことも要因の一つである。
この店はクリス一人で切り盛りしている。うつのも売るのも彼女だ。商品を切らすわけにはいかないから月に一度は一日中うつことにしている。体を壊すので週一の休みは必須だし、夜遅くまでは営業できない。本人は非常に不本意だが彼女も女である。警備隊などやってこない路地裏で、夜更けに店を開ける訳にもいかない。
だが、相手は何を隠そう営業妨害男。
武器に触れれば必ず怪我をし、そのためグローブ着用を条件に入店を許可した。しかし、思い出したように触れては怪我を重ねていった。
そんな男を働かせては、むしろ赤字になってしまう気がする。
「僕が信用出来ませんか?」
「当たり前でしょ。そのうち手、無くなるわよ」
「そんなのまた生えてくるじゃないですか」
「………」
首をかしげて笑うゼルに四発目をお見舞いしようと腰に手をかけ、はっと思いついた。
「これ!」
「え?」
「これよ! あんたずっとこれ持ってなさい。それで三日持ったら考えても良いわ」
鞘に収まった短剣を抜いてゼルに見せる。その刀身は白く輝いていて、この店の中でもかなりの上等品であることが伺えた。
ゼルは目を細めて短剣を見やる。そしてついに受け取った。彼女はちょっとびくびくしながらそれを見守る。
何でも無いように彼は短剣をくるくる回した。びくっとクリスが肩をふるわせるのを目の端で見て、今度は高く放り投げてみる。
「ちょっ!」
危なげなくキャッチすると、一気に彼女から力が抜けた。完全に遊んでいるゼルは、吹き出しそうになるのを堪えながらクリスに聞く。
「これは貴方が作った物ではありませんね?」
クリスは放り投げられては元に戻る短剣にはらはらしつつ頷いた。
「や、やっぱり分かるのね。それは父さんがうってくれた剣。」
「え、じゃあ大事な物じゃないですか」
「大事な物よ。だから壊したり失くしたりしたらあんたで剣の試し切りさせてもらうから」
「うわぁ…。気をつけます」
ゼルは剣で遊ぶのを止めて彼女に返した。そして立ち上がる。
「それでは、仮採用も決まったことでお暇させていただきますね」
今日はもう遅く、彼女はすでに店を閉めていた。いつもより早めに閉めたのは主にゼルの所為なのだが。帰ろうと立ち上がり裏口に向かっていく彼の背中に、クリスは不安げに問うた。
「ねぇ、お金いらないって…貴方大丈夫なの?」
「……大丈夫です」
不自然すぎる間があったが、彼は振り返ってにっこり笑った。うさんくさすぎると思ったが、言わないなら強く聞くまい。この取引は彼女にとって有利すぎる条件なのだから。
クリスは重ねて問いそうになる口を、あえてにやりとゆがめた。
「ま、貴方おぼっちゃまみたいだしね。たまには働いた方が良いわよ」
いつもの意趣返しも込めてからかってみると、ゼルは思いの外過剰に反応した。
自分の足に引っかかって転んだのだ。
なんか倒れた、と思ったらばっと上体を起こし、驚愕に染めた顔をこちらに向ける。
「そういう風に思われてたんですか!?」
「思うのが普通よ」
初めは普通に冒険者だと思い、しかし簡素すぎる服装に首をかしげ、その後はこの国に仕える役人なのだと思っていた。
「週に二回は来るし、その時間帯もまちまちだし」
「だ、だからってお坊ちゃまは…」
にやにやしながら、珍しく平常心を無くしている彼を観察する。
確かにほの暗い仕事である可能性だって無くはない。その可能性は捨てきれなかったが、彼女はあえてそれも切った。
「身綺麗過ぎるのよ。貴方は」
「かもしれませんけど。僕は……」
ゼルは立ち上がって珍しく憮然とした声をあげた。
とうとうこの不審人物の正体が掴めるのかとクリスは期待したが、いつまでたっても続きはやってこなかった。呆れのため息をつき、クリスはゼルの背中を押す。
「はいはい。お坊ちゃんはとっとと帰りましょうねー」
別に、言いたくなければ言わなければいいのだ。このご時世、言いにくいこと何かいくらでもある。実は魔物が化けてましたー、とか言われたらさすがに困るが、それだけはない。
ここは腐っても王都。魔物が入れないような結界や城壁くらいある。
押した背中はややあって笑みをこぼす。その声ともつかない音に導かれるように顔を上げると、目を細めてほほえむ美形がいた。
「ありがとうございます。クリストファさん」
「………さっさと帰れ!」
思わず見惚れてしまった自分に悪態をつきつつ、男の名を付けられた少女はボランティア予定男を蹴り飛ばした。