憧れと企み
一度で良いから会いたかった人が目の前にいる。
「ふうん、貴方が今年の勇者様」
勇者、という呼び名をルディは未だ慣れない。子どもの頃から憧れていたその呼び名に、慣れる日はたぶん来ないだろう。というか慣れている人もどうかとルディは思う。
ルディは腰に差した刀を無意識に撫でる。
まさか、自分が勇者選抜で勝ち抜けてしまうとは思わなかった。猛者ばかりが集まるという割には「熊のグレイ」や「閃光暗殺者グスタフ」など有名な冒険者は出ていなかった。自分が勝てたのはただの運だ。本当に強いという人がたまたま参加していなかった。だから自分は優勝できたのだ。
でも運も実力の内、という言葉もある。ルディは誇らしい気持ちで目の前の可愛らしい少女の前に立った。
光を溶かしたような金髪に同色の目、彼女はまさにこの国を護る光だ。その細い手でこの都全ての人を護っているかと思うとルディは胸が詰まった。
細く可憐な少女だ。都で開かれる祭り一度だけ見たことがあった。それから一度でいいから、言葉を交わしたいと思っていた。
その彼女が蜜色の目に自分を映している。恍惚とした快感にも似た気持ちが全身を走り総毛だった。
「る、ルードレート=フェネリアンといいます!聖女様!」
「そう。よろしく、ルードレート様」
彼女は髪に指を巻きつけて遊んでいる。
(さすが聖女様だ。)
本来なら自分のような農民が話しかけて良い存在ではない。聖女に無下に扱われてもルディは全く気にしなかった。
その様子を見ていた聖女の側近は満足げに勇者を見据えた。
彼は側近である魔術師にとって実に勇者らしい勇者だった。この国に今必要なのは聡い能力者ではなく扱いやすい凡人だ。平穏な現代を少しでも沸かせてくれるような英雄は、彼のような人物でなければいけない。
それに無能な訳でもないのが気に入った。恐らく魔王は討伐出来ないだろうが、せいぜい民の為に尽力してもらいたいものだ。少なくとも魔物の百や二百倒せる力が無ければ、聖女の力を貸してやる意味はない。
魔術師特有の広い襟の下で側近はほくそ笑む。その目にふと、勇者の武器が目に入った。この刀はルファード商会の物ではない。名も思い出せぬ小さな武器屋の刀だ。桜国から刀が輸出され冒険者の間で流行ったのは十数年前だ。よく若い彼が使いこなせるものだ。その特異性もますます気に入った。
しかし、だ。側近はため息をこらえる。
「勇者殿」
聖女に対して顔を赤らめている勇者に声をかけると、びくりを肩をふるわせてこちらを向いた。
「その刀はいかがするつもりか」
勇者には勇者としての特典として今代聖女ティエリアの加護がされた武器や鎧を授けることになっている。どちらもルファード商会の最先端技術で作られた装備だ。今までその装備をいやがった勇者はおらず、事実ルードレートも喜んでいた。それが聖女の加護だからかティエリアの加護だからかは知らないしどうでもいいが。
喜んだ彼はしかし、その名も知らぬ武器屋の刀を今もこうして腰に差している。聖女の前で帯刀するなど無礼にもほどがあるが勇者ならばそれも許される。それに聖女にかけられている守護魔法をこの男が破れるとは思わない。勇者よりもこの城で働く魔術師や騎士の方が遙かに強いのだから。
「あ、えっと、持ってちゃまずいんでございまするか?」
側近はあえて無視することにした。高い教養を持っている聖女が冷めた目をした。
「逆に問うが貴方はそれを持っていたいのか?」
勇者は国や聖女の広告塔だ。無駄な要素は排除したい。
ルディは返答に迷っていた。それが答えと言えば答えだろう。ためらう彼に理由を問うと聖女のまなざしを気にしながらルディはぽつぽつと語る。
「この刀を持ってると魔物がいつもより弱くなる気がするんですよね。たぶん気のせいだと思うんですけど…」
深いフードの下で側近は目を見開いた。呆れた目をする聖女には今の彼の気持ちが分からないだろう。聖女が唯一の存在だと思っているルディは、彼女の目を直視できずに気まずそうにしている。彼がもしその可能性に気づいていたら、側近は彼を消さなければならないところだった。
この少女は知らないが、彼女の力は唯一無二というわけではない。
千年ほど前、異界から魔王が侵略を目的に人間界に現れた。それを封印したのが現代で初代聖女と言われている少女である。
しかし、歴史書を読み解けば、彼女以外に魔物を退ける力を持つ少女は何人か確認されている。
その一族が現代でも綿々と続いていれば、ティエリア以外に聖女の力を持つ者がいてもおかしくないのだ。
側近は生唾を飲み込んで自身を落ち着かせた。まだどのようにもなる。
側近は聖女に耳打ちし、ルディに刀を捨てるよう言うように命じた。聖女はいぶかしげな顔をしたが、彼女は聖女としての使命を産まれたときから背負った身、民を護る為と一言言い添えればすぐにその通りにした。
「あなた、その武器をお守りにするつもり? 使い手のいない刀が可哀想よ…」
長い睫毛が影を作る。この少女は自分の容姿のこともその利用法も理解している。
彼女の計算通り勇者はたじろぎ、刀を元の武器屋に売ることを約束した。口約束では信用出来ない。側近の男は部下に勇者の監視と尾行を命じた。
側近は報告書を眺め、その名を胸に刻んだ。武器屋クリストファ。放っておけない存在だ。