日常的な疑問
カランと、美しいベルの音が響いた。店内の隅にいた女性は音に顔をあげて、笑みを浮かべて立ち上がる。
「いらっしゃいませ」
「こ、こんにちは」
入ってきたのは若い男だった。整ってはいるが、何処か田舎臭い顔立ちをしている。男の装備している防具も彼の体格と微妙に合っていなかった。しかも傷が一つもないということは、まだ冒険者になって間もないのだろう。
下手をすると冒険者に必須の戦闘資格バトルライセンスも持っていないかもしれない。
「あの、戦闘資格の提示をお願いします」
「あ、はい」
「ありがとうございます」
男は多少もたつきつつもしっかり銀色に光る長方形のカードを提示してくれた。そこには彼と同じ顔の小さな写真が名前と共に載っており、正真正銘彼の物であることが示されていた。
この見た目からは想像出来ないほど軽いそれを持っていれば、ほとんどの国で帯剣が許される。逆にそれが無ければ、人を殺せる凶器を売れるはずがない。
彼女はほっとしてそれを男に返すと、彼女の所定の位置であるカウンターについた。男は武器屋というものに緊張していて下手に話しかけない方が良いと判断したからだ。
カウンターのそばに置いてある椅子に座り、頬杖を突かないように気をつけながら男をなんとなしに眺める。
新米冒険者が彼女の店にやってくるのは結構珍しいことである。それはこの店が王都の商業区の隅にあるからだであるし、もっと人が通る路地にルファード商店があるからだ。
ルファード商会と言ったら武器だけでなく防具、薬、それだけでなく一般市民向けの洋服なども扱っている有名なグループだ。会長はこの国の貴族の身内らしくコネもスポンサーも多いという。
戦いに慣れ、自分にあった武器を使おうと考えるベテランならともかく、彼のような人は大量生産と安価購入が売りのそちらで買う方が多い。
「こ、こんなにかかるのか…」
案の定、愕然とした声が聞こえた。苦笑しつつ、言い訳をさせて貰う。
「すみません。うちの商品は全て私が作ってますから…」
「え、君が!?」
「はい」
「へー…俺より若いのに、凄いなぁ」
感心したようにしげしげと見つめられて、彼女の苦笑は照れたような困ったようなそれに変わった。
凄いと言われても、彼女にとっては物心つくころからやっていたことだ。確かに経営業は未だ慣れず大変だが。
男はひとしきり驚いた後、真剣に武器を選び始めた。剣を見ているようにも思えたがが、槍、弓など様々な武器を眺めている。
「武器を使うのは初めてなんですか?」
「あ、いや。刀なら使ったことあるんだけど、都会の人達はみんな剣だろ?」
確かに一番売れ行きが良いのは剣だ。片手剣は盾も持ちながら扱えるため、戦いに慣れていない人間に向いている。
しかし、周りが使っているからって合わない武器を使うなんて。店主である少女は呆れた顔をした。
「自分に合った武器を使うのが一番に決まっているでしょう。刀もありますよ。」
刀は極東にある桜オウ国から流れてきた武器で、使える人間はごく僅かだ。需要が少ないからあまり作らないのだが、かといって作らない理由は無い。一人一人にあった武器を、が彼女のスローガンである。
刀がある、と聞いて男は目に見えて顔を明るくさせた。
「じゃあ、そうするよ!」
彼は緊張も解けた様子で、意気揚々と自分の武器を選びはじめた。もちろん刀の前で。
年上だろう彼だが、なんだか少年に見えてしまう。
男が一つの刀を手に取った時だった。カランとドアベルが高らかに鳴った。彼女はその音を聞いて嬉しくなる。どうやら今日は良い日らしい。こんな短時間に二人もお客さんが来るなんて。
しかし、緩んだ顔はすぐに苦々しい物にうってかわった。
「……ゼル」
今日二人目の客も、若い男である。違うのは、この男は間違っても冒険者などではないということ。
「こんにちは。クリスさん」
「帰れ」
クリスは額に青筋を浮かべると、素早くカウンターから出て憎い営業妨害男に詰め寄った。迷惑男はきょとんとした顔をしている。その無駄に整った顔をぶん殴ってやりたい衝動をクリスは必死にとどめて、小声で怒鳴った。
「今日は帰って!」
「そんな! 今来たばっかりなのに!?」
「今だからこそよ! 夕方になら来ても良いから!」
力ずくて追いやろうとするが、まったく動かない。この男、もやしのような体の何処にこんな力があるのだ。
「すいませーん…」
躊躇いがちに声をかけられた。クリスはもやし男を追い出すのは諦め、営業スマイルをとりつける。
「おや、新しい人ですね。」
クリスが受け付けようとした瞬間、さすが営業妨害男、ゼルが若い男に話しかけた。
「こ、こんにちは」
「こんにちは。僕はゼルと申します。貴方は?」
「……俺はルードレート=フェネリアン。ルディって呼んでくれ」
なんだか自己紹介が始まっている。おかしな空気だとクリスは思ったが、お客様が楽しそうなので止められない。
「ルディさんは今日初めて来られたんですよね?」
「ああ。あんたは常連っぽいな」
「ええ。大体週に三度ほどは来てますね」
「そんなに買うのか!?」
「いえ。見に来るだけです」
ゼルの言葉に、ルディは返す言葉を失った。ややあって、クリスの方に顔を向ける。その目は同情の色で染まっていた。クリスはため息をつくのを堪えるのが精一杯で、営業スマイルなどとうに消し去っている。
そんな二人の様子をまったく気にせず、ゼルはルディの持つ武器に目をやった。
「刀をお使いになるんですか?」
そして、ゼルはひょいとルディから細い刀身の武器を奪った。クリスの顔が険しくなる。その様子に気づかないルディは軽い調子で「あんたの言うとおり、良い刀だな」などと言っている。
クリスはゼルがグローブをはめていることに気づき、ほっと胸をなで下ろした。
ルディは身軽になったところで背負っていた布袋を下ろした。中から財布らしきがま口を取り出す。
クリスはお客様からお金様を受け取ると、それは刀の値段より高い貨幣だった。慌ててカウンターの下へ行く。
カウンターの下には小銭と帳簿が入っている金庫が置いてある。ポケットから細い鎖のついた鍵を取り出して、鍵穴に差し込んだ。ちょうどその時、ルディの焦った声が聞こえた。
「っちょ、あんたそれ…!!」
ばっとクリスが顔を上げた。慌てて布袋から包帯を出すルディが見えた。ゼルはルディにかぶってよく見えない。しかし、クリスは何が起こったのか正確に理解した。
「あんたまたやったわね!」
怒鳴らずにはいられない。声に驚いたルディの手が止まり、それを良いことにクリスは失礼ながら包帯を奪わせてもらった。
ゼルは、何も持っていない方の手を見ている。やがて顔を上げるとにっこり笑った。
「またやっちゃいました!」
グローブを外した手からは、血があふれ出ていた。