つばさをなくした翼竜
ある世界では、先がみえない空を、自由にかけめぐる翼竜がおりました。
力強くそのつばさをはためかせ、風のようにきりぬける。
人々はその姿を、神様の使いとしておりました。
こと、一匹の翼竜は――
たくさんの人たちを引き寄せる、それはもう見事な翼をもち
宝石のようにかがやく色をした2本のツノ
みがかれた剣のように、するどい牙をもっていて
真っ白な雲をきりさく
――群れの中では、一番と歌われるほどだったのです。
その姿に、人々が、動物が、翼竜が、尊敬の眼差しを送っておりました。
そう――あの日までは。
それは、赤い月が昇った日のことでした。
青い空を、漆黒が染めていきます。
黒い竜の群れに、村が、森が、おそわれたのです。
森を焼こうとする火の玉が、雨のように降り注ぎました。
――大地に生きる人々、森に住む動物。そして、仲間を守る為に
群れの中で一番と歌われる翼竜は、たった一人で黒い竜たちと戦いました。
丸々一週間に及ぶ抗争。
たくさんの、被害がありました。
人々の家はがれきとなり、畑や荒れ果て、森は焼かれて肌を晒し、大地は削られ
逃げ切れなかった人々と動物達。仲間も食べられてしまいました。
勇敢な翼竜自身も、体中は爪で傷つけられ
二本の角は根元から引きちぎられ
自慢の翼は、黒い竜に食べられてしまったのです。
去り際に、黒い竜の一匹が翼竜に言いました。
「苦痛になく、おまえを見るのは面白い。20年後にもう一度来るとしよう。良い悲鳴を上げる練習でも、しておくことだ」
翼竜にとって、その一言はあまりにも屈辱でした。
傷付いた体を引きずるようにして、なんとかたどり着いた安住の地。
小さな祠で体を休めていた翼竜に、ある日、小さな男の子が近づいていきました。
「けがしてるの?」
翼竜は、答えました。
「たいしたことではない」
少年は、頬をふくらせて怒ります。
「うそつき」
翼竜は、しっかりと答えました。
「うそではない。心の臓を貫くような、この痛みに比べれば……大したことではない」
少年は、目をうつむけて、もう一度聞きました。
「いたい?」
翼竜もまた、小さく眼を開きながら、答えました。
「多少な」
少年は、ゆっくりと近づき、翼竜の傷付いた体を優しく擦るのです。
「何をする?」
「こうすると、うれしいなーって。ぼくも、けがをしたときは、こうされたから」
「早く去るといい。もう日も暮れる」
「うん。ばいばい」
「……変わった子供だ」
翼竜は、その後姿を見ながら、呟きました。
翌日、少年は再び現れました。
今日は、小さな木の枝を持って。
「よくりゅうさん、おねがいします」
「何を願うのだ?」
「ぼく、つよくなりたい」
「何故、強さを望む?」
「りゅうさんみたいに、なりたい」
「私のようになって、何をする?」
「おとうさんと、おかあさんをたべた、わるいりゅうをたおしたい」
子供らしい願いに、翼竜は言いました。
「復讐は、何も生まぬ」
だが、気紛れにはいいかもしれない。
余興には、十分だろう。
嘗ての仲間には、馬鹿にされるかもしれないが。
黒い竜には、嘲笑われるだろうが。
最初は、その程度の気持ちでした。
「私も、寂しさを感じていたところだ。余興として、付き合ってやろう」
それから、少年の稽古が始りました。
少年の気持ちは本物だったのでしょう。
強くなる為に――
毎日毎日、飽きることもなく熱心だったのです。
剣の練習を積むために。
心の在り方を学ぶために。
強さとは何なのか、学ぶために。
翼竜は、自分が知っている限りの知識を、全て彼に授けていくように、熱心に付き合いました。
「もう少し、しっかりと柄をにぎって、大きく振りかぶるのだ」
「おそれず、一歩踏み出すのだ」
「本当の強さとは、誰かを傷つけるものではない。守るためにある」
「家族の仇を取るのではない。そこから生まれる呪いを断ち切るのだ」
少年と、翼竜の稽古は12年にも渡りました。
そして、ついに別れの時が来たのです。
「旅に出ます」
旅支度のローブに身を纏った青年は、口にしました。
「そうか」
翼竜は、自分の牙を折り、彼の手に渡しました。
「選別だ。持って行くといい。もう、会うことはないかもしれないが」
「ありがとう。必ず、必ずまた会いに来ます」
その後姿は、既に自分が何か言うほどのものでもない。
それを感じ取った翼竜は、ただ黙ってその後姿を見送りました。
再び、静かに流れる時期。
もう、幾年が流れたのか。翼竜は数えるのを止めました。
四季に見える様子を楽しみながら、どこかに寂しさを感じていた頃。
赤い月が昇った日。
再び、黒い竜の群れは現れたのです。
ただでさえ、大きな体に大きな翼。
体の傷はなおっていても、翼はもうありません。
死ぬかもしれない。
それは分かっていました。
それでも、翼のない翼竜は、再び牙を剥きだしにしたのです。
今も尚、ここで大地に生きる人々、森に住む動物。そして、自分の仲間を守る為に――
あの少年のような悲劇を、繰り返さないために――
勝てないのは分かっていました。
それでも、皆が逃げる時間を作ることはできるだろう
少しでも多くの、命をつなぐことはできるだろう
翼竜は、強く大地を蹴り、一気に山を駆け抜けて、広い広い草原に出ました。
ですが、黒い竜たちは翼のない翼竜に迫り、あっというまに、周囲を壁のように囲んでしまったのです。
――ここまでか
翼竜は死を覚悟しました。
そして、こう思ったのです。
人々は無事だろうか?
動物達は、無事だろうか?
仲間は、上手く逃げ切ることができただろうか?
あの子は、大きく育っただろうか?
あぁ、できれば―
最後に、大きく育ったあの子を、一目見たかった。
翼竜は、静かに目を閉じながら、これまでの生涯に終わりを向かえようとしておりました。
荒々しく揺らぐ吐息。
絶望の壁。
怒涛の嵐。
全ては、私が生きた証だった。
私の生涯に、悔いはなかった。
翼竜が、諦めに心を閉ざした時だったのです。
「父よ! 待たせてすみませんでした!!」
絶望の壁。
その隙間から見えたのです。
かの青年は、剣を天に向かい突き立てておりました。
その後ろには、たくさんの人々を引き連れながら。
青年は、立派に育っていたのです。
翼竜から教わったことを、何度も、何度も繰り返し
諦めも、挫折も、苦悩、憤り、怒りすらも乗り越えて
人々の中では、英雄と言われるほどに成長していたのです。
誰よりも、心優しき英雄――と。
彼は、残った村人から話を聞いていたのです。
再び、翼をなくした翼竜を苦しめる為に、黒い竜の群れが来ることを。
だからこそ、仲間を集める為に旅に出たのでした。
種族としては違うかもしれない。
しかし、彼にとっては第二の父だからこそ、なんとかして助けたかったのです。
「父よ! 待っていてください!!」
絶望に抗おうとする勇姿は、翼竜の心を揺さぶりました。
無くしていた誇りを取り戻すために
彼の声に答えるために
眼から大粒の雫を流しながら
翼竜は、天を貫き空を震撼させるほどの勢いで、雄叫びを上げました。
心に残る翼を、はためかせながら――