宿舎の喧噪―2
「敵を捕獲した。とりあえず、尋問している最中だ」
見張り台でじっとスコープを覗き込む僕の背中に、不意に言葉が投げかけられた。
片目でちらりと脇を見る。両脇には鏡が設置してあり、不意に敵が接近した場合も対応でき、さらに見張り台の三六〇度をカバー出来るのだ。それで背後の人物を確認すると、そこには長い黒髪の女性が立っていた。
「……緋月か」
「どうだい? 葵」
「動きはないな。さすがに一人失った故か、慎重になっているようだな」
時は夜。もはや外は闇に沈んで何も確認することは敵わないが、スコープには暗視用で暗闇でもはっきりと分かる。さらに僕の目も、訓練のおかげである程度の暗闇でも辺りは見渡せた。
緋月は照明は愚か、かがり火すら焚かれていない見張り台から辺りを見渡すと、鋭く指を鳴らした。
久しくなかった鋭い音に耳が痛い。
それで確認を終えたのか、満足げに頷いて緋月は折りたたみ椅子をどこからか取り出すと、僕の隣にそれを設置して腰を下ろした。
「葵。すまないね」
囁き声が耳に艶めかしく響く。
吐息の温もりや呼吸の微かな音さえも、よく聞こえる。
「ここまで侵入を許したのは、私の責任だ。許してくれ……」
「ま、そうだろうな」
軽くそう言葉を返しながら、片目でちらりと緋月を一瞥する。
わずかな星明かりによって彼女の顔はぼんやりと浮かび上がる。その彼女の表情は本当にすまなそうでった。
それを安心させるように、さらに言葉を紡ぐ。
「だけど、不出来な上司を補うのは出来の良い部下の役目だ。安心しな。約束通り、一生世話見てやっからよ」
とくん。
僕のぶっきらぼうな声に、緋月の拍動がわずかに大きくなるのが分かった。
不自然に思って視線を寄越すと、緋月の表情は無表情で僕を見ていた。いや、わずかに目を見開いている。何か驚いたようだ。
「……なんか、変な事言ったか?」
「……いや、葵らしいな」
「何だよ、それは」
「……何でもない、さ」
ふっと漏れた彼女の呼気は、先程よりも熱を持っていた。
僕はもう一度だけ、緋月の顔を見た後に外へと視線を戻す。
「夜が明けるまでは僕が見張りをしておく」
「分かった。頼んだぞ。葵」
「言われなくても」
緋月がそっと僕の手を握って人差し指と中指を絡み合わせる。
僕が軽くそれを握り返すと、彼女は名残惜しそうにそれを解いてそっと席を立った。
僕はただずっと、外の変わらぬ荒野を見守った。
……気がつくと、視界が明るくなりつつある事に気付いた。
動きに気をかけ、時折、風で塵が蠢くのをぴくりと反応するだけだったので身体も強張っている。
目を離さぬよう気をつけながら、身体を伸ばすと、バキバキバキと一斉に身体の筋肉中の筋肉が抗議し始める。
肩や腕の筋肉をほぐすと、冷え切った手で狙撃銃のスコープを暗視用から通常の物へと取り替えていく。
だが、手がかじかんでなかなか上手く行かない。
そんな僕の手にふわりと暖かい手が重なる。
視線をゆっくりと動かすと、そこにはどこか心配そうな顔の真冬があった。
「少し休みなさいよ。……そんな手じゃ、引き金も引けないわよ」
「しかしまだ……日が昇っていない……」
「もう空がしらけてきたんだからもう良いわよ。後は私が引き継ぐわ」
「……お前、らしくないな」
「黙りなさい。貴方は仮眠でも取っていっそのこと、永眠しなさい」
「それは手厳しいな……」
しかしまぁ、彼女の言う事も正論だ。このままだと素早く引き金も引けない。
後で新庄も来るだろうし、真冬に任せても問題ない、か。彼女も優秀な狙撃の腕前を誇っているのだから。
僕が席を降りると、彼女は入れ替わりにそこへ座って顔を顰める。
「ここで三六〇度全て気を配るのはしんどいわね……。貴方、本当に人間離れしているわね」
「お褒め預かり……光栄ですな」
僕はよろよろとその場に座り込む。
そして手を伸ばして、自分の愛銃の一丁……M24SWSを抱え込み、その場で崩れ倒れるように眠りへと落ちていった。
◆◇◆
「……私を信用していないのかしら」
銃を抱え込んですぐに気絶してしまった葵をちらっと見て、私は思わず愚痴をこぼす。
確かに、葵に比べたら私は銃の腕前は劣る。というか、彼に勝てる人間はきっといないに違いない。
だが、それでも並みよりは優秀だ。
少しは良い所を見せなければ、と集中力をフルに活用して視界を広げる。そして、脇の鏡も視界に入れて三六〇度の視野を確保する。
塵一つ、とは言えないが、鼠一匹の動きも見逃さない構えだ。
そして、集中してそれらを見つめる。
「……すぅ……すぅ……」
「う……」
思わず、脇の彼を一瞥する。
彼は穏やかな寝息と寝顔ですやすやと眠っているのだ。
気にしちゃ行けない、気にしない……。というか、何で私がこんな男の寝息や寝顔を気にしなきゃいけないんだ。無視よ、無視……。
自分に言い聞かせて、じっと外を観察する。
「……むぅ……真冬……」
「ひゃいっ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまう私を傍目に、彼はすぅすぅと穏やかに寝息を漏らす。
寝言、らしい。
「そうだ……葵って結構、寝言が酷いんだっけ……」
ふと思い出しながら、私は頭を振ってスイッチを切り替える。
そして外に……。
「真冬…………ありがと…………」
「あああああああああぁっ!」
新庄准尉が来るまで、私はがりがりと神経を削られながら見張りを続けるのであった。




