ゼロのキセキを追い求めて-2
ミルクはそっと傍にいてくれるだけで満足していた。
というよりも、僕のことを気遣ってくれているようであった。
恋人として寄り添うようになって、なお一層……。
それと同時に。
僕が一つ息をついてぱたんと文庫本を閉じると、僕に寄りかかっていたミルクはうん? と愛らしく小首をかしげた。
「兄様?」
「ん、トイレ」
「そっか」
すると、ミルクは納得して頷き、至極当然のようにするっと立ち上がった。僕はため息交じりに立ち上がり、居間から廊下へと出る。そしてトイレへと向かう。
……ミルクと一緒に。
「なぁ、ミルク」
「ん?」
「一緒に来なくていいんだぞ?」
「逆から言えば、一緒に行っても良いんだよね?」
「……まぁ、そうだが」
こうして認めてしまうのも僕の悪いところではあるのだが。
さすがに用を足すときは外してくれるが、ミルクはどこまでも子猫のように甘えながらついてくる。布団でも、炊事場でも、物見櫓でも。
「姉上は少々病んできたようですね……俗にいう、ヤンデレでしょうか」
屋敷の和室で、藍鉄は穏やかにそんなことを言いながら苦笑して見せる。
そのときは珍しく、定期報告のためにミルクは高天原に向かっていた。僕を連れていきたがっていたようだが、そのときに藍鉄がこう言ったのだ。
『姉上、兄様を連れていくと、他の女の目に晒されるぞ?』
激しい葛藤の末、彼女は僕をここに置いていくことにしたようだ。
何だか、僕はミルクの犬みたいな感じになってきているけど。
「まぁ、溝口家は歪な恋をしがちですが。それを捻じ曲げて純愛にするのが怖いところですよねぇ」
藍鉄は茶道具を引き寄せ、お茶の支度をする。対面で胡坐をかいている僕は数々の溝口家の人間の伝説を振り返って、確かに、としみじみ頷いて見せる。
「しかし、おかしな点が一つ。溝口家の女は比較的男に対して従順なのですね。我が強いのは事実ではありますけど」
「よく研究しているな」
「怜さんの研究データを拝見しまして。あの人は溝口家の研究をしていたようです」
はぁ、あの人そんなことをしていたのか。
怜さんは零……親父の従兄弟で良き理解者であったと聞く。その上で研究をしていたのか。……そういえば、よく屋敷を訊ねてきていた父の友人がいた気もするが、彼はどこに……?
ともかく。僕は思考を打ち切って視線を藍鉄に向けると、彼は茶せんを細かくふるってお茶を点てていた。
「まぁ、溝口家の女は従順であるべきなのに、何故、彼女はそうではないか? 遺伝だけが全てではありませんが少しおかしく思いませんか?」
「ん、まぁ……」
「そこで立ててみた仮説ですが」
そう言いながら藍鉄はすっと点てたての抹茶が入った渋い色の茶碗を渡す。僕は受け取り、それを口にしながら続きを聞く。
「姉上は軍人として育っていくうちに、溝口家の男の方が目覚めてきたのではないでしょうか? 男の方は独占欲が強い傾向にあります」
「ほーう」
なかなか的をついているような答えだ。説得力のある言葉に思わず唸ってしまう。
「つまり、まぁ、理解しているとは思いますが、今の姉上は独占力が強く、兄様を独占しようとしています。それは構わないという思考かもしれませんが。兄様は」
倒置法でどこか胡乱な目を向けながら藍鉄は言う。
確かにその通り、僕はこの状況下に文句を言うつもりはなかった。今はミルクに生かされているような状況だし。
「しかし」
と、そこで藍鉄がぴっと茶せんを僕に向けながら鋭い声で言う。
「同時に、姉上がハーレム……逆ハーレムを建設する可能性があることも考えて下さい」
「……ッ!?」
その思考は……なかった。
ミルクが他の男といちゃつく……そんなことが、あっては……。
その光景を想像した途端、口の中に入った抹茶がとてつもなく苦く感じた。
「想像していなかったような顔ですね。溝口の人間はお互いを過信する傾向にありますから、当然ともいえますが……」
藍鉄は僕の顔を睨みながら言葉を続ける。
「気づいたら、迅速に対応を取るべきです。姉上を満足させるなり、束縛し返すなり、何でも構いません。大切な人をこれ以上、手放したくないでしょう?」
ちり、と脳裏に少女の顔がよぎる。
いつも気丈に振舞っていた、銀髪のあの少女……。
「……忠告痛み入る」
「それはどうも」
「それと」
「はい?」
僕は空になった茶碗をすっと畳の上に置いて差し出しながら頭を下げた。
「結構な、お手前で」
苦かったが、確かに効いた。
良薬、口に苦し。




