ゼロのキセキを追い求めて-1
『やっと電話を掛けてきたか。裏切者』
言葉の割には楽しそうな声が耳元で響き渡った。
僕はその声に思わずほっとしながら椅子の背もたれにぐっと背を預けて応じる。
「すまん。ちょっとみんなのことを考えると電話しづらくて……」
『ま、そうだろうな。いずれにせよ、無事に連絡をくれて良かったよ。葵』
緋月は嬉しそうに言葉を紡ぐと、しみじみと吐息をついてみせた。その息の音を聞くと、本当に彼女に心配をかけていたということがわかる。
自分も自分なりの葛藤があり、ミルクとも相談して今日、電話をかけようと決めた。だけど、やはり緋月の方も葛藤していたようだ。やはり、迷惑をかけていたか。
すまん、と言いかけて、僕は首を振って別の言葉を発した。
「ありがとう」
『……ああ、気にするな。さすがに後腐れなく、まではいかんが、いろいろ配慮はしておいてある』
「さすが、緋月、助かる」
『おだてても何も出ないぞ』
とはいえ、まんざらでもなさそうな緋月の声だ。久しぶりの声に僕は目を細めながら椅子の上で足を汲んで訊ねる。
「そっちはどう? 大きく騒がせてしまったけど」
『ああ、まぁ大変だよ。東国の防衛線は大きく後退することになった。さすがに孤高の要害は守ったが、兵力は大きく減衰している感じかな。キミの後見人の山本中将は大佐に降格、その分、親父が少将に昇格してこっちの防衛に来た』
「なるほど、榊原少将、か」
山本中将……いや、大佐にもとんだ迷惑をかけてしまったことになる。彼は僕の後見人であったのに。恩をあだで返す結果となってしまった。
だが、榊原親子が要害を守っている以上、西国に進撃は許さないだろう。
「……仲直り、しとけよ」
『さぁな。親父の出方次第だろうね』
緋月はしれっとした声で返してくる。全く、素直じゃない子だ。
僕は苦笑しながらちらりと廊下に視線をやった。
この電話が置いてあるのは家の廊下である。気を利かせているのか、従妹たちが出てくる気配はない。もしかしたらこの電話を盗聴しているかもしれないが。まぁ、無粋なことは考えないようにしよう。
野暮な思考を振り払って、僕は明るい声を出した。
「みんなの声が聴きたいけど……どうかな、今」
『ん……ああ、そうか。うーん、そうだなぁ……』
緋月は珍しく口籠った。言葉を探るかのように無意味な言葉を連ねる。
こんな態度、緋月にしては珍しい。もっとはっきり言うはずなのに……。怪訝に思う間もなく、緋月は息を吸い込んでから言葉を発した。
『とりあえず……葉桜と紅葉はまぁ、今は無理だけど、別の機会に話せるだろうよ。新庄にはいつしか連絡するように言っておくさ。だから案ずるな』
……何となく察してしまった。
絶対に、そんなはずはない。
自分も耄碌したか? 絶対そんなはずはないんだ。なのに、そんなことを考えてしまう。緋月も勿体ぶっているだけだろうに。
だけど、だけど……。
『察しているんだな、葵』
僕の内心を知ったのか、緋月は力なく、淡々とした声で告げる。
『葵の推測は間違っちゃいないと思う。だけど、信じたくないのだろう。だから、敢えて言うぞ』
聞きたくない。
言葉を遮りたい。
訳も分からず、叫びだしたくなった。
だが、無情にも緋月は淡々と事実を告げた。
『真冬は、死んだ』
「……う、そ……」
『……嘘じゃない。彼女の過失だ。敵を深追いしすぎて、撃たれた』
緋月は苦々しげに言葉を吐く。穏やかなアルトの声は、常より増して低い。
それが真実だということを十分物語っていた。
だが、現実的に考えてあり得ないことなのだ。真冬が敵を深追いして撃たれるなんて。彼女は感情的で時折、熱くなる局面もあるが、戦況は正しく見てそれに見合った武器を使いこなせる。独立部隊で近中距離を一手に引き受けるほどの才覚なのだ。過信ではなく、過小評価してもそう言える。
だとするならば、何かが彼女を感情的にさせたのだ。それはつまり……。
『考えるな! 葵!』
不意に耳元で大きな声が響き渡った。
その叱咤で我に返ると、緋月が一転して優しい声で続ける。
『お前の考えることもわかる。が、今回は私のミスが大半だと考えてほしい。私の采配ミスだ。すまない……』
「……謝ることは、ないよ」
配慮されてしまった。緋月には本当に敵わない。
こっちが謝りたいくらいなのに、そちらが謝られたらこっちは謝れない。それだったら、甘んじて彼女に言い分に乗っかる方が相手も楽だ。
だから。
僕は背もたれに深く背中を押し付けて深呼吸すると、苦笑交じりに言葉を続けた。
「とりあえず、ありがと。辛かっただろうに」
『……ああ、葵も、連絡をくれてありがとう。また気が向いたら連絡してくれ。葉桜たちには気が向いたら連絡するよう言っておく』
「ああ……すまないけど、みんなのことをよろしく」
『ああ、任された』
緋月は快活に答えると、どこか吹っ切れた口調でからかうように付け加えた。
『カノジョさんに、たっぷり甘えておくんだな』
「お、おい……!」
何で知っている、と問いただす前に、電話は切れてしまった。僕は苦笑いをしながら受話器を戻し、そして椅子から立ち上がった。丁度、洗濯物を抱えたミルクが廊下の向こうから現れる。
「あ、電話終わった? 兄様」
「ん、まぁね」
僕は答えると、ミルクは少し複雑そうな表情を見せながらも洗濯物を抱え直してにこりと笑みを見せた。
「みんな、元気そうだった?」
「……ん、まぁ、そうだな」
僕は少し逡巡してから言葉を作る。しかし、ミルクはどこか得心したように頷いて、行こ? と小さく囁いて視線で促す。
どうやら僕の周りには鋭い人ばかりらしい。僕は苦笑しながらミルクの横へ並んだ。
ミルクはうまく洗濯物を抱えなおすと、僕の手をそっと握り、廊下を歩いていく。
それからミルクは、そっと僕のそばにいてくれ続けた。




