姫巫女と舞うその戦場-6
☆
「よっ、溝口」
「ん、立花」
僕は文庫本から顔を上げると、そこにいたのはバッグを担いだ、髪型がオールバックの青年であった。
何の変哲もない教室、授業開始前に騒がしくなりつつあるその場所で僕の前の席に座りながら、立花はニヤニヤと笑みを見せつつ振り返る。
「溝口、例の本はどうだった?」
「……ん、まぁまぁだったかな」
僕は素っ気なく言いながらカバンから本を取り出し、すっと差し出す。本と言っても雑誌ほどのサイズ。まぁ、あまり情操教育にはよろしくない。それを受け取って立花はさらににやにやと笑みを浮かべる。
「姉貴のいるお前には惹かれないか?」
「姉さんはそんなに胸は大きくないからな」
「ってこたぁ、それなりにある?」
「さぁな」
僕は肩を竦めると始業時間のチャイムが鳴り響いた。立花は慌てて雑誌をしまい、そして前に向き直った。タイミングを見計らったかのように先生が入室してくる。
さぁ、また怠惰な授業の始まりだ。
……と、覚悟していると案外先生も面白い雑談を持ち出したりして、すぐに時計の針は回り。
「もう昼休みか」
僕は呟きながら腰を上げる。
母さんは今日は仕事だから弁当は作れないと言っていた。そもそも、母さんが弁当が作れるのはごく稀なのだが。今日も真紅姉さんと手分けして弟や妹達を託児所や保育園に預けてきたのだ。
さて、学食で何か飯を買うか。
そんなことを思いながら腰を上げると、不意にクラスが騒がしくなったことに気が付く。
その音源、後ろを振り返ると、そこには中等部の制服を着た少女がクラスメイト達に頭を撫でられていることに気づいた。
「可愛いー」「溝口の妹?」「良い子良い子」
「ちょ、にゃ、に、にーさまっ! 助けてぇ!」
「……また、か」
僕は苦笑すると胴上げされかけている少女の元へと急いで足を進める。そしてクラスメイトに退いてもらって持ち上がった少女の身体を抱きかかえながら声をかけた。
「やぁ、ミルク」
「に、にーさまぁ……」
安堵と共にキラキラと目を輝かせるミルク。その身体を床に降ろしてやると、ミルクは子猫のように顔を僕の胸板に擦りつけてきた。
「にーさまぁ……」
「おー、よしよし、怖かったな」
「そんなつもりはなかったんだけどな」
クラスメイトの一人が少し気まずそうに言う。僕はミルクの頭を撫でながら苦笑した。
「まぁ、ミルクもそんな怯えてなかったし。それに何回かあったことだし」
「それならいいんだけど……」
「ミルクちゃん、ごめんね」
クラスメイトは謝罪しながら三々五々に散っていく。それを見ながら僕はミルクの頭を胸から引き剥がした。ミルクは少々怯えながら周りを見渡していたが、すぐに皆がいなくなったとわかると無邪気な笑顔を僕に見せた。
「にーさま、お弁当作ってきたよ!」
「お、マジか?」
「マジ! にーさまの好きなから揚げ弁当!」
「ほう」
気を利かせて作ってくれたのか!
「具材はハヴ!」
ちょっと待て。
「そんなのどこで買ってきた」
「怜叔父さんがお土産に」
ミルクがきょとんとした顔で告げる。
「ほら、瓶詰にされていたの」
「それはハヴ酒! まさか、そのハヴをから揚げに……?」
「よく揚がったよ! 火の手が上がるぐらい!」
そりゃそうだ、アルコールがしみ込んでいるんだから。
僕は少し思案する。さすがに百合おばさんも無理な料理はさせないはず。なら、食っても大丈夫か。
いやいや、ハヴだぞ? 万が一のことがあったら……。
悩んでいる間にせっせとミルクは自分の机のもとに行って広げたままの教材を片づけ、そしてその弁当箱を並べ始めた。
見た目はいろとりどりのおかずが並んだお弁当だ。しかし……。
「これがハヴのから揚げで、こっちはダチョウの卵焼き、こっちは魚肉ウィンナーだよ」
「まぁ、魚肉ウィンナーは良いとして、なぜにダチョウの卵?」
「いっぺんに卵焼き作るのはこっちの方が良いでしょ? 真紅お姉ちゃんとあたしで作ったんだもん」
「ああ、今日は真紅姉さん早起きだったもんな……」
朝早くに起き出していたと思ったら、みんなの食事を作ってくれていたのか。ありがたや。
僕が椅子に座ると、ミルクはにこにこと笑みを浮かべながら対面の椅子に座って箸を差し出す。
それを使って試しに地味に良い色に仕上がっているハヴのから揚げを一口。
「……美味い、な」
「でしょ?」
ミルクは嬉しそうに頷く。
ハヴの肉は鶏肉の感じに近かった。アルコールのせいで生臭さは飛んでいるが、そのアルコール自体は揚げたことで吹き飛んでいた。結果、美味しい部分だけが残っている。
考えたものだ。僕は一口ごはんを食べながら、ミルクが食事をしないことに気づいた。
「ミルクのご飯は?」
「あ、えっと……」
ミルクは気まずそうに視線を彷徨わせる。その瞬間、少女のお腹がきゅぅと可愛い音を立てた。
もしかして、僕のに力を入れ過ぎたのかな?
僕は思わず苦笑しながらそっと弁当箱をミルクの方に差し出す。ミルクは余計な遠慮はしたくないのか、ごめんなさい、と言いながらぺこりと頭を下げた。
が、顔を上げれば、じとっとした目で僕を見つめて、わずかに唇をとがらせて呟く。
「元はと言えば、お弁当を作れなかったの、にーさまのせいなんだからね」
「は……? 何でまた」
「知らない。家帰ったら分かると思う」
むすっとミルクは顔を背ける。僕は小首を傾げながら、ほい、とこれも地味に良い色合いのダチョウの卵焼きをミルクの口元に差し出した。
彼女はむすっとした顔のまま、それを食べる。だが、少し頬が緩んでいた。
その様子を眺めながら、ゆっくり二人で食事していると、不意に立花が不思議そうな顔をして教室に入ってきた。自分を見つけるなりすぐに歩いてきて声をかける。
「なぁ、溝口、お前の返してくれた本、間違えていないか?」
「は? いや、カバーはあっているだろ?」
「まぁ、カバーはあっているんだがな、中の本が差し替え……というか、こんなのお前、持っていたか?」
「うん?」
要領を得ない。僕は首を傾げながら、立花が取り出す本を受け取ってめくってみる。
「あ……」
何故かミルクが手を伸ばして制止しようとするが、すでに遅い。
本を開いた途端、出てきたのは半裸の少女の姿であった。何故かセーラー服が乱れたような服装でベッドの上に転がっている。
というか、これ。
「ミルク、じゃん」
「おお……何で?」
僕と立花の視線が一気にミルクに集中する。
ミルクは真っ赤な顔でぱくぱくと口を開けたり閉じたりしていたが、わずかな涙目で僕を睨みつけると、僕の持っていた本をひったくって脱兎の如く教室から抜け出していた。
「あー……」
どこか気まずい感じになって僕と立花は顔を見合わせると、苦笑し合うのであった。
ちなみに立花には別の本を代わりに差し上げたのだった。




