無邪気な少女と行く道は
その後どうなったかと言えば。
『兄様、このままだと絶対墜落する』
「え」
――まぁ、言うまでもなく。
ヘリの損傷が大きく、北東朝鮮の東国大使館に着陸して朝鮮の役人様のお世話になることとなった。
僕達が紅葉の乗った担架を持ちながら大使館のヘリポートへ降り立つと、葉桜の手配ですでに役人がそこに立っていた。少し小太りで人の良さそうな中年の男性が僕達に駆け寄ってヘリのローター音に負けないような大声で話し掛けた。
「や、どうも、北東朝鮮外務省対東国委員会副委員長下級補佐官のヒョウ・パミンと申します。こちらへどうぞ、屋内でゆっくりとお話を聞かせて頂きます」
「溝口葵です。お言葉に甘えさせて頂きます」
そのヒョウさんの案内に従い、僕達は大使館の中の応接間に通された。
応接間のふかふかのソファーに座らされ、緑茶などを出されて持てなされる。それに安心感を覚えたのか、ミルクは毒が入っていないか軽く確認してからそのお茶を飲むと、ソファーの上でうとうととしてしていた。
その様子を見て、ヒョウさんは人の良さそうな笑みを浮かべ、小さな声で言った。
「ベッドをご用意致しましょうか。長距離の飛行、お疲れでしょう」
異国の地で警戒しておきたいが、ミルクはもう燃料切れだ。その声に意識を保とうとしているが、厳しそうだ。僕はちらりと真冬に視線を見やると、彼女は一つ頷いた。それから、僕はヒョウさんを見てすまさそうに頭を下げた。
「すみません。お願いします」
「では――」
他の役人を呼ぶヒョウさん。その間に真冬はミルクの身体を抱え上げた。
「ゆっくり休んでいろ、ミルク。ここからは兄ちゃんの仕事だ」
「――う、ん」
ミルクはその声と同時に意識を手放す。紅葉はすでにこの部屋に入ったときに医者が付き添って別室に運んだので大丈夫であろう。本当は紅葉にも葉桜が付き添って欲しかったが、葉桜には聞きたい事もあったので残ってもらった。
恐らく、ヒョウというこの人物は信頼できる。だから、ミルクに真冬をつけたのは単なる人払いのためであった。
僕は緑茶を一口含むと、とりあえず、と前置きしてヒョウさんを見据えた。
「葉桜から状況は伺っておりますか?」
「ええ、全て」
ヒョウさんは穏やかな顔で頷き、葉桜をちらりと見て言った。
「葉桜さんからの〈心臓〉提供の要請、そしてその後、救援の要請に応じたのは紛れもなく私ですから」
「それはありがとうございます。では質問させて頂きますが、あなた方は何故そんなに応じて下さるんですか?」
当然の質問。ヒョウさんはそれを予想していた様子で微笑みを浮かべて言った。
「北東朝鮮は東国連合様とは仲良くやっていきたい所存でございます故」
「そうですか。それに越した事はありませんが、ここからは私の予想です。それでも聞いて頂けますか?」
「お聞きしましょう」
ヒョウさんはすっと背筋を正す。葉桜もじっと僕の顔を見つめていた。
それを確かめてから、僕は本題を切り出した。
「見崎葉桜は、北東朝鮮の密偵ですね?」
「――ほう」
ヒョウさんは無表情で言葉を漏らす。だが、その瞳の動きは消す事は敵わなかった。わずかに葉桜の方を見た事を。それに対し、葉桜はただ小さく俯いた。
僕はそれに構わず続けていく。
「学園時代から葉桜が学園爆破を企てた辺りから何者かの密偵だと考えていました。それはこの関連から考えれば即断できますが、恐らく北東朝鮮。これは根拠のない以上、私のくだらない妄想です」
「くだらない妄想ですね」
ヒョウさんはただそう言い切る。だが、わずかに顔を俯かせて苦笑した。
「――と言い切るのは簡単ですが……見崎葉桜を護って下さった貴方に嘘をつくのは、日本文化の言う所の『仁義』に反する所でしょうか。お答えしましょう。彼女は私共が差し向けた工作員です」
ヒョウさんは苦笑を浮かべるとお茶で口を湿らせて続けた。
「始まりは、私の叔父の進言です。叔父が言うには日本の手記を手に入れ、それに寄れば今、東国連合を握りつぶし得る証拠を手にした、という事なのです。なので、西国にアポを取った方が良い、と。元々、叔父は新聞でつまらない憶測を語る自慢ばかりの知識人でしたが、日本語や機械工学に精通する知識人でしたので、あながち嘘とも言い切れません。なので、私は西国連邦と国交を結ぶ事を進言致しました。そして上層部の判断で極秘裏に西国と国交が結ばれ、恩を売るため、そして東国の情勢を確かめるために北朝鮮が独自に開発した遺伝子操作で生まれた国のための『工作員』――彼女、『見崎葉桜』が派遣されました」
「なるほど、しかし、上層部が葉桜に託した任務は――」
「はい、施設の破壊です。そのとき、上層部は出来るだけ恩を売ろうと急いでしまったようです。その間に私の叔父は死んでいました。カーペンターズが聞きたいと言っていたのが印象的ではありましたけど……ああ、話が逸れてしまいましたね。と……もう一度、お名前を伺っても宜しいでしょうか」
ふと、何かを思い出したようにヒョウさんは僕の顔を見つめる。僕は頷いて言葉を続けた。
「溝口葵です」
「溝口――ああ、やはり」
得心したようにヒョウさんは頷き、言葉を続ける。
「収拾したのは、ミゾグチレイと書かれていたと、叔父は言っていました。今現在、それは手元にございませんが――」
「ミゾグチレイ――親父?」
僕は思わず眉を顰めた。
何で親父の手記がこんな所にあるんだ? 親父が何らかの目的で隠した?
僕は思わず考え込んだが、ヒョウさんが見つめている事に気付いて顔を上げた。
「あ……すみません。話は――」
「――以上になります。葉桜とは連絡が途絶えたきりで突然の連絡で驚きましたが……今は親東国連合の方が多い方ですので、緊急の承認は手早く済みました」
「なるほど」
僕は頷くと顎に手をやり、ふぅむ、と声を漏らしながら視線をヒョウさんにぶつけた。
「あと懸念すべき事は、葉桜の立場でしょうね」
「――と、仰いますと?」
ヒョウさんは少し不思議そうに訊ねるので、僕は苦笑いしながら続けて言う。
「先も申し上げましたが、葉桜は一度、嫌疑を掛けられています。今は私と、私の保護者の権威でどうにか火の粉を払っていますが、葉桜は一度火の粉がかけられたらすぐ発火する乾いた木材同然。こんな朝鮮に堂々と出入りした等という問題が浮上すれば、護りきれるかどうか……あ、ヒョウさん、どうしましたか?」
僕がつらつらとその懸念を並べていると、ヒョウさんが意外そうに目を見開いたので、僕は気になって訊ねると彼は苦笑いしながら、失礼、と前置きして背筋を正した。
「もしや、葉桜を庇って頂けるので?」
「ええ、それが何か」
僕は隣に座る葉桜の頭にぽんと手を置きながら言う。彼女は意外そうに顔を上げて僕をじっと見つめる。
ヒョウさんは何か事情を察したように一つ頷くと、では、と前置きして言う。
「私共が進んで提供させて頂いた、という形を取りましょう」
「なるほど、では辻褄はこちらが合わせると致します」
「分かりました。では、後々、またご連絡致します。その際に溝口のお父様の手記をお渡し致しましょう」
「ありがとうございます」
「では……私は帰りの航空機の手配を致します。もちろん、正式なルートですのでご安心を」
ヒョウさんはそう言い残して応接間から出て行く。
そして、部屋には僕と葉桜だけが残された。
「――ありがと、葵くん」
葉桜はそっと僕の肩に頭を預けながら言った。ツインテールの片方が僕の目の前でふわりと揺れる。
僕はその頭を抱き寄せながら、少し笑って言う。
「ずっと葉桜の一緒にいたい。だからこそだ。だから、感謝される謂われはない」
「でも、ね」
葉桜は僕の胸に手を置いて上目遣いでとろけた声で囁く。
「葵くんは私が工作員だと知っても変わらずに、それどころか尚一層、私に配慮してくれた。そして……私を選んでくれて……そういうのも引っくるめての御礼なの」
「なら、どういたしまして、だな」
僕はその頭を撫でながら笑ってみせると、ふふ、と葉桜は笑みを見せて肩を揺らす。そして僕の顔に手を添えると引き寄せるようにして僕の唇を奪う。
そして、わずかに懸念するような色を見せて葉桜は不安げに言った。
「それと……ね、葵くんが私を庇うと言うことも何だけど……そうしたらいろいろと東国で立場が危うくなるのかも知れないの」
「まぁ、そうだな」
今回の無理矢理の行動もいろいろ処罰されることであろう。山本中将や榊原中佐のかばい立てがあったとしても降格は免れられないはずだ。そして軍部の立場も危うくなる。
もう緋月はいないのだ。上手く立ち回ってくれる人がいなくなる。
その事は少し辛いが……後は僕達で歩んでいくしかないんだ。
僕がその決意を含めて笑いかけると、葉桜はその笑顔に縋るように僕に抱きつきながら言った。
「――ここだけの話だけど、葵くんのカルテって……少しおかしいの」
「え……?」
「健康診断と照らし合わせてもどこか変なの。具体的に言ってしまえば、頭の方」
葉桜は身を乗り出して僕の頭に触りながら不安げに言う。
「直接的には問題ないし、どこから変なのか、そして大体検討がついているんだけど、どこがおかしいのか……それを調べるのには過去のカルテが必要。でも……それをひっくり返すと……」
「軍部の機密に触れる可能性がある、か」
そうなれば消されるのはあからさまだ。僕はため息をつきながら葉桜がぺたぺたと頭に触れるのを甘んじつつ言葉を紡ぐ。
「いずれにせよ……この世界、胡散臭くないものはない。精々、生き延びれるようにしよう」
「うん、一緒に……未来を切り開いていこっ!」
晴れやかな笑顔を見せる少女は一つ頷くと、僕に飛びついた。
僕はその身体を抱きかかえるようにして立ち上がると、ヒョウさんが戻ってきて少し目を丸くしながらも笑って頷いた。
「ヘリが用意できました。またのお越しを、お待ちしております」
「――はい」
「ありがとう、ヒョウさん」
僕と葉桜はその場で礼をすると、その部屋を振り返らずに後にした。
そう、僕達はもう振り返らない。
どんな謎があろうとも、僕と葉桜とならやっていける。
そのような確信を持って、僕達は笑顔を交わし合った。
ハヤブサです。
これにて葉桜編は完結となります。
海外が絡んだルートで、徐々に真相へと近づいています。
というものの、謎解きに大きく関与するのは次の三つのルートですね……。
冬、春と来れば……次は?
所々に伏線ミスがあるので直していかねばなりませんが……こほん。
真相に辿り着くのは何方でしょうか?
ここまでの感想を頂ければ幸いです。
では、また時間を遡りましょう……武蔵野台地のあの瞬間まで。




