桜色の想いに酔いしれて-1
朝、目を覚ますと、腕の中に暖かい感触がした。
見ずとも分かるその小さな身体を無意識に抱き締める。消毒液と女の子独特の香りが鼻腔をつき、心底落ち着きを取り戻すのを感じた。
その小さな少女を昨日、抱いたと思うと少し恥ずかしい物があるが、それよりもこの温もりと存在感と、彼女が愛してくれるという事実を抱いている嬉しさの方が大きい。僕は僕の胸骨辺りに顔を当てている葉桜の頭を撫でた。
「ん……」
その感触で微かに身動きするその身体。視線を降ろすと、わずかに気恥ずかしそうにしている葉桜と目が合った。
「おはよ、葉桜」
「……うん、おはよ、葵くん」
いつも賑やかな葉桜だが、恥ずかしいのかもじもじとしている。その髪の毛に手を滑らせて優しく撫でると、少女はくすぐったそうに微笑んだ。
「髪フェチだよね、葵くんって」
「え、そう?」
「髪の綺麗な子を本能的に追いかけているみたい。そのせいかどうか分からないけど、部屋にいるのってみんなロングじゃない?」
「あー……」
はむはむ、と葉桜はもぞもぞと僕の身体の上を這い上がりながら僕の鎖骨に唇をつけて甘く噛みながら言う。
「今後は髪の毛触るのは私だけにしてね」
「子供はノーカウントなら構わんぞ」
「……ケースバイケースね」
「だな」
僕達は苦笑し合うと、丁度葉桜は僕の目の前まで這い上がってきて少し顔を赤らめて笑って見せた。僕も笑い返すとその顔に両手を添えて唇を重ね合わせる。
昨日の経験で少女は口づけのコツをどこか掴んだらしい。
軽く重ね合わせるだけのキスのつもりが、葉桜は舌を滑り込ませてきて舌を結び合わせると、目で、えへへと笑って見せた。舌を通して柔らかな感触が伝わってくる。
僕は仕返しとばかりのその舌を一気に吸い上げると、彼女は目をとろんとしてその感触を甘んじて受けていた。
唇を離すと、二人の間に唾液で銀色の橋が架かり、それが僕の胸に落ちる。
葉桜はどこか陶酔したような表情で僕に微笑みかけた。
「これ好きぃ……葵くんがしてくれると本当に気持ちいいよ……」
「……可愛い奴め」
僕達はもう一度、長いキスをすると立ち上がって服を着始める。そうしてやっと、僕達の日常が始まるのだ。
「葉桜、今日は軍に出なくて良いのか。大変だろう、今は」
「うん、そうだけど、今、緋月も葵くんもいないじゃない? だから代わりの上官が来て指揮を執っているんだけど、その際に即して私はずっと葵くんの面倒を見てくれ、と頼まれたから」
「……もしかして、その人って」
「うん、山本中将。あの人には本当に頭が上がらないね」
葉桜はその場でくるくると回りながら説明してくれる。その回転の度にフリルの裾がはためき、丈の短いスカートから中身が見えそうになる。
が、結局見えずに彼女は口を止めると同時にその場で止まって、裾を持ち上げてえへへと笑って見せた。
「どう? 葵くん」
「ん……」
彼女がまとっているのは俗に言う、メイド服だ。詳しい訳ではないが、彼女の来ているメイド服の種類は北欧風のものとなる。
通常、メイド服は黒い、ないしは濃紺のワンピースに白いエプロンを装着する、俗に言うエプロンドレスという体系を取っている。
だが、彼女の来ているワンピースは桜色の色調であり、フリルを袖や裾へふんだんにあしらわれており、胸元にはリボンで緩く結ばれている。そしてエプロンに至ってもフリルやレースなどがあしらわれており、そこをきゅっとお腹の辺りをコルセットできっちり締める。どちらかといえばフレンチメイドのような感じとなっていた。
持論ではあるが、メイドに関しては個人的にフレンチメイドというものを認めていない。なぜならば、それは平成時代における日本でメイドを風俗の対象と見なして改造を繰り返していた一部の不届き者の流れを引いているからである。やはり、メイドは黒のロングワンピースに白い簡素なエプロン、これが一番である……。
だが、どうしてだか、僕の目は葉桜に釘付けであった。
どうしてこんなに可愛く感じるのか、思わず唸り声を上げると少し葉桜がもじもじとその場で恥ずかしそうにした。丈の短いスカートを少し引き延ばすようにして前屈みになって言う。
「まじまじ見られると……」
「あ……ああ、悪い」
僕は我に返って苦笑すると、葉桜を招き寄せてその身体を膝の上に載せた。
そしてその亜麻色の髪を撫でながら囁く。
「うん、可愛いよ。凄く素敵だ、葉桜」
「え、えへへ……ありがと……」
葉桜はまた顔をとろけさせて身体を半回転させて僕の方を向くと、ん、と軽く目を閉じて僕を見上げて唇を心なしか突き出す。その可愛らしいおねだりに、僕はわずかに悪戯心が湧いてきて、軽くその唇にキスを落とした。
すかさず、葉桜は深いキスを求めようとするが、僕はすぐに唇を離して、そしてまた軽く触れ合うだけのキスをする。
それを三度続けると、葉桜は焦らされていることに気付いたのか、うー、と微かに唸り声を上げて僕を少し涙目で見上げた。
ごめんごめん、と僕は笑いながら言うと、唇にキスする……ふりをして耳たぶに噛みついた。
「ひゃうぅっ」
可愛らしい悲鳴を上げて、僕の膝の上で飛び上がる葉桜。
すると、葉桜は何か思いついたような顔をする、と僕の胸に全体重を一気に掛けた。
「う、おっ!?」
僕は思わず体勢を崩して背中からベッドに倒れ込むと、葉桜はマウントポジションを確保してニヤニヤと笑って見せた。
「ふふ、悪戯する子にはお仕置きが必要ですねー。えへへ」
「……どんなお仕置きだい?」
僕は笑いながら手を伸ばして彼女の頬に触れると、んー、と少し葉桜は考え込んで肩を竦めた。
「どんなのが良い?」
「おい、こら」
僕は思わず苦笑して葉桜の頬を突く。
「相手に聞いてどうするんだ」
「だって葵くん、大体の事って耐えるんだもん」
「そりゃあ、訓練されているからな」
「……んー、そういう意味じゃないけど」
今度は葉桜が苦笑いをすると、僕に覆い被さって髪を掻き上げて僕の顔に掛からないよう気をつけながら唇を重ね合わせる。
はむはむとたっぷり三秒、唇を貪るように舐めると口を離して少し恥ずかしそうに笑った。
「こういうことがずっと葵くんがやってくれれば別に……いっかな」
「ん、じゃあ葉桜の命令を聞くってのはどうかな。葉桜はそんな酷い命令はしないと思うし」
僕が気軽に言うと、葉桜は少し目を見開いた後に悪戯っぽく笑ってみせる。
「酷い子とするかもよ? 逆立ちで病院一周とか」
「でもしないだろ? 信じているから」
「……全く、ずるいよ、葵くん」
葉桜は頬をわずかに紅くして僕の胸に頬擦りする。そして小さな声で囁いた。
「えっちなメイドさんに、御奉仕して欲しいな」
「……下働きの癖に生意気だな。お仕置きして欲しいのか?」
「えへへ、それでも良いかも。葵くんだったら酷いこと、しないでしょ?」
「……意趣返しか?」
「ふふ、信じているだけ」
「そっか」
僕達は恋人同士の囁き合いを続けて唇を重ね合わせ、互いの衣服の手を掛けた。
丁度その瞬間、豪快なノック音が部屋の中に響き渡った。
「入るぞ」
その声に葉桜は慌てて立ち上がって椅子に座る。僕はそのまま自然に寝たような体勢に瞬時に動く。
そして一拍後に扉が開いて威厳たっぷりに胸を張った顎髭男が入ってきた。
僕はたった今、起きたような素振りを見せて起き上がると、おお、とその男は少し暢気な声を出した。
「起こしてしまったかね」
「……ええ、少し邪魔されてしまいましたね」
「いやはや、申し訳なかった」
葉桜が軽く胸を撫で下ろすのがちらりと見える。だが、顎髭に隠された口元がニヤニヤと笑っているのが僕からはよく見えた。
僕は一旦咳払いすると、背筋を伸ばしてその男を見つめた。
「ご無沙汰しております。山本勘助少将」
「今は中将だがな。溝口葵大尉」
そこに現れたのは僕の後見人である、山本勘助であった。




