消毒液香るその場所で-1
「僕の選択は……その提案を、断ることだ」
僕がきっぱりと言い切ると意外そうに平田は眉を顰めてみせた。
「良いのかい?」
「当たり前だ。落とし前ぐらい、自分でつけられる。もうガキじゃないんだ」
僕は力強く言い切ると、平田はどこか優しい目になって僕を見つめる。
「……血は、争えないな」
「……何の事だ」
「その目と口調。零にそっくりだ。自分の妻を護ると言い切ったその男の……」
平田はそこまで言ってから言葉を切ると、懐から昨日の紙を取り出してひらひらと振って見せた。少し困ったような口調で、彼は訊ねる。
「……良いの、だな?」
「それはもう紙切れだ」
僕がそれを引ったくって引き裂いて宙にばらまくと、風で流されるそれを目で追って平田は肩を竦めて見せた。
「こうなった以上はもう敵同士だ」
「ええ、そうですね」
僕と平田は笑い合うと、同時に距離を取って懐に手を突っ込んだ。そしてほぼ同時に懐から取りだしたものを空に突き出して、撃つ。
武蔵野台地の空に二つの信号弾が立ち上る。
その間に二人は互いに背を向けて駆け出していた。
次の瞬間、自分の耳を掠めて一発の弾丸が駆け抜ける。それと背後から鈍い悲鳴。
振り返ると、そこには肩を撃ち抜かれてその場で倒れる平田の姿があった。今なら隙だらけだ。殺れる……! 僕はライフルケースをぐっと掴み込んだ。
『葵、構うな! 逃げろ!』
その瞬間、緋月の絶叫が耳を劈いた。その瞬間、低いエンジン音と共にバイクが何台か西国の方から出現した。まずっ……!
僕はすぐに駆け出すが、バイクの速さは侮れない。真冬辺りが援護射撃してくれて、精密に弾丸が僕の脇をすり抜けてバイクを撃破していく音が聞こえるが、徐々にその音は大きくなってきている。
迎撃するべきか、走り続けるべきか。
躊躇した瞬間に、僅かな思考の隙が出来た。
まさにその合間を縫うようにして激しい銃撃が聞こえた。
途端、足に激痛が走る。
「か……はっ!?」
激痛で足に力が入らなくなり、足が砕け、そのまま勢いで前に倒れ込んでしまう。咄嗟に受け身を取るが、無理な受け身のせいで左手首に激痛が走った。
だが、懐に隠しておいた拳銃を抜くと、安全装置を外しながらうつ伏せになって迎撃体勢を取った。ライフルを展開するにはかなり辛いものがある。
向かってくるバイクは三台、全て大振りな銃を構えている。
間髪入れず、僕は狙いを定めて銃を続けざまに発砲した。
だが、バイクのタイヤに吸い込まれていったそれは何も障害を与える事が出来ない。
「ちっ……」
考えてみれば当たり前だ。バイクは防弾仕立てに決まっている。僕は舌打ちしながら尚も接近するバイクを見ながら銃弾を装填して構え直す。
どこを狙う? 燃料タンクか? 操縦者? シャフト?
いや、決まっている。
僕は三台に狙いをつける。僕の改造ベレッタは銃弾が十六発入る。一台に割けるには五発、多くて六発だ。僕は集中しながらさっきから騒がしく耳に入ってこないインカムに言葉を紡いだ。
「急いでくれよ……」
それと同時に僕は引き金を引いた。冷静に十五回引き金を引く。
その瞬間、放たれた銃弾は違うことなく、三台のバイクのハンドルに当たった。そして跳ね返ったその銃弾は寸分違わず、バイクのスピードメーターを木っ端微塵に破壊した。
散った破片は凄まじい勢いで運転手の顔を打った。
だが、狙いはそれだけではない。
この御時世、正確なスピードメーターを使いたいが、貴金属が貴重。そんなときに用いられたのが、水銀だ。その水銀が微量であるがヘルメットに盛大に掛かって視界を奪う。
それと同時に最初の銃弾でバイクのハンドルのブレーキ部分を破壊した。
「ぐ、おぉっ!」
「な、何ぃ!」
彼らは悲鳴を上げて盛大に滑っていく。不思議なもので人間というのはブレーキがないと思うと、恐怖で手が震えて妙な方向にハンドルを切ってしまうのだ。体勢を崩したバイクが派手に潰える。
だが、一台のバイクは冷静に操縦手は巧みに蛇行運転し、足を踏ん張って摩擦を増やすとその場で乱暴に降りて僕に銃口を向けた。
「動くな」
フルフェイスヘルメットの男がくぐもった声を放つ。僕は拳銃を構えながら苦笑いした。
「あくまで生け捕りにするつもりか」
「そうだ。撃っても無駄だぞ。防弾装備だ」
「分かっている」
そう、分かっているのだ。それでも拳銃を構えているのは生きて情報を晒すのは本意ではないからだ。
だから――。
「お、おいっ!」
フルフェイスヘルメットの男が上ずった声を上げる。こめかみに自身の銃口を突きつけた僕の姿を見て。
「さて、どうする? ここで自害しても良いかも知れないね」
「くっ……」
判断に躊躇する男。そのせいで、咄嗟の判断が遅れる結果となってしまった。
気がついたときには、彼の頭は木っ端微塵に吹き飛んでいた。
「葵ッ!」
悲鳴に似た叫び声と共に近くに低いエンジン音が急激に近づき、それが止まったと思った瞬間、僕の身体は柔らかい何かに抱き起こされていた。硝煙と、血と、微かな香水の匂い。
失血のせいか、急に動かされたせいか、視界がぐちゃぐちゃに歪むが、嗅覚だけは正確にその香りを掴んでいた。
それは、確か、彼女に初めてプレゼントしたものだったかもしれない。
同時に幼い悲鳴が耳に響き渡った。
「葵くんッ!」
「出てきちゃいけない! 葵を頼む!」
凛とした声が耳に響き渡る。僕はぼんやりと手を伸ばしてその頬に触れる。その瞬間、視界が鮮明になり、泣きそうな表情を浮かべる緋月の顔が目に入った。僕と視線が合うと、緋月は柔らかく微笑んで僕の手を握る。
「……ありがとう、葵。君がいてくれて本当に幸せだった……」
それと同時に、緋月は毅然とした顔で前を見据えると、僕の身体をしっかりと抱き上げて何かに僕を慎重に乗せた。その途端、何か暖かいものに包まれて、僕は心のどこかが安心するのを感じた。
小さな手が、僕の頬を撫でて柔らかいものの上に頭を載せてくれる。
僕は反射的にその手を握ると、その様子を見ていた緋月の顔がわずかに歪んだ。だが、すぐに微笑みを浮かべると、何か早口に言った後に僕を見つめて優しく言った。
「さらばだ。友よ。幸せになれ」
次の瞬間、僕の視界は暗転した。緊張が緩んだのか、失血がたたったのか。その原因を考える間もなく、僕の意識は奈落の底まで引きずり降ろされてしまった。
硝煙と銃弾が駆け巡る戦場。
一人の女性がそこに立ち、両腕に抱え込んだマシンガンを掃射している。
巨大な鉛の弾丸は向かい来る敵を全て破壊し尽くしている。だが、敵はまだまだ溢れてくる。対物銃や巨大な槍、斧、爆薬などを持ち出す。
だが、彼女は屈しない。
ひたすらに銃弾をばらまき、投げられる爆薬を弾き返し、防弾服越しに銃弾を受けても喀血しながらも弾幕を絶やす事はない。器用に足下では爆弾を起動させては蹴り飛ばすという動作で敵を吹き飛ばしていっているのだ。
その血気迫る光景に敵兵達は怖じ気つく。が、そこで指揮官が一喝して再び弾幕を張らせる。
それに対し、女性は血を吐きながらもマシンガンやバズーカを掲げて猛進し、その場を肉塊に染まった戦場へと変えていく。
だが、突然にその地獄は終わる。
ガチン、という音と共にマシンガンとバズーカの残弾はゼロを告げた。
女性の顔が一瞬、戸惑う。その瞬間に無数の爆薬が周囲から放たれた。
女性は咄嗟に持っていた銃器で爆薬を出来うる限り、はじき返し、すぐに両腕で身を守った。
刹那、爆薬が炸裂し、女性の身体が派手に吹き飛んだ。
やったか、と指揮官が興奮した声を上げる。その瞬間、その指揮官の頭にバズーカの破片が突き刺さった。女性は足だけで立ち上がり、鬼人のような形相でそれを睨みつけていた。
だが、その両腕は吹き飛び、髪の毛も焼け焦げてしまい、元の美貌はすでにない。防弾服も焼けてもう残っていない。全身火傷で動いているのが奇跡といわんばかりだ。
それでも女性は口に含んだ金属片を盛大に吐き出して三人の兵の喉仏に突き刺しながら笑って見せた。
――どうした、やってみろよ、と。
両腕がないんだぞ。今ならチャンスじゃねえか。
それと同時に足下に落ちていたバトルフォークを口でくわえて辺りを睨め付ける。
鬼人の様子に兵達は恐怖に駆られた。反射的に銃器を構えて一斉にその一人に向けて銃を放つ。
バリバリと勢いよく発せられた銃弾は女性の身体を抉っていく。容赦なく盛大に。脳は吹き飛び、目も抉れ、顔はほとんど崩れていく。腰も吹き飛ばされ、心臓のあったはずの場所はすでに存在しない。
だが、そうなっても兵達は狂気に取り憑かれたように銃を乱射した。
そして……全員が弾切れになったその瞬間、そこに立っていた女性はすでに原型をなくしていた。だが、立っている。そこで東国に行かせまいと立っていた。
だが、顔はほぼ吹き飛び、わずかに口が残っていて辛うじてバトルフォークを奇跡的にくわえていた……ものの、耳も鼻も頭も残っていない。
肉塊が辺りに飛び散り、立っているものはゾンビよりもおぞましい姿。肉や骨はもう丸見えで、背骨だけで支えている。
その仁王立ちした姿勢は、まさに弁慶もかくやと言わんばかりであった。
兵士達が恐る恐る近づく。明らかに死んでいるのに、その死体が噛みつくのではないかと危惧して。
その瞬間、にぃ、とその女性の口元が歪んだ気がした。
音を立ててバトルフォークが地面に突き刺さる。その瞬間、それは眩い閃光を放った。
それは、まさに命の輝きのようで……。
全てを呑み込んでいった。
「……ぐっ……!」
僕は不気味な夢に思わず目を覚まして身体を引き起こした。その瞬間、胸が悲鳴を上げて僕は激しく咳き込むこととなった。
「溝口さん、大丈夫ですか!」
僕が胸を押さえて身体をくの字に折り曲げる最中、周りでばたばたとうるさい足音が響き渡った。消毒液の匂いが満ちあふれている医務室だろうか。
命を繋いだのか。それを実感すると同時にどうしてか、胸が苦しくなった。
痛みと苦しみが襲い掛かって自分を苛む。
まるで、自分が死ねば良かったかのように。
いや、事実その通りだ。
何故、自分は生きながらえたのだ。あそこで死ねば……!
「葵くん! 落ち着いて!」
思わず苦悶の唸り声を上げた僕の身体を抱き締めたのは、思いの外、小柄な身体であった。優しく柔らかな身体が、僕の身体を抱き締めてくれる。
独特の女の子の香りと消毒液の香りが、吸い込む空気に満ちて、それは不思議と心を落ち着かせてくれた。呼吸が落ち着いたのを感じたのか、その少女は身を離して僕の瞳を見つめた。
そこにいたのは白衣姿の亜麻色の髪を垂らした可愛らしい少女……葉桜であった。じっと僕を見つめて少し弱々しく微笑んだ。
「葵くん……落ち着いた?」
「……少しは。なぁ、葉桜……緋月は――」
「少し、寝ていて。葵くん。」
その言葉を遮って、葉桜は押し倒すように僕をベッドに寝かせると白衣を脱いで、ふぅ、とため息を漏らす。そして背後に待機していた衛生兵に合図して下がらせる。
軍服姿の葉桜は椅子を引き寄せると少し苦笑いして言った。
「第六感? もしかして悟った?」
「……やっぱり、そうか」
「……殿軍を努めておよそ二万の兵を道連れにしたみたい。というか、緋月、原爆並みの爆弾作っていたみたい。原子力は使っていないから放射線で汚染はされていないけど、盛大なクレーターが出来たそう……って」
そう言う葉桜の目も潤み、声は微かに震えていた。
僕はその身体を抱き寄せると、葉桜はわずかに身を震わせて拒むように僕の胸を突き放した。
「駄目だよ……葵くん……」
葉桜は目を伏してそう言うと、黙って椅子から立ち上がってその部屋を去っていった。
僕はそれを見送って、はは、と思わず苦笑してしまった。
一人でこの苦悩に耐えるのは凄く骨だろうな。
ハヤブサです。
思索した挙げ句、季節の順番に続けていく事にしました。
『冬』の次は『春』となります。
春のルートをお楽しみ下さい。




