これから刻むキセキ-3
緋月が撤退してきたのはそれからわずか一時間の事であった。
山をひたすら駆けていなければそんな時間には辿り着けない。僕は思わず瞠目しながら、戻ってきた彼女を出迎えるべく担当を他の狙撃手に任せて外へと出た。
「出迎えご苦労だな。葵」
緋月は澄ました顔で笑ってみせる。だが瞳にはどこか疲れが滲んでいた。そしてその彼女の背中には……気を失っている、真冬の姿が。
「真冬……!」
「案ずるな、意識を失っているだけだ。だが、コケナシを使っているようだ……暫くは昏睡状態が続く事が予想される」
「……くっ」
緋月の冷静な報告を聞きながら、僕は真冬の身体を自分の腕に移した。寝顔は安らかだが、その頬には応急処置の止血テープがいくつか張り付けられ、激戦が強いられたことが予想できた。
そして足には大きな裂傷……。
「……緋月……感謝する」
僕は真冬の身体を抱きかかえた状態で頭を下げると、緋月は少し憔悴したような笑みを見せて首を振った。
「気遣いは無用だ。すぐに陣払いをし、撤退を……」
「いやまだだ。緋月、平田は狩っていないんだろう?」
僕の言葉に、緋月はやや苛立ったような視線を向ける。泥で汚れた頬を手で拭いながら緋月は少し乱暴な口調で言った。
「君達は本当にバカだな。仇討ちしたってどうにもなる問題じゃないだろう。今は真冬と兵を休ませる方が先決……」
「ああ、そうだ。だから残るのは、僕だけだ」
「……は?」
その言葉には緋月はやや度肝を抜かれたようだ。凛々しい顔が一転、今まで見た事無いような呆けた顔へと一転した。僕は畳み掛けるように言う。
「僕が平田を狩れば、もはや東国の今後の憂いがなくなるだろう」
「だ、だが、一人で……ッ!?」
「ああ、一人で、だ」
「馬鹿馬鹿し……」
「ああ、馬鹿馬鹿しい。だが、有効な手段であることは否めないぞ。爆弾のような戦力を一個置いて狩れればそれで良し、狩れなくても一人を失うだけだ」
僕の無茶な発言に、緋月ははぁとため息をついて頬を掻いた。
「まぁ……冷静になってみれば、平田を放っておくのはあまり良くない。敵司令官を絶っておけば今後の憂いは確かになくなるだろうな」
「なら……」
「だが」
緋月は強い口調で僕の言葉を遮る。じっと強い炎のような意思を秘めた瞳で僕を見つめた。
「独断専行は許さない。キミの身体は、もはやキミだけのものじゃない。真冬のものでもあるんだ。だから、私もつこう。新庄もだ」
「……そうしたら、緋月の担当する部隊はどうするんだよ」
僕が引きつり笑いを浮かべて言うと、少し緋月は考え込んでから頷いて見せた。
「紅葉に一任しよう」
「おいおい、元々西国の兵だぞ? 離反されたらどうするんだ……」
「それでも葵と真冬がバラバラになるよりはマシだ」
緋月は強い眼力を込めて告げる。僕は思わず内心で苦笑した。
緋月は本当に強い。
婚約者を取られたというのに、その二人を応援する。その力は僕には絶対にないだろう。
彼女は、本物の強い人だ。
僕は緋月に感謝を込めて一つ頷くと、笛を取りだして軽く吹いた。招集の合図だ。見る間に本拠地から要人達が集結し始めた。
◇◆◇
山本勘助は軍師の名を受け継いだ人間だが、全くその山本勘助とは関連性を持たない。
それでも指揮官としての才覚はあり、その手腕で中将まで上り詰めた。
「…………」
その山本勘助中将は渋い顔をして報告を聞いていた。
反乱軍の鎮圧の報告、そして平田の出現について、それに対して、溝口大尉、榊原准尉、新庄准尉が山に残り、平田を征伐する事。
正直、この三人を少しの間でも手放す事は惜しい。
これに真冬、そして山本勘助の娘を加えればもはや五騎当兆といっても過言ではないだろう。
恐らく、この三人は戻ってくる……はずだが、誰か……特に葵を失う可能性を考えれば。
その瞬間、山本勘助の胸がちくりと痛んだ。
葵は息子同然として育てた。将来は娘と引き合わせようと考えていたのだが、榊原の手回しでそうもならなくなってしまった。結局の所、少し誤差はあったが上手く行っていた……はずだ。
それを失うのは、辛い。
そこまで山本勘助は考えるが無線のチャンネルを無意味に切り替えながら別方向に思考を動かす。
しかし、ここでもし平田を取り逃がせばまたしても西国が再起する可能性がある。折角、ここまで合理的に見えるように手を進めて東国が西国を統一したのだ。その努力を泡にされたくはない。
「仕方ない……か」
山本勘助は一言そう呟くと、無線機に指を走らせる。報告と、三人による討伐依頼。そしてもう一つの要請の結果を出すべく、無線機に口を近づけ、一言呟いた。
「Gone」
実行せよ。その言葉は一瞬にして制圧軍に伝わっていった。




