宿舎の緊張-1
『兄様、大丈夫?』
「……ああ」
帰りのヘリでミルクは心配そうに声を掛けてくるが、僕はただぼんやりとするだけしか出来なかった。予想していなかった故に、動揺が隠せない。
インカム越しには慌ただしい音が響いている。
恐らく、本国に連絡を取っているのだろう。
『……兄様』
「……ん?」
ミルクはヘリを操縦しながらそっと遠慮がちに言う。
『兄様がみんなを信頼しているのは分かっている。だから……今回の判断は重い……。だからこそ、さ、あたし達にも相談して、ね』
「……おう」
僕はそれだけ言うと、インカムの電源を落として目をつむった。今はヘリの轟音の中でも少し寝て頭をすっきりさせておきたかった。
気が付くと、僕は自室のベッドに横たわっていた。
ヘリで熟睡してしまったらしい。新庄辺りが運んできてくれたんだろう。
僕が身を起こすと同時に、部屋の扉が軽く軋みながら開いた。
「あ、起きたのね。葵」
入ってきたのは真冬だった。どこか心配そうな顔をしてそっと近寄ってくる。
「よぉ、真冬」
「頭とか痛くない? 大丈夫?」
「心配どうも」
「べ、別に心配していない……訳ではないけれど」
真冬は否定し掛けて、その言葉は尻つぼみに消えていく。そして、僕のベッドの脇に腰を下ろすと、僕の手をぎゅっと握る。
「……ねぇ、どうする、の?」
その言葉は、彼女たちも狼狽えているのが分かった。
僕はいつものように戯けるか、もしくは他愛の言葉で誤魔化すか……悩んだ末に、苦笑した。
「分からん」
「……そう」
「本国は何て?」
「保守派と革新派で議論が行われているみたい。今の所、現実的なのは要求を呑んで和平を結ぼうという意見が大きいわ。……上官は貴方に一任するとは言っているけど、頼りない限りね」
真冬はそう言いながら苛立ったように傍らのサイドテーブルに置いてあったいくつかの缶のうちの一個を掴んで握りつぶした。
彼女も緋月ほどではないが、握力はある。それをぐっと丸め込むと、部屋の屑籠の中に放り投げてからもう一度サイドテーブルに手を伸ばし、他の缶を取って僕に放った。
僕は握られていない方の手で受け止めると、片手でプルタブを開けて中身を飲む。
予め冷やしてあったのだろう、キンキンに冷えていた液体が喉に滑り落ち、肌が泡立つ。
それと同時に、冷静な思考が戻ってきた。
『あたし達にも相談して、ね』
ミルクの声が耳に蘇る。僕はその言葉にすがるように、真冬に言葉を投げかけた。
「なぁ、真冬はどうして欲しい?」
「え?」
真冬は戸惑ったような顔をするが、すぐに意味を悟って複雑そうな顔をした。
「そうね……今の暮らしがずっと続くと思っていたから……どうなる、といっても……ね。ただ、先輩がいて、葉桜がいて、そして……葵もいて」
「僕も認めてくれるんだ」
「茶化さないで。真面目に答えているんだから」
「悪い」
真冬は顔を紅くしてバンバンとベッドを叩くので、僕は手を上げて反省の態度を示した。
彼女は咳払いして、まだ頬が赤いまま言葉を続ける。
「とにかく、今までの生活……それが私の望み。私は家族を楽させるためにこの軍に所属したんだから。私が現役で働き続ける限りは、家族は安泰だろうし」
「家族……か」
僕が呟くと、真冬はしまったという顔をした。
「ごめん、ちょっと無神経だったかも」
「気にしていないよ。というか、真冬からそんな言葉が出るとは思わなかった」
「何よぉ」
ぷくっと膨れてみせる真冬。僕はその頭を撫でながら苦笑した。
「家族と暮らさなくて良いのか?」
「うん……何だかんだ言って、この暮らしが気に入っているから。葵が言うなら……この暮らしが守られるなら平田って奴を遠距離から撃ち殺しても良い」
真冬は少し気持ちよさそうに目を細めながら言った。僕の手を払い除けたりはしない。
「遠くて無理だろ。というか、随分、買われたもんだな。僕も。最初は名前さえ満足に呼ばせて貰えなかったのに」
「最初は貴方の実力を認めていなかったから。でも、貴方の心意気は、尊い」
「そんなたいそうなもんじゃないよ」
僕は自嘲するように笑って彼女の頭から手を引っ込めると、飲み干した空き缶をサイドテーブルに置いた。
真冬はまだ何か言いたそうにしていたが、口を閉ざして立ち上がった。
「じゃあ、葉桜を呼んでくる。食事、作ってもらっていたから」
「……まさか、葉桜の手料理じゃないよな?」
「安心なさいな、軍の調理班が作ったものよ」
真冬は手をひらひらと振りながら部屋を出て行く。それを見送りながらぼんやりと脇にある缶をもう一本取った。
カシュ、と音を上げて蓋を開けると、中身を無造作に口に注ぎ込んでると部屋の扉が開いた。
葉桜だ。その手にはお盆があり、その上には土鍋が鎮座していた。
「葵くん、元気?」
「ああ、元気だぞ。ピンピンしている」
僕が笑ってそう言うと、葉桜はふぅんと言いながらお盆をサイドテーブルに置いてから僕の手首をそっと掴んで脈を測る。同時に僕の額に手を当てて熱を測り始める。
「……ん、健康上は問題なさそうだね」
健康上は、か。
葉桜は全て心得ている様子で、先程まで真冬が座っていた椅子に腰を下ろす。そして土鍋の蓋を開けて中身を僕に見せた。
「お粥。野菜たっぷりだよ」
「病人じゃないんだから……」
「でも根詰めすぎだよ……」
呆れた顔で葉桜はさじを取ると、少量、お粥の中身を掬って息を吹きかけて冷ますと僕に差し出す。
「はい、あーん」
「ん」
僕は大人しくそれを食べると、葉桜は少し嬉しそうに微笑んで見せた。
暫く葉桜はお粥を載せてさじを差し出してきたので、僕は黙ってそれを食べ続けると、ふと途中で葉桜が表情を曇らせた。
「……私も、こんな料理が出来たら良いのにね」
「葉桜は葉桜の良さがあるけど」
「ふふ、ありがと。……ねぇ、葵くん?」
くすくすと笑っていた葉桜は少し真面目な顔をして言う。
「ん?」
「私を……私を助けてくれたのって……何か、利益があって為した事なの? こうまでして衛生兵の身分に置いてくれて……」
ああ、あの時の話か。僕は思わず可笑しく思いながら口を開く。
「前と言っていた事とは違うな、葉桜。随分、態度を軟化させたものだ」
僕が少し笑ったその声に、彼女は唇をとがらせてそっぽを向いた。
「……葵くんが優しいから」
「ああ、僕は優しいよ。残酷なまでに。だから、誰を選ばなくてはいけない」
「……そっか」
葉桜は儚げに笑う。
「この暮らしも、もう終止符が打たれるんだね」
「また新しい暮らしが始まるからな」
「うん……私は……私はね」
彼女はさじを取って手の中で弄びながらぽつりと言った。
「葵くんさえいれば……葵くんが傍にいてくれれば良い。どこでも良いから……ずっと、ずーっと、一緒に」
その言葉の重さは分かる。
真冬も葉桜も、言っているようなことは同じだ。
だけど、明確に違う。
真冬は『日常の継続』を。葉桜は『溝口葵の存在』を望んでいる。しっかりとした明確な望みを携えてくれている。
だったら、他の三人は、どうなんだろうか。
僕はふぅ、と息をつくと、葉桜は可愛らしく小首を傾げた。そして気遣うように言う。
「疲れちゃった? ごめんね、重い話をして」
「いいや、大丈夫。大分参考になった」
「そう……良かった」
彼女はニコリと笑うと、お盆を持って立ち上がる。そう言えば、土鍋は空になっていた。
「じゃあ、私は行くね。あ、そうそう、緋月が暇が出来たらで良いから、屋上に来てくれ、って」
「……おう、了解した」
僕はそう言って手を振ると、葉桜も小さく手を振って笑いながら部屋を出て行った。
それを確認してから、僕は枕に頭を預けた。
「……受け止めないとな……」
彼女たちの、想いを。




