宿舎の喧騒-5
『所定の場所に着地するよ。兄様』
「ああ」
インカム越しに短く返事をすると、上空からあたりの光景を見渡した。
草木一本も生えていない、荒野。はるか遠くには運河や西国の建物、その反対側には東国の建物も見えないことはない。一番近くにある建物と言えば、やはり僕らが守っている孤高の要害だけだ。
視線を前方に戻す。ここはヘリコプター、プロペラの振動でライフルに支障をきたさないか不安である。僕はそっとケースに入っているM24SWSを抱き寄せた。
それに気がついたのか、前方の運転席でヘリを操るミルクは視線を動かさずにインカムから言葉を伝えてくる。
『大丈夫だよ。兄様。そのケースは対ショックケースだから。ついでに防弾性だから盾にもなります』
「便利だな」
思わずしげしげとそれを眺める。
それはぼろぼろになっている僕のライフルケースをミルクが見かねてくれたのだ。本国で僕のために用意してくれていたものらしいが。
「ありがとう、ミルク」
僕は礼を言うと、彼女はあはは、と微妙な笑いを返してきた。
『兄様、それは本国がくれたものだよ? そんなお礼を言う必要性なんてないよ』
「そうか?」
『そうだよ。あっちからしたら当然の義務。ね? そうでしょ? 溝口大尉』
茶化すような口調で会話をつづけてくれる。僕の不安を和らげようとしてくれているのだろう。
やがて、ヘリはゆっくりと降下し、徐々に開けた台地の端の方に垂直の降下し始めた。
「安定しているな」
『そりゃ、そうだよ。オスプレイを改良に改良を重ねた機体、『|
血に飢えた野獣』だもの」
「――そのネームは誰が考えた」
『上官よ』
「あの人か」
ともかく、血に飢えた野獣という物騒な名前をつけられた機体は無事に安定の着陸を果たし、僕はインカムを外してライフルを担いで外に出た。代わりに無線機のイヤホンを耳につけ、軍服のポケットから小型マイクをとりだした。
「こちら、溝口。交渉の場に到着した」
『こちら、榊原。所定の位置へ配置しました』
『こちら、見崎。衛生兵配置しました。狙撃兵も配置完了です』
『こちら、新庄。強行班スタンバイ。いつでも出れるぞ』
『こちら、鈴木。要塞部隊バックアップスタンバイ』
『こちら、峰岸。指令室につきました。基本的には判断は大尉にお任せします。榊原准尉は現地で判断し、現地の部隊を動かしてください。バックアップは任せてください。では、交渉開始をお願いします。武運を』
指令室の言葉を受けて、僕はライフルを担ぎ直すとミルクに向けて手を振った。ミルクは頷いて手を振り返してくれる。
僕はそのまま、まっすぐと台地の中央へと歩いていく。
そこまではある程度距離がありそうだった。遠目で微かにその交渉の相手が見える。ライフルのスコープでそれを観察すると、そこには忌々しき相手が立っていた。
一瞬で怒りが沸点を超えそうになる、が、落ち着いて深呼吸して歩みを続ける。
そっと、対人用ライフルを撫でる。今日、バレットを持ってこなくてよかった。あれがあったら確実にあいつの首に鉛をぶっ放していた。
移動するのにおおよそ、三十分ほど時間を有した。大体、三キロ程度移動した事となる。
そして、五十メートルの距離を残してそいつと相対した。
「……東国連合代表、溝口葵です」
「西国連邦代表の平田だ。よく来たね、葵、久しぶりだ」
「ええ、本当に。お土産に手榴弾でもぶっ放したい気持ちですよ」
僕の怒りを遠回しに伝えると、相手は苦笑いを返した。
「キミのお父さんの事に関しては特に何も言わないよ。弁解しても無駄であろうし、事実を伝えてもそれが真実だと認識できるか分からない。故に交渉へ移ろう」
そう言いながら不敵に笑うそいつは、最後見た顔と変わらぬ顔をしていた。
大きな傷跡を残したヤクザのような風貌。厳つい表情。困ったように笑う仕草。幼い頃から見ていた仕草で、だから未だに信じられない。
僕はただ黙って頷くと、彼は懐から書状を取りだした。
「こちらが提案するのは停戦協定と私、平田雅典の身柄と引き替えに、二名の引き渡しを願いたい」
「停戦協定というのは?」
「正式な物だ。書類もここにある」
平田は書状を広げて僕に提示した。僕はライフルケースを地面に置くと、中からカメラを取りだしてその書状を記録してからそれをじっくり眺めた。
アメリカが仲介となった停戦協定だ。もし、破られるような事があれば、国際連合が破った側を制裁する、という物である。
「……なるほど」
国際連合常任理事国の調印を眺めながら、僕は声を発した。
「破れないよう楔を打つ、か」
「そうだな。そして重罪人である私の身柄も渡す。これほどよい条件はあるまい?」
平田は肩を竦めて困ったように笑む。こいつは自分の命が天秤に載せられても動じないのか……?
気持ちを切り替えるように僕は咳払いしてから書状に視線を向ける。
「で、この停戦協定の趣旨は理解した。問題は誰を引き渡すか、ということだ。こちらの人質か?」
「ああ、そちらが確保している人質だ」
「……もう一人については聞いていないぞ」
「……ああ、そうであったな」
平田は勿体ぶるように間をおいて言う。
「もう一人は、溝口葵、キミだ」
「……なるほど」
戸惑う前に理解が追いついてきた。
なるほど、こいつがこんなに冷静だったのは、僕も天秤の上に載せられていたからだ。
彼は困ったような笑みをまた浮かべて言う。
「気休めにはなるか分からないけど、キミの命と身分は保障されるよ。安心してくれて良い」
「……そうか。しかし、この案件はこちらに手には負えない」
僕は淡々と声を紡ぐ。インカムからは何も声は聞こえない。緋月も峰岸も僕に判断を委ねてくれているのだ。しかし、僕だけでも判断に出来ない。
一旦、時間を貰いたいという意思を表示すると、平田は無線機を取りだして何やら相談し始めた。
そして、無線機を口から離して、再三困ったような笑みを浮かべる。
「明日の夕暮れまでには結論を出して欲しいそうだ」
「……善処する。本日の会議はここまでで宜しいか」
「ああ、明日のここで待っている」
平田はそう言うと踵を返す。もう話すことはない、と言わんばかりに。
僕もそれを見て踵を返す。こちらも話すことはない。だが……皆にはいろいろ相談せねば……。
インカムからは、話し合いの声が遠く聞こえていた。




