宿舎の緊張-3
「え、もしかして、寺社連合から派遣されたのって……」
僕は押し倒した妹を助け起こしながら訊ねると、妹のミルクは笑って頷いた。
「うん、あたしのこと。久々に会ったから遊びたくなってつい撃ってきちゃった」
てへっ、と可愛らしく舌を突き出す。
改めてまじまじと見ると、彼女は大きく成長していた。後ろで一本に束ねられた見事に艶やかな黒髪、凛々しい目つきはまさしく母さん譲りのもの。しかし、その瞳の中の優しさは父さんを思い出させてくれた。
こんなことするなと叱るべきか、強くなったなと褒めるべきか……思わず、僕が真剣に悩んでしまうと、背後からガシッと肩を掴まれた。
振り返ると、羅刹の表情の真冬が僕を睨みつけている。
「ねぇ、どういう事? この子は?」
「ああ……こいつは僕の従妹で、今は戸籍上、妹になっている溝口海松久。海松色のミルに、久しいのクで、ミルクと読むんだ。どうも派遣されてきたのはこいつらしい」
「……この子の挨拶は銃をぶっ放す事なの……?」
明らかに苛立っている様子で真冬は僕を強く睨める。
そう言われても……。僕が思わず困っていると、すっとミルクが僕と真冬の間にさりげなく身体を挟ませて真冬に微笑みかけた。
「こんにちは、真冬さん。噂はかねがね。第三八独立部隊近接攻撃を担当し、遊撃手として前線で活躍中だとか。拳銃を扱う近接戦闘、中距離狙撃、多彩な武器の使用においては学園で素晴らしき成績を修めたとのこと」
「え、ええ……」
突然、ステータスを並べられて思わず狼狽える真冬。その瞳をミルクは真っ直ぐ見つめて突然温度を無くした冷たい声で告げる。
「不合格」
「は?」
「先程の戦闘では近接戦闘では満足に成果を発揮できず、中距離射撃はなかなかの腕前を見せるものの、この部隊に置ける狙撃兵及び衛生兵の存在を守るような配置を見せない。こんなんで兄様を守ろうという方が厚かましい。とっとと去りなさい、女狐」
「ま、まぁまぁ、ミルクちゃん」
緋月が見かねて取りなすが、逆にミルクはそちらに矛先を向けた。
「榊原緋月准尉、貴方は戦闘能力はあるものの基本的に各自に判断を任せる手法で独断専行に走った。ここで狙撃兵や衛生兵が狙われたら誰が守るのか。そこの指示を行えない指揮官は、部下を守れない。貴方なんかが指揮官で兄様はよく今まで生き延びていられたものです」
ミルクは言葉を挟ませず毒を吐くが、そこで初めて言葉を詰まらせる。
「……ですが、そこの蒼い髪の貴方は……エクセレントです。武装がない状態で飛び出したのはあまりよろしくありませんでしたが、切り結び方、力の流し方は素晴らしかった。貴方なら兄様を任せられる」
そういうミルクの視線の先には未だに僕の軍刀を構えている紅葉の姿があった。彼女は僕を庇うように立っている……気がする。
紅葉はその言葉を受けて慇懃に礼をする。それでも警戒は絶たない。
その様子を見て、ミルクは感嘆したような表情を見せた。
一方、緋月と真冬はショックを受けたような顔をしており、葉桜に関しては状況を掴みかねておろおろとしている。
「……まぁ、とりあえず、だ」
僕は咳払いして一同に言う。
「部屋に戻ってから話そうか」
「ミルクは紅茶で良かったよな?」
「うん、ありがと」
僕が全員を席に着かせてお茶を給仕すると、緋月の隣に腰を下ろしながら息をついた。
「で、まさかミルクが来るとは思わなかったけど……」
「うん、あたしから志願したの」
ミルクは紅葉と葉桜に挟まれるようにソファーに座って紅茶を啜る。ノンシュガーだが、彼女は平然と飲んでいる。随分大人になったものだ。
僕は妹の成長を嬉しく思いながら、僕もティーカップを口に運んだ。
「……ええと、それでミルクさん、でしたっけ?」
葉桜は珈琲に角砂糖を何個か投入しながら恐る恐るといった様子で訊ねる。
「ええ、ミルクよ」
ミルクは不遜な態度で言うと、葉桜はびくっと怯えたように肩を跳ねさせた。
僕は呆れながら身を乗り出してミルクの頭を押さえつけた。
「こら。一応、年長者で軍の人間だ。少しは敬意を払え」
「払う必要があるの?」
ミルクは悪戯っぽく笑いながら懐から何かを取り出す。あれは……身分証明書だ。僕は受け取って開いてみると、そこには『溝口海松久』という字と『中尉』の字があった。
「……中尉っ!?」
「そ、兄様とお揃いだよっ」
ミルクは嬉しそうに言うが、一拍置いてばつの悪そうな表情を浮かべてぺろっと舌を出した。
「……ていうのは冗談。兄様の方がやっぱり上だよ」
「あ……ああ、そうだよな、そうじゃなきゃおかしい」
僕はほっとしながらその身分証明書を返す。こんな早く昇級できるのは明らかにおかしい。戦時中の特攻隊並みの出世スピードだ。
すると、ミルクはその身分証明書を受け取ると代わりにと言わんばかりに封筒を差し出してきた。あまり薄くはない。
僕はそれを受け取って宛先を見ると、『溝口葵』、つまりは自分宛に書かれていた。しかも封筒には軍部の刻印までされている。
怪訝に思いながら、その封筒を開けて中に入っていた紙を取り出して眺めてみた。
『溝口葵中尉を現時点より大尉に昇級させる』
「……は?」
思わず僕は視線をミルクに移すと、彼女は嬉しそうにパチパチと手を叩いた。
「おめでと、兄様っ」
「え、いや、何で?」
「これまでの活躍が認められたんじゃない? 私がこっちに来る時には榊原中佐の推薦でもうすでに決まっていたことだし」
「……マジでか」
僕は封筒の中をさらに漁ると、そこから新しい身分証明書が出て来た。開いてみると自分の氏名の横に『大尉』と金文字が躍っている。
「……私はないのかっ!」
緋月が憤るが、ミルクは笑って頷いてみせる。
「はい、全く。今より貴方の上司はあたしね」
「……う゛」
濁った声を出してテーブルに突っ伏す緋月。あなわびし。
しかし、ミルクが中尉であるというのは嘘でなかったか……。ここいらで仲裁を入れないと危ないかな。僕はそう判断すると、辺りを見渡して告げる。
「まぁ、有り難い増援が入ったんだ。これから軍の再編も考え直さないといけないな。とりあえず、当面の間は緋月が軍の指揮を執り、僕がそれを援護する形を続ける。良いね? ミルク」
「……まぁ、兄様がそう言うなら、あたしはそれに従う」
ミルクは若干不服そうだが頷いてくれる。緋月はガバッと勢いよく身を起こすとカクカクと猛烈に頷いている。これなら大丈夫そうだ。
「じゃあ、とりあえず今は解散だ。疲れただろうから飯を作るよ。ちょっと待っていて」
僕はそう断ると、席を立った。
そして台所に入ると思わず頭を押さえて呻き声を細く漏らした。
「一体、何でミルクが電撃昇進しているんだ……?」




