宿舎の騒動-3
その一撃に反応できたのは奇跡に近い。
咄嗟に身体を逸らして肩に向けて投げられた槍をすれすれでかわす。
「やべぇ……」
思わず苦笑する僕。
体勢を立て直しながら今更ながらに冷や汗を垂らした。
自分が踏み込んで早々の投擲。もはや、踏み込むと確信した上の攻撃だ。紅葉の筋肉の僅かな変化に気付かなければ一瞬で腕は吹き飛んでいただろう。
駄目だ。彼女は生粋からの工作員。狙撃兵では敵うはずはない。
新庄の援護が望めない今は、このベレッタの狙撃に頼るしかない……が、もしこの薬品に引火した場合を考えるとぞっとする。
紅葉の瞳はすでに生気がない。欲望に従って獲物を突き出す、鬼人だ。
やはり、彼女の目的は『国のため』もしくは『殺戮』……?
その瞬間、彼女の腕が一閃された。
脇に落ちていた新庄の靴を何故か壁に向かって投擲……否!
咄嗟にバックステップを踏むと、一拍後には自分の立っていた場所に壁で跳ね返った新庄の靴が突き刺さっていた。
軍用の靴は靴底に鉄板とナイフ、そして蹴りの威力を強める細工がしてある。当たったら単純な骨折ではすまなかっただろう。
反射角を利用しての攻撃。まさかここまで……。
だが、紅葉の行動はさらに僕の想定の上を越えていた。
投げると同時に地を蹴っていたのだろう、僕に接近しながら天に手を翳し……ぱしり、と宙から降ってくる何かをつかみ取った。
あれは……部屋の壁際に置いてあったスタンド!
途中で寸断されたそれは本来の上半分しかない。どうやら、先程の新庄の靴で切り飛ばしたらしい。ここまで計算していたのか!
そのスタンドは切断面は鋭く、槍の機能を果たしそうだ。
しかも金属なので下手にベレッタで切り結べない!
「くっ……!」
止める手段を探して一瞬で覚悟を決める。
右手でぐっと銃剣を掴み、左手を槍の進路を翳す。
左手を捨てる捨て身のカウンターだ。紅葉の一撃が左手に決まった瞬間に、カウンターを決める!
「…………!」
その瞬間、紅葉の瞳孔が僅かに揺れた、ように見えた。
それと同時に紅葉は強く踏み込む。それは自分の心臓をめがけ……否、右肩だ!
僕は左手を捨てたカウンターを諦め、半身を逸らしてその一撃をかわす。そして、脇を突きの勢いで通り抜けようとする回し蹴りを放つ。
だが、所詮は狙撃兵の付け焼き刃の格闘技、すぐに反転した紅葉の交差した腕で受け止められる。
しかし、全体重を乗せた蹴りは重い。紅葉は体勢を崩す。
その体勢を崩した紅葉に反射的に銃口を向ける。が、気化した薬品のことが頭によぎり、撃てない。
その一瞬の躊躇が命取りであった。紅葉はすぐさま体勢を立て直すと、即席の槍を自分の足に向けて投擲する。
「くっ……!」
銃剣では、弾けない。
僕はすぐさま後退して槍をかわすとその一瞬の間に紅葉は地を蹴った。
肉迫……させないっ!
一瞬の苦渋の決断、僕はベレッタを彼女の顔めがけて投擲した。
紅葉はベレッタを手で払い除ける。その一瞬の視線が手で遮られた瞬間に僕は身体を低くし、地を蹴り飛ばす。
ベレッタを払い除けた紅葉は僕の姿を見失い、視線を彷徨わせる。その間に、僕は拳を構えて彼女の間合いへと侵入しようと駆ける。
が、その間合いに侵入するほんの一瞬前、彼女のその虚ろな双眸は僕を捉えた。
それと同時に鋭く彼女の足が上がる。
「ああ……」
思わず声が漏れる。
気付いてしまった。
負けた。
間合いに侵入しきった瞬間、彼女の足は僕の脳髄を抉る。
完敗、きっと痛みもない即死だろう。
今更、この行動をキャンセルすることも出来るはずがない。彼女の懐へ飛び込んだ僕の上からは緩やかにしなやかな足が鞭のようにしなって振り下ろされる……。
「…………ッ!」
刹那、紅葉の瞳は揺らめいた。
頬を風が打つ。そう自覚した瞬間、僕の身体は動いていた。
彼女の間合いで強く足を踏みしめると同時に、ベクトルを渾身の力で真上の方向へと転換、拳を開いてその掌底を紅葉の顎へと放つ。
紅葉はぐっと身を逸らしてかわそうとする。だが間に合わない。
強い一撃が彼女の顎へ打ち込まれた。
彼女はその一撃で宙を舞う。だが、逸らした瞬間、衝撃を受け流したのだろう、くるりと宙で一回転して床に着地する。だが、足下はわずかに揺らいでいる。軽く脳震盪が起きているようだ。
仕損じた。
だが、僕の心の中には悔しさなどはなく、疑問が締めていた。
何故、彼女の蹴りは突然、逸れて僕の横へと突き刺さったんだ? 何故、行動をキャンセルした?
彼女の行動が『国のため』もしくは『殺戮』、それに類するものであれば間違いなく僕を殺しに来ていた……。
いや待て。
何故、僕がここまで戦えているんだ?
新庄は緋月に次ぐ肉弾戦の実力者だ。そんな彼が一瞬で倒れたのに?
その瞬間、脳裏に今までの彼女の攻撃が走り抜けた。
「ああ……なるほど」
僕は思わず息をつく。その行為を隙と捉えたか。紅葉は地を蹴る。
一瞬の肉迫。紅葉は手刀を構え、僕の首を狙った。その速度、重みは真っ直ぐ飛び込んでくれば間違いなく僕の首をへし折る。
僕は咄嗟に防御しようとして、苦笑する。
ああ、そうだ、僕の仕事は。
その瞬間、ぴたりと彼女の手刀は止まる。
「信じていたよ。紅葉」
僕はそう微笑むと、懐から注射器を取りだして素早く彼女の首筋に突き刺した。
ハヤブサです。
本日は自分の大変苦手な戦闘シーンでございました。
皆さんが楽しんで頂けたか、あまり自信がありません。
これからも精進していきたい所ですねぇ……はい。




