宿舎の騒動-2
「ぐっ……!」
紅葉の身体に薬品がぶち当たる。その光景を目にしながらも、僕は最善の行動へと選択肢をまとめていた。
紅葉は工作員、新庄は下、葉桜は精神障害……!
階下の新庄へ目配せし、右手で『受け止めろ』と合図を送ると、左手で薬品をもろに浴びた紅葉の身体を掴んで階下に引きずり降ろした。
そしてすぐに息を止めて部屋の中に飛び込む。
薬品に蝕まれた身体は想像以上に動きが鈍い。だが、葉桜も同じであった。
すぐさま、肉迫し、首に手刀を降ろして意識を刈るとその身体を抱えてすぐに部屋を飛び出し、その勢いで階下まで飛び降りた。
「ぐっ……!」
葉桜を抱きかかえて背中からソファーへ着地。ずしんと鈍い衝撃が身体に走る。
だが、気にしてはいられない。すぐにソファーをまさぐり、隠し収納から緊急酸素マスクを二つ取り出すと、葉桜に装着、そして自分にも装着して大きく深呼吸した。
よし……。手足の感覚もまだある。意識もまだはっきりしている。多少、もやはかかっているが通常戦闘には問題ない。
「溝口ッ!」
その瞬間、鋭い叫び声が鼓膜を震わした。
咄嗟に葉桜を抱えてソファーを蹴って飛ぶ。その瞬間、ソファーに何かが突き刺さった。
部屋にあったモップだ。体勢を立て直しながら視線を走らせると、部屋の中央で新庄と紅葉が対峙していた。
紅葉の目は正気ではない。薬を受けて皮膚から犯されてしまったらしい。
「新庄、無事か!」
「ああ……今はまだ、な」
新庄は僕らを背後に庇うようにして答える。
今、対峙している図としては、玄関側が紅葉、逆サイドが新庄及び僕らである。紅葉の手には先程のモップで即席に造ったのだろう、槍が手にある。
新庄はちらっとこちらに視線を寄越す。構えはそのままだ。
「見崎は無事か」
「ああ、何とかな」
「八重は意識レベルはもはやないと考えて良い。どれだけすげえ薬を作ったんだがな。しかし、こうなると俺だけで何とか出来るか……」
新庄は冷静な分析を言う。その頬には切り傷が出来ているのが視認できた。もう傷口から気化した薬品が入り込んでいるのだろう。換気扇の効果もまだまだだ。状況としては絶望的だ。
だが、ここでこの人間で収めておきたい。
葉桜が責任に問われるようなことは避けたいからだ。これは庇護者としての義務……。
「悪いが、新庄、少し時間が稼げるか」
「……出来なくはない。貸しは大きいがな」
「僅かだ。葉桜を廊下に出して拳銃を手にするだけの時間だ。銃剣さえあれば、僕でも戦える。」
「……ここの非常武器は拳銃のみだろうが。携帯用銃剣だけの武装で貴様が上手く戦えるのか?」
「舐めるなよ。新庄准尉」
「……了解した。溝口中尉」
戦場で培った絆は、強く、太い。
一瞬の目配せと同時に僕は動いた。
葉桜を背負って地面を蹴る。その瞬間に、紅葉は動いた。
部屋の隅にあった屑籠を掴んで正確に自分の方向へと投擲する。それを新庄はベルトから抜いたダガーで撃墜する。
それによって新庄の身体に大きく隙が出来た。そこに紅葉は反応する。
とっ、という軽い音。だが、その音に見合わない程、素早く、宙を滑っているかのように新庄へと肉迫する。新庄は咄嗟に袖に隠していたと思しきダガーで切り結ぶ。
その動きに瞠目しながらも彼女を抜くことに成功、半ば乱暴に葉桜を廊下に放り投げる、それと同時に玄関の扉のドアノブに手を掛けた。
そしてそこに隠された携帯銃剣を引き抜く。続けざまに下駄箱に飛びついてそこに隠してあったベレッタを引き抜いた。
すぐにそれを装着しながら振り返ると同時に、何かがこちらに吹き飛んできた。
咄嗟に僕は受け止める。が、それはずっしりと重く、受け流すように地面に柔らかく着地させてやるのが限界であった。
「くっ……」
その地面にうずくまる姿は、まさに男性の巨体……新庄のものである。
「まさかここまでとは……即席の武器でここまで戦うとは……」
「無事か、新庄」
「まぁな……急所は避けたが……一本背負いをしこたま喰らって……ぐっ……」
新庄は立ち上がろうとするが膝が笑っている。薬が効き始めているらしい。
彼はもう戦えない。僕はそう判断すると、肩に手を当てて笑った。
「大丈夫だ。あとは任せろ」
「……悪い」
そして、僕はベレッタに装着した銃剣を構える。
このガスが着火性であるものも有り得る。発砲は避けねばならない。新庄は先程、切り結んでいたが、あれはモップが木製だったから大丈夫だっただけである。
「……さて、紅葉」
このガスが、欲望を掻き立てる麻薬のようなものであるのなら。
目の前の彼女の願望、欲望がそれに露見しているはずだ。
それを受け止めるのが。
「室長の役目だよなぁ……」
僕は苦笑する。それと同時に地を蹴った。
 




