信頼と絆の紡ぐ覇道―6
◇
溝口葵が榊原緋月の料理コーチを引き受けるようになってから数週間が経った。
俺が見て居続ける限り、葵の頬は徐々にこけ続けているようになった。二週間前ふと思いつき、悪戯半分の彼の写真を撮ったが。
「おい、溝口、お前痩せすぎだぞ」
「い、いや、新庄、分かっているんだが……」
抗弁する彼の目の前に、無言で俺は写メと鏡を突きだす。彼はまじまじとそれを眺めていたが、やがて苦笑して言った。
「イケメンになったかな。僕」
「イケメンを通り過ぎて、ツタンカーメンになるぞ」
「洒落が下手だな。新庄は」
洒落でもねえぞ。
俺はため息交じりに目の前の葵を見下ろす。彼は保健室のベッドで横たわっていた。
異変に気付いたのは軍事演習の授業。機関銃を抱いてふらふらし、挙句、誤発しそうになっているのを見て俺は先生にチクり、こうして保健室へ引っ張ってきたのだった。
保健室の先生曰く、『劇薬でも飲まない限り、ここまでならない』だそうだ。
俺は脇の椅子に腰を下ろすと、半眼で葵を見据えた。
「とにかく、今日は早退しろ。あのお嬢には俺から言っておく」
「だ、だけど……」
「いいから。お前は主席としての仕事もあるだろうが」
確か、二週間後に兄弟校である、工業学院の文化祭に彼は代表として赴くはずであった。生徒会長と共に。それに、と俺は言葉を継ぎながら唸る。
「ダチがこんなになっているのを見過ごせるはずもねえだろ」
俺が強引にベッドに寝かし付けて踵を返すと、新庄、と背にか細い声がかかった。
信じられないくらいにか細い。振り返れば、葵がどこかすがるような視線で告げた。
「緋月には――言わないでくれ」
「何、だと?」
「彼女のせいでこうなったとは聞かれたくない。足を挫いたとか……そんな理由にしておいてくれ」
――驚いた。ここまで相手を気遣うか?
いや、溝口の血の為せる技、なのか……?
俺は思わず苦笑しながら軽く胸を叩いた。
「そこまで言うなら、任せておけ」
「わりぃな、新庄……」
そこまで言って目を閉じる。すぐに眠ってしまった彼の寝顔は、安堵し切っていた。
と、約束したのは良いけどな……。
俺は内心唸りながら家庭科室の方へと向かっていた。今日もレクチャーする予定で、学院の家庭科室で待ち合わせているそうであった。
榊原と言えば、軍でも名高い将校の一人だ。その娘に喧嘩を売れば、就職が不利になる……。
いや、構うものか。男なら腹を括るときだ。
俺が、溝口葵と仲良くなったのは偶然であった。
最初は興味本位だった。あの噂の、特例で重婚許可を得た溝口家の男がどんなものか。
それだけのつもりで、俺は葵に近づいた。
葵はただ愛想よく笑い、俺に対してもそつなく接してきた。
ただ、へらへら笑っているだけか。
接するうちに、その器の小ささを感じ取って、失望しかけていた。噂程ではないのか、と――。
しかし、たまたま軍事演習のとき、同じチームで行動した際。
敵は先輩たち、熟練の腕前に、当時一年であった俺たちは苦戦を強いられた。むしろ、先輩たちだから負けて当然だと割り切ってしまっていた。
だが。
『軍人を目指しているのじゃないのか』
彼は冷えた視線で見据えて呟いた。その冷徹さに、ぞっとし――同時に気づいた。
『血の一滴まで絞り出して戦う。それが、軍人じゃないのか!』
その瞳に、燃え上がる情熱を感じ取ったのは。
あれには、痺れたなぁ……。
俺は小さく笑いながら、しみじみと頷く。
彼は、瞳の奥に強い熱を宿していた。そして、諦めた仲間が、立ち上がることを信じる器の深さもあった。
俺は、器の大きさを勘違いしていたのだ。
大きすぎる器。それに触れて。
こいつについていこうと決めた。
だからこそ。
「俺が助けなきゃ意味がないだろうが……!」
勇気を振り絞って、家庭科室の扉を引き開ける。
その音を聞きつけたのか、中にいた一人の少女が振り返った。
端正な顔立ちが、わずかに驚きに染まる。榊原緋月だ。
「キミは……?」
「俺は、溝口の友人の新庄だ」
「新庄――ああ、Cクラスで、重装備志願の。キミには手を焼かされた記憶がある」
「そりゃどうも」
俺はそう言葉を返しながら内心で舌を巻いた。
――手を焼かされた? 嘘つけ。
軍事演習の際で、手を合わせたのは二度しかない。だが、その軍事演習も十分で俺たちを戦闘不能へ追いやったのだ。たった一人で。
俺は他の烏合の学生と変わらないはずだ。それでもクラスや志願を言い当てるのはすなわち、めぼしい学生の名前――あるいは、学生全員の情報を記憶しているのだろう。
「溝口は急病で来れなくなった。だから、俺がそれを伝えに来た」
「ふむ……そうか……」
わずかに榊原は顔を伏せさせる。だが、一つ頷くと顔を上げて決然と言った。
「どのみち、今日で終わりにしようと思っていた。まぁ、一日早いが……」
「え?」
思わず耳を疑った。もしや、榊原の料理の壊滅さが、自分でもわかってきたのだろうか……?
そう思考する俺に、榊原は真摯な顔になって真っ直ぐに見つめてきた。
「キミが彼の友人なら――少し、話を聞いてくれないか?」
「……ああ」
少し警戒しながら頷くと、榊原は視線を辺りに巡らせつつ小声で告げた。
「実は――あいつが、殺されるかもしれないんだ」
ハヤブサです。
復活?しました。
大学卒業までには完結させたいな、これ……。




