信頼と絆が紡ぐ覇道―2
「く――結論……捕虜をこちらに収容する代わりに、不戦協定を、取り結びたい――」
五分きっかり経ったそのとき、平田は敗北を認めるように肩を落として告げた。
もう十分な戦果だ。そう思って口を開こうとした刹那、緋月がちらりと優しく制すような視線を向けてきた。
それに思惑を感じて口を閉じると、緋月は一転して冷たい視線を平田にぶつけた。
「へぇ、ずいぶん、甘い譲歩をなさる。こちらは戦覚悟で来ている。その覚悟を踏みにじるとは」
「こ、これ以上何を――」
「賠償金だ」
え、えげつねぇ……。
ここまで搾り取るとは思っていなかった僕は思わず戦慄していると、緋月は淡々と告げた。
「そうだな。日本円換算だとごまかしが利いてしまう故、ドルで支払いを願おう。十億ドルお支払していただきたいところだが、まぁ、さすがにこちらにも半分非はあろう。半分負けるとして、五億ドルで勘弁しよう」
「ふ、ふざけ――」
代理人が激昂して叫びかけるが、緋月が殺気を孕んだ冷たい眼差しを向けると、一転して委縮してしまう。平田は二の句が継げない様子で、口を開いていたが、すぐに思考を取り戻した。
「そ、それは――いや、しかし……だ、だが……」
「結論は」
その相手の内心を知っていながら緋月は傲慢に催促する。
何となく、日清戦争の和平交渉のときの、日本のえげつなさがよく分かる気がした。
平田は逡巡したのちに、掠れた声で、告げる。
「に、四億ドルだ……。それが限界……すぐに、前金として五千万ドルを用意して送らせる……それで……」
勘弁してくれ、と、あろうことか僕に目で懇願してきた。
正直、僕は、まだやったれ、という気分もあったが、さすがにこれ以上は人情に反している気もした。
なので、緋月に目配せすると、彼女は仕方ないなと少し肩を竦めてみせ、僕へ声に出して訊ねる。
「どうしましょうか? 私としては十億ドル要求してもいいぐらいだと思いますが? 大尉」
「いや、元は同じ日本国民なのだ。この程度の罰金で済ませておこう」
「大尉の仰せであらば」
わざとらしく頭を下げる緋月。それにわずかに西国側にはわずかに安堵したようだ。
しかし、判を押すまでは安心できないと、代理人はそそくさと書類を作り上げて提示し、僕たちはそれに同意して調印した。
結論、後の世に言われる、武蔵野条約の内容はこうだ。
・不戦条約の締結。
・賠償金三億ドルの支払い。
・武蔵野台地の割譲。
ちなみに一億ドル分の譲歩は、領土の割譲という条件で認めた。これによってもはや、要害は孤高でなくなるのだが、それはまた別の話だ。
「それじゃ、紅葉――達者でな」
「ん……」
締結ののち、捕虜の返還として紅葉はそのまま西国へ身柄が移ることとなった。わずかに寂しそうに目を伏せる紅葉に、僕は一瞬だけ疼痛が胸を走ったが、彼女はすぐに踵を返した。
そして、憔悴しきった西国の一行について撤退していく。
武蔵野台地に兵を配置していたのか、野に隠れていた兵たちも引き上げていくのを見て、僕と緋月は顔を見合わせて安堵の吐息をついた。
振り返る背後には――一切、伏兵などは存在しない。
否、一応最低限度は存在したのだが、西国ほど大規模に伏せてはいないのだ。
何故なら――。
「孤高の要害のほぼ全兵力を、アメリカ軍に偽装して遠くから来させたから――なんて」
「無茶苦茶、だったか?」
僕が呆れて告げると、緋月も苦笑を向けてきた。
かなりの大博打だった。もし、緋月の挑発に乗って平田が戦争を決断していたら、負けていたのは実はこちら側だったのだ。
緋月がやったことは、まさに、ポーカーで役なしの手札でハッタリを噛まし通した、ということだ。
彼女らしいけど……。
「さすがに、ひやひやしたぞ」
僕はライフルを担いで踵を返すと、緋月も僕の隣に並んで歩きながら、長い髪の毛を払って笑う。
「まぁな、私だって胆を冷やしていたさ。でも、それより怖いことがあったからな。突っ張れた」
「突っ張るどころか、レイズしていったけどな」
茶化しながら、はて、と小首を傾げる。
怖いものなしの名参謀、榊原緋月准尉に、何か怖いことでもあるのだろうか。
その疑問を込めて、緋月の横顔を見やると、彼女はわずかに視線を泳がせていたが、ぼそり、と小さく呟いた。
「怖かったのは、お前を失うことだよ……」
「あ……」
思わず足を止めると、緋月も足を止めてあらん方向を向く。だが、真っ赤に染まった耳だけは如実に見えた。
途絶えた会話。妙に言葉を続けるのが気まずい。
けど、その距離はいつだって近い。何故なら、僕と彼女の関係は、固い絆に結ばれた相棒同士――。
でも、本当にそれだけなのか?
僕は少し躊躇いを感じながらも、その背中に小さく声をかけた。
「緋月」
「ん」
わずかにあった反応。それをこじ開けるように、僕は近づきながら囁いた。
「こっち向いて」
「……ん……」
緋月は間近の僕の言葉を、受け入れて徐々にこちらを向く。
薄桃色に染まった頬。それは気丈な彼女から考えられないほど可憐で。そして、こちらを視界に捉えた瞳は、何よりも熱く潤んでいて――。
「溝口いいいいい! 大丈夫かああああああ!?」
刹那、僕と緋月は飛び退くようにして距離を取った。
直後、轟音を立てて荒野の物陰から軍用車両が駆けてくるのが見える。その運転席には新庄が荒っぽいハンドル捌きで運転しているのが見えた。
何とも言えない気分で、僕はそれを眺めていると、新庄は素早く僕たちの方へ車を停めて息を荒げながら訊ねる。
「おう、溝口! 大丈夫か!」
「ああ、大丈夫だ」
「それよか、新庄准尉」
ふと、緋月がにっこりと不自然までに満面の笑みを浮かべる。心なしか、その背後に湯気が立ち上っているようにも見える。
その不気味な迫力に新庄が気圧されながら、お、おう、と応えると彼女は太もものホルスターから拳銃を取り出して可愛らしく微笑む。その瞳は、底知れず暗く、残酷な何かを秘めて告げていた。
「邪魔者は、馬に蹴られて死ぬといいって、知っているか?」
「あ、あはは……馬は、いない、ぞ?」
新庄に引きつり笑いに対して、その拳銃――デザートイーグルを突きつけながらにっこりと。
「じゃあ弾丸に撥ねられて死ねっ」
死刑を宣告して、引き金を引く。
刹那、新庄の野太い悲鳴が武蔵野台地に響き渡った。




