あきらかな紅葉にあきみちる―2
「もう秋だなぁ、葵」
「そうだな、空也」
その日、僕の部屋に空也が訪れてきたのは、訓練の数日後、御所の木々が赤く染まり始めてきた頃だった。せっかくなので窓際に椅子を置いて外を眺めていると、空也はにやりと口元を笑って見せた。
「なんだ、義兄様って呼んでくれないのか?」
「何ですって?」
「義兄様?」
じゃき、じゃき。
「お前ら仲良すぎだろ!? 御揃いのベレ出しやがって!?」
僕と紅葉が突き出したベレッタの射線から慌てて逃げる空也。紅葉はわずかに呆れた様子ではあったが、すぐに銃を収めながら義兄に一礼する。
「いらっしゃい。義兄様」
そういう紅葉は、薄い青色のブラウスに濃紺のスカートを身に着け、肩には緩く絹のようなショールを羽織っている。今はフリルのあしらわれた純白のエプロンをしているのでメイドさんのようだ。
その様子を見て、空也はにやりと口元に意地の悪い笑みを浮かべる。
「おう、すっかり乙女らしくなって」
「……どうも。お茶のご用意をしてくる」
素っ気なく紅葉は言うと、踵を返す。空也はやれやれと肩を竦める。
「全く素敵な恋人が出来たってのに、あの仏頂面は変わらんのか」
「ん? いや、照れていたじゃん。紅葉」
「は? あ、いや確かに返答が一瞬遅れていたが……」
それだけじゃない。素っ気ないのはある一種の照れ隠しだし、何より若干、頬が赤かった。
僕がそう解説すると、空也は呆れたように目を剥いて見せた。
「――ったく、ラブラブだなぁおい。妬けてくるぜ」
「はは、それほどでもないさ」
「――ったく」
僕の返しに空也は苦笑いを見せて首を振る。そして、息をつくと僕に視線を向けて訊ねる。
「んで? 話があるっていうから来たけど?」
「ああ……その件だけど、そろそろ第一首都〈神戸〉に赴くべきじゃないか……と思ってな」
「……そっちからその話を切り出してきたか。まぁ、頃合いだとは思ったが」
空也がわずかに驚いたように目を見開いたが、次の瞬間には不敵に笑っている。
「良いぜ。いずれにせよ、そろそろ葵を神戸に向かわせようと説得するつもりだったんだ。上からもせっつかれていたしな」
「へぇ、空也が守ってくれていたのか?」
「一応な。葵が本調子じゃないって言って誤魔化しておいたんだ。親父も結構、権限のある立場だからな」
空也は何でもなさそうに告げる。だが、管理職であった緋月を見ている僕からするとよく分かる。面倒くさい立ち回りをしていたのだろう。
「――ありがとうな」
「んん」
僕が小さく礼を言うと、空也は咳払いをして若干視線を逸らしながら告げる。
「まぁ、セッティングできるのは三週間後、だろうな。向こうの都合、交通手段の確保、警備などなど……暗殺などされたらたまらないしな」
「そんな狙われるか? 僕」
まぁ、確かに僕が殺されたら東国はこれを理由に再び攻め入りかねない。
好戦的な両国の要人は暗殺に動きかねないが……そんな表立って動くだろうか?
「……ふむ」
そんな僕の反応を見てだろうか。少し空也はいぶかしげに首を傾げ、丁度、お茶を持ってきた紅葉の方へ視線を向ける。
「紅葉、例の件はまだ、葵に言っていないのか?」
「例の件?」
「ほれ、葵を空輸中の」
「……あぁ」
紅葉はその言葉でわずかに顔を曇らせる。そして、僕と空也に湯飲みを手渡しながら首を振って見せた。
空輸中? 何かあったのか?
僕が小首を傾げると、空也は険しい視線を紅葉に向けながら紅葉へ諭すように告げる。
「忘れていたのか? なら、今、言え」
「でも……」
戸惑いの視線を僕に向けてくる紅葉。その瞳にどこか小さな子猫のような、怯えの走ったものがある。
僕はなだめるように笑いかけながら、努めて穏やかに言葉をかける。
「言いたくないなら言わなくていい。けど――」
「言えるようなことなら言った方が良い。お前らはお互いに信頼しているんだろ?」
空也が押し切るように力強い声できっぱり言う。
紅葉はもじもじとスカートを握りしめていたが、義兄の言葉に背を押されたのか、決然とした目の光を見せると僕をまっすぐに見つめて告げた。
「実は――葵を輸送中に、真冬が飛行機に潜入してきた。曰く――東国連合で葵の暗殺指令が降りた、と。私は彼女と戦い、排除した」
「殺したのか?」
「――飛行機から落としただけ。多分、彼女のことだから死んではいない」
「だろうな」
彼女のことだ。脳天でも撃ちぬかない限り死なない。
僕は顎に手を当ててわずかに思考し、紅葉に視線を向けてさらに質問を重ねる。
「もしかして、僕が眠ってしまったのは……紅葉が薬を盛ったからか?」
「……うん」
紅葉は消え入りそうな声を発する。僕はなるほど、と納得して腕を組む。
「ま、確かに真冬のことだからそういうことをしかねないのは知っているけど。言ってくれれば、その場で僕も援護に回っていた。何で一人でこう抱え込むんだが」
「仕方ねえだろ、まだ葵が西国に寝返った直後だったんだ。真冬に連れて行かれないか心配だったんだよ。紅葉は」
空也が軽口を叩いて笑って見せる。僕がやれやれと肩を竦めていると、紅葉は驚いたように目を見開いて僕に近づきながら訊ねる。
「――咎め、ないの?」
「真冬を撃退したのは最良の判断だ。独断でやったことを責めることはしないし、報告しなかったのはある意味、僕を鑑みてくれたことの結果だろう。それよりも、咎めるべき点は」
僕は腰を一瞬浮かせると、紅葉の手を掴んでぐっと引き寄せる。
「――っ!?」
目を見開いた紅葉は体勢を崩して僕の方へ倒れ込んでしまう。僕はそれを受け止めて椅子に座りなおしながら、間近の紅葉の額をびしっと指で弾いて告げる。
「僕に薬を盛ったこと。ひいては、信じなかったこと。それがダメ。僕って、そんなに信頼ないかな?」
「ん……っ!」
ふるふると一心不乱に首を振る紅葉。僕はそれを愛おしく思いながら、その身体を持ち上げて僕の膝の上に載せて、顔を向かい合わせる。
「なら今度から改める。いいね? 紅葉」
「ん……!」
こくこくと一心不乱に首を縦に振る。そして紅葉は安堵したのか、僕の身体に抱きついてきた。
よしよしとその背中を撫でながら、空也に視線を投げかけると彼はうへぇというお腹いっぱいそうな顔をしていた。
「見せつけてくれるなぁ、おい。お邪魔か?」
「いや。とにかく、日取りだけは決めておかないと。出方次第では交渉になるだろうし」
「つっても葵の処遇に関してだろ? 何か交渉することあんの?」
「ああ」
僕は肩の辺りに顔を擦りつけてくる猫のような紅葉をそっと撫でながら、その蒼い髪に顔を埋めてからその言葉を告げる。
「紅葉と添い遂げられるように、談判せねば」
「……あおい、ぃ」
空也はさらにうへぇという顔をした。
それほどに紅葉の声は蕩け切っていた。ほのかに上気した顔を僕に見せて、緩んだ笑顔を見せてくれる。その愛おしさに、ぐっと胸が衝かれるような想いが込み上げる。
無表情な彼女が無防備になると、こんな愛おしいものなのか。
その顔を空也に見せたくなくて、僕は彼女の頭を抱きかかえると空也に申し訳なく言った。
「ごめん、空也。邪魔だわ」
「だろーな。すぐに出ていくわ。とりあえず、資料だけは置いていくし」
付き合ってらんねー、と言わんばかりに空也はがしがしと頭を掻きながら席を立つ。そして持ってきていたカバンから資料を取り出すと、机に投げ出してからそそくさと部屋を辞退する。
「じゃあな」
その言葉と同時に響く、バタンという扉が響いた瞬間。
紅葉の身体がぐっと僕の身体を押し倒していた。




