裏切りと秋風のロンド―1
「僕の選択は……」
そこで一旦、口を閉ざし、自分の心の内に反問する。
これで、本当にいいのだろうか。
これは……この選択は、本当に、正しいのか。
「……葵?」
ふと、怪訝そうに目の前の仇が眉を寄せる。衝動的にその口にライフルを突っ込みたいのを堪えながら、深く息を吸い込む。
そうだ。彼女と相談したんだ。その結果で、これであるなら。
これがきっと最善なんだ。
信じろ。ずっと信じてきたじゃないか。
一時の憎しみで、大局を逃すな。
僕が息をもう一度吸い込み、そして一気に吐き出すと同時に、目の前の男を見据えて告げた。
「その提案を、受けよう」
「……ほう、そう、判断してきたんだね」
平田雅典は、わずかに嬉しそうな笑みを見せると、僕へと手を伸ばす。しかし、僕は一歩後ずさりながら、固い声で告げる。
「勘違いしないでください。同胞を守るための、やむを得ない判断です。決して、家族を殺したお前たちを許したわけでは、ありません」
「……うん、それでいいかな」
平田は困ったように小首を傾げて告げる。そして、紙切れを僕に差し出した。
国連が調印している、停戦協定書だ。これに違反した場合、国際連合から制裁が加えられることとなる。無期限停戦。見たところ、抜け穴もない。
僕はそれを確認すると、平田は合わせてペンを差し出した。
「サインして。使者としてのサインがあれば、暫定の効果がある。もちろん、全権代理人がサインしなければ、本格的な効果はないけどね。ただ、東国連合としては、断る道理はないだろう?」
「でしょう、ね」
認めたくはないが、その通りである。僕は不承不承頷くと、その用紙に正使としてサインを示した。
そして、インカムで停戦協定が結ばれたことを後方部隊に告げるとほぼ同時に、一台のバイクが轟音を立てて接近してくる。
全て、打ち合わせ通りだ。彼女との。
僕は一つ頷きながら、その傍らへと速度を落としながら近づくバイトに乗る少女を見据えた。
感情を表に出さぬ、淡々とした仕草と表情。美しい肌に似合わぬ、蒼天の色をした髪の毛。腰に差した柳葉刀。そしてむき出しになった腕に書かれた八重桜の入れ墨。
「や、紅葉」
「……ん」
やや素っ気ない仕草で頷く紅葉。だが、その表情はどこか緩んでいるようにも見える。
続いて平田と僕の要請で各国から車が一台ずつ呼び出された。東国側から来た車に誓書と平田雅典を引き渡すと、運転手に小声で話しかけた。
「こちらは取引通り、西国へと向かう。何かあれば連絡する。緋月には、信じていろ、と伝えてくれ」
「はっ」
運転手は敬礼して車を発進させる。それを見守ってから、西国から来た車の方へと向かう。
そこにあったのは軍用のジープ。そして、そこのハンドルにもたれかかるようにして運転手の青年が屈託のない笑みを見せた。癖っ毛なのか、跳ねた茶髪が風に揺れている。
「待っていたぜ。紅葉」
「……義兄様」
わずかに驚いたように目を見開く紅葉。僕はジープに近づきながら小首を傾げる。
「紅葉にお兄さんは亡くなっているのでは?」
「……これは、義理の、兄」
一言一言アクセントをつけるようにして、紅葉は淡々と語る。彼女はそのジープに近づいて、ひらりとそれに飛び乗ると、僕に手を差し伸べた。
「乗って。不自由はさせないから」
「おう」
紅葉の手を取って、僕はそのジープに這い上がる。僕が後部座席に収まると、紅葉の義兄はゆっくりと車を動かしながら軽い口調で告げる。
「葵サンだったか? まぁ、窮屈なジープだが、寛いでくれや。あんたはお客様だ。幸い、そこに良い枕もあることだし」
「あ、ああ……ん? 枕?」
見渡すが、そんなものはどこにもない。すると、紅葉は無言でがつんと運転席を足で蹴った。
「あたっ!? くそ、紅葉、下品になったな、おい。昔はあんなに大人しくてかわいかったのに」
がすんっ!
「おうぅ!? 行儀わりーぞ。兄ちゃん、泣いちまうぞ! 昔はあんなに」
ごすんっ!
「はうぅ!? いや、今のは冗談ならんって!? お兄ちゃん、確かに足技を教えたけど、そんなに……」
どごんっ!
「おおおおお!? これ、俺のジープなんだけど!? 運転席に完全ヒビ入っているんだけど!?」
確かに紅葉の足技はえぐかった気も。
そんなことを考えていると、紅葉の蹴りがだんだん洒落にならなくなってきて、運転席の後ろがめり込んでいっていた。
「紅葉」
僕がたしなめるように名前を呼ぶと、不意に紅葉は振り上げた足をぴたりと止めて、ちらりとこちらを見る。しゅんとして、足を引っ込めながらその場に縮こまる。
まるで、怒られたかのような、いや、叱られる子犬のような感じだ。
僕の一言で動きを止めた紅葉に、義兄はほう、と感心したような声を上げた。
「すっかり飼いならされて……痛っ!? お前、もしかして座席越しに発砲しやがった!?」
「……ふん」
紅葉は鼻を鳴らしながら拳銃を懐にしまう。そして、ちらりとこちらに視線をくれると、わずかに顔を背けながら自身の膝に手を置いて小さく呟く。
「使う?」
……なるほど、枕とは、そういうことか。
僕は苦笑して手を振って断ると、紅葉は、そう、と呟いて視線を逸らせる。その横顔が少し寂しそうに見えたのは……気のせいかな?
「葵クンもなかなかやるねぇ。あ、俺の名前は秋風空也。お兄ちゃんって呼んでも良いぜ」
「空也、さんですか」
「はは、あまり気張らなくてもいいさ……つっても、無理か」
豪快に頭を掻いて笑う青年。どうも、人懐っこい感じで、新庄を髣髴させる。
そうこうしている間に、辺りにはさまざまな軍用車が囲んでいく。どうやら、西国は交渉が決裂する可能性を考慮して大量の兵を伏していたらしい。その数、恐らく要害に待機する兵士の十倍以上はある。
まともにぶつかっていたら、間違いなく、要害は窮地に陥っていた。
「悪いな。だまし討ちするつもりはなかったけど、備えあれば憂いなし、ってな」
「いや、これぐらいはします。分かっていることです」
「なら、いいや。ここから、旧地名でいえば、山梨の富士山麓まで行くぜ。そこは龍牢関っつー関所で、そこから西は地陸変動の影響で海になっている。そこで飛行船に乗り換えて第一首都〈神戸〉まで向かうぜ」
「そんなしゃべって良いのですか?」
「紅葉がそんなになついているんだろ? だったら、疑う余地はねえし。あ、あと、敬語なしでいいから」
秋風空也は何でもなさげに語る。だが、その言葉の端々には、紅葉に対した信頼が見え隠れしていた。
さすが、義兄、か。
僕は少し感心して見つめると、紅葉はふぅと一つ息をついて僕を見やりながら囁いた。
「何はともあれ……私の独り言を聞いていてくれて、ありがとう。葵」
「さて? 何のことやら」
僕は肩を竦めると、遠く澄んだ空を見上げて目を閉じた。
どこからか秋の風が吹いてくる気がする。
それは、これからの僕の気持ちを表しているような気がした。
新年度です、ハヤブサです。
長い冬が終わり、春風が吹く今日この頃。
このセカイは、長い夏が終わり、秋の季節。
紅葉ルートに参りました。
葵は葛藤の末、紅葉と共に西国へ渡ることを決心。
それによって一時的な停戦を得ることができた、東国と西国。
そして、葵は単身、敵地へと乗り込む。
……何となく一番に楽しみにしていたルートなので、気張っていきたいと思います。
では、頑張っていきましょう!




