宿舎で日常-1
インスタントコーヒーというのは便利だ。
粉末を入れて、お湯を注ぐだけ。お好みでガムシロップ、ミルク、お砂糖をどうぞ。氷で冷やせばアイスコーヒーだ。
正直、インスタントコーヒーのアイスコーヒーは美味いとは言い難いが、何分、便利なのが良い所だ。
僕はインスタントで二つのコーヒーを作ると、その二つのマグを片手で器用に持ち、もう片方の手で戸棚から角砂糖を入った瓶を掴んで簡易キッチンから出た。
「出来たよ」
「ありがと」
居間へと向かうと、そこのソファーで待っていた少女はにっこりと太陽のような笑みを僕に向けてくれた。
簡易キッチンに繋がっている居間は真ん中にガラステーブル、それを挟むように長いソファーが鎮座している。部屋の隅にはとってつけたかのように観葉植物やスタンドなどがある。
そこにあるソファーに座っていた少女に、僕はマグカップを差し出した。少女は笑ったまま頷いてそれを受け取って口に運んだ。
「ん……葵くんのコーヒーは美味しいねぇ」
「そうか?インスタントだぞ?」
机を挟んだ向かいのソファーに僕は腰を下ろすと自分で作り上げたコーヒーを口に運んだ。お世辞にも美味いとは言えない。
「うん、美味しいよ。蛇よりは」
「蛇と比べちゃうかー。てか、蛇美味いぞ」
「腹の中に土がたくさんある蛇だったから」
「そりゃぁ、妖怪土蜘蛛ならぬ、土蛇だったんだなぁ」
「足もあったよー」
「おお、まさにリアル蛇足」
「生で食ったよー」
「……ちょい待ち」
僕は思わず頭を押さえながら言った。そして手を突きだしてストップ、の仕草をする。
「いや、軍事演習サバイバルで蛇を食うのは分かるが……生で?」
「うん、躍り食い」
よく喉を食い破られなかったな。
「あ、ハヴだったよ」
よく毒で死ななかったな。
「三日三晩うなされたねー」
「その程度で済むお前がすげえよ」
僕は頭を抱えていると、少女が呆れ顔で僕の手からすっとマグを抜き取って机の上に置いた。
「だって、私、これでも衛生兵だよ?毒は抜いたし、牙も折ったし、内臓も取ったし、骨も取ったよ」
「それなのに土はあったのか。どういうハヴだゴラ」
僕ががばっと顔を上げて言うと、少女はえへへ、と眩しい笑顔を浮かべて言った。
「私に聞かれても困るよー。班一緒なのって、真冬だったもん」
「あぁ……まぁ、真冬だったらそうなるよな。お前と真冬だったらな」
思わず納得していると、今度は少女は対面からジト目で僕を見てきた。
「……何か?」
「……良いよね。緋月は。葵と一緒で。聞いたよ? ディナーは凄かったそうじゃない。新庄君が捕ってきたカジキマグロで豪華ディナーだったんでしょ?」
「……まぁ、あれは新庄が凄かっただけだがな。でもまぁ……悪い、今度いろいろ御馳走するから。ロブスターとかさ」
「わーい、やったね!」
その途端、少女はまた笑顔になってソファーの上で嬉しそうに飛び跳ねた。それを見ていると、僕も嬉しくなる。よし、腕を振るってやるとするか。
「こんなんで懐柔されるなんて、葵もチョロいね!」
前言撤回。
「やっぱ、テメエ、ザリガニで良いよな」
「え?何、そのランクダウン、ひどいよー!」
少女はマグカップを机に置くとぷんぷんと怒って机をひょいっと飛び越えて僕に飛びかかってきた。が、僕は片手だけでそれを徒手格闘の応用で受け流してソファーに荒っぽく着地させる。
「ひゃっ!」
「こら、衛生兵が前線にいる奴に敵うと思うなよ」
「……狙撃兵のクセに生意気な」
「狙撃兵で悪かったな」
狙撃兵侮辱罪。罰として額にチョップを落としてやる。
「あたっ! わ、私に何の罪あるかあぁ!」
時代劇さながらの剣幕で迫ってくる少女。叩きつけられたままなのでソファーに寝たままだ。故に迫力がない。
「狙撃兵侮辱罪だ」
「そんな罪状いつ出来たんだよー」
「五時間前。緋月に執行した」
「うえっ、二度ネタだった? もしかして」
「うむ」
「ううう、緋月め、やるなぁ……」
むくっと少女は身体を起こすと机に手を伸ばしてマグカップを取る。そしてコーヒーを飲みながらほうぅっと息を吐き出した。
僕はそっちに視線をやってみた。
少女は幼げな風貌で、コクコクとコーヒーを飲み下していた。が、口を離すとうえぇ、と苦そうな表情をした。
「さっきは美味しいとか言っていたのに、苦いのは苦手か?」
僕が言いながら持ってきた角砂糖の瓶を渡すと、少女は唇を尖らせて引ったくるようにそれらを奪って言った。
「仕方ないでしょ! 悪い?」
「全然」
僕は肩を竦めると、片手でコーヒーを飲みながら、空いた手で彼女の頭を撫でた。
さらさらとした亜麻色の髪が、手に心地良い。
亜麻色の髪。幼げな風貌。それは髪の毛を二つに結っていることが手伝っていて。それでいて苦い物が苦手で甘い物が大好き。それは子供のようだけど、衛生兵のときは凛々しくて。綺麗な碧眼に見つめられて精神疾患が治った人間も多々、とか。
そんなことを思いながら少女の頭を撫でていると、少女は掌を押し上げるように上方を見て小首を傾げた。
「何? 葵くん」
「いや、何でもないよ。葉桜」
僕はそう言うと彼女の頭から手を退けてコーヒーを飲みきった。
まだ、葉桜は飲み終わっていない。角砂糖をたくさん入れてかき混ぜる作業に熱中している。
「……帰って来ないな。緋月」
「うん、まだ戦闘中なのかな」
遠い目で葉桜はどこかを見た。遠くの戦友を見ているかのように。
それは儚げで、美しいものであった。
彼女は、見崎葉桜衛生兵。階級は一応、兵長だ。
戦場で、僕と部隊、及び部屋を共にする戦友である。
それには事情があるが、なかなか頼りになる少女である。