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青い死神

優しい悪戯

作者: 悠凪


「あんたなんでそんなにへらへらしてんの?」

「……は?」

 いきなり投げつけられた言葉に、アンリはその極彩の青紫の瞳を丸くして絶句した。

 夕闇の迫る時間にふらりと現世(うつしよ)に現れた死神は、ふと目に付いた少女と目が合うなりそんな事を言われてしまった。頭から足先まですっぽりと闇のような色のローブに身を包み、手にはどんなときも共にある薔薇の蔦の絡みついた、無骨なほどにシンプルな鎌を持っている死神は、今日もそのきっと本来ならば誰もが圧倒されるだろう程整った顔に、ムッとしたような表情を浮かべた。

「なんなの?会っていきなりそんなこと言われる筋合いないんだけど」

 青白い顔をやや憤慨させてアンリは少女を睨むように見下ろした。長身のアンリからかなり下にあるその東洋人らしい瞳が睨みあげてくる。長い睫毛に囲まれたその目自体も、顔立ちもかなりの綺麗な素材なのだが、いかんせん言われた言葉があまりにも無遠慮に感じたアンリは端整な顔を子供のようにふくれさせている。

「それに変な格好しちゃって。おかしい人なの?」

「…………いい加減にしないと、僕だって怒るよ?」

 眉間の皺が一層深くなる。確かに漆黒のローブに大きな鎌を持っているアンリの姿はおかしなものにしか見えないだろうと思う。それ位の自覚はあるつもりだ。でもだからって見知らぬ少女にそんな事を言われるなんて、なけなしの自尊心にも関わる問題のように感じる。

 しかもこの子は……。

「大体、なんで自殺した子が僕の前に現れるのさ」

 自分を鎮めるために、最愛の薔薇の蔦に視線を流しながら、アンリは不機嫌を隠さないまま問うた。

 そう、目の前の失礼極まりない少女は、人間の魂。しかも自殺した魂で、一生常世へもいけない、ただこの現世で永久(とこしえ)の時間を過ごさなければいけない哀れな子だ。

「そんなこと知らないわよ。あんたの方が私の前に現れといて何言ってんの?」

 ふん。と、少女はアンリを小ばかにしたように見るとクスリと笑った。

「そんなことあるわけないでしょ?僕は自殺した子には用はないんだからね」

 ますますぷんぷんと怒り、死神は少女を睨んでベーッと舌を出した。

 アンリは仕事でこの町にやって来た。魂の回収屋である死神は、次々と死に行く人間の魂を回収して常世へと送る。今日の予定の最後であるこの町は、港に近く、潮の香りを含んだ風がアンリの艶やかな黒に近い青の髪をふわりと撫でて通り過ぎていった。

 しかし、やはり納得がいかない。結界を張っていたはずなのに、それでもしっかりと目があった至近距離の少女に開口一番失礼なことを連発されてしまったまま、離れるのもなんとなく癪に触る。アンリはその綺麗な瞳を眇めながら、少女に向かって口を開いた。

「ところで、なんで自殺なんてしたの?」

 見れば見るほど普通に綺麗な子だし、貧富の差の激しいこの国で、身なりだってきっちりとしている。高価だろう生地の民族衣装にこれまたデザインも質も良さげなピアスにネックレスなどの装飾品。手入れの行き届いた長い髪をさらりと下ろしている姿は何不自由なく育ってきたのだと、簡単に想像できる見た目だった。

「そんなこと忘れたわ」

 しかし少女はアンリの問いかけにまったく答える気がないのか、ぷいっと顔を背けてしまった。細い腕を組んで立っている様子に、アンリの目がまた冷えた色を持ってじろっと少女を睨んだ。

「可愛くない子だなぁ」

「可愛くなくて結構よ。あんたにそんな風に思われても逆に困るってモノよ」

 ああ言えばこう言うとはこのことだと、死神が堪忍袋の緒を必死で押さえつけて我慢する。そもそも初対面の子にここまで軽く、しかも失礼に扱われるなんて初めてかもしれない。

「あ、そう。じゃあもういいよ。僕仕事あるから行くね」

 ぷん、と端整な顔を思い切り脹れさせてアンリはその場を離れようとした。黒衣を翻して離れていこうとする死神を見た少女がムッとしたような顔になる。

「ちょっと待ちなさいよ」

 ほっそりとした白い手でアンリのローブをグイッと掴んで引き寄せる。その結構な力加減に油断していた死神の体が思わず数歩よろけてしまった。

「っと……もーなんなの?僕に用事なんかないでしょ?」

「あんたってさ、何者?」

 アンリがムッとして睨みつけるのもかまわず、そして問われたことに答えない少女はまたアンリを若干睨みあげながら逆に問いかける。身を屈めるようにして少女に引っ張られているアンリがその綺麗な青紫の瞳に不満げな色を滲ませながら姿勢を正し、それでもちゃんと答えてやる。

「僕はただの死神だよ」

「死神?」

 見ただけで分かる異様なアンリの空気と、自分を見ることができるだけで人外ではあると思っていても「死神」という言葉にやや驚いた顔を見せた。

「そう、僕の仕事は死に行く魂の回収だから、君みたいにもう死んでしまってる子には用事ないの」

 すっぽりと頭に被ったフードを軽く整えながら、アンリはそっけなくそんな事を言う。

「あんたに聞きたいことがあるんだけど」

「……何?」

 じっと少女の茶色の瞳がアンリを見つめる。透き通る東洋人らしい瞳にとらわれたアンリが思わず「綺麗だなぁ」と感心している前で、少女はふっくらとした唇から言葉を零した。

「私はずっとこのままなの?」

「は?」

「だから、私はずっとこのままここにいなくちゃいけないの?」

 アンリが間抜けな声を出してしまったことに、少女は同じことを言った。真剣な様子にアンリもまた真剣に考えをめぐらせる。

 自ら命を絶ったものには、当然ながら常世へと行く権利はない。それは人生をまっとうすることを放棄してしまった者に対する、罰と言うべきなのかもしれない。もちろん、中には死を選ぶしかなかった辛い人生を受けてしまった者もいるだろう。生きていること自体が辛かった者達にとって、自ら死を選ぶことはその身を守る最大の手段だったのかもしれない。そこまで追い詰められてしまったことには、アンリをはじめ神々も思うところもないことではない。しかしやはり神々は自ら命を絶ってしまうことに対しては哀れには思っても擁護するべきではないと思っている。アンリも基本的にはそう思っているだが、どこか人間に近い思考をしているのか、自分の身の上もあまり幸せではない死神だからなのか、そう強くも自殺と言う行為を否定できないでいた。

 まっすぐに見つめてくる少女に、アンリは少しだけ首をかしげて見下ろす。その煌く瞳の中には若干の優しさを込めて。

「そうだねぇ……はっきりいえば、未来永劫君はこのままかな」

 端的な表現に少女が軽く息を飲んだ。わかっていることを否定して欲しくて聞いたことに、やはりわかりきったことを聞かされてしまうのは辛い。アンリを睨みつけるようにしていた瞳がふと潤む。透明なその雫がポロリと下瞼を乗り越えて白い頬を伝った。

「え……?」

 散々自分を睨んできて失礼なことを言っていた少女の思わぬ涙に、死神が思わずといったように一歩近づき顔を覗き込んだ。俯いてしまった少女の頬にいくつも涙のあとが刻まれ、そして鮮やかなこの国の民族衣装に染み込んで行く。

「ちょ……そんな泣かないでよ。僕そんなひどいこと言った?」

 アンリの言葉に少女は何も答えず、ただ涙を零し続ける。細い肩を震わせて口元を覆ってしまった少女の姿に、さすがに失礼なことを言われていたアンリだが、なんだか悪いことをしてしまった気にさせられてしまい、困ったように眉根を寄せた。

「ごめんね? 分かってる事でも、他人から聞かされたら嫌だよね?」

 あまりにも泣いている少女に、アンリは更にそっと近づき、そしてそのゆったりとした漆黒のローブにその名も知らぬ少女を抱きこんだ。そのまま艶やかな髪の毛を青白い手で撫でて落ち着かせようとする。さらりとアンリの指の間から零れ落ちる長い髪の毛を心地良く思いながら、アンリはそのまま言葉を続けた。

「名前教えて?僕はアンリって言うの」

「……シェンメイ」

「可愛い名前」

「そんなお世辞言わなくていい」

 小声で言った少女、シェンメイにアンリは小さく笑い、更に黒衣の中に少女を抱きこんで、そのままふわりと身体を浮かせた。音もなく風もなく浮かんだ死神に、シェンメイは涙に濡れる瞳を見開き、自分よりも背の高いアンリを見上げた。

「何するの!?」

 宵闇の色が濃くなっている空でシェンメイが不安げに上げた声に、アンリは楽しそうに笑って返す。

「ちょっと散歩行こうよ」

「散歩って……」

 漂うように浮かんでいる身体に、さすがに生身を持たないシェンメイでも怖いと思うのか、ほっそりとしたアンリの体にしがみつき暴れることも出来ないでいた。そんな少女を死神はいとも簡単に片腕だけで抱き締め、片方には宝物の薔薇の蔦の絡まる死神の鎌を持って、ふわりふわりと空へと舞い上がる。シェンメイを怖がらせないように、いつもよりゆっくりと移動した先は、この港町がよく見える高台の教会の屋根だった。人間が聖なる場所としてあがめるその場所に、死神と、この世から自らを切り離した少女がふわりと音もなく降り立った。

「この町、綺麗だよね」

 シェンメイから腕を解きながらアンリが言う。宝石のように煌く死神の瞳に移るのは、それこそ宝石箱をひっくり返したように煌びやかな町の様子だった。小さい町ではあるが、船が行きかう港のそこは栄えており、人々の温かな生活の灯りがたくさんあった。活気に溢れている町並みを、静かに佇む教会から眺める死神の言葉と視線をなぞらえるように、シェンメイが同じように町を眺める。

 滑らかな黒衣を広げて屋根の上にぺたりと座り込んだアンリの横に、シェンメイも黙って腰を下ろした。しばらく黙って町を見ていたのだが、ふとアンリが口を開いた。

「死んでみて、どうだった?」

「え……?」

「この世から離れてみてどうだったのかなって思って」

 青紫の瞳をふわりと細めたアンリがシェンメイの透き通る瞳を捉える。シェンメイは言葉を捜すように視線を揺らめかせて黙りこんだ。膝の上でぎゅっと握られた白くて細い手が小刻みの震えているのをアンリが視界にいれ、哀れみと労わりの色を滲ませる。

「答えたくないなら、別に良いんだよ? 君の死んだ理由も聞かないし、聞いても何もしてあげられないし……」

 自分が何か出来るわけではないのは確かだし、それを思い出させるのは忍びない。シェンメイが死んでどれくらいたつのかも分からないアンリは、もしかしたらシェンメイの中の記憶というものが薄れてしまっているのかもしれないとも考えた。現世に残された魂は、ゆっくりと時間をかけて何も感じない存在になってしまう。つらかったことも楽しかったことも何もかも忘れて、ただ意識だけそこに取り残されてしまい、自分がどこの誰だったのかも分からないモノになっていく。成れの果てをたくさん見てきたアンリは、それ以上この先のことをシェンメイに話して聞かせることは出来ないでいた。あれほど哀れで悲しいものはいない。

「後悔してる」

 ぽつりと、少女の声がすっかり暗くなって星の瞬く空に吸い込まれるように放たれた。

「え?」

「最初は楽になれたと思ったの。すごく辛かったから……生きてたとき」

「うん」

「でも、だんだん辛くなってきた。私が死んで、周りに泣いてくれる人がたくさんいることが分かって、それで、その人たちの姿を見てると、私なんてことしたんだろうって……」

 その声に涙の気配を感じて、アンリはシェンメイを抱き寄せた。ふんわりとした手つきで黒衣を広げて、先ほどのように。

「そっか。もう良いよ。いやなこと聞いてごめんね?」

 温かな声音の死神の顔を、シェンメイはその綺麗な瞳で見上げて、それから堪えきれないように涙を零す。抑え切れなかった涙に触発されるように、細い喉から唇に伝った声が漏れ聞こえた。ゆったりと身を包んでいるアンリの黒衣を手繰り寄せるようにして抱きつき、シェンメイは子供が母に縋りつくように泣き声を上げる。震える身体も声も溢れる涙を隠しもせず、ただ初めて会った死神に抱き締められるままに泣いて、今まで抑えてきたのだろう感情を曝け出した。それはアンリに失礼なことばかりを言っていた少女と同じだとはとても思えず、アンリはあまりに違うシェンメイの様子に思わず呆れたように、しかしとてもやさしげな眼差しでその泣きじゃくる少女を見た。

「僕もさー……死にたかったんだよね」

 独り言のようにアンリは呟いた。

「昔、僕も死にたいことがあったのね。でも、死ねなかった。僕のこと……こんな僕のことをちゃんと見てくれる人が現れて、それでその人に死ぬなって言われたの。死なずに生きて、僕のしたことを償えって。だから今頑張ってるけど、シェンメイはそれがなくて、そうすることが出来ない状況だったんだね」

 泣いてしまって上手く言葉が出てこないシェンメイに、アンリは優しく背中を撫でながら、更に言葉を思うままに零れさせた。

「でも、今後悔できているなら、僕がやり直す機会を上げるよ? 今のシェンメイじゃなくて、新しいシェンメイをあげる」

「…………?」

 シェンメイがアンリの腕の中から、何を言い出したのか分からないといった様子で見上げてくる。それに死神があどけない笑顔で風にゆれるシェンメイの額髪を白く長い指で好梳き、形のいい少女のそこにやわらかく唇を寄せた。

「僕でよかったね。他の死神ならこんなことは出来ないよ」

 楽しそうに、悪戯を仕掛けた子供のようにアンリは笑う、そしてすぐ横に置いていた死神の鎌に視線を落とすと、確認するようにふわりと撫でた。

 それに、薔薇の蔦が反応する。ひとつの大きな蕾をつけ、それが驚くシェンメイの目の前で大輪の真紅の薔薇を咲き誇らせた。真っ赤に美しく咲くそれを見たシェンメイが息を飲み、アンリはあどけない微笑みに極上の愛情を乗せた。

「この世に、シェンメイって人生に未練はない?」

 アンリの問いかけにシェンメイは一瞬虚を突かれた顔になる。また今度は何を言い出したのかといわんばかりに、端整なのにあどけない表情を浮かべる死神の顔を見つめていたが、その揺らめく瞳に何かが宿るように光が走る。泣いて真っ赤になった目許に、きっとシェンメイ本来の性格だろう凛とした鮮やかな色を見せて、そしてこくりと頷いた。

「このままでいたくないし、今度ちゃんと人間になれるのだとしたら、もう絶対天寿を全うするまで生きてやるんだから」

「そう。じゃあ、僕が手伝ってあげるね」

 強くしっかりと言葉を返してきた少女に、死神はにっこりと笑う。抱き締めていた腕に少しだけ力を込めて、この先の幸せを願った死神がその綺麗な唇から言葉を紡いだ。シェンメイも、人間の誰も聞いた事のない流れるように歌うように紡がれる言葉は夜風に乗って放たれる。小さな港町で出会った少女ただ一人のために。

 言葉に反応するように、シェンメイの身体が淡い光に包まれていく。元々この世の存在ではない少女の体はどこか透けているように頼りなく儚い印象であったが、それを更に強くするように淡い光が覆いつくし、アンリの腕の中で変化していく。まるで母親のおなかの中に還るかのようにシェンメイは体を小さくして丸くなり、その泣いていた顔に穏やかな笑みを浮かべて、形を無くしていく。丸くなった身体に更に光を纏わせて、やがてそれはシェンメイを作っていた人の形から丸い球体に変わった。煌く虹色になったその球体は、アンリのほっそりとした掌の上に乗るほどの大きさになった。キラキラと輝く、圧倒的に神聖で誰もそれを苛むことなどできない存在、魂の本来の形になったシェンメイを、アンリは優しく穏やかに見つめて、そしてそっと抱き締めた。

「次の人生は、素敵なものなるように僕からお願いしといてあげるね。あ、本当にいい名前だと思うよ? 神美(シェンメイ)

 あどけない笑顔で、死神は形を変えて話すことも出来なくなってしまった少女に語りかけた。そしてふと、少しだけ悲しげな表情で、真紅の薔薇に視線を流す。

「また、怒られるかなぁ?」

 何も言わない薔薇が、僅かにふるっと震えた気がして、アンリはまたあどけなく笑った。

「なんとなるよね? さあ、最後の仕事して帰ろう」

 心地良い夜風に漆黒のローブを翻して、黒衣の死神が薔薇の蔦の絡みつく鎌を手にする。反対側の手には、彷徨える悲しい存在だった少女の御霊を手に、港町を見下ろす教会の屋根から姿を消した。闇が光に紛れるごとく。

 誰もいなくなった教会は静まり返り、そして空には死神の悪戯を黙って見ていた蜂蜜色の月と愛らしい星達が優しい光を湛えていた。


 了

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