花子さんとうさぎ
「は、は、は、」
「ちょっとテリトリー越えてるから!」
廊下を通り掛かったが運の尽きと言うか何と言うか、放課後またもや迂濶にも通り掛かってしまった校舎一階最奥の女子トイレ前にて。
遂に領域を侵したうさぎは、わたわたしながら廊下に飛び出してきた。
「あんたあのね、ここ学校だから。今更だけどあんたがいるのは女子トイレであって、それはつまり普通に考えたなら不法侵入であって、」
「花子さん!」
「田中だよばかやろう」
ここにきて名前を間違えるとは、とんだ失礼うさぎだ。
「え、『田中田中』っていうの」
そんなわけあるか。
「名前の方は違いますが」
「そうじゃなくて!」
自分で振った話題をあっさり切り替えて、なおもわたわたしたまま大興奮のうさぎの背中を無理矢理トイレに押し込める。
出てくるな、マジで。
大騒ぎになったら、知らない振りをして一緒に騒ぎ立ててやろうと誓った。
「違うんだって!いたんだよ!出たの!」
「何が」
「花子さん一家!」
「は?」
うさぎは相変わらずわたわたして、いつもの個室を遠巻きに震えながら見つめた。
震え過ぎて、長い耳が、ふるふると揺れている。
それが笑えるのでばかにしたら「ちょっと花子さんだよ!?」と憤慨して地団駄を踏んで見せた。
「一家総出だったの!」
「一家総出?」
さっきから微妙に気になっていた。
一家総出って何だ。
花子さんとはたぶん、うさぎが言うに、かの有名な学校の怪談に登場する彼女であろうが。
「今まで出なかったじゃん」
「試したの」
余計なことを。
とかいう心情を読み取ることなく、うさぎは、鼻息荒く続けていく。
「順番にね、ノックしてったのね、そしたらね、」
「右から順番にとか」
「そー!父上、母上、花子さんに弟君までご登場だよ!?どーしよー!?」
未だふるふるしているうさぎは、かなり怖かったのかもしれない。
とか、半信半疑ながら、少しだけ憐れんでみたなら。
「もうちょーうっかりした!サイン貰い損ねたんだけど!」
……感動にうち震えていた方だった。
「……あほか」
ばたん、と個室にうさぎを押し込めて、ぱちん、と電気を消した。
「もっかいやっていい!?」
すきにしろ、と心で呟いてトイレを出たなら、またもや先生に出くわした。
「あら田中さん、今から帰り?」
「先生、」
「なあに?」
「花子さんがいらっしゃるそうですよ」
「花子さん?」
首を傾げて笑いながら「怖いわねえ」と言う先生は、花子さんより奇怪な生物が、ここに生息していることを知っているだろうか。
否。
「さようなら」
ぺこりとお辞儀をして、踵を返して、そこを後にした。
「仲良くなってたらどうしよう」
そうなりたくはないが、次に会うとき、うさぎがサインを持っていないことを祈った。