ジェンキンスの手のひらの上
薄暗い古代遺跡の通路。見習い魔女のリーゼロッテは、足元の不自然な窪みに気づかず、勢いよく足を踏み出してしまった。
カチリ、と不穏な音が響く。
「しまっ、罠――!?」
身構えるよりも早く、背後から強烈な魔力の風が吹いた。
視界がぐるりと反転する。浮遊感のあと、リゼの身体は、硬くも心地よい「誰かの腕の中」にすっぽりと収まっていた。
「おっと、危ない。相変わらず目が離せないな、リゼは」
頭上から降ってきたのは、鈴の音のように滑らかで、低く甘い声。
天才魔法使い、ジェンキンス・アルカディア。彼はリゼを軽々とお姫様抱っこしたまま、涼しい顔で追尾型の矢の罠を障壁魔法一枚で防いでみせた。
ジェンキンスとリゼは幼なじみで、小さい頃からずっと一緒だった。同じ魔法学校に通い先月卒業し、今は同じ魔法使いとして共に仕事をしている。
小さい頃からからかわれたりして泣いたこともあるが、私が本気で傷ついたら必ず謝って、私のことを気にかけてくれていた。
自分よりも魔法使いの才能があるジェンキンスは、王宮からの声もあったと聞く。
それなのに王宮へは行かず、ドジなリゼを置いていったらすぐ死なれる。と、一緒に遺跡に着いてきてくれるのだ。
「わっ……!? ジェ、ジェンキンス!?」
「ふふ、そんなに真っ赤になって。僕の腕の中は、そんなに緊張する?」
至近距離で見下ろす彼の顔は、彫刻のように整っている。からかうような楽しげな双眸に見つめられ、リゼの心臓はうるさいほどに跳ね上がった。
(うう、またからかわれてる……! このひとはいつもそうなんだから!)
リゼの動揺をすべて見透かしたように、ジェンキンスは余裕の笑みを浮かべて彼女をそっと地面に下ろした。
しかし、その余裕は、遺跡の最奥で起きた激戦によって崩れることになる。
突如現れた巨大な魔獣の爪が、リゼを襲った。
「リゼ、伏せろ!」
ジェンキンスが叫び、身を挺してリゼを庇う。魔獣は退けたものの、その衝撃でジェンキンスの漆黒の魔導衣が大きく裂けた。
「ジェンキンス! 大丈夫!?」
慌てて駆け寄ったリゼは、彼の破れた衣服の隙間を見て、息を呑んだ。
彼の白い肌、右肩から胸元にかけて、引き裂かれたような大きな古い傷跡が痛々しく残っていたのだ。いつも完璧な彼にはおよそ似合わない。
「――っ、見るな!」
ジェンキンスの声が鋭く響いた。いつも冷静な彼が、見たこともないほどに動揺し、怯えたような表情で咄嗟に傷を隠す。
「見ないでくれ、リゼ」
彼は自嘲気味に目を伏せ、リゼから拒絶されるのを恐れるように顔を背けた。
だが、リゼの行動は、彼の予想を裏切るものだった。
リゼは、逃げようとするジェンキンスの、傷のない方の手をぎゅっと両手で掴み、一歩詰め寄った。
「これ、懐かしいね」
「……え?」
ジェンキンスが呆然と目を見開く。
「小さい頃、同じ感じて私を守ってくれたよね」
リゼは覚えている。確か七つか八つだったころ、近所の子供が番犬の首輪をうっかり外してしまい、逃げ出して興奮しきった番犬がリゼを襲おうとした。
その時なんの躊躇いもなくジェンキンスが自分にかぶさって守ってくれたのだ。
いつもからかわれてばかりでそこまでジェンキンスのことが好きではなかったリゼは、その時はじめてジェンキンスが本当は優しい人なのだと理解した。
「あの時はありがとう」
「……こんな傷、気味が悪いだろ」
「そんなことないよ? かっこいいのに」
「なっ……!」
かっこいいのに。
その言葉を聞いた瞬間、ジェンキンスは顔を手のひらで覆った。
「ジェンキンス? 何してるの」
「いや、リゼにも人を褒める言葉が使えたんだなぁって。笑いが止まらなくて」
「失礼だな! 私にもそれくらいできるよ!」
腹いせにゲシゲシとジェンキンスの足を蹴る。
「じゃあ 今日の仕事も達成したし、帰ろっか」
ルンルン。と鼻歌交じりでスキップをしながら先を行くリゼの後ろ姿を、ジェンキンスは見つめる。
指の隙間から覗く彼の瞳は潤んでいて、視線をあちこちに彷徨わせている。
いつも上から目線でからかってきた最強の魔法使いが、今はリゼの顔を見ることもできずに縮こまっていた。
ジェンキンスはリゼにバレないよう、はーっと息を吐いた。
(急にあんなこと言うから、心臓に悪い……)
リゼは、そんなジェンキンスの心の内を知らない。
リゼこと、リーゼロッテ・ジェンキンス。
ジェンキンス・アルカディア少年が恋する、少女の名前である。




