99 牛歩の進展
清音side
「お邪魔しまーす」
「誰もいないんだから、そんなの言わんでもいいだろ」
「神様がいらっしゃるんですから、そんなわけにはいきませんよ。わぁ……中も綺麗にされてますね」
「あぁ、古いがいい神社だな」
小さな神社の木製社の中に入り、私と直人さんは正面にある祭壇へと向き合う。
そこには一般的に設置される祭壇があり、鏡や捧げ物のほかに鳩と鷹の像や鳥の巣のようなものが置いてある。葦で編まれたそれは祭壇の1番上、鏡の真ん前に置かれていた。
葦自体の乾燥具体を見ると、最近になって変えられたもののようだ。
現時刻10:00 沖縄の離島からやってきたのは、京都府にある雛鳥村神をお祀りした『孵化神社』。ここは、飛鳥さんとご夫婦の鈴村妃菜さんのご実家だ。
と言っても、彼女のご家族がここを管理していたのは300年以上前になる。当時は村があったらしいけど……近くに新都心ができて住人はいなくなった。近所に住んでいる人は誰もいない。
孵化神社があるここは、元々自然災害が多く発生する地域だった。
昔は複数の災害が重なったことがあり、村ごと壊滅状態に追い込まれたが……ヒナドリムラノカミは人々の命を守ったとされる。由緒ある神様のお住まいだからご挨拶しなきゃですよ。わたしは人間なんですから。
「様子を見るに、八幡様をお祀りされているのでしょうか?」
「系統はそうだ。軍神だから鈴村の神器は軍杯扇だった。魚彦が神器を作って、その後依代になった飛鳥が引き継いだ形だ」
「ううん……いまいち分かりませんね、神器を下すのは一人一個という決まりなんですか?」
「そうだ。複数神の依代をしていた芦屋も颯人さんの神器だけ所持してた。初めて神降しされた神が、依代に渡す最初の武器が唯一になる」
「…………私、貰ってませんけど」
「そういやそうだな。あまりに力が弱いと生み出せねぇんだよ。
てか、八房はまだ寝てるのか?」
直人さんの言葉に頷き、私はため息を落とした。そう……この前から喚び出そうとしても犬神の八房は応じず、私の中で眠り続けている。
少し心配なのは心拍がだんだん落ちていて、言葉を交わせなくなってしまっていることだ。
「八房は大丈夫なんでしょうか」
「問題ねぇとは思うけどな……生命力自体が弱っているわけじゃねぇ。龍神と相性が悪いのか、それとも俺か、どちらもかはわからん」
「あの、結局直人さんが筆頭の神様になられたんですよね?私が依代をする方達の」
「あぁ、俺がアタマになってる。龍神が譲ってくれたんだ。
待てよ、八房が最初に神降しされたのに、なんで眷属筆頭がアチャなんだ?おかしいな……」
顎をつまんで首を傾げ、直人さんはじっと私を見つめている。……彼の首には私がつけた盛大な噛み跡が残っていて、思わず目を逸らした。
だって、しつこいんですもん。彼はお布団の中で自我を失うタイプの男性のようだ。悪い気はしないですけど。
「ちと潜る。清音、そこの巣に龍神の卵を置いてくれ」
「は、はい」
姿を消した彼は私の中に存在を潜らせた。私は依代だから体の中に収納できるんだけど、むず痒い気がしてならない……。
スーツのポケットから二つの小さな卵を取り出す。阿那娑達多、徳叉迦という龍神もまた相変わらず眠ったままだ。
社の窓を開け放つと、涼やかな風が室内に流れ込んでくる。ここは本当に自然がたくさんあってとても気持ちいい場所だ。人がいなくなって本来の姿を取り戻したのだろうか……。やはり人間なんていない方がいいんじゃ?
ふわふわ頬をくすぐる風に目を細めていると、ガタンと音がする。背後を振り返ると、入り口に呆然と立ち尽くしたお爺さんと目があった。
彼は目を見開き、警戒心をあらわにしている。
「ど、どちらさん?このお社は鍵がかかってたはずやけど」
「管理の方ですか?今日お邪魔すると神社庁から連絡があったと思うのですが……杉風事務所の者です」
「はっ!?あ、あんたが!!あんたはんがあの??」
お爺さんは長い白髪を後ろで一つに結び、スーツを着用している。手には榊の枝と酒、掃除用具を持っていた。
そう、管理者がこの神社には存在する。鈴村さんのご両親が亡くなった後、その時の村長さん一族がずっと神社の保全を担っていたのだ。
人がいなくなった後住宅地は里山になり、ここは森となっている。あたりの木々を剪定し、神社の境内や社をきれいに保っているのは彼だ。
……そう思えば、いい人限定で残してあげるべきだろうか?なんて偉そうな考えが浮かぶ。
彼は真幸さんのこともちゃんと覚えてくれている……その事が、とても嬉しい。二人で微笑み合い、握手を交わす。
「杉風言うたら、ヒトガミさんの事務所やろ?まぁまぁまぁ……お会いできて光栄ですわ!!」
「あ、あの……はい。正確には私は入ったばかりの新人なんですけど。元々は神継と言いますかなんと言いますか。学校に行ってないからそうとも言い切れませんが……」
「大体の経緯は聞いてます。今は大変な時代やし、しゃーなしやん。
あんたは清音さん言うんでしたな?私は雛形言います。妃菜ちゃんが生まれた村の村長一族の末裔ですわ。
私以外がここにいるのは久しぶりのことや……神さんも喜んではるやろ」
「……はい」
ニコニコしながら私と握手を交わし、雛形さんはお酒と榊の葉を祭壇に捧げる。しっかり拝礼して、巣の中にある卵に気づいた。
「これが龍神さんの卵なんです?」
「はい、ここで孵化させてもらおうと思ってお邪魔したんです」
「名前の通り、目覚めの神社ですからな。当時も妃菜ちゃんが神さんを卵から孵しはったんや、きっとうまくいくでしょう」
「はい、そうなると思ってます。
あの、雛形さん。妃菜さんは最近こちらにいらっしゃいましたか?」
「ほ?いえ……たまーにメッセージくれはるけど、最近は忙しい言うてたな。
同じ事務所なんに、連絡しはらへんの?」
「色々ありましたからね。彼女は飛鳥さんと二人で隠遁されていらっしゃいます。国護結界の要が素盞嗚神社にあるので、飛鳥さんも追われる身でして」
「あぁ……そやったか。なんやなぁ……恩知らずも甚だしいわ。どなたもこなたもみぃんなヒトガミさんの事を忘れてもうた。悲しいて、寂しいて仕方ない。
後にも先にもあんな方は顕れやしまへんわ……」
「雛形さんはヒトガミ様にもお会いしたことがあるんですか?」
「あります。よくよくここに来てくださった。村がなくなる時も、強固な結界を作ってくれてなぁ。もうお会いできひんのやろ?ほんまに寂しいわぁ……」
顔を真っ赤にして泣き出してしまった彼を見ていると、胸が痛む。私たちがこれからやろうとしている事をお伝えするわけにもいかず、ただ肩をトントン叩いて小さな慰みをあげることしかできない。
当時からずっとお付き合いがあった方達はみんな、彼女を慕っている。それはあの方自身が細部まで心を砕き、優しさを分け与えていたからこそだ。
人間の時で300年は長すぎる。裏公務員時代に恩を受けた人も、出会った人たちもみんな死んでしまった。
真幸さんが常世にお渡りになってから不文律の調整が起こり、彼女の存在自体を忘れてしまった人間はたくさんいる。それでも、こうして覚えていてくれる人は確かにいる。
偉大なご先祖さまは、一部の人間の中にだけ……生きる伝説として確かに人の世に根付いているのだ。
━━━━━━
「戻ったぞ」
「お帰りなさい。どうでしたか?」
「…………うん」
雛形さんが社のお掃除をされて帰宅された後、直人さんは姿を顕した。その顔には浮かない表情がある。
「八房は、お前が飲み込んだ犬士の珠に同化している。つまり……存在が消えつつある」
「えっ!?な、なぜですか?そんな……」
「もともとイレギュラーな命だからな。確固たる歴史に刻まれた神ではなく、本来小説の中に存在していたのが根元だ。
曲亭馬琴が書いた『八房』は南総里見八犬伝の伏姫と結ばれたワンコだろ?元々神ではなく妖怪に近い存在だったからな」
「存在の定義が珠という事ですか?」
「あぁ、八徳の権化である珠が元の姿だと仮定したら……珠が揃えば話せなくなるだろう。わんこの姿にも、人の姿にもなれない」
「…………そんな、」
私は自分の胸を押さえて、目を瞑る。瞼の裏に浮かぶ白黒の毛並みを思い浮かべると涙が出てきた。
はじめて私に降りてきてくれた神様、生まれてからずっと私を守ってきてくれた八房が消えてしまう……。
直人さんの事を想って眠れなかった夜も、一人で自主練をして朝焼けを見た日も、彼は私に寄り添ってくれていた。姿を知る前から、小さな時からずっと一緒にいてくれたのに。もう話せないなんて、死んでしまうのと同じじゃないですか。
「姿形が消えはしても珠に命は残るが、お前はあいつの毛を撫でてやりたいよな」
「……、はい」
「幼少期からずっと清音を守ってくれたアイツを失いたくはない。……解決策を考えよう。幸いまだ犬士の珠は揃っていないんだ」
はい、と口に出したつもりが言葉にならない。悲しみに支配された私の顔を見て直人さんはそっと抱きしめてくれた。
この人は私の気持ちをちゃんと理解して、寄り添ってくれるのだと思うと余計に泣けてきてしまう。
残りの珠は形として存在するものの……西東に間違った力を使われてしまったため文字が浮かばなくなった。最後の一つが完全な姿でなく、飲み込んでも意味がない状態だ。
八房の件に関しては不幸中の幸いとはいえるが、国護結界はすでに陸面にまで範囲を狭めている。領海内には他国の船籍が多数見受けられ、私たちを追う余裕が政府にはなくなった。
急がなければならない事は、何も変わっていない。
「これからどうすればいいんでしょうか。八房がそのままでいてくれて、目的を果たすためには……。龍神はいつ孵りますか?」
「祭壇の神力は間違いなく卵に注がれている。鈴村はちゃんとここの神に目的を伝えてくれてるから、数日のうちにはうまくいく」
「……でも、私が神になれないなら一体どうやって……?」
「昨日も言っただろ?俺に月読を神降しした時と同じことをするだけだ。
目指す未来は一つだけ。そこに向かうってのは何があっても変わらないだろ?しっかり準備してそこに辿り着こう。俺たちなら、きっと出来る」
「…………はい」
抱き合ったまま胸の中にいるはずの八房を呼んでみたけれど、応えはやはり返ってこなかった。




