90 帰り途
清音side
「ヒェッ」
朝から間抜けな声が口から飛び出て、慌てて両手で抑える。デジャブです……目の前にイケメンがいる。
昨日の夜両親に土下座した直人さんは今、安らかな寝息を立て私をガッチリ抱きしめて……人の気も知らず深い夢の中だ。
まさか「娘さんをください!」なんて現実で聞くとは思いませんでした。しかも、父も悪ノリで「娘はやらん!」とか言って、しょんぼりしてしまった彼を慌てて慰めて、あっという間に『親父』と呼ばれて喜んでいた。
男同士通じ合うものがあるのだろうか。底抜けの優しさは……確かに二人とも良く似ているけど。
穏やかな寝顔をじっと眺めていると、不意に柔らかな笑みに変わった。寝てるのに、私が触っていると感じてるのかな。
こんな風に彼が無防備になるのは本当に久しぶりのことだ。芦屋さんが居なくなると言う匂いを嗅いでからは、ずっと何かを堪えるような辛そうな顔ばっかりしてたから。
優しい顔を見ていると胸が痛くなる。あなたは……私の嘘に、いつ気がつくだろう。
本当は、私が『呪いをかける』のはとてもとても下手くそで、その代わりに『呪いを解くのは得意』なのだと。
真幸さんが施してくれていた記憶を封じる呪術は、とっくの昔に解呪されていた。
私が知識を手に入れて、鍛錬をして、自己浄化がどんどん強くなっているのは修行の成果でもある。けれど、急成長の最たる原因は、何度もヒトガミ様の記憶操作術を看破してきたからだと思うんですよねぇ。あれは立派な修行だったと思います。
それから、私が初めて共鳴の熱を出した時にくれた直人さんのネックレス。これは私自身の力から命を守ってくれている。
ダイヤモンドのように純度の高い鉱石は神力の貯蔵庫になる。それともうひとつ、蛍石が下がっている。これは沖縄の名産物でダイヤモンドとは違い人工のものだけれど、私たちの思い出の品だからいつの間に力を持つようになった。
このふたつの石が「里見清音」という未熟な人間の霊力散出を防ぎ、秘められたすべての能力を顕現させなかった。守護のための枷となってくれたから、能力の開花がひとつずつこなされて私の命は消費されずに済んだんですよ。
力を持つものは、維持に霊力が必要ですからね。『かもかも☆かんぱにぃ』にいた頃のままなら、初っ端死んでました。
私は直人さんが守るゆりかごの中で十分に育ち、再び二柱が現世に降り立つための審神者になる。あのお二方を、私が神降ろしすることになるのだ。
ヒトガミ様が残した預言は私の中で咀嚼され、腹に落ち、そのやり方をすでに見出していた。
真幸さんも、颯人さんもこれを計画していたのだろうし……時を渡って視ていたのだろう。
真幸さんが発した『自分でも現世に戻る手段を探す』という言霊は、私に向けられた挑発であり、確認作業だった。
私を信じている一方でそう言葉にしたのは、預言として発することができるか確かめていたのでしょう。
彼女も追い詰められていたんです。
真幸さんの唯一の誤算は、私の手の中にいる『大本当に切な人』が直人さんだけということだろう。私自身は、本来冷たくて情のない人間なので。
国ごと愛せたヒトガミ様と違って懐が狭いし、彼を越える人など最初から最後までいない。
直人さんが言ったように人を残らず消して、神々だけが生きる世にして仕舞えばどんなに楽だろう。
ヒトガミ様達を喚び出すなんて、恐ろしい事をしてしまったら私はどうなるの?神降しをすれば、依代になってしまったら神力を分け与えられるんですよ。
私自身がヒトガミ様以上に力を持つことことなんかないけど、こんな風に何も考えずに直人さんと一緒にいられる保証がない。力ある者はその対価として過酷な運命を持つのが常だ。
現状、咲陽さんも直人さんも国護結界に正しく干渉できていない。毎日その守備範囲を狭めるこの国の意思は『芦屋真幸しか受け入れない』と答えている。
人間は、直人さんがいう通り『間違えた』んです。
あの人を常世にやって仕舞えば世紀末はすぐにでも訪れると知っていたはずが、目先の信頼を得るための欲に惑わされて溺れた。
そして世が荒れた場合、たとえ両親を差し置いても私はこの人だけを守るだろう。
そっと手を差し伸べて、彼の深い顎のラインをなぞる。そのまま首に指先を滑らせて、鎖骨を通り、胸元の勾玉に辿り着く。
鈍い銀の色をしているこれは、ヒトガミ様である真幸さんが産んだ神器。普通ならこんな事できない。
神様は、現世に現れる時受肉する。その力の全ては神降しをした神継にしか与えられない。
カーテンの隙間から差し込む朝日が勾玉を照らし、私に虹色の光を浴びせてくる。
狭量で、未熟で、きっと直人さんよりもずっとずっと黒い思惑を抱えている私。それを諌めるかのように光は瞳を貫き、痛みに目を逸らした。
私に龍神を宿させたのは、本当に常世の使者である役小角だったのだろうか。
星の成り立ち、創世記の記憶……様々な知識を龍神から与えられた今、浮かぶ疑問がそれだ。
龍神は天津神、国津神とは全く違うベクトルに棲んでいる。この星につながっているとさえ思えた、果てのない意志を持っていた。
国護結界がなくなればこの国は間違いなく滅びる。天変地異の再来、海外からの侵略、もしかしたら世界中を巻き込んだ戦争になる可能性だってある。この星に住まう人間は、皆貪欲で自分勝手だもの。
そうして訪れる結末はどんなだろう。星の命を削り続けた人々の罪は、どう問われるだろう。
この国は、ううん……もしかしたら星自体が、真幸さん以外『要らない』と他を拒絶している。そして自らの胎のうちに巣食う、彼女を奪った人間に憎しみを抱いているのではないか。
――女神を奪ったお前たちなど滅びてしまえ。火種を作れば簡単に燃え広がる。地上は燃料に事欠かない。
自分が作り出した業火に焼かれて消えてしまえ。星と共に死ねばいい――
そう、言われている気がした。
「清音?どうした、そんな暗い顔して」
「あ……いえ、ちょっと眠いだけです」
「そうか。……おはよう」
「おはよう、ございます」
数回の瞬きの後、眠りから目覚めた彼の目尻が下がって微笑みが浮かぶ。
皆さんと一緒にいる時には見せない、フニャフニャの笑顔が可愛い。
胸を締め付けるイバラの痛みが、彼への想いで全部溶かされてしまう。私、単純ですね。
「そんなに見るなよ。情けない顔をしてる自覚がある」
「そんなふうに笑うのは、私の前だけですもんね?」
「……ん゛っ!?そ、そうだ」
「そーんなに私のことが好きなんですか?」
「好きだ」
「私もです」
潤んだ瞳が膨らんだ涙袋に埋もれて、満面の笑みになった。直人さんは輪廻転生を繰り返す、私との出会いを強制せずずっと待ってくれていた。
私だって、ようやくこうして結ばれたんですから。手放すつもりなんかない。
それでも……彼が必死に強い言葉の裏に隠していた〝優しい気持ち〟は無視できない。
『芦屋が望むことを叶えてやりたい』って、言わなくても聞こえてますよ。
私は、この人が言う『人間なんか滅びればいい』と言う嘘が大好きで、大嫌いだ。
「いでっ!な、何でつねるんだよ!」
「なんで昨日は抱いてくださらなかったんですか?」
「っ!?そ、それは、その……ここはお前の実家だぞ?いでぇ!」
直人さんの頰を引っ張ると、眉を顰めて悲鳴が出てくる。その顔も好きです。かわいいので。
「婚前交渉は良くねぇだろ?俺は、清音を大事にしたいんだ」
「むぅー」
「長年お前の姿を見続けてきたから、今目の前にいることが夢みたいなんだよ。
俺が好きって言ったら同じ気持ちをくれる、手を握ったら握り返してくれる、キスしたら笑顔になってくれる清音がいるって考えただけで……どうしようもなく幸せなんだ」
「だったら早く自分のものにしてください」
「もう、お前は俺のだろ?よそ見なんかさせねぇよ」
「…………くっ」
ずるいですよね、今の発言。この前まで「お前と居ていい男じゃない」って言ってたのに。そんなこと言われたら、色々と頑張りたくなっちゃいます。
「あーあ、悩むのがバカらしくなりました」
「やっぱ落ち込んでたのか?」
「はい、私は人間ですから。愚かな考えに囚われて、地べたを這いずり回って苦しんでます」
「それなら俺が代わってやる。それか、悩んでる理由を排除する」
「あなたのせいですけど?」
「いちばん簡単だな、そりゃ」
「………………ばか」
困ったように笑う直人さんに抱きつくと、腕が体に回って 抱きしめられる。背中を撫でる大きな手が優しくて……額に小さなリップ音を立てながら唇が何度も触れる。愛おしい気持ちが溢れてきて、たまらなくなってしまう。
「そういえば……能力って目覚めてんのか?あまり変わってない気がするんだが」
「少しずつしか開きませんよ、すぐにパーンってしたら私も破裂しちゃいます」
「それは困る。これからずっと一緒にいるって約束しただろ?」
「はい」
「うん……幸せだ。お前に出会えてよかった。こんな日が来るなんて思わなかった」
「……はい」
キスはいつまでも私に降り注ぎ、切ない気持ちと充足感が広がって体が震えてしまう。それを宥めるように触れる彼の指先は、優しくてあたたかくて。
私は瞼をきつく閉じて、自分の中に眠るものに懇願した。
この人と一緒にいさせてください、お願いだから。……もう、離れたくありません。
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「一旦家に戻ろう。流石にこの量のお土産をそのまま持っていくわけにはいかねぇし」
「そうですね。いつ帰ってもこうなんですよ。でも……まさか龍神が卵になってしまうとは思いませんでした」
「しかも俺たちはただ飯食って、お菓子を食って、婚約して、ご両親に挨拶しただけで終わったな」
「………………ハイ」
「経緯はおかしなもんだったが、キャンセルはしねーぞ。俺は一度決めたことを曲げるのはもうやめた。
『考えたって仕方ねぇ』ってあいつはいつも言っていたが、それに倣うしかない」
「そうですね、本当にそうです」
「フーーーーン」
「うるせぇぞ、月読」
「ふんっ」
現時刻12:30 私たちは実家から帰っている途中です。このまま直人さんの事件担当である秩父に行く予定が、山ほどお土産を持たされてしまって直行は無理と判断しました。
そして私の担当だった事件は、すでに対応する必要はない。龍神が傷ついたことによって生まれた土地の穢れを祓って無事解決……とはいかなかったけれど。
私の手の中には若草色の卵がある。小さな卵に戻ってしまった龍神は、この土地を守る産土神と仲が元々よかったらしく一緒に田んぼを守ってくれていたらしい。
そのおかげで地域への被害はないが、神力を使い果たして眠りについてしまったのだ。
月読さんが私たちの向かいに座って不機嫌そうに足を組み、大きなため息を何度もついている。
彼は……真幸さんから引き継いだ直人さんを依代に持つ方だった。
颯人様と契約した時の真幸さんと同じ程度の霊力があったのか?と聞いたら『チートしたんだよ』と返事が返ってきた。
伊勢神宮というこれ以上ない清められた神社の中で、さまざまな神々に手助けしてもらって依代となった、と。
私はそれを聞いて、大きなヒントを得た気がしている。ただ、それが実現可能なのかはこれから検討しなければならない。
「月読、おめでとうって言ってくれねーの?」
「ハイハイおめでとうございますぅ。嘘つき男でいいの?清音ちゃんは」
「はい。直人さん以外考えられませんよ」
「くっ……いいなーーーいいなぁーーー」
相変わらず電車の中には誰もおらず、乗客は私たち三人だけ。緑の中をかけていく車内で、月読さんはごろんと横になった。
「こら、行儀悪いぞ」
「誰もいないんだからいいじゃん、ちょっとくらいさぁ。はぁーあ、僕もチューしたい。抱きしめたい。『愛してる』って言いたい」
「そのうち言えるだろ」
「わっかんないですよねー!僕はほら、生まれてこの方伴侶も恋人もいなかったからこの先できるのかなぁーーー」
「芦屋以外にもフラれたのか?」
「ふん。僕がこの顔で今まで独身なのは何故だと思う?フって来たんだよ」
「自分のせいじゃねぇか」
「僕の好みが真幸くんな時点で察して。兄上みたいに兄弟で子供作ったりすればよかったなー。あーあ、あーぁ」
「なんともコメントがしにくいな、それは。そういえば清音の親父さんとお袋さんはよく似てたが、親戚か?」
「えぇ、従兄妹ですよ。幼稚園の時に結婚しようと約束したそうです」
「俺たちと同じじゃねーか」
「ふふ、そうですね」
月読さんはガバッと起き上がり、私の横に座る。ピッタリ体をくっつけて、肩に顔を乗せた。
柔らかい銀の髪が頬に触れてくすぐったい。
「お二人は幼稚園の頃に結婚されると約束されたんですかっ」
「はい。私が自殺した時代の話ですが」
「おい、やめろ。その話は俺のトラウマだ」
「アレがあったから、あなたが私とくっついたんですよね?ならいいじゃないですか」
「そういう訳じゃねぇだろ?……いや、そうなるのか?」
「チッ、この色ボケカップルめ。幸せになれ」
「ありがとうございます、月読さん。私とも仲良くしてくださいね」
「うん。清音ちゃんの事好きだよ、僕」
「おい。俺の清音にコナかけるな」
「ふーんだ。余裕のない男は嫌われるよ」
「このやろー……」
声音がちょっと怖いけれど、直人さんは笑っている。彼と月読さんが長年付き合って来たのは確かだし、お互い相棒ですもんね。
私もこの輪の中に入れて嬉しいです。
「冗談はさておき、斥候を真面目にしてる少昊から報告あったよ。政府が国護結界についてとか、超常がいなくなった事で不利益が出始めたのに気づいてようやくオタオタしてるって」
「ふーん」
「それで、今後そういうことに関しては伊勢神宮の神職が請け負ってくれるって。あそこには真子が居るからね」
「あぁ、そうだな。あそこからしか高天原には行けなくなったし、政府に睨みを効かせるには一番いい場所だ。
真子に任せておきゃ心配はねぇ」
「うん。えーと、それから……悪い知らせもある。累ちゃんがご飯を食べ尽くしてご機嫌斜めだって」
「うそだろ、もう食っちまったのか!?一週間は食えるように冷凍して来たのに」
「真幸くんがいなくなって神力をもらえなくなった反動かな。
秩父に行く前にその山盛りのお菓子でご機嫌を取って、一緒に連れて行ったほうがいいかもよ」
「しかし、そしたら眷属たちの守りは?」
「倉橋夫婦が来るって鼻息荒く電話して来たらしいよ」
「…………まぁ、それならいいか」
真幸さんがいなくなった影響は、すぐには出ない。なぜなら、あの方達の勾玉がまだホームである素盞嗚神社にあるから。咲陽さんに持っていただいたのは正解かもしれませんね、それを知ったら誰かが奪取しに来そうです。
これからきっと、人の世は荒れる。今までどれだけ神秘の力を持つものたちに助けられていたのかを知ることになるでしょう。
お灸を据えるいい機会ですから、真子さんはきっと要求を全て退けてくださる。
何も心配することは無いけれど、直人さんは眉をしかめている。はて、どうしてでしょう?
「なぁ、このおはぎ渡したら全部食われるよな」
「間違いなくそうでしょうね。あの子は甘いものが大好きで、好き嫌いもありませんし」
「前はお野菜食べられなかったんだよ。真幸くんが工夫して食べさせてた。
……懐かしいな、あの頃が」
月読さんの声は、とても寂しそうだ。私たちで彼のために何かできたらいいのにな。
改めて彼女がいなくなってしまった事実を突きつけられたようで、車内は沈黙に沈む。
優しい日差しの温もりに包まれた、電車の音だけが聞こえていた。




