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裏公務員の神様事件簿 弐  作者: 只深
新たな旅路

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88/101

88 傷ついた左腕


「おはようございます!お邪魔します!!」

「「……」」

「昨夜はお楽しみでしたね!」


「は!?おま……口を閉じろ!いや、消してやる。外に出ろ」

「お楽しみ??お勉強して寝ただけですけど……」

「エッ??またまたー冗談きついですよ?」




 朝っぱらから少昊の腹が立つニヤケ顔を横目に見つつ、清音と淹れたての緑茶を口にした。

 現時刻4:30 二人して書庫で眠ってしまい、互いのくしゃみで目が覚めた。昨日までの春の気配は消え、冬のような寒さに震えている。

熱いお茶でようやく身体が温まった。


 この家に出入りできるのは少昊、俺たちと眷属の防人を任された累だけ。陽向や天照、真子も中には入れないがなぜコイツは入れるのかわからない。……おじゃま虫その一だな。



「冗談なんか言うわけねぇだろ」

 

「嘘でしょ……告白して両思いになったのに、まだ童……」

「よし、いいぞ。望み通りぶちのめしてやるからな」

 

「白石さん、落ち着いてください!何でそんなに怒ってるんですか?だめですよ、乱暴しちゃ」

「…………チッ」




 クソッタレめ。そーだよ、良い雰囲気になってキスしたのに、本人がかけた呪いのせいで清音の力は目覚めなかった。記憶は勝手に取り戻してるが、血の中に潜んでいる複数の能力が開花しない。

 自分の体のことは把握できている清音は、悲しそうな笑顔を浮かべていた。


 ……多分、俺の本意を感じているからだろうとは思う。上っ面の『愛してる』じゃ解呪できないんだ。俺の中に渦巻く色んな感情が清音の心に触れさせてくれない。


 そんな状態でアレコレできる訳ねーだろ。俺の理性は三百年保った鉄壁だしな。颯人さんには負けるが。




「とにかく、お家のお掃除をして朝の修練をしましょう。今日は実家に帰らせていただきますから」

「もう喧嘩ですか?」

 

「ちげーよ、龍神と犬士の珠に未回収がある。お前達の起こした怪異は収まってるが、様子を見なきゃならんし、土地の浄化をする必要があるんだ」



 ははぁ、と理解した顔になった少昊……こいつはどこまで事情を知ってるんだ?全部か?

 

 清音は俺の心の問題もあるが、おそらく龍神八柱と犬士の珠を手に入れない限り、解呪には今一歩足りないのだろうと結論づけた。

それもあるかもしれん。が、結局最終的に何をどうすれば良いのかはっきりわからず、親の意見を聞きたいと言われて、今日は館山の実家に行く予定ではある。


 保護した龍と珠も全て手に入れなければ、清音が依代をやってる八房も知恵を出せない。

 目標を突然失った俺たちは、とりあえずこの問題から取り掛かることにした。


 ……俺は、清音に対してどういう立場で親に会えば良いのかまだ決まっていない。こんな気持ちでどうやって話せばいいのか、正直わからないんだ。





「ま、どちらにしても期限付きなのは変わりませんよ。白石とヒトガミ様、颯人様の勾玉があっても咲陽さんでは国護結界を維持できませんから。

 もってあと一月ってところです」

「あぁ、わかってる。……咲陽は結局、地中で輪廻を繰り返しているのか?」




 さっきまでと違って真面目な顔になった彼は静かに頷いた。


 国護結界は人柱を交代してからジリジリと境界線を狭めている。芦屋達の勾玉も俺の勾玉も大して役に立たなかった。

 人柱を立ててみないと分からんとか、どんだけなんだよ。


 俺自身は霊力のほとんどが咲陽に吸い取られっぱなしだが、神力があるから死にはしない。それに……女神の勾玉が一定以上の搾取を許さず、姫巫女のあらゆる感覚を遮断して眠らせている。

 痛みも苦しみもない、安らかな揺籠で眠る姫巫女は赤子から大人になり、ばあちゃんになってはまた赤子に戻ってを繰り返していた。


 咲陽を守っているのは、芦屋と颯人さんの勾玉だ。そのために持たせたんだろうとようやく知った。




「しかし、どうやって死の痛みを遮断してんだろうな。相変わらずカラクリがわからん。勾玉を差し出したら結界の仕組みがわかると思ったのに、芦屋が情報共有を拒んでるみてぇだ」

「そうでしょうねぇ?言わせていただければ姫巫女も、あなたもまだ未熟です。天照殿の片割れである月読殿を宿していても、白石は成長の余地ありですから」

 

「わーってるよ。……情報量が多すぎて脳みそパンクするんだろ。月読の依代になった時に思い知ってる」

 

「そうでしょうね、曲がりなりにも天照殿、月読殿はこの国を守ってきた古来の神々です。颯人様もそうですが、お三方に加えて名にしおう神々を宿し……なお自我があったヒトガミ様は普通ではなかったのですよ。普通はあんな状態になり得ませんし、なったとしても狂い落ちます」


「そうだな、女神を失った代償はデカい。……人間達はどうしてる?」




 少昊はテーブルに頬杖をついて、ニヤけている。含みのない笑いを浮かべた彼は、俺たちとあまり歳が離れているようには見えない。

なんとなく伏見のポジションのような気がして、気楽に聞いてしまった。


 

「私を信頼してくださってるんですね?」

「お前が愛華のランドセルに土下座したから……取り敢えずは使ってやるってだけだ」

 

「ふふ、それでも構いません。私はあなた達を手伝うことで、贖罪をさせていただきます。

現行姫巫女が眠る地、素戔嗚尊神社は神職達が守っていますが……それこそ日本支配を試みる輩がひっきりなしにやって来てますねぇ」


「なっ……そ、それで?」

「陽向さんが星野を差配して、常駐員としました。彼は今まで目立たない存在でしたがヒトガミ様がいなくなった後、メキメキと頭角を表していますよ。

 非常に優秀な祓士で、人間も不穏な超常も上手く退けています」


「外交担当としてもキレるからな、あいつは。懐に入り込むのが上手いんだ。一人で任せても良いのか」

「えぇ、問題ありませんね。あの方は耳を片方タケミカヅチ殿に頂いたでしょう?以前より強くなってますよ」


「なるほど……そういうことか。とりあえずは俺たちが動いて結界の狭まりを止めなきゃならんってことだな」


「えぇ。しかし……」




 テーブルの上にとん、と身軽な所作で黒猫姿の饕餮が現れる。口の足を上げてやや歪に笑ったそいつはペロリと口を舐めた。


「国護結界がなくなれば戦争のはじまりだ。お前、それを望んでるんじゃないのか?」

「……何言ってるのかわかんねぇな」


「饕餮に欲望を誤魔化せると思うか?お前はこの世の破滅を願っている。ヒトガミのためもあるが、自身の恨みも深いようだ」


「饕餮は暗い感情には敏感ですよ。ふとした瞬間にこのように欲望を増幅させようとして来ます。

 まぁ……私自身もそうしても良いと思っていますが」


「へぇ?お前の国も随分前から日本を欲しがってたもんなぁ。良いチャンスってことか?」

「滅びる国になど興味はありませんね。私もヒトガミ様の戻らずを願っているのです。

 彼の方は、醜悪な人間を守るために消費されて良い神ではない」




 少昊の瞳に暗い影が灯る。俺と同じ色の感情が渦巻く彼は、だが穏やかに微笑んでいた。

 これが年の功ってやつか。流石に長い間生きていた大陸の神って顔してやがるな。

 

 芦屋の仲間じゃなかったらコイツがこんなに親しくして来たかどうかなんてわからんし、この先相対する可能性があっただろう。

コイツは、ヒトガミへの崇拝の念だけでこうしてここにいるんだから……油断しちゃならんと改めて思い直す。


 背筋がヒヤヒヤするぜ。中国古来の神は闇が深い。




「男の人って、元カノを忘れられないって言いますよね」

「「えっ」」

 

「私、ちゃんと白石さんのこと好きなのに。ずっと『好きだ』って言われるのを楽しみにしていました。

 勾玉をくれる約束も破られるし、芦屋さんがいなくなったことだけ考えて頭がパンパンですし。流石の私も後ろ向きになりそうです」




 清音は窓から差し込む朝日に向かって呟き、ため息を吐く。

なんて言えば良いのか、わからない。


 好きなのは、間違いない。元カノって表現はどうかと思うが……俺は大切な人達を見送って自分の中の根幹が揺らいでいる。


 それこそ国護結界に干渉してぶち壊してやろうと考えていたのは、半分本気だった。


 だって……清音が苦労するのは目に見えているだろ。


 

 俺は清音が芦屋を喚び出す羽目になると予測している。預言では、そんな文言があった。だが、完全解読は難しい。

 どうとでも取れる言葉達は芦屋の奇抜なセンスによって組み立てられているから、余計に難解になってやがるんだ。


 清音を傷つけたくない。今更ながら臆病な自分が再び顔を覗かせていて、遥か遠くへ去って行った自分の命よりも大切なものが惜しくて……それだけがいつまでも頭を占めている。




 室内の小さな埃が朝日の中にちらちらと舞い、清音の横顔に芦屋が重なる。……俺は、いつからこんなふうに女々しくなったんだろう。

 手を伸ばしては引っ込めて、相手が切ない気持ちで俺を想ってくれても抱き寄せてやれないでいる。





 振り返った清音の顔は、瞳の中に涙の雫がいっぱいに溜まっている。心臓の奥が締め付けられるように痛み、思わず手を伸ばした。


 彼女は俺が顔に触るのをそのままにして、ほおを膨らませる。芦屋の面影は消えることなく重なったまま……怒りの表情を浮かべた。


『白石のバカ』


 耳の奥に聞こえた柔らかい声は、俺に何度となく発せられた音だ。優しく染み込み、体も心も支配されて指先が震える。

 ……そうだな、芦屋は俺が初めて尊敬した人だ。元カノじゃねぇけど生涯この思いは消えない。




「ごめん」

「……なんの、ごめんですか」

「ごめん」

「…………うそつき」


 光の中に溢れる涙は宝石のように輝き、俺の手に落ちる。何もかも決められず、前も後ろもわからなくなってしまった自分自身。それを『諦めない』と言った清音が微笑む。

『うそつき』は、今までよく言われてきた言葉だが……こうして好きな人に言われたのははじめてだ。


 




「やるべきことをやります。私にはそれしかできませんから。

 白石さん、朝練の後は一戦やりましょう」

「あぁ、わかった」



 音もなく立ち上がった清音は玄関を出て、眉を顰めた少昊と目が合う。傍にいる饕餮はニヤリと笑い、呟いた。


「お前、本当に面倒な男だな」



 ━━━━━━



 灰色の世界の中に、雨が降る。


 はるかな天空から落ちる雨滴は、大地に触れると軽やかな『たつ、』という音を立てた。

 俺はずぶ濡れになった靴を、靴下を脱ぎ捨てて歩く。


 裸足の感じるアスファルトは冷たく、雨に清められた大地を閉じ込めた人間の醜悪な罪を俺に染み込ませた。




 人間によって作られた、人間のためだけの場所。こんなところ大っ嫌いだ。

大地を傷つけ、立ち並ぶビル達。道端に捨てられたゴミや倒れ込んでいる酔っ払いが目に入る。


 電飾の明かりが空の気配を汚れた光で染め上げ、自然にはない色達を派手に光らせている。



 人の囁きが騒々しく空気を震わせて、車が吐き出す油の匂いが鼻につく。吐き気が込み上げてくるが、どうにか堪えて歩き続けた。


 やがて、足の筋肉が悲鳴を上げ始めて疲労が体に蓄積されて……動けなくなる。



 悲しいんだが、寂しいんだかわからないまま俺は空を見上げた。

灰色の空は雨を降らすのをやめて、雲間から青空を覗かせる。太陽が湿った空気に降り注ぎ、風が暖かくなる。


 濡れた髪が邪魔になってかきあげ、視界が広がった。すぐそこに……彼女がいる。




 ビルとビルの間の隙間、暗闇に支配された袋小路の奥で濡れるのも厭わずしゃがみ込み、その人はそこに置かれたダンボールに向かっている。

 肩が震え、悲しみに染まった背中が頼りなく見えた。


「ごめんね、見つけるのが遅れて……寒かったでしょう?」




 ドロドロとした空気の中に澄んだ声音が聞こえる。懐かしく、暖かく、優しいその音は清く澄み切り、様々な音を無視して真っ直ぐ俺に届く。


「ここにいるのは嫌だよね。良いところを知ってるの……一緒に行こう」




 彼女はダンボールから汚れた毛並みの子犬を抱き上げた。白く細い指先が汚れて、白いTシャツが黒くなる。

 失われた命を大切そうに抱え、自分の上着で濡れた毛皮を拭いてやっている。


 そのまま歩き出すのを追いたくて、足を動かした。


 迷わず進んで行った彼女はやがて河川敷に辿り着き、指先で土を掘り出す。遠くから眺めていた俺は少しだけその地面を柔らかいものに変える術をかけ、ただ見守る。



 子犬を埋葬して、涙を一粒こぼして去っていく愛おしい人。俺は小さな命のために作られた墓の目の前に立ち、タバコに火をつける。

 冷たい空気に吐き出した煙は溶けて消え、その先に黄色い花が見えた。


 それを摘もうとして、手が止まる。

草花を根っこから掘り起こし、墓の上にあった河原石をどかして……そこに植えた。




 普段からうるさく言われているから、いつの間にか持つようになった携帯灰皿に灰を落とし、もう一度タバコをくわえる。

 深く吸い込むと甘い味が口の中に広がって、目頭が熱くなる。

煙を吐き出し、灰皿へ火を押し付けてポケットにしまい、墓に向かって手を合わせた。


 ──今度生まれたら、人の世の中になんか生まれるなよ。悲しい思いをするだけだ。お前をあそこに置き去りにした奴らみたいな人間は、この世にうじゃうじゃいるからな。


 彼女みたいな人は、そうそういないんだ。


 人差し指で子犬の魂を引き上げ、天に送る。灰色の空から覗く青は目に染みるほど鮮やかな色をしていた。



 ──────



「ん……」

「直人さん、そろそろ起きてください」


 肩を叩かれて、さっきまで夢の中にいた彼女が顔を覗き込んでくる。青い座席に座り、柔らかい笑顔を浮かべたその人の瞳に、俺は捕らわれた。

 夢の中からまだ冷めやらぬ意識の中で、清音の顔だけがはっきりと見える。


 車窓に流れる景色も、電車の音も、何もかもぼやけているのに……。




「きれいだな、お前」

「……」

「好きだ」

「…………」

「ごめんな」



 囁いた言葉は彼女に届いたかどうかわからず、俺はただ綺麗なその人の姿を見つめた。

 まっすぐな気持ちは、変わらず胸の中にあるのに。俺は、お前のことが本当に好きなのに。


 どうしてこう、うまくいかないんだ?



 

「直人さん。今度は私が待ってあげます。あなたの心が元気になるまで。

 でも、手放してはあげられませんからね」

「……うん」

「あなたがもし、この世を滅ぼしてまいそうになったら私が……」


「殺してくれるのか?」

「…………」



 口を閉じた清音はふるふると首を振り、俺の頬を引っ張る。夢見心地のままだった俺は……生まれ変わった清音を探し、ただ歩くしかなかった日々の記憶から引っ張り出された。


「痛ぇ」

「目が覚めましたか?」

「あぁ。もう直ぐ館山だな」

「はい。転移術が禁じられるのは面倒ですね。電車ではもう、遠く感じるようになりました」


「俺もだ。でも、よく寝た」




 ほっぺをむにむにされて、身体中の痛みが復活してきた。朝練で祝詞をやった後、道場で清音にボコボコにされたんだった。


「私はもう絶望するのをやめたんです。あなたに再び出会って、全部を思い出して、全部を取り戻して。ここから先は、私自身が望むハッピーエンドを目指します」

「……」

「いつまでもウジウジさせませんからね。私の家に行ったら目を覚ましてあげます」



「……はは、お手柔らかに頼む」




 力無い呟きは彼女の胸の中に消えていく。抱きしめられていると気づいた時には、俺の耳の中に清音の鼓動だけが響いていた。


 誰もいない電車の中で苦笑いを浮かべ、柔らかなその場所に顔を預ける。

傷の一つ一つに染み入る癒術はわずかな痛みを伴って全てを消していった。




 ――次は『岩井駅』、『岩井駅』です。お降りのお客様は手荷物の──

 電車のアナウンスを聞き、俺たちは外を眺める。緑と、青と……穏やかな田園風景の色達が目に映る。


「さ、まずは荷物を置きにいきましょう」




 ふわふわした気分のまま、俺は腰を上げる。ゆっくりと止まった電車から降りると、潮の香りが風になって髪を舞いあげた。

 


 


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