85 砂糖を噛む
白石side
「はい、じゃあ落ち着いたところで物資をお渡ししておきますね。まずは芦屋さんが使われていた書物一式の目録です。
本や彼女が書いたノートは、自宅に保管してありますので。
それからこれが高天原フリーパス、杉風事務所の制服、あとは……」
現時刻 朝6:30。ああ、もちろん徹夜だ。
あの後頭を抱える芦屋と颯人さんを眺めつつ面白がっていたら夜が明けた。
未来を見てきたのに悠人の婚約者を知らなかったのか?と聞いたら『常世に行ってから先しか視ていない』らしい。
弟とクシナダヒメはサプライズ成功に喜んでいたが、笑顔だったのは当の二人だけだ。
とりあえず婚約を祝ってもらい、俺たちは預言を貰って『現世最後の日⭐️のんびり旅行(八時間)』に連れてこられた。
伏見は話しきれなかったものをここで済ませるつもりらしく、清音に様々なものを渡して説明している。メモを書く音がすげー聞こえるんだが、速記を教えておいてよかったな。
俺は眠くて仕方ないが、清音はピンピンしてる。若いな。
いや、徹夜くらいどーって事はねぇ。俺は芦屋のお供をしろって言われたなら喜んでついて行く。
当の本人達は伏見家の電車……専用車両でうとうとしている。やけに高そうな紫色のクッションはさぞ寝心地がいいだろうな。
これから都内を回り、いろんな場所に行くらしいが朝焼けが目に染みる。眠いのもあるが、二人が肩を寄せ合って眠っている姿があまりにも眩しくて、ぼーっとしてしまう。
昨日魚彦が整えた髪型は、裏公務員時代にしていたものらしい。少し長い前髪が頬にゆるくかかり、襟足は短く揃えてある。似合ってるとは思うが……見慣れていた長髪と違い、首が見えて寒そうだな。
「なぁ、伏見。二人はなんで髪の毛切っちまったんだ?」
「白石、少し待てますか。まだ清音さんに渡すものがあるんです」
「へーへー」
何だかな、俺だけ話題についていけない。ひとりぼっちになったような気がして、口からため息を吐く。いつまでも戸惑っているのは俺だけだ。
電車の窓から見える都会の街並みが朝日に染まっていく。伏見の騒がしい声も、清音のメモを取る音も、電車が走る音も遠くなって何にも聞こえなくなる。目の前にいる二人の背中から陽光が差し込んだ。
今走ってるのは山手線だ。東京ってのは不思議なところだよな、これだけ高いビルが立ちならんで人がわんさか集まっているのに、自然が残されている。
神社も、寺も、たくさんある。ここに遺っているものはこの国の歴史の縮図とも言えるだろう。
陽の光が強くなるとビルの影が濃くなり、空が明るい天色になっていく。今朝の朝焼けはピンクや赤が多いから、良い天気になりそうだ。
ぼーっとしたたままでいると、窓の外に花びらが舞い始めた。
窓を少し開けているから、外界のどよめきが聞こえる。紫色の特別車両が走るのを追いかけ、木々から葉っぱが生えて花が咲き、花弁が風に舞う。
道路沿いの街路樹は面白いように花だらけになり、車に乗った奴らも歩く人たちも動きを止めている。
桃、桜、ハリエンジュ、ナナカマド、ハナミズキにコブシ……電車から見れば小さい花達は咲き誇り、カラフルな色を風に遊ばせていた。イチョウ、紅葉なんて紅葉までしてるじゃねーか。
「……は、はっ……」
思わず笑いが出ちまった。花の香りは室内に届き、それに気づいた二人が目を覚まして窓の外を見ている。
その瞳に色が映るたび、虹色の瞳が色を変え、微笑みが浮かんだ。
唐突に視界が歪み、俺の頬が濡れる。こんなにお祭り騒ぎで、キラキラ輝いている世界の色はもう……芦屋達には見えないんだ。
草木が別れを惜しむ気持ちが伝わって来た。神様達も地上から手を振って泣きながら笑ってるな。
――この国で、自分を守ってくれた存在が芦屋だとわかっている奴は一体どれくらいいるんだろう。
彼女との別れを惜しむために、進んでいく先を祝うために花々が咲き、一番綺麗な姿を見せようとしている……木々や草花の健気な気持ちをわかってくれる人たちがどれだけいるのだろう。
「う……くっ……」
喉から迫り上がってくる熱が、痛みを伴って胸を締め付けてくる。テレビをつければ、何も知らない奴らが無責任な言葉で芦屋の悪口を言っている。
政治家達も散々世話になったのに、手のひらを返して剣呑な目つきで芦屋を見ていた。
クソッタレが……俺はもともと人があまり好きじゃないが、今回の件で大っ嫌いになった。芦屋が『守ってくれ』って言わなきゃ、こんな国滅ぼしてやったって良いくらいだ。
憎しみに溺れそうな俺とは裏腹に秘密裏の出立は決まり、様々な様式が勝手に決まった。
芦屋と颯人さんは、書類上では危険因子とみなされ、『更迭』されることになっている。
人間界では罪人、超常達の中では夢の国に召し上げられると言う情報の乖離が起きている。
真実は一つだが、世の中には二人がいなくなる事で安心する輩が存在する。
俺達には警察の監視がつき、わずか1日の自由を得た二人は笑顔で街並みを眺めていた。
――そうだよ、お前がこれを守ったんだ。
誰が何と言おうと、世の中の誰が恨んでいようと……この街も、そこに住む人たちも、ぜんぶ、ぜんぶお前がいなきゃこんな綺麗でいられなかった。
「白石さん、ハンカチどうぞ」
「いい」
「目が真っ赤ですよ。芦屋さん達が見たらびっくりするでしょう?歯を食いしばりすぎです。力を抜いて」
「……」
柔らかい布地に瞼を撫でられて、優しく涙を拭われる。清音の穏やかな声が胸に沁みて、どうしようもなくなっちまった。
後から後から出てくる水分が止まってくれない。清音のハンカチはあっという間にびっしょり濡れた。
「泣き虫さんだったんですね、白石さんは」
「昔から割とそうでしたよ。こっそり泣くのが上手なんです、僕の片割れは」
「…………片割れってんなら、別れの言葉くらいくれよ。お前の失った手足の半分は俺が背負いたかった。勝ち逃げなんかさせたくなかった」
涙を拭われながら伏見にぼやくと、いつもの『ふっ』という嫌味ったらしい含み笑いが聞こえる。
これももう、明日からは聞けなくなるんだな。
「これは僕の勲章だ。左腕の白石は右腕の偉大さを知るといい。……あとは任せましたからね」
「クソッタレ」
「くっくっ……気分がいいですね。目的地に着くまで色々話しましょう。今日は一日中こうして過ごすんですから」
「ぐしっ……ふん。そうだな」
「お二人とも仲良しですねぇ。超常達や草木はお別れを惜しんでいるんでしょうか。素敵な光景ですが、芦屋さん達がこの色を見れないなんて……少し寂しいです」
清音の沈黙を皮切りに、伏見が口を開く。
颯人さんと芦屋の髪は、別々の理由で短くなったようだ。芦屋は颯人さんの炎の中で唯一燃えなかった髪を守りとし、魚彦達眷属の勾玉を包んで伏見に託した。そうしないと燃え尽きていただろうから最善の策だったんだろう。
眷属たちとはすでに『依代』ではなく魂を分け与えた女神として繋がっている。
それから、自分の手足を再生するのに大量の力を使い颯人さんを鎮めるのにも消耗したから……彼の炎が体に刻まれた。それが翼となり、力の枷と解放の鍵になった。
芦屋は『最後のメタモルフォーゼ』とかアホなこと言ってたが、神に身を捧げた巫女が〝聖痕〟を刻まれたのと同意義で、所有印なんだぜ。あれはもう誰にも手出しができねぇぞって事だな。
颯人さんは未来を視て時を渡るうち、時の流れに介入しては怪我しそうになる芦屋を庇って……力を使い果たしたから髪が短くなった。
髪は力の貯蔵庫だからしばらくは短いままらしい。つまり、二人は今神力が足りてていない状態だ。
危ねぇじゃねぇか、とも思ったが手首に相変わらずつけている『神ゴムの中の勾玉が守ってくれている』と言われたら納得せざるを得ない。国の中で勾玉を差し出してねぇのは最早知り合いしかいないくらい、あそこに魂がある。
常世に行く時は眷属の神力を得ていくそうだから問題ないとの事だ。
髪が短いのなんか初めて見たから、そわそわするんだよな。二人とも『風呂が楽でいい』なんて気楽なことを言っていたが。
銀座から始まった旅はやがて、転移の術を使い各地を巡り始める。
奥多摩の姫巫女の村、栃木の浄真の寺、群馬の赤城山、茨城の神宮、京都、三重、千葉、北海道、三重、島根…………どこに行っても姿を隠し、誰にも会わないまま各地の景色や現在を見ては移動して。まるで思い出を巡っているようだった。
時折芦屋が涙ぐみ、颯人さんが抱き抱えて歩を止める以外は、休む間もなく旅程は進んでいく。
訪れる先では季節を無視した花が咲き乱れ、わさわさと緑が茂る。自然達だけが別れを惜しむことを許されているみたいだ。
俺たちは芦屋と颯人さんの最後の旅を、少し離れた場所から見ている。
昨日の晩の話は、夢の中で聞いたかのようにぼやけて滲んでしまった。頭の中に入ってはいるが、焦るような感覚が理性を支配していて……自分の身になってねぇ。
いや、今は……芦屋達がいなくなるまでは、何も考えたくない。
何度か目のため息と共に手のひらを握りしめると、なぜか収穫させられた山菜が入った袋がかさりと音を立てた。
浄真の山寺は、山菜だらけだったな。
「そういや浄真は常世に連れてって問題ないのか?コトリバコやら呪物を山ほど管理してただろ」
「あ……アー……。えーと……実は、役小角に荒神堕ちさせられた浄真殿とやり合ったんですが、僕がコトリバコを壊しましてね」
「えっ」
「コトリバコって壊れるんですか!?」
「おぉ、清音……よく勉強してんな」
「白石さんはツッコミがおかしいですけど!!!あれは強力な呪物で壊れない筈ですよね!?」
「まぁ、伏見だしな。浄真が戦いの最中に持ち出してきたんだろ?」
「ええ、まぁ。飲み込まれそうになってぶち壊した際に成仏したか?と思ったのですが、そうは行かなかったようです」
「そういえば鈴村が『最後まで仕事増やしてくれてありがとうさん(怒)』って今朝言ってたな」
「……はい。コトリバコのショウタロウくんや他の怨霊達は高天原の『怨霊から神を目指す課?』に押し寄せています」
「ね、ネーミングセンス……」
「清音、突っ込むな。おそらく芦屋の命名だ」
「そう言えばこの制服を頂いて思ったんですが、『幸せの杉風事務所』って名前は」
「芦屋の命名に決まってるだろ。あいつは前世が松尾芭蕉なんだ」
「そ、そうなんですか??初めて知ったんですが???」
「お話しした事がありませんでしたね。松尾芭蕉の一番弟子、杉山杉風から頂いたんですよ。杉の木は神木にもなりますから」
「幸せ、っていうのは真幸さんのお名前からですか?」
「そういう事にしたいですが、トゥイッターで偶然見かけた花粉Botの発言からだとご本人は仰せです」
「へぇ……はて、Botって何です??」
「正確には中身がいるから違うが、花粉のキャラで呟いてる奴がいる。春先になると『飛ぶよ⭐︎』とか言って、空気清浄機メーカーや一般人に喧嘩売ってる事が多い」
「……暇なんですかね」
「面白いじゃないですか。人の愚かさたるやいとをかし、ってなものですよ。そのスギ花粉のbotが〝花粉はハッピーパウダーだ〟と発言していて、それでです」
「…………ええぇ……」
「清音、気持ちはわかる。だが、あいつの真意は違うだろうよ。自分の名前にすりゃいいつったのに、嫌がってたからこじつけたんだ」
「真幸さんってそういうとこ、ありますよねぇ」
「そうだな」
沖縄の白い砂浜を歩き、俺たちは海に目線を移す。凪いだ海上を芦屋達が歩いている。耳の上にハイビスカスをお互い刺して、光り輝く海原の上で手を取り合って。バカップルしてんな。
「……私、沖縄が好きです。白石さんもですよね?」
「あぁ、まぁ、うん」
俺たちの会話を聞いて、伏見がニヤけながら離れていく。舌打ちしたい気分になったがたまには素直になろう。
俺は清音の手を取り、そうっと握った。あの時とは違う黒の着物を身につけ、凛としている姿に時の流れを感じた。
「事務所は……どうなるんですか?」
「杉風事務所の所長は俺だ。今後は大っぴらには動けねぇから、街の人の悩み聞きとか拝み屋をやるしかねぇな。超常側からも相談を受けるだろう。今まで自由にして来たから勝手が変わるし」
「あなたが引き継ぐんですね、真幸さんの杉風事務所を」
「あぁ。初からそのつもりだったのかも知れねぇな。伏見を所長にせず、俺にした理由がやっとわかったぜ」
「本人にその気が無くても、未来のあるべき姿を引き寄せて運命にする。覇道を歩く人の運命力と言うそうですね」
「そうだ。お前本当によく勉強してるな。いつの間に……」
「短い間でしたが、私は芦屋さんのお宅で暮らしていたんですよ?優秀な先生達が何人いらっしゃるかご存知ですか?」
「鬼一と釣りばっかしてただろ」
「あれも修練でしたよ。そして、鬼一さんの心根の強さを学ばせていただきました。漢気ってやつです。本当に良い方でした……」
「…………そう、だな」
波打ち際に立ち、清音は眉を顰めた。唇が震えている。心の中に湧き上がった感情は、きっと俺と同じ色だろう。
「鬼一さんも生まれ変わってくるんですよね、今度はどんなイケメンになって会えますかね?」
「男かどうかわからんぞ。大金持ちのうちに生まれてくるんじゃねーか?あいつ金運だけはあったし」
「ダメですよ。お金持ちなんかに生まれたら。……ダメです」
「全くの同意だ」
清音は全部思い出してるみたいだ。俺たちの生まれも、何もかも。
最後に残された、記憶の蓋が開くのを待っている。……芦屋には見せてやらねぇぞ、その時は。俺を置いて行っちまうんだから。
「芦屋さん達を見送ったら、私の実家に行きましょう。父が龍神を保護しているんです。それから、あなたの大切な場所にも」
「あぁ。……そこに行くまで、待ってくれ。今は芦屋のことで頭がいっぱいなんだ。すまん」
「いいですよ、今更。散々待たされているんですから。
月読殿と仲良くしてあなたに寂しい思いをさせてあげます」
「まったく、いつの間にか月読とも仲良しか。誰かにそっくりだな」
「えぇ、末裔ですからね!彼の方の正当な後継者ですし。私は完璧な代わりに成れませんでしたけど」
「咲陽が代わってくれるんだよな……胸糞悪い儀式をやらされるのは、本当に気が重い」
「でも、それをしなければ国護結界が崩壊してしまうんです。咲陽さんは役割を終えたら、さっさと掘り出してあげましょうね。気合を入れてその時に臨みましょう。失敗は許されません」
「おう」
明日は、啓蟄の日。常世への旅立ちの日だ。
あっという間に決まって、あっという間に決行されちまう。それが今まで繰り返されてきた運命だった。
芦屋と居るといつもこうなるんだよな、有無を言わさずそうするしかなくなる。
そして、清音が背負うモノもだいたい予測がついた。元気いっぱい引き受けちゃいたが、それも心配の種だ。
最後の作戦の要は清音と俺だって言われたようなもんだし。こんな大役を背負わせるなんて、本当に聞いてねぇ。
しかも言伝に預言の形を取られたから、内容がきっちりわかってねぇしさ……はぁ。
繰り返される自分の溜息は波の音に吸い込まれて消えていく。夢のような景色と共に最後の日は過ぎて行った。
━━━━━━
「はぁ……眠れない。水でも飲むか」
現時刻、夜中の0時。沖縄に行った後、真神陰陽寮を閉じた。芦屋を祀った神社だけを残し、庁舎もきれいに解体を終えている。
神継達は全員国家公務員を辞め、神職になった。
予想通り真子、倉橋と皐に泣きつかれてたな……。泣き喚く倉橋を最後に止めたのは皐だった。あいつは強い。
最後の晩餐は何故かお茶漬けを食ったんだ。何でも颯人さんと芦屋が初めて一緒に食った飯らしいが……豪華な飯じゃなくてよかったのだろうか。
あくびを噛み殺しながら伏見の部屋から出て、階段を降りる。部屋の主がいないんだが。どこ行ったんだ。
一階に降りて、廊下を曲がりキッチンに向かうと……中庭の廊下前になんかいる。
「しっ!白石、静かにしてください!」
「マジで何やってんだ?」
「いいから早くこっちに来てください!!」
手招きされるままそうっと歩き、リビングにたどり着く。そこには伏見、星野、鈴村に飛鳥、イナンナ、クロノス、カイロス、浄真、アリス、眷属の神達…………要するに仲間達が鈴なりだった。
「何してんだよ」
「声を落としてください!」
「……」
全員が視線を向けているのは中庭だ。まぁ、そんな気はしていた。そこに……芦屋と颯人さんが仲良く座って月見をしている。酒を飲んでるのか。
「颯人、見て。盃に花びらが……」
「あぁ……ここの桜も見納めだな」
「違うでしょ、またきっと見られるよ。その時も満開で出迎えてくれると思う」
「そうだな」
「日本中花を咲かせて今日は花咲か爺さんだったね?」
「爺さんではない。其方が花故にそうなっただけのこと。どの花も美しかったが、我が妻には叶わぬ」
「むぅ……さらっとそう言うこと言うんだから。
おほん!八幡の藪知らずも変わらなくて嬉しかったな。あの子に報告できたし、もう思い残すことはないよ」
「常世に何も持って行けぬのが惜しい。クサノオウを持って行きたかった」
「それを言うならみんなを連れて行きたかったよ。そしたら戻る必要なくなるし」
「それでも其方はこの国を捨てられぬ。我が生まれた国を手放すなど……とでも理由をつけるだろう?健気でいじらしい、我の妻らしい言い訳が聞けそうだ」
「よくわかってますね!」
「それはそうだ。長き年月を共に過ごし、真幸だけを見て来たのだから。我の真実の幸せは其方だ。今日はそれを確認できた佳き日だった」
「……うん」
二人の影が寄り添い、唇の触れ合う音がする。……クロノスとカイロスが両手で顔を押さえて、悶えてるぞ。その狐面怖いからやめてくれ。やけに可愛い動作と合ってないんだよ。
密やかな囁きと笑い声、二人が交わす愛の言葉が耳に沁みてくる。……懐かしいな。
「そういや、学校でもこんなの見たな……キスはしてなかったが」
「は?アンタそんなのいつ見たんだ!?」
「カイロス!声がでかい!……でも気になる。お前さん真神陰陽寮の初代学生だろ?その時か?」
双子に聞かれて、渋々頷く。あの時俺はスパイだった。図書室で勉強している芦屋に付き添って、颯人さんが電気の代わりをしていたな。
思えばあの頃からフツーにバカップルだった気がする。見つめ合う二人の瞳の色が変わっても、心の色は変わっていない。
「いいなーーーいいなーーー俺たちももっと早く出会いたかったなーーー」
「ホントだよ……あんなイチャイチャいくら見てても飽きねーし」
「双子は静かにしてください。いいですか、今度口を開いたら常世でボコボコにしますよ」
「「スン……」」
「えっ?双子も行くのか?」
「……言ってませんでしたっけ。僕もてんてこ舞いでしたからね。双子は時の操作を芦屋さんの思うがままに行ったため強制連行です」
「あぁ……なるほど。不文律に触れ過ぎたか」
「ま、そのせいでアタシも常世行きだけどねー。……白石、ちょっといい?」
「なんだよ、イナンナ。俺もイチャイチャが見てぇ、邪魔するな」
「いやいや真面目な話よ。アンタさ、ちゃんと貯金してる?」
「……してるが」
イナンナはめずらしくまともな格好してるな。鈴村と同じパジャマ姿ってことは怒られたか?
それにしても、貯金って何でだ?
「子供はお金かかるからね?ちゃーんと節制して貯金増やしときな!子沢山だとめっちゃ大変だから!
いやはや、アタシはびっくりしたよ。長年溜め込むとそうなんの?爆発するんでしょ!?ヤベーwww」
「ばっ……な、何言っ……」
「え、これアウトじゃね?」
「預言と同じだろ?明言はしてない、セーフだ」
「クロノスが言うならセーフだな。頑張れよ、白石」
「……クソッタレが」
クロノスとカイロスにセーフを出され、イナンナはほくそ笑んでいる。
兎にも角にも、これでメンバーが決まったな。
そう、決まっちまった。もう後数時間で芦屋達は現世からいなくなる。
俺は何にも整理がつかないまま……皆と同じようにもう一度中庭に目をやった。
「颯人は怖くない?」
「常世の話か?」
「ううん。俺は……全部の事に自分で手を出してきただろ?だから、最後の切り札を託したのは初めてなんだ。
何と言うか、責任を負わないみたいな微妙なやり方で正直モヤモヤしてる」
「しかし他に方法がない。我らは何度も試しただろう?責を負わせるのは心苦しいがな」
「うん……」
芦屋は颯人さんと向き合い、彼の頬を両手で挟む。ムニムニと肉を揉み、悩ましい顔をしていた。
「そのように悩む時期はとうにすぎた。後はなるようにしかならぬ、いつもそうだったろう」
「そうだけどさ!結局のところ国護結界を残すなら不文律じゃん。何でそれだけセーフなの?常世ルールおかしくない?」
「それもまた言っても詮無いことだ」
「でもさ、国護結界だって意思がある。そんな事していいのかな……俺は結局大きなものを動かしてしまってるでしょ。
偉くなりたくないのに、上からものを見るしかないんだ」
「いい加減に慣れた方が良いな、そう言ったものに。其方が嫌でも他が許してはくれぬだろう。
一度国護結界の声を聞いてみればよい」
「えっ……そんなことできるの??」
「我らにできぬ事はない。……実質的に、そうなってしまったのだ」
颯人さんが中空に手を翳し、指先で円を描く。そこに見えたのは、複雑に絡み合った赤い糸だ。国護結界の術式はほのかに光を帯びて、芦屋の手に絡まった。
ふと、暗闇に四角いスクリーンのようなものが浮かぶ。……何だよそれ。映画でも始まるのか。
「ほぉ……国護結界の意思を可視化できるのか」
「国語結界は芦屋さんの心の中にいる、もう一人の彼女が人柱として為していますからね」
「は?なんだと??」
頷いた伏見は瞼を閉じて、肩を落とす。結局、でかい術式には捧げ物が必要だって事か。てかもう一人のって誰だよ。俺は知らねーぞ……。
「わ……これどこかな?すごいね」
「この国の日常を映し出しているのだ」
「何でこれを見せるんだろうね?」
「もう一人の小さな真幸の意思だ。其方に伝えたいものがこれなのだろう」
伝えたいもの……か。四角いスクリーンにはぼやけた風景が映し出されている。朝日が登り、青い夜明けが始まった。
早朝から新聞配達をしている学生が吐く白い吐息が立ち上り、消えて行く。
泣き腫らした様子の子が夜明けを仰ぎ、鼻を啜る様子が見える。次々に映し出されるのは主に人のようだ。
たくさんの人が電車に吸い込まれ、また吐き出される風景、カフェの店員が箒で掃除をしている様子。
真っ青な青空に浮かぶ雲、それを突っ切って飛んでいく飛行機……冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぎ、一気に飲んで吐き出される軽快な声。
子供を迎えに行く母親、それを待つ子供。手を繋ぎ、夕焼けに向かって歩く姿。
住宅街を進んで行くと家々の灯りが灯り、味噌汁の匂いがしてくる。
街の中に夕焼け小焼けの音楽が流れ、やがて夜の闇に包まれた。
誰もいない交差点に灯る信号機の光が闇に広がる。それが青、黄色、赤になり、また青に戻る。
コンビニの前で頬を赤く染めて笑顔で手を握り合うカップル、塾から出て来たこどもたちが迎えの車を探している姿。
月が上り、星が瞬く宵闇の中足早に帰宅する会社員。街灯の下で誰かに電話して泣いている人。
画面が切り替わるたび映し出されるのは誰かの他愛無い日常だ。それを一つ一つつなぎ合わせたムービーは、どこか懐かしく、切ない気持ちを呼び起こさせた。
やがて人々の生活を映し出していた画面は自然を映し出す。
山端から日の出が見え、明るく染まっていくあたたかな光の中……桜の花が咲き誇り、一面が儚いピンク色に染まる。やがてそれは花を散らして葉が茂り、蝉が鳴き出した。
葉が黄色く、茶色く染まって枯れ葉が落ち、枝に雪が降り積もる。
そして、雪が溶けて蕾が膨らみ……また桜の花が咲いた。
「其方はこの国を愛している。仲間や、我を愛しているのと同じように。
国護結界はそれを正しく理解し、守っているのだ。人々の暮らしを見つめ、天変地異を防いで安穏な暮らしを敷いたのは真幸だ」
「……俺だけじゃ、無いでしょ」
「仲間がいたからそう出来たのだ、と言われたら否定はせぬ。だが、自分がどんな目に遭おうともこの国を嫌いになりきれなかった……人を、嫌いになれなかった真幸が国護結界を作ったのだ。
今の平和を、愛おしいもの達が暮らす世を」
「……怖い、な」
「ん?」
「大切なものを託すのは、怖い」
芦屋の小さな呟きは、わずかな震えをのせている。信じてねぇとかそんなチンケな理由ではなく、本人が動けないことが怖いんだ。
あいつは、ここを愛しているから。
「信じるだけで良い、我らができるのはそれだけだ」
「うん……颯人ってすごいね。出会った時から俺のことを信じてくれてたでしょ。八幡の藪知らずからかな」
「そうだな。あの時、其方の本質を見た。そして惚れたのだ。
我は愛した者を疑う術など持たぬ」
「……浮気って言ったじゃん」
「魚彦は仕方ない。其方の『好き』がまさか、あやつの物になるとは思っていなかったのだ」
「好き、ってそう言うことじゃなくて。颯人は……その、全部って言うか……言葉にできないんだよ」
「わかってはいるが、嫉妬せずにはいられぬ。このように国ごと愛している真幸の大きな心は、我のものだと言って欲しい」
「全部、あげたでしょ。キスするのも……そう言うこと、するのも颯人だけだ」
「それはそうだな、ふん」
「…………うーー、仕方ないなぁ。颯人はすごく優しいし、いつも俺のことを見てた。颯人の目を見ていると、胸の中が暖かくなって幸せな気持ちで溢れて、泣きそうになる。
今まで知っていた幸せよりももっと深くて、柔らかくて、気持ちよくて……他に何もいらないって思えるんだ。こんなの初めてだったよ」
「…………」
「颯人の指先が触れると、そこが熱くなる。恥ずかしいから『やだ』って言うけど、本当はもっと触って欲しい。
あの時……わかったんだ。颯人が炎の中で初めてそうしてくれて嬉しかった。ずっとずっと、こうして欲しかったんだってわかった」
「……ま、真幸。その辺で……」
「やだ。いい出したのは颯人なんだから、ちゃんと聞いてよ。この際だから好きなだけ言わせてもらいます。
俺、一人で寝るとかもう出来ないな……颯人が抱っこしてくれないと全然寝れなくなっちゃったし、寒がりになった。
あったかい腕の中で目を閉じると、自分が溶けていく気がする。そのまま溶け合って一つになれたらいいのに」
「くっ……」
「……おい、こっちが溶けそうだぞ」
「『好き』で済んだほうがマシです」
「いやぁ……アタシもあんな次々甘い言葉なんか吐けないっしょ……砂糖噛んでるみたいで草も生えない」
ただのヤキモチに100倍返しの愛の囁きを受けて颯人さんが赤く染まっていく。芦屋の追撃は止まらず、クロノスとカイロスは鼻血を出す羽目になった。
そして……夜が明けていく。全員が見つめる空は灰色の雲に覆われていた。




