83 最後の日-1
白石side
「――星野さんに頼みたいのは、こんな感じ。あまり難しく考えないでね。簡単にいえば、みんなの相談役をお願いしますって事かな」
「確かに承りました。では……お元気で。私は、芦屋さんと出会えて幸せでした」
「幸せでしたなんて言わないで。また俺の恋バナも聞いてね」
「我からも頼むぞ。星野は人の心を解く達人なのだ」
「……はい」
現時刻 夜中の3:00。颯人さんは芦屋を抱え、二人は縁側に腰を下ろして伏見がそばに控えている。仲間達が順番に芦屋と話してるのは、自宅の中庭だ。
小さな庭に蛍が飛び交い、桜が溢れんばかりに咲き誇り、雪が降って空には星が瞬いてる。風が吹けば雪が煌めき、花びらが舞う。
精霊の仕業だとは思うが……四季を全部ごちゃ混ぜにすんな。混乱するだろ。
今日、芦屋についてった先ではこんなことが毎回起こった。混乱を巻き起こした二人に『文句を言ってやろう』と意気込んでいた国のお偉いさん達も毒気を抜かれていたし、外国の奴らも神社庁の面々も号泣してたな。
芦屋が地に足を下ろすと冬の名残を残した大地に草が生え、木肌に触れれば花が咲き、都会の中でも命が輝いていた。
まるで……日本の自然が名残を惜しむかのように。
胸が締め付けられて、ため息が勝手に出てくる。誰も彼もに愛された女神はこの国を去ろうとしている。
それなのに俺はまだ何も覚悟できてない。
別れを告げるひとときの順番をただ待つしかなく、頭がちっとも働かねぇ。自分の膝を睨みつけてると、そこをツンツン突かれた。
「兄ちゃん、緊張してきたんだけど」
「ソワソワすんな、俺たちはどうせ最後だぞ。……すまんな、待たせて」
「かまいませんよ。待つことには慣れています。お気遣いなく、義兄さま」
「………………はぁーーーーー……」
そう、弟の悠人も連れて来たんだが。先ごろ婚約を済ませたということで、挨拶をしたいと婚約者も一緒なんだ。
だが、こんなの聞いてねぇ。
チラッと中庭から振り返った伏見が肩を震わせているのが見えた。あのヤロウ、笑いを堪えてやがる。苦笑いの星野が戻って来て、笑いすぎて泣いてる鈴村と飛鳥が中庭に向かっていった。
「ねぇ……なんでそんな笑ってるの?飛鳥も妃菜も。星野さんも最初笑ってたぞ。何か面白いことでもあった?」
「真幸は気にせんといて。そのうちわかるで」
「私も限界よ。はー、こんなことある??笑いすぎてお腹が痛いわぁ」
「廊下で何が起きてるんだ?気になるな……」
「ええからええから、はよ話そうや」
「そうよ、真幸は何にも困らないわよ。颯人の反応が楽しみね」
「何なのだ、本当に」
中庭から聞こえる声からは微妙な心持ちがはっきり読み取れる。俺は何にも言えない。仲間の笑いを誘っているのは悠人の婚約者だ。
中庭から戻ったばかりの星野は静かに座り、ようやく実感が湧いたのか涙をこぼし始めた。肩を叩いてやると、泣き笑いになった。
「永遠の別れとは言われませんが、まだ何もわからないですよね。……つい、泣いてしまいました。
芦屋さんに相談される日がまた来ると信じていいのかもわかりません」
「アイツが言ったなら必ず叶う。預言の声を手に入れたんだし、未来を見て来たんだから。それに、そう言う嘘はつかねぇだろ」
「そうですね……」
うん……コイツもようやく緊張から解き放たれたようだ。星野の瞳から溢れる雫は止まりそうにないが、仕方ないよな。
「――妃菜と飛鳥には、神々の管理をする天照と陽向の手足になってもらいたい。元怨霊のみんなにも顔が広いしね」
「はい、確かに承ります。なんや……選ばせてくれへんの?常世に行くか?って言うてくれるかと思ったわ」
「ごめん。それは言えないよ」
「わかっとる。ほんまに行ってしまうんやな、なんや……寂しいわ」
「そうね、大切な仲間たちとずうっと一緒にいられる気がしてた。私も、妃菜も。
でも、あなた達とこの家で暮らした時は……夢のような日々はもう来ない。そうでしょ?」
「「…………」」
沈黙が降りて、鈴村が鼻を啜る。清音以外はみんな下を向いて何かをずっと堪えているようだ。
寂しくて、切ない気持ちが溢れて、指先まで痺れるような痛みが広がって行く。
芦屋と一緒に過ごして来た日々が、どれだけかけがえのないものだったのか。今になって全員が思い知っている。
俺だって、永遠に一緒にいられると思っていた。それはもう叶えられないんだ。この沈黙は、その事実を示している。
「心配せんでも、私らは現世でしっかりお役目を果たします。隠れ家ももう見つけてるし、やりたい事はようさんある」
「二人なら今まで通り、いろんな人を助けてくれるって信じてるよ」
「うん……でも、忘れんといて。私も飛鳥も、あんたにまた会えることをずっと楽しみにしてるって。
昔みたいに肩を並べて一緒に居られる日がまた来るって、そう思わなやっとられんわ」
「えぇ、私達も前を見続けるわ。最後まで諦めないで」
「うん……妃菜も、飛鳥もありがとう」
「ん、湿っぽいのは性に合わん。ほな次の人にバトンタッチやな」
「あぁ、頼む」
鈴村、飛鳥が戻って次は陽向と天照だ。四人はそれぞれに思いを抱え、陰鬱な顔をしている。
「覚悟してたけど、やっぱ辛いもんやな」
「本当にそうねぇ……こんなに辛いものだったかしら、大切な人とのお別れって」
おしどり夫婦二人は、自室に戻っていく……廊下に二人の涙の滴を残して。
それは暗い廊下の中で月明かりを反射し、まるで星のように光る。
寂寥感に押しつぶされそうになっていると、中庭からガタン、と大きな音がした。
「――は、母上……行かないで……僕を置いて行かないでください!!」
闇を切り裂くような鋭い叫びだ。やがて泣き出した陽向と芦屋が抱きしめ合う衣擦れが響く。
颯人さんと天照さんは、切なそうに眉を寄せて二人をじっと見つめている。
「母上……どうして僕を連れていってくださらないのですか?伏見のように役に立たないからですか?」
「違うよ。陽向はたった一人の俺たちの子だ。だから……現世を長らく守ってくれた、天照の支えとして残って欲しい。天照を任せられるのは陽向だけなんだ」
「兄上は今も変わらずこの国の代表なのだ。現世を離れることは許されぬ」
「……実質、颯人と真幸の方が強くなってしまったがな」
「それでもこの世の理は天照を中心としている。現世を正しく見守って来た陽の神様は、この国の最高神として揺るがないよ」
「孤独な頂点の神を、陽の兄を支えられるのは陽向なのだ。どうか我らの代わりに、真幸の代わりに陽の兄を支えてやってくれ。また岩戸に隠れて仕舞えば人の世は闇に包まれ、憂いに満ちてしまう」
「太陽を照らす光が必要なんだよ。それは陽向にしかできない」
「…………はい」
「天照も陽向を大切にしてあげてね、いつか孫ができたら見に行くから」
「うむ」
和やかな雰囲気で終わると思われたが、陽向が芦屋から離れない。全身を震わせて、大粒の涙をこぼすに任せ、縋るように母を見つめていた。
「お腹を痛めた子ができても、僕はあなたの子で居て良いですか?僕は、まだ母上と呼ぶ資格はありますか?」
「な、何言って……」
「僕……ぼくは、母上のお役に立ててない。生まれてくる時に沢山のものをいただいて、前世の業まで抱えていただきました。無償の愛をくださったあなたに……何も、なにも、」
「バカなこと言わないの。陽向は妹か弟ができたら長男坊だぞ。あ、魚彦がいるから次男坊か。
二人がここに居ると思えばこそ、俺は現世から離れないって決心したんだから。ちゃんと自覚してほしいな」
「…………はい」
俺たちの後ろに控えた魚彦が律動し、瞑目する。魚彦を連れていく気がないと分かってしまった。
となると、仲間内で芦屋と一緒に行けるのは魂が一体化した赤黒、件。旦那の颯人さんと右腕の伏見、後は浄真だけか。……そうか。
「俺の眷属はみんな陽向に一任したい。
親父が依代を作る前からずっと、密かにこの国を守ってくれた神々の事を……よろしく頼む」
「はい」
「天照もね。これからもずうっと……この国を守ってね」
「あぁ、真幸の頼みならば必ず叶えて見せよう」
「ありがとう。……陽向、この際だからちゃんと言っておくよ。子供がまた生まれても、陽向はずうっと俺たちの大切な子だ。
それだけは変わらない、この星がなくなったとしても不変の事実だ」
「はい」
「それから、前も言ったけど。俺の『おかあさん』のトラウマを綺麗にしてくれたのも陽向だし、人間の体が朽ちた時死にかけたのを助けてくれたでしょ。あと、あの……颯人とちゃんと夫婦になれたのも陽向のお陰だよ」
「むっ?」
「……颯人が拗ねないように訂正します。
夫婦仲がうまく行かなくても陽向がいれば、颯人とは縁が切れないし。もし嫌われても息子がいるって思うと心底ホッとしたんだ」
「我と一つになったのだから囁きも聞こえるのだぞ、真幸。そのような事はあり得ぬ」
「もぉー。颯人……空気読んで下さい」
「むぅ」
小さな笑い声とため息、家族の団欒がそこにある。この先は別れ道だが、そんなことを考えたくないくらいにあたたかい空気だ。
「僕が父上と、母上の絆なのですね」
「あぁ、そうだとも。陽向は生まれただけで恩返しをしている」
「そうそう、颯人の言う通り。誓の時、俺の意見を肯定してくれたからこう言う未来を選べたんだ。ありがとう、陽向」
「はい……僕こそ。母上の子に産んでくださり、ありがとうございます。お帰りをお待ちしています」
「我が省かれているぞ」
「父上はハッピーセットなのでどうせ一緒でしょう。またお会いできますことを心より願っています。母上を大切にしてください。
あなたの体力に合わせないで下さいね、無茶は禁物ですよ」
「ぬ、むぅ……言われなくともそうする」
笑顔と共に帰って来た陽向と天照は俺たちに会釈して高天原に帰っていく。……次は、眷属達だ。暉人、ふるり、ククノチ、ヤトとラキ、累が駆け出していった。
ドスっと言う鈍い音の後『ゴフッ』と声が聞こえる。相変わらずタックルされてんな。
「あれ?魚彦は?」
芦屋の声にようやく立ち上がり、魚彦はふらつきながら中庭のガラス戸に手をついた。その表情は歪んで今にも泣き出しそうだ。
「魚彦、芦屋が呼んでるぞ」
「ポーカーフェイスとは、どうやるんじゃったか」
「今更取り繕わんで良いだろ。陽向みたいに泣き叫べ。お前さんにはその資格がある。全部ぶつけてこい」
「…………」
小さな体が揺らぎ、中庭に出ていく。彼は重たそうな足を必死に動かしていたが、抱きついている他の眷属達と離れた場所で立ち止まった。
「魚彦、おいで」
「い、いやじゃ」
「どうして?」
「……ワシを、置いていくのじゃろう?触れたら、別れを告げねばならん。そんなの無理じゃ」
「眷属の勾玉は貰っていく。ヒトガミたる真幸の力の侵食を受けて、お前達は現世で不文律に触れるのだ」
「ならば……ならば、魂ごと喰らってくれぬか。ワシは、真幸と離れてはまともでいられない」
「そんな事したら魚彦と抱き合えないだろ?俺は、赤黒も件も自分の中に吸収しちゃったのを今でも後悔してる。
あっちに行っても、元通りにならないか方法を探すよ」
「本当に、行くのじゃな。常世に。ワシがそこへ行けぬと知っていて」
「…………うん」
――魚彦は常世に行けないだって?
そういえば、史実では確か魚彦とオオクニヌシノミコトが常世に渡ったって伝説があったな。しかし、魚彦はここにいる。
……どう言う事だ……。
「魚彦殿はご自身で常世に渡られたと神話にありますが、本当は違います」
「そうなの?君はそれを知ってるの?」
「えぇ、もちろん。伊達に長生きはしておりませんわ。彼は国造りを終え、全ての責務を背負い切った後……川に流されて神避となりました」
「は?それって、亡くなったって事だよな??」
「えぇ、そうですわ義兄さま」
「その様付けはやめろ。偉い神様にそんな呼び方……いや、それどころじゃねぇ。なぜ死んだはずの魚彦はここにいる?」
「真相は……真幸が話してくれますわ」
呆然としながら中庭に目を向けると、顔を真っ青にした魚彦を芦屋が抱きしめていた。珍しく抵抗しているが、やがて力を抜いてされるがままになり……泣きじゃくっている。
ここへ来てとんでもない事実が判明したんだが。
微妙な顔になった悠人と、相変わらず資料に齧り付いた清音、呆然としている星野……俺たちよりも多くを知る弟の婚約者、全員で我らが主の言葉を待った。




