80 耐戦
伏見side
「ゲホッ!!はぁ……本当に乱暴ですねぇ。魚彦殿がいなければ死んでますよ」
「伏見ぃ、妾はもうダメじゃぁ〜。戦闘なんぞしたことがないんじゃよぉ〜」
「はいはい、わかりました。そこで寝ててください」
ギシギシ軋む骨の音を聞きながら、気合を入れて立ち上がるために、腹筋に力を入れる。呼吸の確保のために、口に溜まった血を吐く。
――いやはや、ここまでとはですよ。
手に持った神器の鍵を杖に震える足を叱咤して僕は立ち上がった。
自分の目にはもはや黒色しか見えていないが、複数の荒神の気配がある。昔々に浄真殿がやっていた、暗闇から複数の敵を繰り出されてボコボコにされると言う訓練がありましたが……アレがいかに優しかったかを思い知りました。命の危険はギリギリなかったですしね。
芦屋さんに預かった魚彦殿がいなければ、さらに治癒術を使える状況でなければ死んでいただろう。
常世の使者に会いに来たらいきなりこれですからね。相当キレてるようだ。
僕が着ていた浄衣は殆ど形を成さぬほどボロボロになった。咲陽殿と共に転移をしたらこの空間に閉じ込められて……何時間が経っただろう。腕時計は隠り世でも働くものを、イケハヤワケノミコト殿にあつらえていただいたのはいつだったか。
それも完全に壊れてしまった。繋ぎのバンドが砕け、手首から外してそれを懐にしまう。
最初は芦屋さんに鈴をつけるつもりでこれを作ったが、全く意味がありませんでしたね。彼女はもはや、常世の住人からも逃げ果せているのだから。
彼の方は今、どうしているだろうか。咲陽さんの話では『時間稼ぎが必要な何か』をしているらしい。その内容は聞けてませんが、きっと自身のためだけにそうしているのではないと確信している。
それよりも、僕が気になっているのは……芦屋さん……颯人様とはきちんと結ばれましたか?今は幸せですか?あなたの『唯一休める場所』は、不変のものになりましたか?
このまま隠れていた方が安全だとは思うが、自分の傍に帰って来て欲しい思いの方が強い。
彼女は何も諦めない……決して逃げない。今はただ、前だけを見て進もうとする女神の眼差しが死ぬほど恋しい。颯人様と二人で微笑みあう姿を見れば、僕はどんな窮地でも乗り越えられる。
何て自分勝手な考えだろう。でも、この独白を芦屋さんが耳にしたら『満面の笑顔』を浮かべるだろうと僕は知っている。
「っはぁ……うーわ……なんですかあの数。殺す気ありすぎでしょう」
「すやぴぃ〜」
「この状況で本当に寝てるんですか?どんだけ肝が座ってんですか??さすが灯火の姫巫女ですね」
闇の中から現れる超常達を、最後まで残ってくれた神器で打ちのめしながら歯噛みする。
魚彦殿を始めとしたヒトガミの眷属を預かり、与賞契約で留めているだけでも僕は本来の力を出せなくなっている。
二柱を支える神継が鬼一の他に居なかったのはこのせいだろう。神力は全て保持に回され、今戦闘に使えるのは元々持っていた人としての霊力だけだ。
瞬殺して仕舞えば時間が稼げないからちょうどいいですけど。なんて強がっていられた数時間前の自分を殴りたい。これは、僕が死ぬまで終わらない気がします。
傍でうつ伏せに倒れ込んだ咲陽さんは、スヤスヤ寝息を立てている。戦闘未経験のこの人が無事なのは、僕たちのおかげですからね!
……仕方ないので結界だけでも張っておきましょう。常世の使者側で道具として使う予定の姫巫女を殺すはずもないが、傷を負っているのは確かだ。
この空間に入って来てから現れる荒神は、どうやら実在している神々のようだった。最初は説得や浄化を試みたがちっともうまくいきやしない。
操られていると言うよりも、芦屋さんがいなくなって動揺した状態につけ込まれた、優しい方達ばかりだった。
醜悪な意志をぶつけられるのではなく、泣き叫びながら『人神の後を追いたい』と縋りつかれるばかりで正直疲弊している。
襲来の波が収まったところで、右手の感覚を確かめる。随分前から酷使しているから、痺れが治らないままだ。
……いつまでこうしていればいい。いつまで僕は持ち堪えられるのか。いや、芦屋さんが戻られるまでは死守しなければ。
自問自答を繰り返していると、耳に嫌な音が聞こえた。
「…………いや……まさか、ですよね」
漆黒の中に響き渡る、錫杖の音。それは遊環が重なり合う金属音を奏でながら近づいてくる。
ついに、一番来て欲しくない方が来てしまった。あじろ傘を被り、瘴気に黒く染まった袈裟服の袖裾を靡かせて……彼は姿を現した。
「――フシみ、そんな顔で見ないで下さイ」
「修行が足りませんね浄真殿。まさか、あなたともあろう方が堕ちるとは」
「颯人様ノ炎にヤかれて、芦屋サんの気配を見失い……この様デす」
「真底までは堕ちていない、まだ間に合います。あなたには守るものがあったはずです。僕に鎮める余力はありませんから自分でどうにかしてもらえませんか」
「でキタラ、そうしテいますよ」
ぐるり、と首を回しほぐした彼は漆黒に染まったその眼球を向けてくる。こうして直面してもまだ、信じられない。あんなに強い方が荒神になるなんて。
颯人様の瘴気に当てられたか、芦屋さんの傷つく姿を見ていたか、守れなかった自分を責めたか……。
とにかく、荒神に落ちてしまったのなら攻撃してくるでしょう。目に入るもの全てに攻撃してしまうのが荒神ですから。
「伏見、浄真は味方につけるべきよな」
「咲陽さん……いきなり目覚めないでもらえますか。簡単に言ってくれますね」
「そうでないと真幸が泣くじゃろ?あれは身の内の分類じゃよ」
「そうでしょうね、間違いなく」
足元で寝っ転がっていた咲陽さんが僕を支えに立ち上がる。彼女は仲間の体を寄せ集めて使った体を持っているから、同じ能力を使えるようだ。
姫巫女にも怪我はさせたくはないが、仕方ありませんね。使えるものはなんでも使わなねばならない状況ですから。
二人で同時に柏手を叩き、彼女は地面に足を踏ん張った。僕は浄真殿を引きつけるために走り出す。
……いつの間にか咲陽さんと阿吽の呼吸になってるの、ちょっと嫌なんですが。
姫巫女は星野の祓術を展開し、地上に青白い光の波が広がっていく。途中にいくつもの霊壁を作り出し、氷の塊よろしく透き通ったブロックが僕と浄真殿の間に生まれ、瘴気が遮断された。
あー、霊壁を錫杖で叩き始めましたね。相変わらず剛腕だ……霊壁が壊れる音を聞きながら親指を噛む。
血によって陣を描いて管狐を召喚し、白狐達が浄真殿を取り囲んだ。
ぽんぽん、と慣れない様子で再び柏手を打った姫巫女は芦屋さんの声でひふみ祝詞を謳いだす。その瞳はじっと彼を見つめている。
キラキラ広がっていく虹色の光は、芦屋さんの神力の色だ……その光波に飲まれた彼は動きを止めて、呆然としていた。
「……合成獣ノよう……でスね」
「僕もそう思います。チート過ぎますよ姫巫女殿は」
「だが、偽物だ。彼の方には及ばない」
「……チッ、そう言うセリフだけ正気に戻るのやめて下さい!」
浄真殿は錫杖を振り翳し、狐達を押し除けて走り出す。僕は黄金の鍵を掲げ、咲陽さんの前で彼と杖を結び合う。
お互いの杖の金属が打ち合わさって火花が散った。
祝詞の効果が消えている。あぁ……文言を間違えましたか。
「咲陽さん!祝詞を間違えたらやり直しですよ!!」
「むぅ……難しいのう。浄真、真幸は生きておる!何故そのように荒ぶるのじゃ!」
長い錫杖がくるりと彼の目の中で回され、石突部分が地面に叩きつけられた。その瞬間、杖の部分が二つに分かれて刃が現れる。
――これは、仕込み錫杖だ!
「咲陽さん、下がって!」
「無理じゃー!祓術がトリモチみたいになっとるー!!」
「クソッタレですね!!」
咲陽さんの術をことごとく自分の術に変換し、浄真殿は嗤っていた。あー、やはり悪役の方がお似合いですねぇ。
高笑いしている隙に懐に飛び込むと、彼は驚愕の表情になった。やや覚醒している……間違えた祝詞でもやはり効果は出ているようだ。
もしかしたら、荒神から戻せるかもしれない!腰のバネを利用して思い切り錫杖を叩く。体制が崩れて、彼が後退る。
その隙に咲陽さんを抱えようとして背を向けた瞬間、肩口から熱が走った。
「伏見!」
「ぐっ……う……」
二の太刀を振り上げた彼に向かい、血が流れる肩をそのままぶつけて後方に跳躍する。足先を伸ばした着地点にコロン、と寄木細工の箱が現れた。あれは、コトリバコだ!
背中にぞくりと冷えた気配を感じ、蓋の箱が開かないように祈る。
――だがその願いは、おそらく叶わないだろう。
「マズイ……!!」
足先で予想通りコトリバコの蓋が開き、中から大量の黒煙が立ち上がる。中から見えたのは複数の刃……いや、鋭く尖った歯だ!
隙間なくびっしり生えた歯は大きく口を開けた獣のように僕達を飲み込もうとしている。
軌道を変えたくても、もはや欠片も霊力は残っていない。――ダメだ……飲み込まれる――。
『結界で箱を壊して』
「……!?」
もうダメだ、と片足を諦めた瞬間耳の中に声が響く。
優しく温かいその音声が身体中に共鳴して、胸の内から枯渇していた霊力が漲り溢れた。
足先が箱に触れる瞬間、爪先に新しく結界を幾重にも張って足先で荷重を加えた。パリパリとガラスを踏むような音が聞こえ、反発力を抑えていると背後から殺気が迫った。浄真殿の香が漂ってくる。
「背は任せよ!」
「はい!」
姫巫女が胸元からスラリと何かを引き出す。白い光を返した……刀!?鞘に刻まれた紋は、木瓜と芭蕉紋だ!
細い刃は彼女の両手に支えられ、浄真殿の一撃を受け止める。
ガキィ、と耳元で炸裂する音に思わずしかめ面をしてしまう。顔の近くで火花とか出さないでください!
「浄真!真幸は必ず戻る!正気になるのじゃ!」
「――姫、巫女ハ……勘違いシている。お前の声は、誰に届くはずもなイ!!」
「その話は後にせよ!ウオォ、重たいのじゃああぁ!伏見!早う!コトリバコを壊せ!」
「そう言われましてもね!硬いんですよ!!」
「く……もう保たぬぞ!」
僕は両足をおろして踏ん張り、その度に壊れる結界を張り直す。首の横で刃の触れ合う金属音に、頸の毛がぶわりと逆立つのを感じた。
「彼の方の心を傷つけたのはお前だ、今更味方のツモリか!」
「そう言われても困るのじゃがー!妾もこんなだと思っておらんかったのじゃ〜!」
「くっ、壊れない!この!この!!」
三者三様の叫びを発し、僕は地団駄を踏む。寄木細工模様に隙間ができて、ひび割れて、少しずつ箱が割れて行く。
あと少し……色んな意味で保ってくれ!!
必死に結界を張り続け、背中合わせの姫巫女がずっしりと重く感じる。霊力はまたもや枯渇しそうだ……こめかみから汗が伝い、顎から落ちた。
全員が完全にこう着状態になった瞬間、僕の胸元にある勾玉が目に入った。
木目調の鈍色に輝くそれは、咲陽さんと浄真殿の霊力の光を反射して七色に輝く。
チェーンを引きちぎり、口に放って飲み干す。勾玉の熱が喉を通り、胃に達した瞬間――膨れ上がった何かが体の熱を上げて行く。半ば朦朧としながら僕は神器の鍵をコトリバコに差し込んだ――。
━━━━━━
「……いっ……」
先ほどよりも全身が痛い……。体がバラバラになってしまったかのような激痛にうめき、体を起こそうとすると首筋に刃が触れる。
重い瞼を必死に持ち上げると、白丸の中に三月形の赤が浮かぶ。龍涎香の香りが重くのしかかり、赤の月は角度を鋭くした。……誰かが間近で嗤っている。
一難去ってまた一難ですか、そうですか。
「お前が死ねば、人神は荒神になるだろう。その方が扱いやすい」
「……どなた、ですか」
「お前達は〝常世の使者〟と読んでいただろう?現世での名は『役小角』だ」
「陰陽師名家〝加茂〟の血脈、陰陽術や呪術の始祖ですね。あぁ、修験道もでした」
「そうさな、大した事はしていないが名は残っている」
「咲陽さんは……?浄真殿はどうなりましたか」
大きなため息が目前で落ち、その風で視界が冴える。顔を白粉で塗り、唇に紅を引いた……男が目の前にいる。珍妙な模様を全身に描いた彼は、赤い口を裂けるほど引き上げて再びニヤリとした。
「主の真似か、自分を心配したらどうだ」
「どうでしょう?僕が死ぬなら保険が欲しいなぁと思いまして」
「くっくっ、肝の座った男だ。流石はヒトガミの右腕よな」
そろりと右腕を動かし、感覚のないまま地面を探る。僕の……ウカノミタマのオオカミがくれた神器がすぐそばにある。
芦屋さんが諦めていないなら、まだ諦める訳にはいかない。
「死ぬなら知っても意味がなかろう。ああ、まだ動くか」
「……っ!?」
手のひらに刺さった何かが強烈な痛みを生み、ドスドスと鈍い音で四肢が固定される。赤黒い霧をあげながら刺さったそれは楔のように地面に体を縫い付けた。
白石の言葉を思い出し、瞼を閉じる。「神の身体は切り分けられたくらいなら再びくっつくが、芦屋の勾玉がもたらす恩寵は無くしたものまでは及ばない」
溶けた指先は黒い液体になり、その侵食は徐々に身体の中心へと向かってくる。
まずい、これは本当にどうにもならないぞ……。
肉の腐った臭いが鼻をつき、覚悟を決める。楔ごと地面から手を引き抜き、神器が手に飛び込んで来た。両手で掴んで役小角に差し出した瞬間……背中が暖かくなる。
「――俺の右腕を汚したな」
「ア……アッ!?お前!!」
「伏見さん、よく頑張ったね。もう大丈夫だよ」
耳元に囁く声は甘く、優しく僕の名前を呼ぶ。
『ぼくは、ちゃんと、出来ましたか?』
「あぁ、本当に助かったよ。ごめんな、痛い思いさせて。あとは任せてくれ」
目頭から勝手に雫が溢れ、体を包み込む柔らかな彼女の神力に……僕は瞼を閉じた。
━━━━━━
「咲陽、大丈夫か?暉人が支えてやってくれ。俺は伏見さんから手が離せないんだ」
「応」
「なに、心配するな。妾は伏見に守られて大した怪我もない。元々骨ができておらぬのじゃから放っておけ」
「やだよ、痛みはあるはずだ。魚彦、浄真さんが終わったら咲陽の手当てを頼む」
「応!浄真!しっかりせい!!」
「手首から先はダメだ、これはもう使えぬ」
「……わかった。颯人、足の方頼む」
「応」
さわさわと誰かが動き回る気配を感じている。硬い地面から頭を持ち上げられて、柔らかいものの上に下ろされた。全身の感覚がなく、自分がどうなっているのか全くわからない。
瞼の上に小さな手のひらが触れて、あまりの心地よさに声が漏れた。
「伏見さん、気がついた?ごめんな……遅くなって」
「…………さ、ん」
「うん、もう大丈夫だからな、今くっつくところは治してる。すぐに必要なくなるけど、もう少し我慢してくれ」
「……さ、ん」
口が悖らず、芦屋さんと言ったつもりがほとんど言葉を成していない。だが、彼女にはきちんと聞こえているようだ。
手のひらの緩やかな動きは傷を慰めるように動き、時々『ゴスッ』とか『バキッ』と音がしている……まぁ、そうでしょうね。腐り落ちた肉は失われたのと同じだろう。残しておいてもいい影響はない。
手足が無くなる事は覚悟していた。僕が彼女の期待に応えられたのなら、何も悔いはない。
「とりあえずお家に帰ろう、お布団に寝かせてあげたい」
「アレはどうするのだ?」
「咲陽がうちに入ったならもう居場所はバレてるよ。俺の結界の中なら動けないから大丈夫、連れていこう」
「うむ、わかった」
「あしやさ……ぼく、は」
「うん」
「ぼくも、いきたいです。あなたといっしょに、」
ぼやける視界の中でも芦屋さんの顔だけははっきり見える。泣きそうな笑顔を浮かべた彼女は僕の頬にゆっくり触れて、微笑んだ。
「うん、一緒に行こう。伏見さんは置いていかない。ずうっとずうっと俺と一緒だよ」
「あぁ……あ……うれし、です」
必死で伝えたただの懇願をあっさり認められて、意識が遠のいていく。甘い香りが一瞬濃くなり、芦屋さんの唇が額に触れたのが分かった。
「本当にありがとう……伏見さん。さすが俺の『あずかり』だ。これで全部がうまく行くよ、きっと」
その言葉を最後に、幸せな気持ちの中に全てを投げ入れて……解けていく意識の糸を手放した。




