67 変化
アリスside
現時刻 18:30。私たちは旅程の途中まで倉橋さんの運転する車で移動して、途中から長距離転移術を行い、広島県にやってきている。
厳島神社がある神の島『宮島』手前の山中にひっそりと佇む廃寺。そこは……日が落ちたいま、悪霊たちの巣となっていた。
懐かしいです、この瘴気と血、穢れた闇の匂い……裏公務員時代から嗅ぎなれたものだ。
モワモワと立ち上がる黒い気配たちは木々の影からギョロリとした目を覗かせて、突然現れた私たちを眺めている。
――血走ってますね、ドライアイでしょうか?
サクサクと枯れた葉を踏み、柔らかく暖かい香りを漂わせた真幸さんと颯人様が歩く。本当にお久しぶりのスーツ姿で二人は佇み、辺りを見渡している。
シュッとした立姿ですが、ちょっと胸がキツそう。真幸さんのジャケットのボタンを外してあげた颯人様は頬を赤らめている……くそぅ、成長したってワケですか。
今いる山頂からは遠くの海が見えた。そこにはたくさんの漁船が明かりを灯して行き交い、眼下には街の灯りが煌めいていた。人々の暮らしの間近にこの状況があるのは、大変よろしくありませんねー。
「――――」
「そうだな、ここいらで悪さをしている者たちは全て悪霊のようだ。手を差し伸べてやっても浄化はできまい。一思いに祓ってやろう」
「――――」
「あぁ、寺の本殿に龍が隠されている。穢れを負っている故、暴れそうだな」
真幸さんと目を合わせ、作戦を立てているのはわかるんですけどー。颯人様……あなた方は後衛で、私が先陣を切るはずでしたよねぇ。
何で一番前で腰に刀を佩いてやる気満々なんですか!草薙の剣はどこへ!?その刀、真幸さんとお揃いですか!?羨ましいです!!
同じように刀を持った鬼一さんは、私の横でしょんぼりと眉毛を下げている。金色の十手を握った伏見さんも、錫杖を手にした浄真さんも同じ表情。
――ダメだ。このメンツでは。白石さんか妃菜ちゃんがいないと、あのお二人を引き止められる気がしない。
「あれ、真っ向から切り込む気満々だよな?守護担当って言ってなかったか」
「言ってましたね。私たちにはしっかり結界を張ってくださってますから、役割を果たされてます。まさか護符まで作られているとは思いませんでしたが」
「何なんですか、この護符。持ってるだけでガッチガチの結界張られてるんですけどー。基本ってこういうことですかー?」
「はいはい、そうでしょうねぇ。芦屋さんと颯人様が密かにご用意されていたのは昔の陰陽師がやっていたものばかりです。
護符もそうですが、あの刀……精霊の守護を最大限に付与しています。さぞ切れ味がいいことでしょう」
「怖ぇ。刀からふわふわして見える、あれが祝福なのか?あんだけ精霊に力を授けられるって……何したんだあいつ」
「ハイハイ、今朝の祝詞を見て思いましたが、神々にも守護を頂いています。彼の方の体内には名だたる神を宿し、口から出てくる吐息だけで辺りを浄化されてましたでしょう。いやはや……恐れ入りますよ」
「浄真殿、感心していないで止めてくださいよ」
「それは伏見の役目でしょう」
「僕は芦屋さんのご意志に沿うことだけします」
「今までそれを覆してきた輩が何を言っているんですか。困りましたねぇ」
はい、思った通り打つ手がありませんねー!!ため息と共に苦い気持ちを吐き出して、着物の袂にしまった護符を取り出した。
細長い綺麗な和紙は、おそらく手作りで作られている。そして、記された文字が陰陽師にはお決まりの種子。独特な図形が描かれているけれど、この組み合わせはとても馴染みがあるものだ。
これは安倍晴明が使っていた『身固め』という術です。邪を祓い、魔から守り、自身の魂が身体から離れないようにと祈りを込めて作るお札なんですけどね。
端っこに人神って書いてあるんですよ。手のひらにある聖痕のマークと共に記されてるので、人神様の加護がついてるんです……。
護符を起動させるには、もらった人が刀印を組んで文字をなぞればいい、簡単なもののはずなのに。
発動したらとんでもない結界が張られてしまいました。多分これ、自宅と同じくらいの効果が出てます。何年も重ねた結界と同じ効果ですよ??
体の周りにピタッと張り付いた七色のシャボン玉みたいな膜は、柔らかくて引っ張ると伸びる。どれだけ伸ばしても網目が見えない……恐ろしい細かさの結界です。
「私がヒントを出した結界がこうなったのですねぇ……何というか、何にも言えませんねぇ」
「浄真さんが教えたんですよねー?結界の作り方」
「はいはい、とは言えませんよ。最初は網目が見えていたのに……こんな……ハァー……」
師匠が呆れてますよー、真幸さーん。でも、正直なところ戦闘員としては大変興味があります。霊力も神力も尽きることはなくなりましたけど、力が封印されている状態でここまでの結界が使えるなんて。真神陰陽寮の神継達にも使える方法だし、すっごくワクワクします。
「はいはい、止めても無駄ですね。あの笑顔見てください」
「……わぁー、お二方とも満面の笑みですねぇー」
「ストレス発散できるならいいんじゃねぇか?最近動けなくてモヤモヤしてただろうし」
「鬼一、僕たちのストレスは現在進行形で生じてます」
「う、うむ……」
鬼一さんのなんとも言えない表情を見て、伏見さんは溜息をつきつつおふたりに声をかけた。止めるつもりはなさそうですね。
「颯人様、いかがですか?」
「そなた達も同意見だろう?ここ一帯の怨霊達は悪霊になっている。祓わねばならぬ。
自我が完全になくなっており、魂の欠片ばかりだ。手分けをせぬか」
「お二人が後衛に回っていただくという方法は、ありませんか」
「伏見には見えぬか?堂の中に龍と共に閉じ込められているものがある。あまり時間をかけない方が良いぞ」
「えっ!?な、何がいるんですか!?」
「悪さをする妖怪、と言うのが本来の事件概要ではなかったか?それがいる」
「……アーそう言えば、そんなこと言ってましたねぇ」
「アリスが担当なら狐か?広島にも狐の伝説は多数あるが、何だろな?」
「人を騙して死に至らしめる、痴話喧嘩を見たいがために男を誑かすと言う『おさん狐』が有名です。女狐という言葉の発祥でしたか」
「伏見、他にもいますよ。あなたのご実家に位をもらいに行く程の大狐もまた『おさん狐』です。人と共に暮らした教養のあるものが居ますからね」
「ふーむ、伝承は様々として。本物を見るしかなさそうですね。ではお堂には私が行きまーす」
「では、我らがアリスの共をしよう」
「……仕方ありません。鬼一は西、僕は東、浄真殿は南からお願いします」
「はいはい、サクッと片付けて本丸に合流しましょうね」
打ち合わせが終わって、武器を手に山門の前に立つ。ボロボロに朽ち果てた木の門は、古くに建てられたしっかりした作りのものだ。
けれど……人が離れて仕舞えば、こうして朽ちてしまう。ここもきっと、毎日お掃除をして祈りを捧げ、そこにお参りに来る人がいたでしょうに。切ないですね……。
じっと行方を睨んでいると、伏見さんの『ひゃっ!?』と間抜けな声が聞こえる。何事ですか?
「はわわ……あわわ……」
「芦屋さん!私には盛大にぶちゅっとお願いします!」
「浄真、我の目を見よ」
「控えめでいいです、スミマセン」
浄真さんを睨んだ颯人様、苦笑いの真幸さん……伏見さんは膝を抱えて小さくなってますが、もうやられた後ですか。
浄真さんは膝を地面につき、頭を垂れる。そこに真幸さんが屈んで額にチュッとキスしてる……あぁ!これは祝福!お守りですねっ!!!!!!!!!!!
「お、お、俺はいい!」
『なぁんでだよ、ちゃんとお仕事させてよ。今回俺は守護役だろ?早く屈んで』
「くっ……う……」
『鬼一さん、届かないよ』
耳まで真っ赤になった鬼一さんもようやく身を屈めて女神の祝福を受け取り……次は私の番ですねぇ!!
さっさと膝をついて、おでこにかかった髪を避けると真幸さんの柔らかい唇が触れる。
触れた瞬間にほわりとシャボン玉色の結界が波打ち、暖かい気配に包まれた。
『怪我しないでね、アリス』
「はい!ありがとうございます!!めちゃくちゃ祓いまくりましょう!!」
私は一人元気にグーを突き上げるも、伏見さんはフラフラと山門を潜っていなくなり……鬼一さんは真っ赤のまま、浄真さんはスキップしながら消えていった。
『伏見さん達大丈夫かな……』
「多少は痛い目をみても致命傷にはなるまい、其方の護符は完璧なのだ」
『ふふ、じゃあ俺たちも行こうか』
「はいっ!よろしくお願いしまーす!」
私たちもようやく山門をくぐり、瘴気の渦の中へと身を投じた。
━━━━━━
「真幸」
「――」
刀を掲げ、すいっと真幸さんがそれを薙ぐ。それと同時に真っ黒な瘴気が霧散して颯人様が駆け出していく。
わらわらと湧くように大量の悪霊達が湧き出し、それを音もなく切り、祓って浄化させていく。
お二人の身のこなしは軽やかで隙がなく、四方八方から飛び出してくる目玉やら肉塊やら、よくわからない臓腑のミックスがキラキラと輝く欠片になって行った。
相手も相手で爪先すら届かぬままに掻き消されてしまうのに、懲りずに津波のように押し寄せては刀の祓いで消え失せて……、キリがない。
「ぜー、はー、ちょっと、数が多くないですか」
『確かに多いなぁ。アリス、大丈夫?』
「いや、あの、なんで真幸さん全然平気なんですか?」
『そうでもないよ、汗はかいてる。いい運動させてもらってるよ』
刀を納めてポケットから取り出した檜扇に仰いでもらい、涼やかな香りと風にホッと息を吐く。
時計の針はあちこち気ままに動いているから、ボスの妖怪とやらが作り出した隠り世の中にいることだけはわかります。
ただ、颯人様はもちろん真幸さんも呼吸は乱れていない。二人の連携が鮮やかすぎてサボり気味の私だけがゼーゼーしてます、はい。
「少々おかしいな。アリスがそのように息を切らすなど」
『そうだね、ちょっと瘴気が濃いし。一気に浄化できたらいいんだけどさ』
「アリスは……不得意だったな」
「ハイ、スミマセン」
傍で苦笑いを浮かべた真幸さんは、顎からぽたりと雫を落とす……頰が少し紅潮してますが、本当にいい運動の範囲みたいですね。
私は妖怪のくせに瘴気が苦手なんです。まるで水の中を泳がされているような気になって、さっきから体が重たくて仕方ない。
「そろそろマガツヒノカミのあっぷでーとを、すべきかも知れぬ」
『それもそうか。せっかくだしやってみる?』
「え?え?アップデートですか?あ、そう言えばマガツヒノカミって浄め祓いが得意な代表の〝セオリツヒメノカミも含む〟と随分前に仰ってましたね」
うん、と頷いた真幸さんはヒラヒラ飛んできた黒い蝶を手のひらに乗せて、そっと掴む。……それ、悪霊ですよね?
「よく見ていろ、アリス。真幸の浄化は吐息が主たる力源なのだ。腑中にある我の勾玉が作用し、真幸の心を通して浄化を成す。
要するに、心持ちだ」
「な、なんか、身も蓋もないですが……ハイ」
真幸さんがふうっと吐息を吹きかけると、蝶は羽の先から少しずつ砕け、手を離すとキラキラ輝きながらそれを瓦解させて……かけらも残さず消えていく。
なるほど、怪我を治すときにふうふうしてるのはそれが由来ですか。
『アリスの中にはセオリツヒメノカミが確かにいるよ。伊勢神宮の別宮にも祀られている力のある神様だ。祝詞に記されるくらいのすごい柱だよ。禍も祝福もアリスはその身に宿している』
「そう、ですね。古事記の改訂版を出した本居宣長さんもマガツヒノカミと同一神だって言ってました」
『うん、だからね……多分瘴気に弱いのはアリスの体に取り込んで浄化させようとしてるんじゃないかなと思う。これだけの濃度に晒されるのも稀だから、今がチャンスじゃないかなぁ』
「むむむ……わかりました。やってみましょう!」
この先何があるかわかりませんしね!使えるものはちゃんと使えるようになりたいですし!!
マガツヒノカミを喚ぶと、顔色の悪い彼が姿を現す。そして、ぽすっと私の肩に顔を埋めた。
「ア゙ーーーー、気分が悪い」
「ちょっ、何してるんですか!シャキッとしなさい!シャキッと!!」
「うるさい……瘴気の中に喚ぶからだ。オレは吸収しやすいんだよ、こう言うの」
「え、そうなんです?浄化目的でそうしてるなら、綺麗にすればいいじゃないですか」
「できたらやってる。アリスの属性自体が陰陽で言うところの陰だぞ、呼びあってしまうんだ。
セオリツヒメノカミがいると言うのなら、浄化目的で引き寄せている可能性はあるが、清め方が分からない」
「うーん?なるほど」
黒いフードのパーカーをかぶって、またもや私の肩に顔をぐりぐりしてる……いや、可愛いとは思いますけど。弟みたいなものですからねー。
成長していく様子も見ていたし、ちょっと前まで『ぼく』って言ってたのに……すっかり元のひねくれ少年になっている。
でも、うん……いつしか、マガツヒノカミの瞳の色は私と同じ空色に染まっていた。体がばらけてしまって、真幸さんに二人で抱きしめられたあのとき。きっと彼は私の家族になりたいって思ってくれて、そうなったのだと思う。
……今のままだと、辛そうだし。私ができることがあるなら、やってあげたいと思います。よし!腹を括りましょう!
「むーん、むーん?やはりあっちの方がいいかな」
「アリス?」
「マガツヒノカミ、ちょっと、目をつぶっていただけますかー?」
「……?」
私は生まれからして大妖怪でしたし、今までお世辞にも綺麗な仕事をしてきたとは思えない。彼を迎えてからもそうだったし……身のうちにたくさん命を喰った証がいくつもある。
浄真さんのお寺で、その人達の分まで生き、全部背負うと決めた。あの時から、頭の中には恨み節が聞こえなくなったの。
ずっとずっと聞こえていた自分を責める声は、私の心が発していたのだろう。悪い事をしても、悪い人のままなら何も考えずに済んだけれど……そうさせてはもらえなかった。
神様になれるなんて思ってはなかった。でも、結局『自分は妖怪なのかぁ』とがっかりもした。真幸さんに出会えたは僥倖でもあり、そして地獄の始まりでもあった。
自分がいかに穢れた存在かを思い知るんですよ。彼女は身震いするほど清冽で、綺麗な魂をお持ちですからね。
でも……マガツヒノカミを思う私の気持ちは、同じように綺麗なものだと思う。真幸さんの心と同じまでとはいかなくても、素直な気持ちで私という依代を大事にしてくれる。
ずっとそばにいて、私を支えてくれた意地悪だけど甘えん坊で優しい子。
自分のことは嫌いだと思えなくても、彼への気持ちなら信じられるから。
最初に私を愛してくれていたのは、真幸さんで間違いないけど……私、あなたも同じなんじゃないかなって思ってます。
人を愛さなければ愛されることはなかったと思うし、知らないままで生きていくのはきっと難しかっただろう。
穢れ切った私の元へやってきて、みんなと出会わせてくれたのは、私を選んでくれたマガツヒノカミのおかげなのかも、と思うようになった。
じっと彼の姿を眺めていると、ほのかに笑顔が浮かぶ。こうしてよく笑うようになったんですよね、あなたも……私も。
ふと、遠くから一迅の強い風がやってくる。
真幸さんと、颯人様のポニーテールが揺れて、お二人が瞼を閉じた。
その瞬間、私はマガツヒノカミのつるんとしたおでこに口付ける。
初めてしたから、上手くできたかわからないけど……ちゅっと可愛い音がして、真っ赤な顔が私の瞳に映った。
「な、……な、、なに、」
「真幸さんの真似をしてみたんです」
「………………」
「何か変化はありませんかー?」
「………………」
真っ赤になったまま固まってしまったマガツヒノカミに変化はない。なんだか悔しくなって何度もチューチューしていると、やがてフードがはだけてのぞいた黒髪から……さっきの蝶々みたいに黒のかけらが剥がれて、風に溶けていく。
「これは!!!」
「う、う、もうやめてくれ……」
「いやいや、ここは回数を稼げと言うことですよ!!!ささ、オデコを出してください!」
「なんでだよぉ……うわ、やめろ!」
やめろといいながら私の祝福のキスを逃げずに受けて、首まで真っ赤に染まったマガツヒノカミが笑う。
瘴気の中で真幸さんと颯人様の生暖かい視線を受けながら、私はひたすら彼のおでこに吸い付くのであった。




