66 原点回帰
颯人side
もうすぐ陽が中天に昇る。我は台所に真幸と二人で立ち、昼食を作っている最中だ。皆それぞれが調査に出かけているが続々と家に戻ってきた。
浄真が釣り上げた魚は夜に出すことになっているから、昼は魚以外にしようと言うことになった。
口に出さぬが、我もしばらく魚続き故味に飽きている。
しかし……真幸は割烹着が似合いすぎていやしないだろうか。あまりに眩く愛らしい姿に目が眩む。
黒絹の髪をまとめているから白い頸が覗いている。着物の抜きでさらに色気が増しているのだからたまったものではない。
これが我の物だと公言できたならどれだけ安堵するか……本人にはわからぬことだろうな。
よもや掠め取ろうとする輩はおるまいが、愛おしい女の色香が無防備に晒されているだけで足先がむずむずするような心地になるのだ。
(ありゃ、卵が賞味期限切れそうだから使おうか)
「では、我が卵焼きを作ろう」
(うん!お願いします。颯人すっかりお料理上手になったもんね)
「うむ、其方から学んだのならばそうなってしまうだろう」
(んふふ。じゃあ、伏見さんの好きな青海苔入れてあげようか)
「真幸の言葉にしょげていたからな。浄真も一言申したようだが」
(え?そうなの?)
「うむ。瞳をひとつ失い、物理的にも心理的にも視野が狭まっている。昨晩の指導は素晴らしいものだった」
(そうだね、真さんはいつも大切なものに気づかせてくれるんだ)
「其方にも忠告していたのだぞ?」
(わかってるってば。でも……うん、俺は大丈夫だよ。颯人と散々練習したんだから)
「そうだな」
卵焼きの専用鉄鍋を火にかけ、油を敷き火力を弱くして置いておく。しっかり熱さねば熟した鉄器とはいえ、卵が焼きつくのだ。それは良くないからな。
器に卵を割り、醤、砂糖、出汁の粉を匙ですくって中に入れた。この配合は真幸が研究し、至高の味として定められている。我も大変好みの甘さと辛さが味わえる素晴らしいものだ。
箸でそれを混ぜていると、横で真幸が鼻歌を歌い出した。
――真幸の声は、誰にも聞こえない。体のうちに閉じ込められた眷属たち、耳飾りのまま変化が溶けぬ赤黒もまた同じだった。
仲間には読唇をする者がおり、我が訳してやらずとも会話ができるが……誰も、以前のままの音を聞けぬ。
清く美しく、透き通ったたおやかな声は我だけに届くのだ。
まるで、裏公務員時代の逆転のようでもあるな。顕現したばかりの頃は古語を発しており、その意味が通じず真幸が言の葉を訳していた。
少々勝手は違うものの、愛おしい人の声を独占できる。さらにその響きを伝えるのはまるで……心を重ねているかのような感触だった。
直に触れ合うのが一番良いが、そうしているだけで我らは一つになるようで、全てが悦びで満ち溢れている。
相棒が我を見つめている時間は長くなり、そばにいる時間も長くなり、心なしか深淵の闇を宿した瞳までもが輝きを戻しているように見えた。
このままでもいいと思ってしまうほどに甘美な様相であるものの、本人はそれを許してはくれぬ。そううまくは甘えてくれぬのがもどかしい。
我が何でもすると言うても、うんと頷かぬのはこの姫が初めてだな。
(そういえばさぁ、俺担当の八犬伝キャラが犬坂毛野胤智って、まだ納得できないんだけど)
「そうか?智の宝玉を持ち、犬士一の美貌の持ち主だろう。男でありながら女子として育てられた点は逆であるが。些細な違いはありこそすれ、よく似ている」
(美貌ってところがおかしいだろ。と言うか俺の〝オタク気質〟を〝智慧〟だってのはどうなんだ。ただ探究心があって多少多く知ってるってだけなのに)
「ふ……それは自身が評するものではない。我とて後世に残った説話で属性が決められているのだ。既に経験済みだろうに」
(まぁね、そうだね。諦めてるよ)
「我の話は真実がどうか分からぬままに、粗暴さもやや控えめの表現になり、英雄譚がうまく語り継がれている。それはどの神とて同じだろう」
(うーん……それでも颯人の伝説は、結構乱暴者の印象あるけど。
まぁ……どう語られたとしても、俺はその場に居ないからわからんしなぁ。なにが本当なのか分からんままってのは、仕方ないのかもね)
「其方はどこにいようとも、我が傍にいるのだ。後の伝説は些細な囁きであり、我らの真実に障は出ぬ」
(うん、そだね……)
心の揺らぎで低くなった声色に寄り添えるよう、想いを込めた言葉で伝える。二人で話し合った結果、この先何が起きても『やるべき事をやって行くしかない』と結論づけた。
逃げず、諦めず、挑むことだけは覆さぬと決めて、最終手段も確定している。それが伸るか反るかはその場面にならなければわからぬだろう。
伏見への説教話は、我にも通ずる。浄真が諭したのは《真幸の心根を正しい形で理解しろ、常世に行くのならば更に尽力すべきであり、幸せな未来ばかりを見ている場合ではない》という……警告に近い忠告。
簡単にいえば『油断するな』と言う事だ。我にも耳が痛い話ではあった。
真幸をこの世から失うとなれば、超常も共に去る事になる。そして、目に見えぬ物を護っているのは超常なのだ。
それを明確に知るものは少ないが、存在自体を知っていれば世の中の形が変わった時に気づくやもしれぬ。
『神々を失うことの意味』を、件が下した預言は表している。
真幸が絆してしまったのが超常というのが大変不味かった。人であれば限りある命であり、常世の国へゆこうなどと思うこともないだろうが、超常ならば現実として成してしまう。
それらと共に常世に行くとして、その後は?
この国の安穏の確証は?諸国の神までも連れていくならば、その責任の所在は?
そして、すべての平和を奪うとしたら……その結果がどれだけ真幸を傷つけてしまうのか。それを浄真は危惧しているのだ。
だがそうはなるまい、と我は確信している。
木偶が咲陽の魂を宿しているのなら……清音の心根が最後まであのままならば間違いない。
富士山の麓に現れた龍は『摩那斯』だ。この龍が持つ大意、象徴は……太刀・大いなる力・高意・慈心。
さらに忍耐・協調・調整・妥協と、まさにヒトガミとして生きてきた真幸を表す言葉のみで構成される。
黒龍の鱗が我の瞳に映った時、思わず目頭が熱くなった。
我の色は、クシナダヒメ達が言うように黒だ。その色に染められた真幸を表しているようで……胸が締め付けられた。
本人は『腹黒いってか』と言っていたが、あれは神力の色ではなく魂の色なのだろう。
我は相棒として愛おしく思う真幸を自らの色に染めた。その証拠を突きつけられたようで胸が震えたのだ。口に出して言えぬが、本当に嬉しかった。
(颯人、卵焼きラップで包むの忘れてるよ)
「あぁ、うっかりしていたな」
(何か考えてたんでしょ?ニヤニヤしてるし)
「そうだな、とても良い考え事だ」
(さいですか。なんか怖いから聞かないでおく)
「聞いてくれても良いのだぞ。二人で話さねばならぬがな」
(…………そ、そう。ふぅん)
今度は耳が赤くなったな。こういった話をする時はいつも……いや、そう言えば近頃嫌がられた事がない。はて、いつからこうだっただろうか。
(…………あのさ、そのぉ……お昼食べたらお散歩したいんだけど、いい?そこで颯人の話聞かせてよ)
襷掛けで括られた袖をつい、と引っ張った真幸は上目遣いでこちらを見つめてくる。
またもやはたとして気づいたが、このように二人になろうとする時間が増えたような気がする。嬉しくもあるが、突然の変化に正直戸惑ってしまう。
まるで、真幸の心が我の愛を受け入れたかのようでは……ないだろうか。
(ほいでさ、もう一回、刀の合わせ方練習しよ?もうちょいスピード上げたいんだ!)
「うむ、我が浅はかだった。そうだな、其方はそう言う女子だ。知っていたのに期待した我が悪い」
(な、なんだよ!嫌なの?)
「はぁーーーーー……良い」
(なんか機嫌悪いのか?お腹減ったんだろ。颯人の好きなきゅうり出してあげるから機嫌直してよ)
「仕方ない……胡瓜如きと言いたいが、其方の料理ならば機嫌が治ってしまう」
(えへへ、じゃあ浅漬けつくろっか。唐辛子と、塩昆布入れる?)
「うむ」
二人して含み笑いを浮かべ、おかしくて仕方ない。機嫌が悪くなることなどありようがないとわかっているのに。
互いに心を交わせるようにはなっておらぬ現状、だが全てを知り尽くし……他に代わりがおらぬと思い合えている。
手を出すことだけは許されておらず、相棒という曖昧な一線で我らは向き合っていた。
その先に向かう事は焦らしに焦らされ、まさか三百余年を超えるとは思わなんだが……一歩くらいは踏み出しているだろう。
約束した未来は変わる事がないのだ。『お互いの唯一が自分である』と事あるごとに確信を得るばかりで、幸せに思わぬはずなどない。
それは、この先どこで生きようともなにも変わらぬ。
真幸の柔らかな髪を掬い、そっと口づける。顔、耳、首筋まで赤く染った姿の愛らしさを眺めながら、満ち足りた心持ちで相棒を抱きしめた。
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「ごちそうさまでした!すみません!あの!そわそわしてます、なう!!!!」
「アリス……うるさいですよ。そろそろだと思っていましたから問題ありません。昼をたらふく食べるまで黙っていたのは貴女らしいですが」
昼食を終え、食後の茶を飲み干したところで在清が騒ぎ出した。次の事件の始まりだな。
正確にいえば昼食前から落ち着かぬ様子だったが……食事を前に口をつぐんだのは食いしん坊だからだろう。
皆が口々に皮肉を言い、真幸が笑う。ほのぼのとした緩やかな時はここまでのようだ。
『さ、じゃあ行きますか。とりあえず厳島神社に行く感じ?』
「アー、イエ、あのー。申し訳ないんですが本陣に突っ込みたいです。鬼一さんが見張として送った忍者さんが複数人連絡取れないんですよねー」
「そうだな、まぁ命までは取られまい。アイツらは伏見の直系だからズル賢いし、心配ねぇよ」
「鬼一?ズル賢いではなく、用意周到なだけですよ。それに僕の直系じゃなくて真子の直系ですからね!」
「たいして変わらんだろ……」
「ほう?なるほど、鬼一は留守居がしたいようですね???」
「すいませんでした、申し訳ありません、二度と言いませんので連れてってください!頼む!!」
鬼一の苦い顔は見ものだな。その様子を見て、白石と清音がおずおずと手を挙げた。
「留守居、私が申しつかります」
「俺も」
「珍しい事があったものですね……まぁ今回は戦闘が予測されますから人数は絞りますが」
「じゃあ、俺と伏見とアリス、浄真殿で行こう。星野と鈴村は真神陰陽寮に行ってて不在だし、守護役はどうする?」
鬼一の言葉に眉を顰め、真幸が袖を突く。わかっているとも。
「守護は我らが引き受けよう」
『鬼一さん、俺をナチュラルに外すのやめてくんない?浄真さんは見学してもらうからね』
「はいはい、……はい?芦屋さんがですか?え?颯人様守護できるんですか??」
「失敬な、我らにできぬことなどない」
驚きを浮かべた仲間にニヤリと嗤い、真幸と共に装束を着替える。我と揃いの……原初の姿に。
「えっ!?スーツ……!?しかも裏公務員時代のじゃないですか!!な、なんでですか??一緒に来るのはいいとして、守護!?
颯人様が術使えるとしても、真幸さんは引っ込んでて欲しいんですけどー?」
『酷い言い方するなよ、アリス……俺が声を失った後に対策してないとでも?』
「見れば理解できよう。そもそもの話、神継の始まりは陰陽師なのだ。
原初に立ち返るのもまた一興と言っておく」
『そうそう。基本を忘れたらいけないよな、颯人』
「あぁ、そうだ。神として成り立ち、すっかりそれを忘れた其方達にもう一度術の何たるかを知ってもらおう」
真幸の小さな手を握り、微笑みあう。その姿を見て伏見だけが長いため息を吐き出した。
「お二人まで説教ですか」
「説教と思うのならそうだろうな。伏見の思い当たる物があるならば……本当によく学べるだろう」
眉間の皺がさらに深まり、伏見は両手で頭を抱え出した。鬼一は先程伏見にやられたばかりで口をつぐんでいる。
在清は……あぁ、好奇心が隠しきれておらぬ。
「ちょっとワクワクしますね!!」
「……私も見たかったです」
「ッアーー!!し、し、白石さんも清音さんも妃菜ちゃん達が帰ってきたら来ればいいですよね!ねっ!!」
「はいはい、それでいいですが……アリスは様子がおかしいですね?」
「浄真さん!もういいですから!いきましょ!ねっ!ねっ!?」
何とも言えない顔で皆が装束に変え、留守居の二人に手を振って玄関から外に出る。海原の上に天高く登った陽光は、柔らかく我らの上に光を降らせていた。




