39 雪光の紅
真幸side
「おほん、失礼致しました。私とした事が、真幸のお色気にやられてつい。興奮して鼻血が出てしまいそうでしたので、大声で発散致しました」
「な、何でだよ。心配しただけだそ。
友達のイワナガヒメが寒がってたら、こうするのが当たり前なの」
「そうですわね、わたくしが間違っておりました。あなたは誰にでもこんなふうに優しく触れるのですから。
そう、だから『たらし屋』なのですわ!……うっ、うっ」
「ちょっ、上品にトゲ吐くのやめて。初めて会ったばかりの子がびっくりしちゃうだろ」
ちろっと舌を出してイタズラっ子な表情を浮かべたイワナガヒメは、ようやくほっぺたに色が戻ってきた。温まってひとごこちついたようだ。
あたりを見渡し、清音さんを見て『ふむ』と呟く。
「真幸と地上で会うのは初めてだもの。はしゃいでしまったのよ、お許しくださいな」
「むーん、別に怒ってないけどさ。怪我はしてないのか?」
「ええ、大丈夫よ。温まったらお腹がすいてしまいましたわ」
「それなら夜食のおにぎりがあるよ。俺が作ったので良ければ食べるか?」
「まあっ!ぜひ!でも、あなたのお夜食がなくなってしまうわね」
「颯人と半分こするからいいよ。お味噌汁もあるから、体をあっためよう」
「あらあら!……では下さいまし!」
ヤトの毛皮に包まれたままの彼女に、懐からおにぎりを取り出して手渡す。神ゴムから保温用のポットを取り出して、温かいお味噌汁をカップに注いだ。
「いい匂いですわぁ。あなたのご飯をいただけるのはいつも夜中ね。いただきます」
「そうだね。高天原で夜中に差し入れする事が多かったから。お味噌汁気をつけてね、あっついよ。
……食べながらでいいから、新メンバーを紹介していいか?」
「はむ、はむはむ」
おにぎり片手にお味噌汁を啜りつつ、ニコニコしてるイワナガヒメの正面に座り、清音さんを呼び寄せる。
おにぎりをほうばってほっぺがパンパンに膨らんでるけど……まぁいいか。
「こちら、俺の子孫の里見清音さん。今は難陀龍王のアチャと里見八犬伝の八房の依代をしてる。目下修行中の神継だ」
「よ、よよよろしくお願いします!!」
「むぐ、ごくり。清音さん、わたくしはオオヤマツミノカミの娘、コノハナサクヤビメの姉で石長比売と申します。
ここ貴船神社では縁結びを担当しておりますわ。よろしくどうぞ」
「存じております!!あの、ふわふわロングヘアが素敵です!そばかすがおしゃれで可愛いですねぇ」
「あらまぁ、本当に真幸の子孫なのですね。わたくしの姿を見て『かわいい』だなんて」
「何言ってんの?イワナガヒメはかわいいだろ。時代が追いついてなかっただけだよ。現代のファッションモデルさんで、イワナガヒメみたいな見た目の人は沢山いるぞ。そばかすだってメイクでわざわざ描く人もいるんだから」
「そうですよ!どんなお洋服も着こなせる、ユニセックスなモデルさんのようです。例のあの方は見る目がありませんね。こんなにかわいいお姫様を……許せません」
「清音さん、今度会ったらアイツのほっぺをつねってやろうな」
「はい、そうしましょう」
イワナガヒメは、ニニギノミコトへ嫁に出されて追い返されてしまったと言う不名誉な伝説がある。
日本古来の美人姿とは違うけど、今の世の中ではおしゃれなモデルさんで似たような姿の人は沢山いる。
髪の毛の色素や目の色素が薄いから赤みがかった茶色をしてて、外人さんみたいな可愛さなんだ。
おしゃれな服を着たらめちゃくちゃ似合いそう。ニニギは本当に見る目がない。
緩やかに微笑んだ姫は清音さんの手を取り、俺の手に重ねて頬擦りをした。
「可愛らしいのはどちらなの……?あなた達みたいな子が居てくれるのは幸せな事ですわ」
「この前九州でちょびっとだけアイツを突いてきたよ。でも、一発くらい入れてくるべきだったかも。
この先連絡を密にするって言ったし、今度会ったら……」
「おやめくださいまし。わたくしは高天原でお仕事をいただけて、やりがいに満ち溢れた日々ですの。あんなちんちくりん坊やなんてどうでもいいですわ」
「うん……」
清音さんがじーっとふわふわの赤毛を見て、ソワソワしている。なんだか八房に似てるぞ。『触ってもいいわよ』って言われて、目をキラキラさせながら髪に触れた。
お尻から尻尾が生えてたら、ぶんぶん振っているだろうテンションだ。
「いいなぁ!いいなぁ……本当に可愛いです。わたしもこのふわふわ天使ヘアーになりたいです!いつもぺったりして……毛が少なく見えるんですよ。禿げないか心配で」
「ごめん、それ俺の血だと思う。陽向もそうだし、髪の毛も颯人に似ればよかったのになぁ」
「ふふ、わたくしはサラサラストレートが羨ましいわよ。隣の芝は青く見えるのが常でしょう?そんなにかわいいと言ってくださるなら、この髪も大切にしなくてはなりませんね。
さて、真幸……そろそろ今回の事件のお話をいたしましょう」
背筋を正したイワナガヒメに倣って、同じように姿勢を正す。本来高天原に詰めている彼女がここに居て、動けなかったならすでに何か起きているって事だ。
「本日の真夜中、ちょうどシンデレラタイムですわね。複数人の女子高生達と年配の女性が一人やってきましたの。
わたくしは神職達と共にあなた達を迎える準備をしていたのだけれど……結界を抜けて侵入してきたものだから、驚きました」
「女子高生?京都の子か?」
「ええ、喋りは京言葉でしたわね。濃紺のお洋服に赤いリボンを結んで。スカートは短かったけれど、髪は黒でひとまとめにしていましたし、厳しい学校ではないかしら?仕草が綺麗でしたから」
「有名な進学校の制服ですね。女子校です」
「伏見さんが言うなら間違いないな」
「はい。イワナガヒメ、嫌な事を思い出させてしまって申し訳ないのですが。
年配の女性の特徴は覚えていらっしゃいますか」
伏見さんの声が少し硬い。……そうだな、その人が伏見さんの知り合いである可能性が高い。
「おそらく教師なのでしょうね、学生達には『先生』と言われてらっしゃったもの。ええと、うーん……なんて言ったらいいのかしら。
おそらくあれは、ご自身の元々のお顔ではありません。お若い頃の面影はなさそうでしたわ」
「なるほど。元々の顔から変わっているなら、会ってみないとわかりませんね」
「そっか……何か術をかけられてる感じだったか?と言うか、姫の服はどうしたんだ?いつも単衣の上に羽織ものを着てただろ?」
「ええ、今日は真幸がいらっしゃると小耳に挟んだものですから、気合を入れて買ったばかりの和風袖付きコートを着ていたのです。しかし、わたくしが丑の刻参りを断ったので追い剥ぎに遭いました」
「え……やっぱり身包み剥がれたのか。神職さん達は?」
「神職達は妙な術にかかって、それぞれお家に帰されてしまっているようですの。今勤めている神職達はイケメン揃いでして」
「い、イケメン???家に帰され……どう言う事だ?イワナガヒメには丑の刻参りを誘って、神職達は帰されてるの?なんで追い剥ぎしたんだ???」
はぁー、とため息を吐き出した姫は自分のほっぺをつつき、苦笑いになった。
「ルッキズム、と言うのでしたわね。わたくしは醜い姿ゆえにニニギノミコトに婚姻を断られた、と言う史実が今の世代にも伝わっております。
神職達はイケメン故に被害を免れました。
丑の刻参りをしようとしていたのは、どうやら恋破れた女性達のようですから。わたくしにも『共に男への恨みを果たそう!』とおっしゃいましたわ」
「めちゃくちゃ失礼な誘いじゃないか。振られたからって丑の刻参りをして人を呪おうって言うのか……」
「えぇ、そうですわね。好いた人と添えないのはお辛いでしょうが、わたくしはそれを憎む事になんの意味もないと思います。
わたくしはわたくし、見た目がどうだろうとそれは変わりません。ルッキズムに苦情を言う方は、既に自らが『批判したい考え』に囚われている事をまず省みるべきですわね」
「ほわ……カッコいいです」
「清音、静かにしてろ」
「だって白石さん……イワナガヒメがカッコいいんです!」
「わ、わかったから落ち着けって」
清音さんの言う通りだな。人に何を言われても、自分がやるべき事を見出して実践してるイワナガヒメはカッコいい。
姫は貴船神社に祀られて、結びの社で縁結びの役割を担っている。神社に訪れる人々が幸せになれるよう一生懸命働いてるんだ。
自分だけがニニギノミコトに追い返されてしまった過去を悲しく思っていないわけじゃない。
高天原で働かないか?とスカウトした時は……ニニギの祖父がトップだから気まずいって言ってたし。
なんだかんだ説得して高天原に上がった時に開口一番で天照が謝ってくれて、蟠りもなくなった。彼女自身も頑張り屋さんで頭の回転が早いから、今ではなくてはならない存在に成長してくれている。
素養があって、言葉遣いも身のこなしも洗練されたイワナガヒメは、コノハナサクヤビメと姉妹で違和感はない。
サクヤの方がやや高飛車だけど、イワナガヒメは優しくて常識を持っている。
お父さんであるオオヤマツミノカミは「ニニギに返されてからこうなった」と言っていた。
いつか誰かのお嫁さんになるって言うのを夢見ていた過去は、彼女の中に確かにあるとは思う。
それが叶わずとも人の幸せを祈り、誰かが幸せになるように助けてきた彼女は文句なしにかっこいい。
俺が大好きなイワナガヒメは、そう言う神様なんだ。
「服、返してもらおうな。とっておきのお洋服を着てるところが見たい」
「ふふ……あなたに可愛いと言われたくて着ているのですから、わたくしもルッキズムに囚われているのかしら」
「そんな事ないよ。イワナガヒメは自分の意思で前向きなお仕事をしている。誰かのために一生懸命になれるなんて本当にカッコいいし、素敵だろ。
俺、そう言うの大好きだよ」
「あなたがそう言ってくださるなら取り戻しましょう。あの子達はみんな奥宮へ向かっています」
「よし、じゃあ行こうか。とりあえずの目標はイワナガヒメのお洋服奪還だ」
「えぇ!」
手に手をとって立ち上がった姫は俺の羽織を返そうとして、それを颯人が遮った。
「今宵は冷える。それは姫が持つのだ」
「颯人様、真幸に寒い思いをさせたくないのですけれど……」
「我が抱えれば暖かいのだから問題ない」
「何でだよ!わざわざ抱えなくてもいいだろ?!……寒くないし」
「お鼻が赤いのに痩せ我慢は良くないわ。あなたも女の子なのだから体を冷やしてはいけないのよ」
「さっき『顔は冷たくなる』って言ってました!抱っこであったかいならそうしましょう!」
「んなっ、清音さんまで!?」
「さぁ、真幸は我の腕の中で暖まるのだ」
「……ぐぬぬ、や、やだ」
「駄々捏ねんな。さっさと行くぞー」
「芦屋さん、置いていきますよ」
「わたくしも寒いのは嫌ですし、羽織はありがたくお借りしますわね」
「ニコニコ」
「くっそぉ……」
結局ニヤけ顔の颯人に抱き抱えられて、みんなと奧宮に向かう羽目になった。
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「匂いますね」
「うん、フリージアの匂いかなぁ」
「む、しかしこれは……」
「………………く、臭いです!!」
「確かに臭い。清音にはきついだろ、鼻つまんどけ」
「ふぁい」
現時刻 不明 時計の針がバラバラに動き出してるから、おそらくこれは相手方の術中に入ったと見ていいだろう。
さっきからフリージアの花の匂いがぷんぷん漂って、あまりにもそれが強いから鼻が痛い。
花由来の自然な香りじゃなくて、これは作られたものだ。香害ってこう言うことを言うんだな。
眉を顰めるみんなとは対照的に、伏見さんはへにょんと眉を下げた。
「これは、あの人の香水の匂いです。懐かしいですね……当時はここまで強く匂う事はありませんでしたが」
「そうなのか?と言うかさ、伏見さんの家庭教師してた人は人間だっただろ?なんでこんな後世まで生き残ってるんだ?」
「人間をやめているのではないと思います。香水の匂いの中に、かすかに死臭が混じってますから」
「ゾンビか怨霊ってことかな」
「怨霊の方でしょうねぇ」
「ソウデスカ」
貴船神社から県道に戻り、さらに山奥へ登っていく。道の脇には火の入った灯籠が立ち並び、ここが参道の始まりだと示している。
そう、貴船神社は発祥地の奥宮が存在しているんだ。
元々の本宮が今の奥宮の場所で、玉依姫がやってきた場所。それが洪水で流れてしまったため現在の場所に移動している。
木立の間を抜ければすぐに神門が見える距離のはずなんだけど。
もう、おそらく10分くらい歩いてる。奧宮に辿り着かないって事は……あまり良くない兆候だ。
でも、術中空間なら景色が変わるけど、ここは元々の場所と見た目は変わっていないと思う。山肌に生えたシダや苔は雪に埋もれながらも、緑のままで生き生きとしている。
生命力に溢れた貴船神社は元々『貴船』を『気生根』と表している。その名の通りそこかしこに気力が満ち溢れ、命の息吹が宿って力の流れが正しく起きていた。
空から降り注ぐ天力が地面の中にある地力と混ざり合って、また地上へと生まれる……生命そのものを感じる場所だ。
この場所で禍々しい丑の刻参りができるのだろうか?と疑問に思えるほど綺麗な参道だよ。
「清い場で呪いを生み出そうという気を保てているならば、怨霊で間違いなかろう」
「はー、そうだよなぁ。すごい土地の力に満ち溢れてるもんね。普通ならこれで浄化されそうなもんだけど」
「昔からやたらしつこくて、受けた傷を自分で抉っては悲劇のヒロインを気取る方でしたからね。
今の僕なら受け入れませんが、純朴少年には心の痛むモノでした」
「ふーん……伏見さん、その人に同情してたのか?」
「えぇ、そうです。可哀想だと思ってしまったんですよ。
それがあの人の為にならないと今ではわかりますが……少年時代の僕にはどうしたら最善なのか、見当もつきませんでした」
「…………そうか」
俺は、伏見さんの話を聞いてなんとも言えない複雑な気分になる。
彼はさっきから本気で笑えてない。過去にあった出来事がよくない事だと物語っている。
おそらく、伏見さんは好きで関係を持ったんじゃない。いたいけな純朴少年を騙したのか、哀れみで溺れさせたのか。
その後の関係がなかった事は良かったけれど、何かの傷を残していると感じた。
ふと、山道の先から誰かがやってくるのに気づく。うーわー……青い光を発してるんだぁ……やーだなー、やーだなー。
上半身を屈めてものすごい猫背でやってきたのは、長い髪の女性。ダウンを着て、ジーンズを履いてる。でも……おかしい。
雪の中で歩いてくる人影は明らかに動きがギクシャクしていて、髪の毛を地面に引きずってる。アレは、おそらく人じゃない。
「なにか居ますね」
「清音、アレに話しかけられても絶対応えるなよ」
「へ?なんでですか?」
「山の中で出会って、単語で話しかけてくるのは人じゃない。ここが隠り世だとしても芦屋の結界の中だ。一般人が入れる方がおかしいだろ、相手に別の空間へ引きずり込まれて戻れなくなる」
「わ、わかりました」
白石は清音さんの手を握り、アチャは肩にガシッと捕まって八房が二人を守るように長いしっぽで包む。
颯人は俺を抱えた手に力を入れて、ヤトが伏見さんとイワナガヒメを守りながら進んでいく。
「あ、あ……」
「あれ?あのー」
「あなたたち」
「どこへ?」
見知らぬ女性はすれ違い様に俺たちに話しかけてくる。
顔を見た伏見さんが苦い顔になった。
俺には顔貌がのっぺらぼうに見えてるが、伏見さんの目線は、顔の作りをなぞっていた。おそらく知り合いの顔が浮かんで居るんだろう。
そして、それを認識しているのは伏見さんだけ。抱き抱えられた状態から地面に降ろしてもらい、颯人と手を繋ぐ。
さらに反対側の手を伸ばし、伏見さんとも手を繋いだ。
「ヤト、イワナガヒメを守って」
「応」
ヤトの背中に乗せられたイワナガヒメはちょっと嬉しそうだ。ヤンチャな顔してるぞ。
――さて、どうしたものかな。
俺たちの歩が早い分、追いかけてきている怨霊からは距離が出来始めた。だが、いくら進んでも奥宮が見えてこない。
このまま無視していてもだめだ。
「颯人、どう思う?」
「伏見に目星がつけられている。現世から隠されている以上、このままでは奥宮には辿り着くまい」
「そっか、じゃあ話すしかないか」
「いや、明らかに異形の者なのだ。時を見て先手を打とう」
「……わかった」
白石に目配せして、清音さんと共に二人は参道の端に身を寄せる。ヤトには立ち止まってもらい、俺たちは足運びを緩めた。
カラン、コロン、と下駄の足音が近づいてくる。
ゆっくり歩を進めつつちらっと振り返ると、女性の衣服が変わっていた。
白い着物を着て、顔に真っ白な白粉を塗りたくり、頭に鉄の輪をはめてそこに三本の蝋燭を立てている。
蝋燭についた火が青いんだな。
嫌な色だ。
足元は高下駄を履き、右手に大きな釘、左手に木槌を握って……。丑の刻参りの衣装そのもの。
歩くのをやめて、立ち止まる。下駄の音が止み、背後の怨霊も立ち止まった。
間近に漂う腐敗臭と、強すぎるフリージアの香り。むせかえるような匂いに、鼻だけじゃなく頭痛もしてきた。
「……お久しぶりですね、明子さん」
小さな声で伏見さんが囁き、俺のこめかみに汗が伝うのを感じる。
伏見さんがジリジリとわずかに背後へ首を動かし、はっと息を呑むのが聞こえた。咄嗟に動こうとする颯人の腕を掴み、頭を振る。
「目に見えない刃に囲まれています。出遅れました」
「…………」
目線を動かすと、確かに何かの刃先が見える。舞い散る雪が透明な刃に降り積もり、その姿を見せ始めた。
背後に広がる無数の切先。
怨霊の身でこんなに素早く術が展開できるわけがない。
――罠に、嵌ったな。
「どうしました?明子さん。喋れないんですか?」
「どうして……ここに来たの」
「僕はあなたのような人を導き、救うために仕事をしています。だから来ました」
「わ、私に会いにきたんじゃないの?」
「それは確かにそうですね」
伏見さんと話している怨霊は、少し震えているものの落ち着いた声色だ。しかし、足元には瘴気が漂って来ている。
完全に怨念に飲まれているのに、ここまで正確な発音ができるなんておかしい。俺だって堕ちかけた時は声が歪んでいたんだぞ。
目を瞑って気配を探る。
――白石と清音さん、ヤトとイワナガヒメは刃の中にはいない。罠にかけたかったのは、颯人が言うように伏見さんだったようだ。
「あなたはなぜここに居るんですか?」
「あああ、あ、貴方の、目を貰いに来たの。そうしたら、私は完全に復活できる。元の体を取り戻せる」
「明子さんは昔のままでしたら300歳を超えていますよ。人間の体は朽ち果てているはずですが」
「そ、それも復活できるのよ。彼の方のいう事は間違いはなかった!
ここで丑の刻参りをして……沢山の人の呪いを集めた。そして、呪いの力は呪力を生む!大成功だわ!」
怨霊のはしゃいだ声が耳に突き刺さり、不快感が突き抜ける。支離滅裂だな、まともな状態じゃない。
背後だけにあった刃は目の前にも姿をなしている。完全に取り囲まれていたようだ。
「呪いを生んで、どうしようと言うのですか。貴船神社の神は、誰かを害す事などに加勢してはくれませんよ。
丑の刻参りは本来、心願成就のためにするものです。あなたのその姿には何の意味もありません」
「神に頼んだって願いは叶わない!!頼むもんですか!!これは呪いを生むための装束よ。
人を痛めつければ真神陰陽寮が動く。今回の事件で杉風事務所が動いている……清元を呼び寄せるのは、私しかできないって!選ばれたのよ!私は!!」
「誰に言われたんです?そんな世迷言を。人を痛めつけるというのは……一体どういう――」
伏見さんの言葉が不自然に途切れて、パタパタと白雪の上に紅が広がる。
……え?どうして……?
目線だけ動かして隣の伏見さんを見ると……右目に釘が突き刺さっている。そこから血が流れ、顎を伝って……地面に雫が滴っていた。
「伏見さ、」
「動かないでください。僕は大丈夫です」
「でも、でも……」
「これは僕の戦いですよ、芦屋さん。手出し無用です。
それから、刃に囲まれているのは僕達だけではありません。彼女自身もです。上手く術が使えていないのでしょう……まだ、その時ではありません」
足元から震えが立ち上がり、背中に伝わって肌が粟立つ。頭に血が昇って、聴力が増した。……伏見さんの荒い息がはっきりと聞こえる。
だめだ、ここで魚彦を喚んだら傷つけてしまう。
まだ繋がったままの伏見さんの手を握って、癒術を施すために神力を流しても……それでも血が止まってくれない。
「それ!!の、呪いの釘だから!!癒術はきかないからッ!!」
「ほぉ、用意周到ですねぇ。あなたにしては珍しい。
いつも無表情で何を考えているのか分からず、突然脈絡もなく行動するのは変わってないようですが」
「な、何が言いたいの!?私は何も喋らないよ!喋ったら、殺されちゃうから!!」
「縛り付きの呪術を受けて怨霊化した、といったところですか。何が目的なんです?」
伏見さんの手が、冷たくなっていく。俺の手を握りしめる力がだんだん弱まってきた。
目は、人間の最小の臓器だ。脳にも近く、構造がとても複雑で治すのには苦労する。
そして神様にとってもそれは同じで……丸ごと再生するためには傷を受けてから30分以内に治療をしなければ元に戻らない。
両目が失われれば人間は死ななくても、神様にとっては致命傷になる。
早く……早くどうにかしないと。
伏見さんの目が、命が失われてしまう。
「僕は死にませんよ。あなたから頂いた結界を左目に集めておきましたから。片方は死守します。両目が失われなければ命に直結しません」
「な……何言ってんだよ!そういう問題じゃないだろ!!」
「め、め……目が……目がなくなれば、それを隠さなければならないわ。
伽藍堂になった目の中はとっても醜い。誰に見られても恐怖を与えるわよ、清元も私と同じく醜くなるの」
「眼帯をすればいいでしょう。僕には似合いそうですし、男として箔が付きますね」
「じゃあ……今、いま!!振り向きなさいよ!!私の罠があなたの顔を切り裂くでしょう!!そうしたらひどい顔になる!!
振り向かないなら、あそこにいる可愛い女の子を切り裂くわよ」
「やってみたらいかがです?罠の中でなければ、とても強い神が傍に居ます。
あなたは傷一つつけられぬまま打ち倒されますよ。彼女には指一本触れられません」
「…………それなら……いや、アレはだめよ、アレは同胞だから」
「同胞?まさか、イワナガヒメのことですか?」
「そうよ、清元は知っているでしょう。私と同じ、顔が醜い女だから同胞なの」
怨霊の目線が完全に伏見さんに固定された。
颯人とお互いの左手を合わせて、音を出さずに柏手を打つ。
今、乱暴に刃を砕いたら、砕けた破片が飛び散るから下手に壊すことはできない。
足の裏から神力を大地の分子構造の中に浸透させて、刃を分解する。
早く……もっと、早く。伏見さんを治したいんだ。目を強く瞑って、地面の中に伝う植物の根っこたちに手伝ってもらい、地面に、木々に、雪に触れる刃から力を伝わせていく。
「醜い?どこがですか?イワナガヒメは今流行りのふわふわ天使ヘアですし特徴的な顔つきも、そばかすもとても可愛らしいですよ。
ここにいる誰一人として、その意見には賛同できません」
「な、何を言ってるの!?あの女は嫁入りを断られたでしょう!!顔が醜いからと、それだけの理由で!!!」
瞳を開き、深く吐息を吐き出す。
怒りを抱えたままでどうにかできる戦いじゃない。冷静に、心を平らにして一瞬の隙を突くんだ。
足元に広がる伏見さんの血が雪の冷たさに固まって、黒く色を変えていく。目の前の虚空に浮いた白雪が切先から滑り落ちる。
見えない刃達に少しずつヒビが入って、周りを取り囲んだ緑の木々が風を運んで瘴気を押し流してくれる。
伏見さんが流す血が止まり、急激に癒術の力が浸透し始めた。
クソ……呪詛返しが始まるのが遅い。俺が施した結界は柔らかさゆえに完全に弾いてはないけど、大きな釘……五寸釘は深く刺さっていないはず。
このまま俺の術が進行すれば、逆転できる。これ以上怪我をさせたくない。
「――芦屋さん……申し訳ないのですが、そのお気持ちには応えられません」
「……えっ?」
パキパキと刃が折れる音がする。伏見さんが動き、背後を振り返ろうとしているのがわかった。
駄目だよ!全部の結界を目に集めたなら、体は防御しきれないだろ!
「対話の基本は、目を合わせることから。私も昔からそうしています」
いつの間にか雪が止んで、あっという間に雲間から月が現れた。
俺の心の叫びを無視した伏見さんが細い目を見開き、綺麗な榛色を輝かせる。
月光が照らし出し、紅を全身に纏った彼は……ふうっ、と長く白い吐息を吐き出した。




