105 還る為の神楽
白石side
「はぁ……はぁ、は……ゲホッ」
荒い息を繰り返し吐き、排出しきれない熱が汗となって流れる。月読が吹き続ける笛の音はそれでも止むことはない。たん、と鈴村が指導杖で床を叩いて、舞を続けろと指示が出された。
……ダメだ、力が入らん。立ち上がれないままの俺たちを見て、真子とウズメが水を持ってきてくれる。
柄杓からそれを受けて喉に流し込み、冷たい水が血液に通って行く。だが、運動し続けた熱や疲労までは流してくれない。
見かねた神々が壇上に上がり、神力を分けてくれた。……情けねぇが、そうでもしなきゃ動ける気がしない。
巫女舞、神楽舞は神に捧げる儀式の一環だ。さっきまでの祝詞奏上は前段階の潔斎だと考えるべきだろう。
確かに遥か遠くからの視線は絶えず感じているが……正直それどころじゃないんだよ。
『桜舞』は作曲が月読、作舞がアマノウズメノミコトの新しい神楽だ。芦屋と颯人さんが出雲大社で初めて披露した時、俺は笛を吹くだけで終わった。アレだけでも正直相当苦労したんだ。
音符の多さ、指の動かし方の複雑さには閉口したし、笛は自分の吐息一つで全てを作り上げる。指の動きなんか些細なものだと月読は言っていたが……最初に手をつけた時は出来る気すらしなかった。
それが、今やってるのは……あの二人が時間をかけて練習した舞だぜ。背筋が寒くなるってもんだ。
すでに月読が笛を吹き始めてから八時間以上経っている。それでも息の統一は揺らがず音のぶれもなく、一定の速度で澄み切った笛の音が続いている。
メインメロディーで主役だから失敗は許されないとは言え、とんでもない集中力だ。月読は楽に通じていて名笛手と名高い。高天原です随一の腕を誇るアイツについて行かなきゃならん楽師達は精一杯だが、リズム取りさえできればいい。笛とは段違いの労力だろう。
それから、体力とかそんなもんじゃなく『芦屋が戻るなら自分の命さえ捧げても構わん』って体でいるとわかる。
鬼気迫る音色は『いつまで休んでるの?さっさと続けてくれる?』とでもいうように耳に突き刺さる。
そして、もう一度……鈴村の持った指導棒、硬い篠が木の床に触れて『ピシャリ』と空気を切り裂いた。
清音の手を握り、引っ張って立たせてやると苦笑いが浮かぶ。汗に濡れた額の髪を避けて、互いに頷き合った。
笛の音がもう少しでエンディングになる。それが終われば、また最初から舞の始まりだ。
舞衣装の長い裾を捌く足は痺れてるし、びっちり刺繍が入った袖を振り上げる腕は重い。静かな動きを要する桜舞は、本当に難しく辛く……当時の芦屋達があんな風に笑顔だったのが信じられない。
指先の動き一つに至るまで細かい角度が決められており、こんなもの本当にやったのか?と目の前で見ていたはずの俺でさえ疑うくらいだ。
「……神楽に相違あり、改めて候え申さく。常世に坐す人神様に桜舞を献上仕る」
笛の音が止み、月読が初めて膝をついた。一つにまとめた銀髪が僅かに乱れ、肩で息をしている。震える手で指を差し、意を受けた天照が富士山で汲んできた神水を頭からぶっかけた……。
(兄上、もう一度お願いします)
(応)
もう一度、と言ったが何度も何度も水をかけられて月読はずぶ濡れになっている。天照と陽向が両側から月読を抱えて立たせ、長く息が吐きだされる。
そして、もう一度笛を構えた。
灰色の瞳はすでに行方が定まっていない。こんなに長時間吹き続ければ酸欠になるだろうし、常人では耐えられない。
俺たちは、人であろうとした芦屋の生活に慣れきっている。神でありながら人に近しすぎるんだ。飯も食うし、寝るし、走れば息が切れる。弱さを持った神になっちまってるんだ。
だが……こんな風に切羽詰まった状況でそれを思い出して、勝手に口端が上がる。
自分の体に人神の残滓があるのが誇らしいんだよ。
月読も同じことを思っているようで、同じタイミングで笑ってしまっているのが見えた。
初めて目線を交わし、月の神の灰色の瞳に情熱が宿る。
(……真幸くんに、会いたい。アマツミカボシよりもずっと、ずっと僕はあの子のそばに居たかった。
真幸くんの声で、僕の名を呼んで欲しい。柔らかい小さな手を触りたい。もう一度だけどうしても会いたいんだ)
(わかってるよ)
(ごめんね、直人。ここで命が尽きても真幸くんを取り戻したい)
(死なせてたまるか。踏ん張れ。芦屋だったらこう言うんじゃねぇか?『死ぬなんて許さない』ってな)
(……うん)
今までよりも一際強い音で始まった一曲は、切ない想いが音となって胸の奥に突き刺さる。
月読はずっと芦屋が好きなんだ。アイツ、失恋してもそのまま……今の今まで芦屋を愛したままでいる。
『僕たちはよく似てるんだよ、依代と神は必ず共通点がある。直人は清音ちゃんを想い続けた。僕も……真幸くんをきっとずっと想い続ける。
二人の子を予約するなんて言ったけどさ、多分……無理なんだ。あの人以上には誰も愛せないから』
歯を噛み締め、舞手の俺たちは決心を新たに重たい一歩を踏み出す。神水を頭から被った月読の滴らせる雫は、涙にも見えた。
━━━━━━
「|This is command from Allied HQ.《こちらは連合国本部の司令である。》
|Stop the ceremony. 《儀式をやめろ。》|You will be fired if you do not comply.《従わなければ発砲する。》」
桜舞をようやく終えた俺たちは神楽舞台の真ん中に立ち、佩刀に触れる。真子と鈴村が聖域に大きな結界を再度貼り直し、場違いな声を投げかけたヘリに睨みをきかせた。
諸外国が儀式の場に侵入してきている。空から制圧を目的としてこちらに干渉してきた。
暗闇に風を巻き起こし、結界の外は草や木が薙ぎ倒されそうな勢いで靡いている。
サーチライトの灯りに目を刺されて痛みが走るが、視界は良好なままだ。神楽舞ってのは舞えばうちなる霊力を呼び起こせるからな。
俺の腹に広がった呪いは今や全身に広がり、隠しようがないほどの黒いあざを浮かばせていた。清音にもすでに気づかれているが、今は儀式の最中だ。誰も口を開けない。
(儀式を続けましょう。各地の神継はどんな状況になろうとも祝詞を続けるように。害があれば倉橋夫婦が排除します!……真子さん!)
(はい、ほな召喚の祝詞をはじめましょか。神継は六根清浄大祓やな。
清音ちゃんと白石は祝詞の効果が一巡後『真幸人神招詞』や。文言を間違えたらあかんで、新しい祝詞の奏上間違えは即死や。喚ぶ対象が対象やからな。――時間合わせ!!)
(5、4、3、2、1!五秒後に祝詞開始!)
鈴村の秒合わせの後、日本全国に散らばった神継が六根清浄大祓を唱え始める。青い顔をしたままの月読が手をかかげ、指を一つずつ折っていく。
結界が厚すぎて、みんなが唱える祝詞の声が聞こえやしないんだ。
飛鳥と鈴村が強くなりすぎたってのはマジみたいだ。あいつが作った結界の外からは風ひとつ中に入ってこない。
清められた空気の中で、俺たちは息継ぎが上手くできずにいる。神々でさえ顔を顰めて……清まりすぎた水の中では魚は生きられないんだ。神でも人でも、それは同じこと。
清音も顔色が悪い。だが、気丈に俺の手を握って俺に向かって微笑んだ。
(直人さん、大丈夫ですよ。真幸さんはきっと……きてくれます)
(うん……)
(その、呪いも全部終わったら治してもらいましょうね。彼の方ならできます)
(そうかな)
(そうですとも)
警告が終わり、戦闘機が空に並んだ。それらは一斉に銃口を向けてこちらに爆撃を始める。
今更だが、こいつらは何がしたいんだ?芦屋が戻ったらまずいのか?
日本がそんなに欲しいか?国護結界がなければ立ち行かないような〝危うさ〟の上に立つここが。
「一度抜いた刀は納められないんでしょうねぇ。まぁ、この混乱に乗じて戦を仕掛けるのは評価しますが」
「はいはい、面倒ですね、潰しますか?」
「ダメですよ。ここに女神をお喚びするならば……いえ、血の潔斎でも良きとしますか」
「!?」
間近で聞こえた声に、目頭が熱くなる。誰も気づいてない……空耳か?
「空耳じゃありません。あぁ、僕達は声の穢れは産みません。ご安心ください」
「伏見……一言声をかけるべきだったのでは?」
「浄真殿がやってくれると思ったんですー」
「……は、はっ」
「さて……外は任せてください。多少血が流れますから、審神者のあなたたちはあまり見ないように。目の穢れが生まれます」
「白石、壊れるには早いですよ?しっかりして下さい。ヒトガミ殿はあなたの聲を待っています」
わかってるよ、と思って振り返っても……懐かしいその人はそこに居ない。心臓が握りつぶされたように痛み、爆音に赤く染まる結界の壁だけが視界を埋めていく。
そうだな、こんな馬鹿げた戦なんか気にしてても仕方ない。俺たちは、あの人を取り戻したいだけだ。
正直なことを言えばこの国も、清音以外も……一応仲間も。それ以外はどうなったって構わない。……構わない、はずだけど。
黒煙に塗れ、炎に何もかも飲み込まれるそれを見つめていると……何故かやるせ無い気持ちになる。
ここ、聖域なんだが。芦屋が蘇らせた木々が焼かれるのも、そこに人の血が降り注ぐのも……悲しいし、苦しい。
全く見たこともない人間だとしたって、そいつらにも待つ人がいるはずだ。命の灯火が一つ、また一つと消えていくのを感じて指先に痛みが生まれる。
……俺、気弱になってるみたいだ。
月読の指が折られていくのを感じながら、俺は焦燥感を抱え始めてしまう。祝詞を……宣る時間が迫っているのに。
(直人さん)
柔らかく、優しい声が囁くように俺の名を呼ぶ。炎に明るく照らされた清音が微笑んだ。同時に六根清浄大祓が終わり、国護結界の細くなった糸に赤い色が鮮やかに蘇る。
やがてそれを一つに縒りあわせ、ウズメが引っ張って俺たちの手に渡してくる。
(全てはあなた達の手に。申し訳ないですが委ねさせていただきます)
(あぁ。お前が謝ることはねぇだろ)
(でも……)
瞳を真っ赤に染めて、ボロボロと泣き出したウズメは真子に引っ張られて舞台の袖に消えた。
鈴村と飛鳥も姿を消している。
迷いを抱えたまま、俺は祝詞を始めるしかなくなってしまった。
――掛けまくも畏き、真幸人神
世に生まれ 世を見そなはし命の痛みを知りし御方よ――
俺たちの最後の祝詞が始まる。これは、芦屋のために作られた芦屋のためだけの祝詞だ。
「おやおや、人柱システムは改善できてないんですか?」
「困りましたねぇ?さて、誰が適任でしょうか?」
「呪いの権化といえば蘆屋道満でしょうに……仕方ない、僕が行きます。浄真殿は眷属たちを」
「はいはい」
――流離ひ 悔い 祈り 願ひ つひに神格の座に至らしめ給う──
暖かい風がそよそよと吹き始めた。空を見上げると、星々の残光が細く震えていた。その中心からひとすじの光が降りてくる。
それはかつて数多の命が流れた道、星の命を繋ぐ光だ。
七彩の光が星から降り注ぎ、そこに……魚彦、暉人、ふるり、ククノチ、ラキ、ヤト、累が顕れる。
しくじったな。確かに芦屋の降臨を願うなら眷属を揃えておくべきだった。何もかもが準備不足のままだったよ。
伏見の『ふっ』という笑いの声が聞こえて、思わず目を瞑る。チクショウ、俺はアイツにいつまでも敵わない。
──人の神、人神に
今ここに 迷ひし者ども御名を呼びて 御前に伏し拝み奉る――
(月読の命が危うい、誰ぞ手伝ってくれ)
(私達が参ります)
天照の呼びかけに応えたのはサクヤ、イワナガヒメだ。命を司どる二柱は倒れたままの月読に駆け寄って神力を分けている。月読……保ってくれ。お前一柱を黄泉路に送るわけには行かねぇんだ。
外の爆撃が止み、白い煙が立ち込める。少しだけ薄くなった結界を直しながら、鈴村は外にいる人間に声をかけた。
そこには、日の丸を背負った自衛隊の奴らと、議員の左近がなぜかいる。
お前、何してんだよ……。思わず彼を睨め付けると親指を立てたサムズアップが帰ってきた。
バカタレが。国を背負って立つ人間が最前線に立ってんじゃねぇ。……でも、これだからアイツの一族は信頼できるんだ。
左近の顔は煤けて、頭に乗せた鉄帽は傾いているが怪我はないようだ。倒れた人達を神と人とが手を取り合い……診てくれている。
その光景に、自分の心がようやく整ったのを感じた。
今色々考えたって仕方ねぇな、なるようにしかならん……と言うよりも、芦屋たちは、俺たちは、ずっと『どうにかなるようにしてきた』んだから。
――清きも穢れしも 知る御方よその御手をもて 救ひ導き給へ
真の幸 此の世にあまねく御光を照らし給へ――
(眷属皆で審神者を囲むのじゃ。暉人、しっかりせい)
(眠ぃ……真幸が降りてから起こされるんじゃねーのかよ。お、久しぶりだな白石)
(これ!気を散らすな。ただでさえ未熟な審神者なのじゃぞ、失敗したら死んでしまうわ)
(ククノチ爺、それを言ったら余計気が散るんじゃないのかァ?)
(わふわふ!そうだぞ!良くなイ)
(ちょっとみんな静かにして。まだ祝詞の最中でしょ!)
累に叱られて、しおしおの眷属達が俺たちを取り囲む。それぞれが神楽殿の床に座って手をつき、足の裏からくすぐったいような感覚が伝わってくる。
暖かいその神力はとても、とても懐かしい感触がした。
――|舞を捧げ 言霊を響かせ
この地、この身、この心
清め給ひし此の時に
女神の御魂よ
いまし降り坐せ――
「報告、人柱システムは改変不可です。芦屋さんが来るのを待つしかありませんね。とりあえず咲陽さんを掘り出しました。なぜか白石の勾玉もありましたがツッコミませんよ」
「はいはい、そんな事だろうと思いました。常世に駐在していた神達が降りてきましたよ。審神者は今からが本番ですから、気を引き締めてくださいね」
うそだろ?本気で言ってるのか??
眩暈がする頭を抑えて、思わず口から出そうになる言葉を飲み込んだ。
いや、そりゃそうだよな。祝詞もまだ半分だ。これからが本番ってとこだ。
困惑の表情を浮かべた咲陽が神楽殿に登り、端っこにちょこんと座った。累が立ち上がり、勾玉を受け取って俺に向かってくる。
差し出されたそれを笑顔で受け取り、あっという間に飲み込んだ清音は握った手の力を強めた。
(おま、なんで飲んでんだよ!)
(これは私のものですから。龍神達はアマツミカボシにお返ししましたからね。私が依代をするのはあなたと八房だけですよ)
(はぁ!?いつの間に……って、そんな事したら!!)
(大丈夫です。あなたの勾玉があれば、私は無敵ですから!ラブイズパワーです!!)
思わず顔色の悪い頬に手を伸ばし、親指でさする。無敵なわけ、ないだろ……結界の中にいるのは神ばかりで、人間なのはお前だけだ。
あまりに強い力の集まりばっかりだから、強い磁場まで発生して咲陽はあっという間に気絶しちまってる。
このままじゃ……本当に命が危うい。
――天津神 国津神 八百万の神々ともにここにまします神垣に
尊き御身を迎へ奉る――
突然、八房が立ち上がる情景が頭に浮かんだ。力の抜けかけた清音の足に顎を置いて神力を送り、白黒の毛がサラサラと砂のように溶けていく。
八房……お前、消えちまうのか。困るんだが。俺と清音の家にはわんこ用の用具が山ほどあるんだぞ。
俺たちの子が生まれたら、お前に任せたかったのに。
清音の瞳から雫が溢れ、俺の指先に熱が触れる。眉根を寄せた彼女は肩を震わせていた。
(たましいは――ここにある。オレは消えないよ、清音と一つになるだけだ。
犬士の珠はもう完全に溶けた。最初からこうなりたくてオレは清音に寄り添った。ごめんな……)
祝詞の最中だと言うのに、腕が勝手に動いて清音を思わず抱きしめてしまう。目を見開いた清音は一瞬ためらった後、その腕を背中に回した。
(八房が私に溶けてしまったなら、八人子供を産めばいいですね。全く、誰も彼も勝手なんですから!)
(うっ…………け、検討させてくれ)
苦笑いを浮かべた俺たちはいつの間にか手にしていた天沼矛を二人で持ち、石突を床に打ち付ける。
ドン、と重たい音がした後……空が明るくなっていくのが見えた。
あぁ、朝がやってきたな。
――現し世と常世のはざまに立ちてさびしきをも導き給ふ御魂よ願はくは──
芦屋……頼む、現世に戻ってくれ。国護結界がないとこの国で暮らしてはいけねぇんだ。お前が作ったシステムは不備だらけだからな。改善提案してやる。
この国が好きだろ?俺たちの事も好きだよな?イチャイチャするのを見るって言ってたじゃねぇか。ちゃんと、約束を守ってくれよ。
――亡び行かんとする国護結界を
いまひとたび結び直し
人の代の行く末を 見守り給へと
畏み畏み白す――
祝詞が終わったその瞬間、景色が揺らいだ。
まるで水底から見上げているかのような、緩やかなゆがみが天空にうまれる。黄金の粒が降り注ぎ、花びらが降りてくる。
淡紅の花弁がくるくると舞いながら、透明な空間を染めてゆく。
花びらが全てを隠して……燃えた木々や草原に暖かい色が広がった。水底に沈んだ記憶のように静かで、どこか懐かしく、胸に沁みる光景だ。
そして、黒く焦げた草原がざわめいた。
金の露が一本一本の葉先に生まれ、それが風にそよぐたび草の海がまばゆい波となって広がっていく。
まるで大地がその全身で応じているようだ。草原が黄金色一色になり、稲穂が垂れる。
乾いた秋の匂いが届き、鼻の奥がツンとする。やっぱり芦屋は秋が象徴なんだな。
――それは、終わりではない。始まりの兆しだ。
まだ、すべては繋がっていない。
けれど……世界は確かに、揺れていた




