102 ほしの聲
???side
ほたり、ほたり。
雫が落ちる。
それは誰にも手の届かぬほど奥深くにある、源へと注がれる命の涙。様々な想いは雫から滲み出て、やがて私の元へと還って来る。星の真中に私は存在し、生まれてから約46億年経った。
原初の命たちは最初から洗練されて美しく、無垢で滑稽な命だった。全てが一つにだった頃は他の命が生まれる余地はなかったが、彼らはそれを欲した。
私と共に混沌を天と地に分け、産んでは消してを繰り返した。さして……やがて神々に望まれた〝人〟が生まれる。
望まれた〝人〟は増えていくにつれて自己意識を持つようになる。その者の持つ『感情』とはどこから生まれたのか知らない。
それらはとても愚かしいいきもので、他を傷つけることで自己を確立する。弱き者は大概そんな意志を持つ。強いものを畏れ、排除しようと躍起になった。……だが、神々はその愚かしさをも愛した。
命とは輝かしい反面、闇を纏いどこまでも業が深い。
諸悪に沈む魂たちは私の元へと戻った時、匂いも見た目も酷いものだった。数百年かけても綺麗にしてやることはできず、やむを得ずそのまま再び地上へと送り返すしかなかった。
だが、面白いことに汚れた魂は再びその一生を終えると……さらなる輝きを宿している。
『浄罪』というのだろうか?自ら負った業を次の生で背負い、その闇を濯ぐのだ。砥石に磨かれた刃物のような儚い美しさ。その輝きは何物にも変え難い。
殺したものは殺され、盗んだものは盗まれ、自分の成した業をそのまま次の生で背負って魂を磨き、前世より洗練されて美しい形に成る。
だが、美しさを持って再び生きると、次の生ではまた同じように罪を作る。もしくは、悲惨な宿命が魂に染み付いたせいで再び所以なき不遇に見舞われる。
はじめに生まれた、神ではない生き物……それは世に蔓延る命たちのいうように『悲しいさだめ』を背負いがちだ。しかも自らの魂ではなく、何故か他をすくい上げようとした。
それを――『愛』という。私が唯一〝愛した〟『彼女』は、そう口にしていた。
『彼女』が去り、後任として埋められた歴の浅い巫女が絶えず干渉して来る。忌々しいことだ、あれの代わりなどいるわけもないのに。
浅史の巫女は『彼女』に触れた期間が短く、魂は未だ穢れている。力を与えてやる気にならない。だが、それよりも多少長く『彼女』の匂いを宿した男が少女と共に魂を預けてきた。
仕方なく力を注いでやったが器が未熟すぎる。私と共に数十億年の時を輪廻し、原初の神々よりも麗しい『彼女』には遠く及ばないだろう。
この柱は上手に使えない。
私の体の一部、極小の空間に在るその国は滅びゆく。それを始まりとして、いっそ全部無くしてしまおう。
私から離れたあの子はきっと後悔してくれる。嘆き悲しみ、もしかしたら私の元へ戻るかもしれない。
優しい眼差しをまた、くれるかもしれない。生まれてこのかた満たされたことのない私に……やわらかな〝愛〟をくれた『真幸』に会いたい。
私はずっと、それだけを望んでいた。
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「こんにちは!ええと、なんとお呼びしたらいいですか?」
あぁ……また煩わしいものが来た。声だけは似ている『真幸』の血族か。審神者?形代?馬鹿にしているのか?お前は私と対話する資格などない。
「あなたのお気持ちはわかりますが、どうかお話を聞いてくださいませんか?」
「私の声、真幸さんに似ているでしょう?顔もそっくりらしいですよ」
「――似ていない。お前はあの命とは別物だ、偽物だ。戯言が過ぎる」
「ようやくお返事くださいましたね。確かに性根の根本はそうかもしれません。でも、私の姿が見えませんか?あの時……出雲で彼女が纏っていた衣をお借りしています」
「桜の衣か?」
「えぇ、そうです。とてもいい匂いがしますよ!彼の方が纏ったままの香りです。
喜びと幸せに満ちて、未来の輝きを見つめていた麗しさがここにあります」
「…………」
「見たくありませんか?ここは、風が強いので早く来ないと匂いが消えてしまいそうです」
「お前が纏っている時点で匂いが混じる。犬の姫、お前は獣くさい」
「え、そうなんですか?すんすん……分かりませんけど……。でも、私も彼女と同じで、自分の気持ちの移り変わりで香りが変わりますよ」
「月下美人だろう。梔子は香らない」
「いいえ、同じ匂いがするはずです」
「…………」
「確かめてみませんか?」
「…………紛い物が偉そうに……」
「紛い物でもなんでも、なくした恋しいものを思うなら一目ご覧になってください。私たちは、あなたの想いを偲ぶことができます」
ふわり、と香りが漂う。ずっと一人だったここにそれが漂ったのはあの時だけだった。
桜を纏い、唯一の魂の片割れと共に私の元へやってきた『真幸』の匂い。
勝手に足が地を踏み、暗闇へと体が突き動かされる。
まろい眉の下にある暖かな昏に私を映し、やわらかにたおやかに微笑む彼女の垂れたまなこ。小さな鼻に、薄い唇。膨らんだ頬はあたたかかった。
差し伸べられた手を掴み、自分の瞼から雫が溢れる。
――会いたい、ただ、もう一度だけ。私を初めて見つめてくれた……『真幸』に。
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清音side
「…………」
「…………」
沈黙の中、盤古という中国の開闢神は白いモヤから赤黒い霧に変わる。それは炎のようにゆらめきながら、血走った虹色の瞳を私に向けた。
ヒトガミ様よりもかなり濃く、目を刺すような強さが突き刺さる。
「……ちっとも似ていない」
「ありゃ、そうでしたか。はじめまして、私は清音と言います」
「知っている。ここに居るのは白石、ウズメ、ツクヨミ、オオヤマツミ、少昊、饕餮だな」
「はい」
「ウズメの舞はいらない。『真幸』の舞以外を見せるな。
――うん?お前、私の龍たちを食ったのか」
霧の中から合成された音声のように様々な人の音を模って言葉が紡がれる。
私たちが喚び出した『地球』の声は、まるで荒神のようにくぐもって歪み、風に揺れていた。
禍々しいものを纏っているのは、この方もまた『堕ちて』いるのか。だとすれば、神鎮めができるのだろうか?
「浅はかな命たち。私に何を望む?『アレ』のいないこの世界に、何をしようと言うのか」
「お前さんこそ何がしたいんだ?芦屋の愛したこの国を穢してどうする。人間たちに施した洗脳を解いてくれんか」
直人さんは手に持ったお椀を神棚に置き、私のそばに立って手を繋ぐ。
お椀の中に溶かれた龍神の卵は、中国の天地開闢の伝説と同じく盤古の形代となった。竜の命は……どうなったのか、私にはわからない。
卵をかき混ぜていた箸は途中で折れて、ヒトガミ様から預かった天沼矛でかき混ぜたんです。
神話が混ざってしまったのは、大丈夫なんでしょうか。ああいうのは不可侵の筈なんですが。
胸の中でアチャが震えている。私たちが喚んだおおいなる力の結晶に怯えているみたいだ。
私と直人さん以外はみなさん床に突っ伏してますね。直人さんは無表情のままだ、脇腹を抑えてこめかみから汗が流れているのが見えた。……追い詰められています。
霧の中から伝わる波動が強すぎる。私の足も震え出してしまっている。
「始まりの龍を混ぜて盤古を作り、それを形代にしたのか?龍の命はお前の中にあるようだが」
「あ、そうなんですか?よかったー!卵を割ったから死んじゃったかと思ってました」
「それを知っていてこのような行いをしたか。痴れ者め」
「こっちは追い詰められてるんですよ。あなただって人間を使って散々悪さをしてましたよね?
人柱を立てたのに、国護結界もちゃんと維持できません」
「器が力を受け取れないのは、私のせいではない。
『真幸』より優れた器など存在しないだろう……私は、あの子に会いたい。私の命の上に生きるものはみな、私を思い浮かべすらしないだろう?
あの子は違う。桜に舞いながら私に触れた。あの暖かさが恋しい、会いたい」
切ない響きを纏い、黒霧から雫がこぼれ落ちる。それは大地に触れた瞬間メキメキと大きな音を立てて亀裂を作り、地盤を引き裂いていく。
これはまずいですよ、富士は活火山です。地底にはマグマがあるのだから、このまま刺激したら噴火に至る可能性があります。
「あなたはこのほしの命ということですか?」
「ああ」
「真幸さんは、あなたに会ったことがある」
「そうだ。四十六億年の間私に思いを馳せたのは原初の神たちだけだ。ただし、触れられはしなかった。
神に触れられぬものにたどり着いたのは、人の輪廻で培った力。『真幸』はとても洗練されていて美しい。私の元へ戻るどの魂たちよりも芳しく、柔らかく、愛おしい」
「なーるほど、あなたもヒトガミ様に惚れてるんですね」
「……惚れる……?」
「まぁそれはいいとして。では、私たちもあなたの住んでいるところに連れて行ってくださいませんか」
私の言葉に眉を顰め、直人さんが強く手を握った。
まぁそうですよねー、原初の神っていうなら天地開闢の神々の事。その方達もたどり着けない場所に私たちが行けるはずもない。
でも、そうしなければ何も聞いていただけないんです。ヒトガミ様の残した教えで『対話は眼差しを交わす事から』は基本でしたから。
私たちは確かにこの星に生まれ、生きている。でも……今まで生きていて一度でもその根源を知ろうとはしなかった。思い至らなかった。まさかここまではっきりとした意思があったことすら知らなかった。
黒い霧の中に青い色が混じりはじめる。月読さんがずっと吹き鳴らしている笛の音が『ほし』の穢れを祓いはじめている。
音の数が異常に多いのは、様々な音階の持つ複雑な響きを放たなければ届かないのだろう。
これは打撃と同意義、鋼を貫き通すのは数多の音滴なのだ。
「星の核でお前たちは灼け死ぬ」
「術でなんとかします」
「ほぉ……富士が起きる前に面白いことを言った、招待してやろう」
黒霧は月読さんの笛の音をむしゃりとほうばり、三日月の嗤いを浮かべて消えた。
笛手が倒れ、私たちの意識が地底へと引き摺り込まれていく。
「マジかよ......清音、これはどでかい賭けになるからな。こんな事やった事ねぇんだからな!!」
「大丈夫ですよ、私も初めてですけどなんとかなると思います」
「…………わかった、もうなるようになると信じるしかねぇ!いつもの通りにな!!」
「はいっ!!」
私たちの叫びは山頂の風に消え、深い闇が訪れる。月光に映えた峰に吹く風はぴたりと止み、不気味な沈黙がそこを支配して行った。
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体ごと魂を引っ張られ、地底の底へと引きずられながら体を灼く熱に対して結界を張り重ねる。
血の匂いにも似た鉄臭が鼻をつき、息をするたびに喉や肺が燃える。
痛みに耐えながら治癒術を施し続け、気圧に押しつぶされるのを防ぐために必死で直人さんが神力を巡らせた。
桜の衣がなければ、私たちはとうにチリになっているだろう。紗の衣は燃えずに炎のゆらめきを灯して輝いている。
「クソみたいな圧力と熱だ!気を抜くな!」
「はい!!」
「月読!起きろ!!地上に手当たり次第神を集めて力を送ってくれ!!」
(…………応)
直人さんの叫びに応えた月読さんは私たちが辿った足跡を辿り、神力を注いでくれる。
「保ってくれ、頼む。俺たちはまだやる事があるんだ……天照でも誰でもいい。この後の大事な神降しをさせてくれ!!」
「――何をすると?」
ほしの声が耳に届き、直人さんは眉を顰めながら真幸さんの残した預言を呟く。
「――は、それを、誰が?」
「ヒトガミだ!!」
「あ、あぁ……『真幸』が。あの子はそのつもりで常世に?そう、そうか……」
神力の及ばない熱と気圧に押しつぶされる寸前、虹色の泡が私たちを包み込む。体の組織が緩み、治癒術の効果が一気に訪れて激痛に包み込まれた。
『ほし』の高揚した笑い声が頭の中に響き、私は頭痛のあまり強く瞳を瞑るしかなくなった。




