100 創造神話のきざはし
清音side
鉄の砲弾が空を切り裂き、やがて結界へと到達する。呪術の壁に着弾した瞬間に爆発、耳をつんざく衝撃音が振動と共に伝わってくる。
そして生まれた赤黒い炎は大地に染み込み……恵みをもたらす木々を灼き尽くそうとしていた。
現時刻0:00。
孵化神社の社の入り口、数段ある小さな階段から結界の外に広がる炎を眺めている。
私の隣でポットから注いだ温かいお茶を啜り、真子さんはため息を落とした。
「政府は正式に自衛隊を動かしてしもた。
さらに外国からの領空侵犯、海域侵犯の報告がわんさか来とる。ほんで……この事態を招いた国家叛逆者としてあんたらと、私の名前が上がっててん」
「ほーん、そうか。素盞嗚神社はどうなってるんだ?国護結界から攻めてくると思ってたがなんもアクションがねぇな」
「神継たちが集結して星野の指示で護っとるよ。あそこは問題ない、人数が揃ってる。……それにしても卵が孵らんな」
「そうだなぁ、困ったもんだぜ」
お二人は呑気な様子で天を焦がす炎柱を眺め、まるで焚き火に当たっているかのように落ち着いている。……私たち、今攻撃されてますよね?自分の国の人たちに。爆撃ですよねこれ。
「各県の神社にはな、芦屋さんが置いていったものが核となってこんな風に強固な結界があるんやで。
この社に関しては妃菜ちゃんの作った葦の鳥の巣に、髪の毛を紛れ込ませとるんやて」
「ほー、なるほど。アイツくらいになれば身体の一部でこんなに結界が保つのか。ここまで派手にやらかすとなりゃ、民家がなくなってて良かったな」
「せやな、さもなきゃ全面戦争せなあかんかった。もしかしたらこれも、時渡りやってみてきた未来なんやろ。ほんで人を遠ざけたんかもしれん」
「ふむ……雛鳥村の元村民たちは?こんな派手にしてたら、びっくりしてるんじゃねぇか?」
「元村長さん一族含め、雛鳥村の元住民は『社に攻撃するなんて』言うて県庁に訴えたらしいけど……みぃんな捕まってしもた」
「えっ!?そ、それは大丈夫なんですか!?」
思わず真子さんに突っ込むと、力ない笑顔が浮かぶ。口端が僅かに上がっただけのそのお顔には『絶望』が顕れている。
「うん、じきに釈放される。正味事件を起こしたわけでもなし、捕まえる理由がないんやし。そこまでは警察も頭イカれてないんよ」
「……でも、このままじゃ……」
「あぁ、せやな。森はみぃんな焼けてしまう。動物たちは妖怪に頼んで避難させたけど……また一つ大地の恵みをチリにした。
芦屋さんが復活させた古代の森はあんなに力強くて綺麗やったのに、私たちでは木の芽ひとつ芽吹かせるのにも大苦労してる。
……なんで、こんななってしもたんやろな。どうしてヒトガミさんを現世から追い出したんや?私たちは何のために今まで仕事してきたんやろか。――ほんまにもう、ようわからんくなってしもたわ」
真子さんは元々細い眦をさらに細めて項垂れる。
直人さんは眉間に皺を寄せ、真子さんにタバコを差し出した。
これも、芦屋さんが残してくださったものだ。自宅の倉庫に山ほど作って貯蔵されているんです。
「なぁ……何もかも用意されてるやんな?このタバコも、各地の神社も……この狂った状況で国護結界の繋は一つとして穢されてへん。
芦屋さんはどこまで見てきたんや?これから先どうなるんや?」
「沖縄の時も思いましたが、彼女はもともと霊視の力を持っていらっしゃいましたよね。預言の声を手に入れ、時を渡って神が持つべき際限をも超えてしまったなら」
「全部視えてたんやろか。……せやけどなぁ、」
ほろほろと雫をこぼす彼女は震える指先でタバコに火をつけて、ゆっくりと吐き出す。木々が燃える匂いの中でもはっきりとその甘い匂いはあたりを清め、真子さんの体の震えを一瞬で止めてしまった。
「ほなら、こんな風になるなら、人を滅ぼせば良かったんやないかって私も思った。
もういやや、こんなん。命をかけて、何を護ってきたんや?どうしてこんな風に責められなあかんの?」
「真子……落ち着け。ここの結界が綻ぶことはない。それに人間は惑わされているだけだ――黒幕に」
「その黒幕ってなんやの?誰やの?
正気に戻る前に妃菜ちゃんの故郷が灰になってまうやん」
「それで泣いてんのか?お前たち本当に仲良しだよな、普段あんなに憎まれ口叩いてるのに」
直人さんの呆れ顔に、泣き笑いを返した真子さんは頷く。
「私らは親友やよ。心の友や。イナンナはんと芦屋さんが交わした盟約を私も交わしてる。ほなのに、ちっとも役に立たずにこうして焚き火を眺めるばかりや。
私は役立たずの自分にがっかりしとるトコ」
「喧嘩するほど仲がいいってか?」
「うん、そう。あんたは興味なかったから、妃菜ちゃんの存在に私がどれだけ助けられたか知らんだけや。
好きな人も、知り合いみんな死んでもうて。ただただこの世に生きる人のためにと必死でやってきた。……それがこの結果やねん。クサクサしてまうわ」
伏見さんと同じ榛色の瞳は、すでに涙を止めている。立ち直る理由もなく精神の軸を安定させられてしまったから、余計落ち込んでいるようだ。
涙は心の安定剤ですからねぇ。時には泣くことも必要なんですよ。
真子さんはずっと、人と超常の橋渡しをしてきた。全部の暗黒面を知りながら長き時を過ごしてきたのなら、私たち以上に辛い思いをしているだろう。
本当にこの世を守る必要があるのだろうか。この国を護る必要などあるのだろうか。
何のために、誰のために?
そう、何度目かの疑問を持った時に私の頭の中にある言葉が突然浮かんだ。
――同じ思考を何度も繰り返す場合、術中にはまっている可能性がある。
もう一度心の中を見つめ直して、本当の自分の気持ちを見つけるんだ。そうすれば、その術から抜け出せる――
「……でも、」
――俺たちは思考がよく似てる。一度考えて結論が出たなら、そのあと考える必要性を感じない。だろ?――
「確かに、そうです。私は……」
ふわりと蘇る優しい声と、柔らかな笑顔。短期間で私自身の知識と能力をあっという間に底上げして、血の中に眠る能力が開花しても全く問題ないようにしてくださった……彼の方の教えが蘇る。
私は、真幸さんにそっくりなんです。姿形も考え方も。彼女は私と同じで人間なんてあんまり好きじゃなかったはずなのに、最後まで全てを護りぬいた。それは、愛する人のためだった。
たった一つの理由だけで、私も真幸さんも身体中の細胞が目覚める。打ちひしがれた心が息を吹き返し、くだらない自分の中の固執をいとも容易く覆せるのだ。
『規則を守るべき』『人としてこうあるべき』『神を目指すならこうでなければならない』
……そんなもの、最初からどうでもいい。私が守りたい人は一人だけ。
その人のためになら、何でもできます。
そもそもの話、どうして誰かを護らなきゃならないの?人が生きていく上で『超常』を欲していた事なんてあっただろうか。
神様は確かにいる。でも、こうして目に見えていなかった時代だってあった。神に対して尊敬の念を抱き、願いを言の葉に載せたとて……基本的な祈りの概念は『自分で願いを叶えるために頑張るので、神様は見守ってね』と言う物だった筈だ。
私たちは根本から間違えているのではありませんか?
『護ってあげなければならない』という考え自体を捨てるべきでは?そのために人は人として芦屋真幸という絶対的な女神を手放したのではありませんか?
これは彼女自身を彼女の生んだ呪縛から解き放った事になる。客観的に見れば、それはむしろ良かったと思えるのではないか。彼女は彼女の幸せを望むべきであり、自分の何かを犠牲にする生き方をやめるべきだった。
あるべき形はきっと、最初からそうだったのだ。と、なれば。
「直人さん、卵は卵のままで意味があるのではありませんか?」
「あん?なんだ突然……どう言う事だ」
「例えば、そう。陰陽思想の根源である本国は、卵が全ての命源であるとしています」
「盤古神話か?混沌の中から生まれた卵、そこに生まれた盤古という天地開闢の神だろ?
最初に生まれたのは龍の形.....あっ!?」
「こじつけに近いとは思いますが、今の状況で〝はじまり〟の意味を持つ双龍が卵になっている。盤古はスサノオではないかという説もあり、世界の原始の人である盤古は真幸さんの〝豊葦原初めての人〟にも通じます」
「ふん、颯人さんに結びつけるのは解釈違いだ。盤古は大日如来とか他のでかい存在だって説の方を推すぜ俺は。
まぁそこは置いておくとしてだ……龍の卵をかき混ぜて盤古のような創造神を造れって?世界を……創り直すってのか」
「いえ、創り直すというよりも、本来の形に戻すのではありませんか?超常が直接輔ける必要のない世界に。私たちの存在を希薄にして、真幸さんが自由になり、消費されない世界に」
――そう、そのために『九歌』という古来中国の歌を使うのだ。神降ろしをした巫女が神と結ばれた神話を、人の愚かさや愛を語った物語を。
愛しあった巫女を亡くし、長い間苦しんだ神の心を描く切ないうたを。
ある意味、今と似ているじゃありませんか。元々人間と神は特定の方しか愛し合ってはいませんけど。
『人間を守らなければならない』のは、天変地異に関してはそうだったかもしれません。しかし『その後も守り続けなければならない』と私たちの側は規則を作った。一度手を差し伸べたなら、救った側が責任を持つべきというのは確かにそうでしょうけれど。そのくらいの覚悟がないなら、初めから手出しをするべきではないんです。
私が僅かな期間学んだ、神継の心得にもそうありました。
〝人々を後世まで護るように〟と導いたのはヒトガミ様だったけれど、彼女自身もその規則に永く囚われていた。
自分の作った檻から女神を解き放つには、新しい理が必要なんです。
その鍵はきっと、神と人との儚い繋がりを描いた九歌が始まりを導くのではないか。その存在を知ってからずっと、私は心に引っかかっていたんですから。何か意味があるはずだ。
私と直人さんが主役だというのならば『物語の始まりは九歌にある』と確信できた。新しい決まりを作るヒントがそこにあるのでは、と思える。
「せやかて清音ちゃん、具体的にどないするん?卵が生まれたのは混沌からやろ?双龍の卵なんか使て何するんや?」
「盤古を作って世の理を作り直すのでは、と思います。世界の決まりを作り直すってことです。神々が直接手を下して……守らなければならない世界の決まりを」
「盤古は勝手に生まれて天地を分けたんやで。死んだ後太陽やら月やらが生まれて天地の万象になった、言うても。
一体何の目的で新しい理を作り上げるん?これこそ黒幕の目的ちゃうの?」
「そうです、目的はそこかも知れません。例えば――黒幕がもし形のないモノだとしたらどうでしょう。
人間を蝕んでいるが正体は掴めない。姿形も見せず、複数人をたくさんこうして傀儡にしています」
「せやな、ようさん力を持ってるんが敵やろな。それこそ天地開闢の神みたいな大いなる存在が相手かもしれん。顔すら拝めるか怪しいで」
「はい。でも……こんなの、神や人では不可能ですよね。
ですから創造神話の盤古を使って世の中の決まりを覆し、思い通りにしてあげれば――その黒幕が姿を顕すのではありませんか?
幸い、敵の思う通りにしても誰も傷つきませんよね。それなら……」
「え?待って!誰が敵か、清音ちゃんはわかっとるっちゅうコトなん?」
耳の奥で『キュイ』とアチャの低い声がする。そうですか、真子さんには伝えちゃダメなんですね。あなた達はやはり黒幕とつながっている。世界の真理、大いなる意志、この宇宙で奇跡的に生まれたモノと。
「真子さん、私たちはこの事態を収集してみせます。でも、ここでは盤古には会えない気がします。創造は何もない場所でしなければならない。穢れもなく、命のない場所ですべきでしょう。
そして盤古に会う事こそが、答え合わせになるのではないかと私は思います」
「…………あかんな、やっぱこじつけや。昔を思い出すわぁ、根拠も証拠もなく何もかもをやってきた芦屋さんを。
うちの弟は〝無秩序な根拠を確実な証拠〟に変えるため、そーりゃ苦労してきたんやで?」
「あれは凡人にはわからん境地だ、仕方ねぇよ。清音もその血を引き継いでる。俺は依代に持ったこいつの考えてることがわかるから助かってるが。まぁ、問題ねぇとだけ言っておく」
「はぁ、ほな伝えんでええわ。言えんこともあるんやな。そう言う顔しとるし」
「ああ、相変わらず勘が良くて助かる。
真子にはここを任せていいか?時間を稼ぐために人間達を引きつけておいてくれ」
「スクランブルエッグ作るんにどれだけかかるんや?……2人がここに居るって事にするには形代が欲しいなぁ、口寄せでもしますか」
「元々手伝わせる筈だった二人を黄泉の国から喚ぼう。……芦屋の勾玉を持っていった、西東の娘が縁を結んでいる」
真子さんの呆然とした顔、見て下さいよ。私もきっと同じ顔してますよ!!そう言う意味合いで使ったんですか、真幸さんの神器を。
直人さんは最初からこの答えを知ってたってことですよね?
「2人してそんな顔しねーでくれよ……俺も予想外なんだ。俺たちはまだアイツの掌の上で、予測通りに動いているんだと思う。
芦屋が見てきた未来の果てに向かっているって感じがする」
「……ほな逆らわずにおきましょか。盤古神話を倣うなら、本国のメンバーが必要やろ?どないするん」
「俺がかんざしを折ればいい。少昊自身もおそらく、この結論をわかっていて緊急連絡用の道具をくれたんだ。
真子は、ここが落ち着いたら少昊を目印に合流してくれ」
直人さんが真剣な顔をして頼むと、真子さんは眉を顰めている。まぁ、そうですよね……。
「はぁ?!いつの間にそんな約束してはるん!?まったく報連相も知らんまま頂点に駆け上るのやめて欲しいわ。
芦屋さんといい、清元といい、杉風事務所はそんな人ばっかりやん!!」
「す、すまん」
「ま、ええわ、凡人にはこないな事態歯車になるしかあらへんちゅうこっちゃ。
さっき戦車が来たて報告あったし、こんだけ燃えてんのやからここはもう諦めてもらうしかなさそやな。妃菜ちゃんには白石から謝って下さいね」
あぁ、と頷いた直人さんは苦笑いのままで手を差し伸べてくる。私はその手を取って、ヒナドリムラノカミに頭を下げて龍神の卵をポケットに捩じ込む。
真子さんはついに、吹き出してしまった。
「清音ちゃん、意外に乱暴やな。そう言うとこも芦屋さんに似てはる」
「あっ、あー……そうですね、彼女こう言うところは無頓着ですもの。私も自覚はあります」
「自覚あるんかい。やれやれ……ほな、暫しの別れやな。創造神話のきざはしが見れへんのは残念やけど、終わったらちゃーんと連絡してや?流石に今回ばかりは困るで」
「わかってるよ。道満と、晴明によろしく伝えてくれ」
はいな、と軽快に答える真子さんは手印を結び、口寄せを始める。直人さんが展開する転移術に身を任せながら私は彼に問いかけた。
――どこへ、行くんですか?
「日本一の山、空に一番近い場所、富士山だ」




