第84話「練武祭」
学期末トーナメント「練武祭」。
学院の闘技場は地上に開けた円形の競技場で、中央の砂地を三層の観客席が取り囲んでいる。一層目が生徒席、二層目が教官席、三層目が来賓席。学院の全生徒と教官、そして王都の貴族や騎士団の関係者が来賓として招かれている。
年間行事の中で最大のイベント。ここでの成績が、卒業後の進路に直結する。
だが俺にとっては——成績よりも、仲間がどれだけ成長したかを確認する場だ。
対戦表が掲示板に張り出されると、観客席がどよめいた。
第一試合:アルト vs ガルド。
第二試合:ノーラ vs リオ。
第三試合(特別枠):セラ vs ヴィルマ教官。
決勝:セレン vs ヴァン。
決勝の組み合わせが発表された瞬間、闘技場が最も沸いた。三週間前の入学から噂されていた対戦カード。火属性の天才と、音属性の異端児。
だが俺は決勝よりも、前の三試合が楽しみだった。
◇
第一試合。アルト vs ガルド。
砂地に二人が立った。アルトが剣を抜き、ガルドが腰を落とす。
ヴィルマ教官が審判席から宣言する。
「始め」
ガルドが先手。右手を砂地に叩きつけ、石の壁を三枚同時に展開した。前方、右、左。アルトを三方向から囲い込む。前回と同じ戦術。
だが今日のアルトは——前回と違った。
走らなかった。壁に向かって突進しなかった。
代わりに——地面に、片手を触れた。
一秒。二秒。
アルトの目が変わった。何かを「感じている」目。瞳の焦点が遠くなり、体の力が抜けている。まるで耳を澄ませているように。
——土の感知。
剣聖ヴァルディスの記録を見せてから五日間。アルトは毎日訓練場で地面に手を当て、「土を聴く」練習をしていた。最初の三日間は何も感じないと言っていた。四日目に「何か温かいものが流れている気がする」と言った。五日目——今朝の訓練で「壁の向こう側の足音が、地面越しに伝わってくる」と言った。
それが今、実戦で試されている。
アルトが立ち上がった。剣を構え直す。そして——正面の壁ではなく、右の壁に向かって歩いた。
「何をしている? 正面から来ないのか?」
ガルドが訝しむ。
アルトは右の壁の前に立ち、壁の表面をじっと見つめた。——いや、見ているのではない。感じているのだ。地面から壁を通じて伝わってくる振動。壁の内部構造。圧縮された土の密度が高い場所と低い場所。
「——ここだ」
アルトが壁の右端から三分の一の地点に、剣先を当てた。
閃突。低い姿勢からの一直線の突き。ヴァイパーロードの口腔を貫いた精密な一撃が、壁の一点に集中した。
壁が——一撃で崩壊した。
前回は裂岩斬で力任せに砕いた。三枚の壁を全力で割り続け、体力が尽きた。だが今回は閃突一本で済んだ。壁の最も脆い一点を正確に突いたからだ。力は前回の三分の一以下。
観客席がざわめく。
「一撃で壁を? 前回は何枚も——」
「狙った場所が違う。弱い場所を突いたんだ」
ガルドの目が見開かれた。
「お前……土を”感じて”いるのか?」
「ああ」
アルトが剣を構え直した。
「お前に教わった。“壁の弱い場所を狙え”って。だからどうすれば弱い場所がわかるか考えた。目じゃ見えない。耳じゃ聞こえない。——だから地面に聞いた。俺は土属性だ。土の声を聴けないはずがない」
ガルドが二枚目の壁を立てる。今度はもっと厚い。密度を上げている。
アルトが再び地面に片手を触れる。一秒。壁の構造を「感じる」。
「——ここ」
閃突。壁の下端、地面との接合部。最も力がかかる場所。そこを突くと、壁は自重で崩壊する。
二枚目が倒れた。
ガルドが三枚目を立てる——だがアルトはもう走っている。壁が完成する前に、ガルドとの距離を詰めた。
「壁を立てる前に来い、って顔だな」
「前に来られたら、壁は意味がない。だから——」
ガルドが足場を操作した。アルトの足元の砂が泥に変わる。前回と同じ技。
だがアルトは今度も対応した。右足が沈んだ瞬間に、左足で地面を蹴り、跳躍する。回避跳躍。傭兵団で仕込まれた技。空中では無防備だが——
空中で、闘気斬を放った。
金色の剣圧が空中からガルドに向かって飛ぶ。ガルドが慌てて土壁を立てるが、アルトの闘気斬は壁の継ぎ目を——「感じて」——正確に撃ち抜いた。
壁を貫通した剣圧がガルドの鎧を掠めた。ガルドの体が揺れる。膝がつく。
決着。
観客席が沸いた。前回の模擬戦ではガルドの完勝だった。それが今回——アルトの完勝に変わった。
ガルドが砂を払って立ち上がり、アルトに手を差し出した。
「認める。お前の剣は——ただの力任せじゃなくなった。土を”感じる”ことを覚えたか」
「まだ入口だ。壁の構造をぼんやり感じるだけで、精度はお前の十分の一もない。——でも、始まった」
「ああ。始まった。——次は負けない」
「望むところだ」
二人が握手した。観客席から拍手。
俺は観客席でノートにメモした。
《アルトの土感知:実戦で発動。壁の脆弱部を地面越しに感知。精度は低いが原理は確立。剣聖ヴァルディスの”自然発現の魔法剣”への第一歩》
◇
第二試合。ノーラ vs リオ。
雷と水。属性相性だけならノーラが有利——水は電気を通す。だがリオの水の精度は「属性相性」を無意味にするレベルだった。
開始と同時に、リオが水の壁を展開した。だが壁ではなく——水の膜。極めて薄く、だが完璧に均一な水の膜が、リオの周囲を球状に覆った。
ノーラが雷撃を放つ。青白い稲妻が水の球に当たり——散った。電流が水膜の表面を走り、アースのように地面に逃げる。
「水で電気を散らされた……!」
「水は雷を通すが、膜状に薄く広げれば電流の密度が下がる。雷が一点に集中しなければ、ダメージにはならない」
リオの声は淡々としていた。だが——目が、いつもと違った。窓の外を見ている無気力な目ではない。ノーラの雷を見つめている目。
「もっと強いのを撃て」
ノーラの金色の瞳に火がついた。
「上等よ——!」
ノーラが落雷を構えた。頭上に雷雲の魔力を凝縮させ、上空から叩き落とす範囲攻撃。水膜で散らせる出力ではない。
だがリオも動いた。水膜を解除し、水を全て頭上に集中させる。水の円盤。雷が落ちてくる方向に、水の鏡を張る。
「雷を”反射”する気!?」
「理論上は可能だ。水面の角度を精密に制御すれば、電流の方向を変えられる」
落雷が降り注いだ。リオの水の鏡に着弾。
水面が爆発的に蒸発し——だが一瞬だけ、雷の軌道が曲がった。リオの意図通りに。完全な反射ではないが、雷の方向が逸れた。ノーラの方に跳ね返りかける。
ノーラが自分の雷を——止めた。制雷。自律制御。暴走しかけた雷の脈動を「聴いて」、自分で鎮める。共鳴制御で身につけた技。
「あっぶな——! 私の雷が返ってくるとは思わなかったわ!」
「俺も完全には制御できなかった。だが原理は確認できた」
リオが——笑っていた。無表情だった顔に、初めて表情が浮かんでいる。興奮。知的な興奮。「面白いことが起きた」時の顔。
ノーラがそれに気づいた。
「あんた今……笑ってる」
「笑ってない」
「笑ってるわよ。口角上がってる」
リオが慌てて口元を押さえた。
ノーラが極細雷針を構えた。
「水の膜も鏡も関係ない。これなら——水の”隙間”を通る」
極細雷針。雷を極限まで細く絞った精密射撃。水の膜の分子と分子の間を通り抜ける。
針のように細い雷が走った。水の防御を無視して、リオの肩を掠める。
「痛っ——」
リオが驚いて膝をつく。だが目が輝いている。痛みではなく——感動で。
「もう一度」
「え?」
「もう一度撃ってくれ。もっと強いので。今度は防いでみせる」
ノーラが呆れた顔をした。だが——嬉しそうでもあった。自分の雷を「もっと撃ってくれ」と言われたのは、セレンに「雷を聴かせてくれ」と言われた時以来だ。
ノーラが落雷と極細雷針を組み合わせた連携を撃った。上からの面攻撃と横からの精密射撃の同時攻撃。リオの水では両方を防げない。
着弾。リオが吹き飛ばされ、闘技場の壁に背をつけた。
決着。
リオが起き上がり、髪についた水滴を払った。制服が焦げている。だが怪我はない。ノーラが出力を加減していた。
「俺は今——“楽しい”と思った」
リオの声が震えていた。感動で。
「“これ”が。“これ”がお前たちの見ている景色か。全力でぶつかって、負けて、でも次はどうすれば勝てるか考えている今のこの感覚。これが——“楽しい”」
ノーラが手を差し出した。
「楽しいでしょ。——次は勝ってから笑いなさいよ」
リオがその手を握った。銀色の髪に水滴がついている。窓の外ではなく——ノーラの目を、まっすぐ見ていた。
◇
第三試合(特別枠)。セラ vs ヴィルマ教官。
「回復術者の実力を測る」という名目。ヴィルマは教官枠で参戦を認められた。出力は生徒相手に合わせるが、技の精度は手加減しない。
ヴィルマが右手を掲げた。訓練場の壁に据え付けられた蝋燭——百本に同時に火が灯った。百の炎が一斉にヴィルマの制御下に入り、空中に浮かんだ。
百の火球。それぞれが異なる動きをする。回転するもの、直線に飛ぶもの、蛇行するもの。精密火炎術。元Aランク冒険者の片鱗。
セラが杖を構えた。
「防壁」
光の膜が展開される。ヴィルマの火球が一発——防壁に着弾。火が弾かれる。二発目。三発目。防壁が揺れるが耐えている。
だがヴィルマの火球は百ある。五発目、十発目と続くうちに、防壁に細かいヒビが走り始めた。
「防壁の出力を上げろ。でなければ二十発で割れる」
ヴィルマの声は冷たい。だが教育的だ。セラの限界を正確に見極め、そこを突いてくる。
セラが防壁の出力を上げた。ヒビが修復される。だがMP消費が急増する。このペースでは百発を防ぎきれない。
「守るだけでは勝てない。回復術者に”勝ち”はない。生き残ることが仕事だ。——だが、生き残る方法は”防壁だけ”ではないはずだ」
ヴィルマの言葉に、セラの目が光った。
防壁に——浄化を重ねた。
浄化は「不浄を消す」力。炎そのものは不浄ではない。だが炎が防壁に当たった瞬間に生じる「衝撃」と「熱」を、「不要な力」として浄化できないか。
三十発目の火球が防壁に着弾した瞬間——防壁の表面に白い光が走り、衝撃の一部が「消えた」。
完全ではない。炎の七割は普通に防壁に当たっている。だが三割が浄化で消えた。防壁への負荷が三割減った。
ヴィルマの目が——ほんの一瞬だけ——見開かれた。
「防壁と浄化の融合……」
だがすぐに冷静に戻る。
「着想はいい。だが精度が足りない。炎は”不浄”ではない。“正しい火”を浄化で消すことはできない。お前が消したのは衝撃の余波だけだ。本体には効いていない」
五十発目。六十発目。防壁のヒビが再び広がっていく。浄化の融合で三割を消しても、残りの七割が蓄積する。
八十発目で、防壁が砕けた。
セラが膝をつく。MP枯渇。杖を支えに辛うじて倒れずにいる。
「まだ……未完成です」
ヴィルマが百の炎を消した。闘技場が静かになる。
表情は変わらない。だが声にほんの少し——温かさがあった。
「悪くない。防壁と浄化の融合——着想は正しい。だが”正しい火”には効かない。お前が消せるのは”不浄”だけだ。——もし敵が”呪毒”や”呪い”を使ってきたら。その時、お前の浄化は”攻撃”になる」
セラが顔を上げた。
「呪い……」
「呪毒の武器。呪詛を帯びた魔法。そういう”不浄な攻撃”には、お前の融合技が効くはずだ。——完成させろ。次に必要になる時までに」
ヴィルマが背を向けて去っていく。
セラは砂の上で膝をついたまま、自分の手を見つめていた。
「次に必要になる時」。——それが近いことを、セラはまだ知らない。
◇
三試合が終わった。
闘技場のざわめきが最高潮に達している。次は——決勝。
俺とヴァンが、砂地の中央に立つ。
「約束通りだ」
ヴァンの赤い髪が風に揺れている。目は退屈そうではない。獲物を見つけた獣の目。
「一対一。パーティの力を借りずに」
「ああ。——来い、ヴァン」
「その言葉、そっくり返す」
ヴィルマが手を上げた。
「決勝戦——始め」




