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『音魔法はゴミ? いいえ、研究したら文明を揺るがす最強魔法でした』  作者: 白月 鎖
魔法学院編

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第81話「嘘つきの正直者」  

ミーシャ=トルネは、学院で最も友達が多い生徒だった。


 入学からまだ数週間しか経っていないのに、クラスの全員の名前を覚え、教官にも使用人にも気さくに声をかけ、昼食はいつも違う相手と食べている。「ミーシャちゃんって話しやすいよね」「あの子といると楽しい」。そういう評判が自然と広がっていた。


 俺たちのパーティとも仲が良い。特にセラとは女子棟で隣の部屋らしく、毎朝一緒に食堂に来る。アルトには「剣、教えてよ!」としつこくせがみ、ヴァンには「ねえねえヴァン、怒らないで聞いてほしいんだけど」と果敢に絡んでいく。ヴァンは毎回「俺に話しかけるな」と言いつつ、無視はしない。


 だがノーラだけは——最初から、ミーシャの笑顔の裏に何かがあることに気づいていた。



 その日の昼食。食堂の隅の席で、ミーシャがパーティの四人と一緒に食べていた。


「ねえセレン、故郷ってどんなところ?」


「小さな農村だよ。山の麓で、水が綺麗で」


「いいなぁ。私の故郷も山の近くだったの。南の方の、港町の」


 ノーラの箸が止まった。


「ミーシャ。先週、故郷は東の農村だって言ってなかった?」


 食堂の空気が一瞬だけ変わった。ミーシャの笑顔はそのままだったが——目の動きが一瞬止まった。俺の共鳴探知が、ミーシャの心拍が跳ねたのを捉えた。


「あー、えっと、それは——」


「先々週は王都の孤児院って言ってた。三つとも違う。どれが本当?」


 ノーラの声は冷たくない。だが率直だ。嘘を咎めているのではなく、事実を並べている。


 ミーシャの笑顔が——ほんの一瞬だけ崩れた。目の奥に、怯えた色が走った。すぐに笑顔が戻ったが、俺には見えていた。


「あはは……バレちゃった? 私ね、ちょっと話を盛る癖があるの。ごめんね」


「話を盛るんじゃなくて、毎回全部違う。それは”盛る”とは言わない。“嘘をつく”って言うのよ」


 アルトが「おい、ノーラ」と止めようとしたが、ノーラは続けた。


「嘘つくなとは言わない。でも、嘘が下手ね。相手を見て嘘を変えるなら、同じ相手には同じ嘘をつきなさい。一人の人間に三つの嘘を使ったら、全部バレるに決まってるでしょ」


 ミーシャが目を丸くした。


 怒られると思っていたのかもしれない。嫌われると思っていたのかもしれない。だがノーラの言葉は——叱責ではなかった。「もっと上手くやれ」という、奇妙な助言だった。


「……ノーラさんって、怖いんだけど、すごく優しいね」


「優しくない。嘘が嫌いなだけ」


「嘘が嫌いな人は、嘘つきの気持ちがわからないから嫌いなんだよ。でもノーラさんは”上手く嘘をつけ”って言った。嘘つきの気持ちがわかってるから、そう言えるんだよね」


 ノーラが黙った。金色の瞳がミーシャを見つめている。何か言いかけて、口を閉じた。


 俺は横で黙って聴いていた。ミーシャの心拍。この会話の間、ずっと速い。だが嘘をつく時のパターンではない。嘘のパターンは心拍が一瞬跳ねて、すぐに安定する。ミーシャの今の心拍は——ずっと速いまま。安定しない。


 これは「本当のことを言いたい衝動」を抑えている時のパターンだ。


 ミーシャは嘘をつきたくて嘘をついているのではない。嘘をつかなければならない何かがある。本当の過去を話せない理由がある。


 だが俺は指摘しない。ミーシャの嘘には事情がある。その事情が見えるまで、待つ。


「ミーシャ。いつか本当のことを話してくれる時が来たら、聞くよ」


 セラが静かに言った。穏やかな笑顔。聖女候補の、押しつけがましくない優しさ。


 ミーシャの心拍が——一拍だけ、止まった。


 そしてすぐに再開した。目に涙が一瞬浮かんで、すぐに消えた。笑顔で覆い隠した。


「ありがとう、セラちゃん。——でも大丈夫。私の話なんて、つまらないからさ」


 嘘だ。心拍が言っている。つまらなくない。話したい。でも話せない。



 午後。僧侶科の授業。


 セラは今日も「女神の設計は完全である」という教義を教わっていた。


 だが俺が授業の後にセラと合流した時、セラの表情が曇っていた。いつもの穏やかな笑みではなく、何かを考え込んでいる顔。


「セラ、どうした?」


「……今日の授業で、“女神は全ての魂を等しく愛している”と教わりました」


「うん」


「でもセレンさん。女神がセレンさんの魂を愛しているなら、なぜ祝福技を与えないんですか。Lv5でも、Lv10でも、Lv15でも——何も降りてこなかった。“等しく愛している”なら、なぜセレンさんだけ——」


 セラの声が震えていた。信仰の根幹に関わる問いだ。


「セラ。俺のことは気にするな。祝福がなくても技は作れる」


「でも……おかしいと思いませんか。女神の設計が完全なら、音属性にも祝福技があるはずです。ないということは——設計が不完全か、あるいは女神がセレンさんを”見ていない”か、どちらかです」


「どちらかかもしれない。でも俺はどちらでもいい。俺は女神の力で戦ってるわけじゃないからな」


「私は——女神の力で戦っています。回復も、浄化も、防壁も、全て女神の祝福です。もしその祝福が——“不完全な設計”から来ているのだとしたら、私の力の根拠は何になるんですか」


 セラの目に、不安がある。信仰が揺らいでいる。


 ヴィルマ教官が廊下の向こうから歩いてきた。セラを見つけて、足を止めた。


「セラ。授業の後に残った質問があるなら聞く」


「ヴィルマ教官。——一つだけ。女神の設計に”漏れ”があることはありますか」


 ヴィルマの表情が動かない。だが一瞬——ほんの一瞬だけ——目の奥に何かが走った。痛みに似た何か。


「設計を疑うな。疑えば足元が崩れる。お前の回復術は信仰の上に立っている。信仰を疑えば、回復の力も揺らぐ」


「でも——」


「“でも”は要らない。お前に必要なのは疑問ではなく鍛錬だ。——それと、前線に出ようとする癖を直せ。先週の実技でも、味方に近づきすぎていた」


 ヴィルマが去っていく。セラが俯いた。


「……教官の言葉は正しいのかもしれません。疑えば足元が崩れる」


「正しいかどうかは、お前が決めることだよ、セラ」


 セラが顔を上げた。目の奥に、まだ迷いがある。だが同時に——何かを掴みかけている表情でもあった。


「セレンさん。あなたは信仰を持っていますか」


「……女神を信じてるかって意味なら、わからない。でも”音は届く”っていう母の言葉は信じてる。それが俺の信仰に一番近いものかもしれない」


「“音は届く”」


「ああ。祈りに返事が来るかはわからない。でも音は——必ず何かに当たって返ってくる。届かない音はない。俺はそれを信じてる」


 セラが小さく笑った。いつもの穏やかな笑みとは違う。もっと——弱くて、もっと人間的な笑み。


「その信仰は……少し、羨ましいです」



 夜。男子学生棟の自室。


 アルトが寝た後、俺は音紋標識の追跡を続けていた。


 今夜——動きがあった。


 東棟地下のいつもの暗号打鍵。本棟三階からの応答。ここまではいつも通り。


 だが今夜、初めて——三階側が「先に」打鍵した。


 ごく短いリズム。五秒ほど。いつもは地下からの打鍵に応答するだけだった三階が、自分から発信した。受け手が指示を出す側に回った。何かが動き始めている。


 音紋標識が捉えた打鍵元の位置。


 本棟三階、東端の部屋。


 フィン=ロスヴァインの寮室。


 ——確定した。


 フィンは東棟地下の工作員と壁越しの暗号で連絡を取り合っている。そして今夜、フィンが「先に」動いた。受動的な観察者から、能動的な指示者に変わった。


 何を指示したのか。暗号の内容はまだ完全には読めない。だが一つだけ——打鍵の「速さ」が変わった。いつもより速い。焦りか、切迫か。


 何かが近づいている。


 窓の外を見た。中庭の向こうに女子棟。ノーラとセラの部屋。ミーシャの部屋は——その隣。


 ミーシャの嘘。フィンの暗号。繋がるのか。


 まだわからない。だが——嫌な予感がする。


 研究ノートを開いた。


 《フィン=ロスヴァイン》

 闇属性。心拍45回/分。暗号打鍵で東棟地下の工作員と連携。今夜初めて自ら発信。

 本棟三階東端の部屋=フィンの寮室と確定。

 何を企てている?


 《ミーシャ=トルネ》

 風属性。過去を語らない(三つの嘘)。心拍パターンは「本音を抑えている」型。嘘をつかされている?

 フィンとの関連は不明。だが二人とも「何かを隠している」。

 セラは「いつか話してくれる時が来たら聞く」と言った。——それが正しい接し方なのかもしれない。

 俺の役割は、聴くことだ。信じることではなく、聴くこと。音が教えてくれることを。


 ペンを置いた。


 この学院には二つの時間が流れている。


 昼の時間——授業、研究、友人との会話、技の開発。光に満ちた日々。


 夜の時間——暗号打鍵、音紋標識の追跡、見えない敵の影。闇の中の緊張。


 俺はその両方を聴いている。


 どちらの音も、止まることはない。

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