第78話「災厄の子の帰還」
ノーラが学院の訓練場に立った時、空気が変わった。
実技授業。担当はヴィルマ=ゼーリヒ教官。黒髪をきつく結い上げた美しい女性で、表情が石のように動かない。元Aランク冒険者。学院最強の実技教官。
「今日は各自の属性技を実演する。編入組、前に出ろ」
四人が訓練場の中央に並ぶ。ヴィルマの視線がノーラに止まった。
「ノーラ=ライヒヴァルト。予科時代に雷の暴走で退学議論の対象になった生徒だな」
教室がざわめく。ノーラの過去を知っている生徒がいる。
「暴走の記録は残っている。今も制御に問題があるなら——」
「問題ありません」
ノーラの声は静かだったが、芯があった。
「証明しろ」
「はい」
ノーラが左手を上げた。指先に青白い火花が灯る。
教室の何人かが身を引いた。ライヒヴァルトの雷は学院で語り草だ。予科時代、実技中に暴走して訓練場の壁を半分吹き飛ばした。三人の生徒が軽傷を負い、ノーラは一ヶ月の謹慎処分を受けた。
だが今のノーラは——目を閉じていた。
自分の雷の「音」を聴いている。体内を流れる雷の振動。安定した低い旋律。暴走の気配は微塵もない。
指先の火花が大きくなる。拳大、腕の長さ、人の胸ほど——雷がどんどん膨らんでいく。
教室が青白い光に照らされた。何人かが悲鳴を上げる。
だがノーラの表情は穏やかだった。雷は怒りではなく、意思で制御されている。
極限まで膨らんだ雷を——ノーラが一息で凝縮した。掌の中に、蒼い星のように光る小さな球。訓練場の的に向かって放つ。
着弾。的が蒸発した。焦げ跡すらない。完全な消滅。
そして——訓練場には傷一つついていない。壁も床も無事。雷の全エネルギーが的だけに集中していた。
静寂。
ヴィルマが——ほんの一瞬だけ——目を見開いた。
「……制御は認める。だが油断するな。雷は一瞬の気の緩みで暴走する」
「わかっています。——でも、もう怖くありません」
ノーラが訓練場から戻ってくると、後ろからざわめきが聞こえた。
「あれ、本当にあのライヒヴァルトか? 全然違うぞ」
「制御が完璧だった。予科時代とは別人だ」
「でもさ、あの制御——“音属性”の子の力を借りてるんでしょ?」
ノーラの足が一瞬止まった。
その囁きを、ノーラの耳も拾っていた。
「セレンの助けがないとできないんじゃないの?」
「結局一人じゃ暴走するんだろ」
ノーラが拳を握った。何も言わず、席に戻った。
だがその目に、静かな炎が灯っていた。
——あいつの助けなしで、証明する。
◇
午後。僧侶科の授業。
セラは聖属性の生徒たちと別教室で学んでいる。担当はヴィルマ教官(兼任)。
「回復術者の心得、第三条。“癒す者は戦わず、戦う者は癒さず”。回復術者は前線に出ず、後方から祈りと魔力で仲間を癒す。これが聖典に定められた回復術者の在り方です」
ヴィルマの声は淡々としていた。だが言葉に力がある。
「前線に出た回復術者は、味方の盾になろうとする。それは一見美しい行為ですが、実戦では最悪の判断です。回復役が倒れれば、パーティ全体が崩壊する。回復役は生き残らなければならない。そのために——前線に出るな」
セラは黙って聞いていた。
正しい。理論的に正しい。聖典にもそう書いてある。
だが——ヴァイパーロード戦で、セレンが毒液を浴びた時。後方にいたら間に合わなかった。走ったから浄化できた。それでも痕が残った。
もっと前にいたら。もっと早く動けていたら。痕は残らなかったかもしれない。
「質問はありますか」
セラは手を挙げなかった。まだ言葉にできない。疑問はあるが、形になっていない。
◇
夕食後。女子学生棟の部屋で、ノーラとセラが向かい合った。
男子棟とは中庭を挟んで離れているが、セレンの矢文は毎晩届く。今夜もさっき「何かあったら飛ばせ」と声が来た。便利な男だ。便利すぎて少し腹が立つ。
「ノーラさん。今日の実技、素晴らしかったです」
「ありがとう。——でも、聞こえたでしょ。“セレンの助けがないとできない”って」
「……はい」
「悔しいわよ。事実だもの。共鳴制御はセレンに教わった。自律制御もセレンの音がきっかけ。私の雷が今まともに使えているのは——」
ノーラが言葉を切った。
「……でも、ここから先は自分でやる。セレンに頼らない制御を確立して、この学院の全員に見せつける。“災厄の子”じゃなくて、“雷を操る者”だって」
セラが静かに頷いた。
「ノーラさん。一つ聞いてもいいですか」
「何」
「あなたは——女神を信じますか」
ノーラが意外そうな顔をした。
「突然何よ」
「今日の授業で、“女神の設計は完全で、全ての属性には役割がある”と教わりました。でもセレンさんの音属性には祝福技が降りません。女神の設計に音属性が含まれていないなら——女神の設計は完全ではないのでは、と」
ノーラは少し黙った。それから、率直に言った。
「信じてない」
セラの目が見開かれた。
「女神の設計が完全だなんて、最初から信じてない。完全な設計なら、私の雷は暴走しなかったはずよ。生まれた時から”災厄の子”なんて呼ばれなかったはず。——女神が全部設計したなら、なんで私に暴走する雷を与えたの?」
セラが言葉を失った。
「でも——セレンの音は信じてる。あの音は、女神がくれたものじゃない。セレンが自分で作ったもの。だから信じられる」
ノーラが立ち上がった。
「セラ、あんたの信仰を否定するつもりはないわ。でも——“女神が完全”っていう前提が崩れた時に、あんたが何を信じるかは、あんた自身が決めるしかない」
ノーラが部屋を出ていった。
セラは一人残されて、窓の外の月を見つめた。
——女神よ。あなたはセレンさんを見ていますか。
返事はなかった。祈りに返事が来たことは、一度もない。
でもセレンの音は——いつも、必ず返ってくる。




