第73話. Cランク昇格試験
王都は、記憶よりも大きかった。
鑑定の儀の時は幼すぎて街の全体像を把握できていなかった。今、改めて城門をくぐると、モルヴァの三倍はある巨大な都市が目の前に広がった。
石造りの大通り。五階建ての建物が左右に連なり、その上に魔導灯が蔓のように張り巡らされている。宮廷の尖塔が五本、空を突いている。行き交う人の数が桁違いで、足音と声と馬車の音が重層的なハーモニーを形成していた。
反響定位を使わなくても、耳だけで街の規模がわかる。音の奥行きが違う。モルヴァの音は「見渡せる範囲」で完結していたが、王都の音は地平線の向こうまで続いている。どこまでも深く、どこまでも厚い。
「でかいな……」
アルトが口をぽかんと開けている。
「騒がしいわね。耳が追いつかない」
ノーラが眉を寄せた。学院の予科時代に王都にいたはずだが、冒険者として歩く王都は印象が違うのだろう。学院の敷地の中は静かだったに違いない。
「聖堂の尖塔が見えます。あれがアルセリア聖堂の王都本部です」
セラが穏やかに微笑んだ。彼女は聖堂の預かりの身として、王都の聖堂とも繋がりがある。
王都ギルド本部で受付を済ませ、宿を確保し、翌日の試験に備えた。
◇
Cランク昇格試験は、王都の冒険者ギルド本部の地下闘技場で行われる。
モルヴァのギルドが「街の酒場の延長」なら、王都本部は「城」だった。白い石の大扉に、古代共通語で『ここに挑む者、己を知れ』と刻まれている。モルヴァの『人は試される』と対になるような言葉だ。「試される」のは外から。「己を知る」のは内から。
地下闘技場は半円形の観客席に囲まれた砂の舞台で、天井には巨大な魔導灯が吊られて昼のように明るい。観客席には他のギルド員や学院関係者が散見される。試験は公開で行われるらしい。
受験者は俺たちの他に三組のパーティがいた。どのパーティもDランクの実力者揃いで、装備も立派だ。だが試験官の説明が始まると、会場の空気が一斉に引き締まった。
「Cランク昇格試験。内容は連続模擬戦」
試験官は長身の女性で、白い外套を纏い、腰に二本の細剣を帯びている。銀色の髪を短く切り揃え、顔に表情がほとんどない。名はイレーネ。Aランク冒険者。王都ギルド本部の戦闘教官を兼任しているという。
「対戦相手は五名。各属性のエキスパートが一人ずつ。火、水、土、風、光。一人でも倒せば合格」
ざわめきが起きた。
「パーティ戦は認めない。一対一だ」
一対一。
パーティ戦ではない。俺の最大の強み——「仲間を繋ぐ力」が使えない。
アルトが隣で小さく息を吐いた。俺の顔を見て、苦笑する。
「一対一か。お前の音の矢文が使えないな」
「ああ。兄さんの言葉が突き刺さる」
「兄さん?」
「“お前は一人で敵を倒せるのか”って、聞かれたことがあってな」
「答えは?」
「今日、出す」
アルトが拳を突き出した。合わせる。
「やってこい」
受験者は個別にくじを引き、対戦順を決める。俺は三番目。アルトが一番目、ノーラが二番目。セラは回復職のため戦闘試験は免除で、別室で実技回復試験を受ける。
◇
アルトの対戦。
相手は土属性の中年の男。がっしりとした体格で、両手に鉄拳甲を嵌めている。地面操作型——足場を崩したり、土の壁を作ったり、岩の弾丸を飛ばしたりする戦闘スタイルだ。
開始の号令と同時に、男が地面に掌を叩きつけた。舞台の砂が隆起し、土の壁がアルトの正面に立ち上がる。
アルトは止まらなかった。壁に向かって走り、剣を振りかぶってそのまま叩き割った。土の壁が砕け散る。
男の顔に驚きが浮かんだ。壁を剣で割る冒険者は想定外だったのだろう。
だがすぐに切り替え、足元の地面を液状化させた。アルトの足が沈む。
アルトは沈みかけた脚で地面を蹴り、跳んだ。傭兵団仕込みの脚力だ。液状化した地面の上を、踏み石を跳ぶように移動し、男の懐に入る。
近接戦になれば、アルトの土俵だ。
剣の腹で男の鉄拳甲を弾き上げ、返す刃の峰で鳩尾を突いた。男が膝をつく。
所要時間、約三分。力と技術の両方で押し切った。
観客席から拍手が起きた。
「合格」
イレーネの声は淡々としていたが、目の奥に「悪くない」という光があった。
◇
ノーラの対戦。
相手は風属性の若い女性。細身で、手に扇を持っている。遠距離から風の刃を飛ばし、近づかせない戦法。
開始と同時に、扇が閃いた。三条の風の刃がノーラに向かって飛ぶ。速い。空気を切り裂く音が甲高く響く。
ノーラは横に跳んで避けた。だが風使いは間を空けない。二撃目、三撃目が連続して飛んでくる。風の刃は見えにくい。空気の流れが歪む微かな揺らぎだけが手がかりだ。
ノーラが腕を上げ、雷を放った。
だが——風の壁に逸らされた。風使いが扇で空気の渦を作り、雷の軌道を曲げたのだ。ヴァン戦で熱による電導率操作を受けたのと似た現象だが、原理が違う。風は空気の流れそのものを操る。雷は空気中を流れる電流だから、風の流れに乗って曲がってしまう。
ノーラの表情が引き締まった。二発目。角度を変えて放つ。だがこれも風に乗って逸れる。
観客席がざわめく。「雷が通らない」「風属性は雷の天敵か」
だがノーラは三発目を撃たなかった。
代わりに、目を閉じた。
——何をしている?
俺は観客席から息を呑んで見守った。
ノーラが自分の雷の「音」を聴いている。共鳴制御の訓練で身につけた、体内の雷の振動を聴覚的に認知する技術。
風使いが隙を見て風の刃を放った。ノーラの腕を掠め、血が滲む。
だがノーラは動かない。目を閉じたまま、左手を前に突き出した。
指先に雷が凝縮される。だが今までとは様子が違う。通常の放電のような派手な火花がない。ノーラの指先で、青白い光が静かに、密度を増していく。
——出力を上げている。暴走の閾値ギリギリまで。
俺の耳に、かすかな音が聴こえた。観客席からでも感じ取れるほどの——雷の振動。
ノーラの雷が「歌っている」。高く、鋭く、だが乱れていない。旋律が保たれている。不協和音の気配がない。
彼女は自分の雷をコントロールしている。最大出力のまま、暴走させずに。
風使いが異変に気づいた。扇を構え直し、最大の風の壁を展開する。
ノーラが目を開けた。金色の瞳が光っていた。
「三発目」
静かな声で言って——放った。
青白い光が一条の線となって走った。細い。前の二発よりずっと細い。だが密度が桁違いだ。
風の壁に突入する。風が雷を逸らそうとする。だが——逸れなかった。
通常の雷は電流が空気中の「最も通りやすい経路」を流れるから、風に乗って曲がる。だがノーラの三発目は、電流の経路を彼女自身が制御していた。雷の振動パターンを「聴き」ながら、リアルタイムで軌道を修正している。風に流されかけるたびに、振動を微調整して真っ直ぐに戻す。
共鳴制御の極致。自分の雷の「音」を聴いて、電流を手綱のように操る。
風の壁を貫通した雷が、風使いの扇を弾き飛ばした。扇が砂の舞台に刺さり、風使いが衝撃で尻餅をつく。
決着。
「合格」
イレーネの声。今度は少しだけ——本当に少しだけ——驚きの色があった。
ノーラが舞台を降りてきた。左腕の傷から血が滴っているが、表情は晴れやかだ。
「やるな、ノーラ。あの三発目——」
「自分の雷の音を聴いたの。あんたが教えてくれた通りに。風が曲げようとする瞬間に、振動を戻した」
「俺がいなくても、自分でやったのか」
「当たり前でしょ。いつまでもあんたの音に頼ってるわけにいかないもの」
ノーラが少しだけ笑った。誇らしげに。
——これだ。これが、共鳴制御の本当のゴールだ。
俺がいなくても、ノーラが自分の雷を聴いて操れるようになること。自立。
エルデ教官への報告書に書くべき最高の成果だ。
◇
俺の番だ。
砂の舞台に降り立つ。足元の砂が細かく、踏むとキュッと鳴る。この砂の音を覚えておく。舞台の音響特性を、最初の一歩で把握する。
対戦相手が向かい側から歩いてきた。
火属性。
二十代後半の男。がっしりとした体格で、鎖帷子の上に赤い外套を羽織っている。杖ではなく両拳に炎を纏うタイプ——近接火力型。ヴァンとは戦闘スタイルが全く違う。ヴァンが「空間支配型」なら、こちらは「接近殲滅型」だ。
だが火属性であることに変わりはない。高温環境で反響定位が歪む問題は共通だ。
男が拳を構えた。炎が手首から肘にかけて巻き上がり、熱波が舞台全体に広がる。
「始め!」
イレーネの号令。
男が踏み込んだ。一歩目から全力の突進。拳に纏った炎が引き伸ばされて尾を引き、赤い流星のように迫ってくる。
速い。アルトほどではないが、火属性の身体強化で脚力が底上げされている。
——反響定位、起動。
空気の密度変化を計算に入れた補正モード。ヴァン戦の教訓を活かし、高温環境での音速変化を脳内でリアルタイム修正する。完璧ではないが、「使えない」から「使いにくい」に改善されている。
拳が迫る。右ストレート。
反響定位で軌道を予測——と同時に、共鳴探知で男の体内の筋肉の動きを聴く。右腕の上腕二頭筋が収縮する音。肩甲骨が回旋する音。軸足が砂を噛む音。
全ての「音」が、拳の軌道を教えてくれる。
横に半歩。拳が顔の横を通過した。炎の熱が頬を灼く。髪の先が焦げる匂い。
「避けた? この距離で?」
男が驚くが、足は止めない。二発目。左フック。
体の左側の筋肉が収縮する音を聴き取り、右に回避。腕が空を切る。
三発目。右のアッパー。下から突き上げてくる。
——これは避けにくい。下からの攻撃は、重心を後ろに倒さないと避けられない。後ろに倒れれば体勢を崩す。
避けるのではなく——沈む。
膝を折り、拳の下を潜るように体を沈めた。拳が頭上を通過する。熱風が髪を逆立てる。
近い。男の胴体が目の前にある。この距離なら——
震破。
共鳴探知で読んだ男の体の固有振動数に合わせた、精密チューニング。掌を男の鳩尾に叩き込む。
だが——男が腹筋に力を入れて受け止めた。振動が伝わっているが、筋肉の壁で減衰されている。鍛え上げられた体幹は、それ自体が防御だ。
「効かないな。その程度の振動で俺を止められると思うか」
男が笑いながら膝蹴りを放つ。脇腹に入った。体が吹き飛ぶ。砂の上を転がる。
「がっ——」
痛い。肋骨にヒビが入ったかもしれない。だが折れてはいない。共鳴探知で自分の体内を聴く。ヒビはない。打撲だけだ。
立ち上がる。
男が追撃してくる。炎の拳を振りかぶって突進。
——考えろ。震破が効きにくい。体幹が硬すぎる。固有振動数を合わせても、筋肉の質量と密度が高すぎて振動が減衰する。
なら、筋肉ではなく別の場所を狙う。
骨? 骨の固有振動数は筋肉より高い。だが骨に届かせるには筋肉の壁を超えなければならない。
内臓? 低周波威圧なら筋肉の壁を透過できるが、精神力の高い相手には効きにくい。Cランク試験の対戦相手は精鋭だ。低周波だけでは止まらないだろう。
では——
幻惑音響。
考えるより先に体が動いた。偽の足音を男の右後方に生成する。
男が反射的に視線を動かした。ほんの一瞬、0.5秒にも満たない。だがその0.5秒で、俺は男の左側面に回り込んでいた。
「幻聴——!」
男が気づいて振り返るが遅い。
今度は震破ではない。掌ではなく、指先を使う。面ではなく点。震破の振動を指先の一点に集中させ、男の脇腹の筋肉の隙間——肋骨と肋骨の間のわずかな隙間に打ち込む。
ゴルドが教えてくれた。「面で押したら潰れるだけだが、線で押せば切れる」。
同じ原理だ。同じ振動でも、面で当てるのと点で当てるのでは浸透力が全く違う。
指先の震破が、肋骨の間を通り抜け、内部に到達した。
男の体がびくりと跳ねた。
「なっ——」
内臓に振動が届いている。筋肉の壁を迂回して、骨の隙間から浸透させた。
だが致命傷ではない。男はまだ立っている。歯を食いしばり、炎の出力を上げてきた。全身が赤熱し、近づくだけで肌が焼けそうな熱量。
力押しで来る。
隕鉄の短剣があれば、超音波斬で——だが、今の俺には隕鉄がない。アルトに預けたまま、返してもらってはいるが、ここに持ち込む前に気づいた。試験は「自分の実力」を見せる場だ。借り物の刃ではなく、自分の力で勝つべきだ。
——だから持ってきた。試験用に。
腰の後ろに差してあった、もう一本の短剣を抜く。
普通の鋼の短剣。モルヴァのギルドで支給された、何の変哲もない刃。隕鉄ではない。超音波斬を乗せれば数回で壊れる。
だが、数回あれば十分だ。
——一回だけ。一回の超音波斬で決める。
右手に短剣を握り、左手で幻惑音響を展開する。
偽の足音を三方向に同時生成。男の前、右、左から同時に走り寄る足音。
「また幻聴か——! だが三方向同時なら、どれが本物か——」
正解は「全部偽物」だ。
俺は足音を立てていない。ノイズキャンセリングで自分の足音を消している。偽の足音だけが鳴り響く中、本物の俺は——真後ろにいる。
男の背中。
超音波斬、起動。
喉の魔孔から超高周波を生成し、腕を通じて鋼の短剣に流す。刃が唸る。振動が刃の分子構造を蝕んでいくのがわかる。三秒が限界。いや、鋼の刃なら二秒かもしれない。
一秒目。
短剣の背で、男の太腿の外側を撫でるように走らせた。峰打ち。殺傷ではなく、戦闘不能を狙う。
超音波の振動が筋繊維に伝わり、一瞬で機能を奪う。
二秒目。
刃にヒビが入った。限界が近い。
引く。短剣を離脱させる。
男の右脚が崩れた。太腿の筋肉が痙攣し、体重を支えられなくなって片膝をつく。
「何を——脚が動かない——」
「超音波で筋繊維を一時的に麻痺させた。半日で戻る。後遺症はない」
男が立ち上がろうとして——立てなかった。右脚が完全に力を失っている。
炎の拳を振り上げようとするが、片膝立ちでは十分な打撃力が出ない。振りかぶった拳が空を切る。
俺は距離を取って立った。
「まだやるか」
男が俺を見上げた。炎がゆっくりと消えていく。
「…………参った」
拳を下ろした。
静寂。
そして——
「戦闘終了。勝者、セレン=アルディス」
イレーネの声。
観客席がざわめいた。
「音で拳の軌道を読んだぞ。聴いてたのか全部」
「幻聴で三方向から攻めたと見せかけて、本体は無音で背後に。あれ反則だろ」
「最後の——脚が動かなくなったの何だ?」
「超音波で筋肉を麻痺させたらしい。殺さずに止めるのか。あんな使い方があるのか」
「あいつ、武器を壊してまで一発に賭けたぞ。見ろ、短剣にヒビが入ってる」
俺は手の中の短剣を見た。刃に無数のヒビが走っている。もう一度使ったら砕ける。鋼の限界だ。
だが、勝った。隕鉄なしで。自分の実力で。
舞台を降りると、アルトが待っていた。
「やるじゃねぇか。一人で倒したな」
「ああ。——兄さんへの答えが出た」
「何て?」
「“一人でも倒せる。でも四人の方がもっと強い”」
アルトが笑った。
ノーラが腕を組んで近づいてきた。
「あんたの幻惑音響、ずるいわよね。敵からしたら何が起きてるかわからないもの」
「音魔法の真骨頂は”わからなさ”だよ。火や雷は目に見える。でも音は見えない。見えないものには対処しにくい」
「対人最強、ってヴァンが言ってたのはそういう意味ね」
観客席の上段から、聞き覚えのある声が降ってきた。
「やるじゃないか。——でも、俺の時よりは楽だったろう?」
ヴァン=エルフィードが腕を組んで座っていた。赤い髪。退屈そうな目——だが口元が笑っている。
「ヴァン。来てたのか」
「来年の学院入学前に、Cランク試験の雰囲気を見ておこうと思ってな。——良い見世物だった」
目が合う。ヴァンが片手を上げて、ニヤリと笑った。
「学園で待ってるぞ。今度は——一対一でやろう。パーティの力を借りずに」
「受けて立つ」
「期待している。——音属性」
ヴァンは立ち上がり、観客席の階段を上って去っていった。赤い髪が闘技場の灯りに映えて、まるで炎のように揺れていた。
Cランク昇格試験。
四人全員、合格。
アルトは土属性を力で突破。ノーラは風属性を共鳴制御で貫通。俺は火属性を幻惑と超音波で制圧。セラは別室の実技回復試験を最高評価で通過した。
金色の木札が、四つ並んだ。
Cランク。冒険者として、一人前と認められるランク。
そして——王立魔法学院への、入学切符。




