第69話 村からの手紙
ヴァイパーロードの魔石は、俺の頭ほどの大きさがあった。
深い緑色をしていて、中に蛇のような紋様が浮かんでいる。ギルドのカウンターに置くと、ずしりと木が沈んだ。
「……これ、本物ね」
リディアが魔石を手に取り、鑑定灯に翳した。緑の光が彼女の顔を照らす。
「ヴァイパーロード。推定樹齢百年以上。魔石の純度も高い。——報酬は金貨五枚。加えて魔石の買取価格が金貨三枚相当。合計金貨八枚」
金貨八枚。今までの依頼報酬の総額を軽く超える。
だが俺にとっては、金額より大事なものがある。
「リディア。この実績で、Cランク昇格試験の推薦は——」
「出せるわ。というより、出さない理由がない」
リディアがペンを走らせ、推薦書を書き始めた。
「Cランク試験は毎月第三週に王都で実施される。来月の試験に間に合うわよ。——受ける?」
「受けます」
「全員?」
俺はアルト、ノーラ、セラを振り返った。三人が頷く。
「全員で」
リディアが推薦書に四人の名前を書き入れ、ギルドの印を押した。
「はい、これで手続き完了。試験日までに王都に着いておくこと。内容は当日発表。——質問は?」
「ありません」
「ならもう一つ。手紙よ」
リディアがカウンターの下から封書を取り出した。
「村から。ハルド村長経由」
母の字だった。
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宿に戻って、一人で手紙を開いた。
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セレンへ
元気にしていますか。
カイルが帰ってきて、あなたのことをたくさん話してくれました。冒険者として仲間と一緒に戦っていること。「音魔法」でいろんな技を開発していること。Eランクに上がったこと(もしかしてもう上がっているかもしれないけれど)。
カイルは「あいつの力は本物だ」と言いました。あの子がそんなことを言うのは初めてです。あなたが家を出た日、カイルは何も言わなかったけれど、夕食の時にずっと空の椅子を見ていました。
お父さんも。
あの人は口下手だから、手紙には何も書いてくれと言わなかったけれど、カイルの話を聞いている時、黙って何度も頷いていました。そして食事の後、あなたの部屋の窓を開けて、しばらく外を見ていました。何を見ていたのかは聞きませんでしたが、きっと、あなたが歩いていった道の先を見ていたのだと思います。
母さんはね、鑑定の儀の日のことを今でも覚えています。あなたが「ぽよん」って音を出した時、周りが笑ったでしょう。あの時、母さんも泣きそうになった。悲しかったんじゃないのよ。あの音が、あんまりあなたらしくて。
音って、人に届くものでしょう?
火は燃やすもの。水は流すもの。土は支えるもの。風は運ぶもの。
でも音は——届くもの。
あなたの属性が「音」だったのは、きっと意味があるのだと母さんは思っています。あなたの声が、たくさんの人に届きますように。
無理はしないでね。でも、あなたがやりたいことを止めるつもりはありません。だって、あなたの目が一番輝いているのは、何かを研究している時だから。
小さい頃、布団の中でうんうん唸りながら呼吸法の実験をしていたのを覚えていますか? 母さんは気づいていましたよ。カイルも気づいていたみたいだけれど。
体に気をつけて。ちゃんと食べて。
いつでも帰ってきてね。
母より
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手紙を読み終えて、しばらく動けなかった。
涙が落ちた。
拭わなかった。一人だから、拭わなくていい。
「音は届くもの」。
母さんは、鑑定の儀の日からずっとそう思っていたのだ。俺が音魔法の意味を理解するずっと前から。
反響定位も、共鳴探知も、音の矢文も、幻惑音響も、全部——「届ける」技術だ。音を敵に届け、仲間に届け、世界に届ける。
母さんの言葉が、俺の研究の全てを一行で言い当てている。
音は、届くもの。
手紙を畳んで、胸の内ポケットに入れた。
◇
翌日。ノーラがエルデ教官への中間報告書を仕上げた。
共鳴制御の実験記録。雷の振動を音に変換する手法。ノーラ自身が「雷の音」を聴いて自律制御に成功した事例。そして、ヴァイパーロード戦での無音雷撃の実戦データ。
「これ、読んで」
ノーラが報告書を差し出した。
「俺が読んでいいのか?」
「あんたの研究データが半分入ってるんだから、確認くらいしなさいよ」
報告書は見事にまとまっていた。学院の予科で学んだ論文形式に則りつつ、実験データと考察が論理的に整理されている。ノーラは頭がいい。
一箇所だけ、赤ペンで線が引かれていた。
《考察:共鳴制御は「抑制」ではなく「認知」に基づく制御法である。術者が自身の魔力振動を聴覚的に認知することで、感情と魔力の連動を意識的に切り離すことが可能になる。この手法は雷属性に限らず、暴走傾向を持つ全ての高出力属性に応用できる可能性がある》
「……ノーラ、これすごいな。俺の研究ノートより論理的だ」
「当たり前よ。私は学院で論文の書き方を習ったの。あんたは独学でしょ」
「ぐうの音も出ない」
「ぐうの音くらい出しなさいよ、音魔法使いなんだから」
笑った。
報告書はギルド経由で学院のエルデ教官に送られた。返答が来るのは一ヶ月後。その頃には、俺たちは王都にいるだろう。
◇
夜。研究ノート、二十頁目。
二十頁。村を出た時は白紙だったノートが、二十頁まで埋まった。
反響定位。共鳴探知。固有振動数。低周波威圧。超音波斬。音の矢文。ノイズキャンセリング。幻惑音響。震孔掌。そして共鳴制御。
十の技術。十の発見。全てが「音は振動である」という一つの原理から派生している。
そしてまだ、ノートの余白には書ききれない可能性が眠っている。
古代の石板は言った。「振動は世界の根源なり」と。
母の手紙は言った。「音は届くもの」と。
二つの言葉が、俺の中で重なる。
音魔法は、世界の根源に触れる力であり、それを誰かに届ける力だ。
まだ入口に立ったばかりだ。
でも——入口に立っているということは、もう歩き始めているということだ。
次は王都。Cランク試験。そして——学園。
ペンを置く。窓の外からモルヴァの夜の音が流れ込んでくる。
この音を、もうすぐ聞けなくなる。
でも、この街で聴いた全ての音は、俺の耳に刻まれている。
永遠に。




