第63話 リベンジマッチ
# 第60話「リベンジマッチ」
ヴァンに再戦を申し込んだのは、幻惑音響の訓練を始めて十日後のことだった。
ギルドの掲示板の横に、模擬戦の申込書を貼る。相手の欄に「ヴァン=エルフィード」。翌朝にはヴァンの署名が入っていた。一言添えられている。
「楽しみにしている。——V」
当日。訓練場にはギャラリーが集まっていた。前回の模擬戦で「Eランクの貴族が四人パーティを一人で完封した」と噂が広まっていたらしく、冒険者たちが酒を片手に柵の周りに座っている。
「おい、あの”音の子”がリベンジだってよ」
「無理だろ。ヴァンは格が違ぇ」
「でもあいつら、ここ二週間ずっと訓練してたぞ。何か仕込んでるかもな」
アルトが俺の隣で深呼吸していた。
「緊張するな。ギャラリーがいるとなおさらだ」
「お前が緊張するの珍しいな」
「前回ボコボコにされたからな。同じ轍は踏みたくない」
ノーラは黙って指先に火花を散らしていた。彼女なりの集中法だ。
セラが静かに言った。
「今日の作戦、もう一度確認しますか?」
「いや。確認は済んでる。あとはやるだけだ」
ヴァンが訓練場の反対側に立った。杖剣を腰に帯び、腕を組んでいる。前回と同じ退屈そうな目——だが、口元がわずかに上がっている。楽しんでいるのだ。
リディアが審判台に立つ。
「模擬戦・リベンジマッチ。セレンパーティ四名対ヴァン。ルールは前回と同じ。——始め!」
◇
ヴァンが動いた。
前回と同じ——周囲の空気を一気に加熱する。半径十歩の「熱の領域」が展開される。陽炎が立ち、空気が揺らぎ、砂が乾く。
だが今回、俺たちは動かなかった。
四人とも、領域の外に留まっている。前回は全員が突っ込んで領域内で潰されたが、今回は距離を取ったまま。
ヴァンの眉がわずかに動いた。
「……入ってこないのか」
「入る必要がないからな」
俺は領域の外から、幻惑音響を起動した。
偽の足音を二つ、領域の中に送り込む。右側から駆け寄る足音。左側から回り込む足音。どちらも実在しない。
ヴァンが右に視線を向けた。足音を聴いたのだ。だが誰もいない。
「幻聴……? いや、違うな。音を曲げたのか」
さすがに頭が切れる。一瞬で見破った。
だが「見破る」のと「対処する」のは別だ。偽の音源がどこから来ているかを即座に特定するのは、ヴァンにはできない。彼は火属性であって、音属性ではないのだから。
三つ目の偽音。今度は真上から——鳥の羽ばたきのような音。ヴァンが一瞬上を向く。
その一瞬。
——アルト。今だ。左から。
矢文。今回はヴァンの領域の外から送信する。高温で歪む心配がない。精度は万全。
アルトが走った。
だがアルトの足音は——ない。
俺が逆位相の音でアルトの足音を消している。砂を踏む音、体が空気を切る音、革鎧の擦れる音。全てを打ち消す。完全な無音の突進。
ヴァンの耳には、アルトの接近が聞こえていない。
アルトが領域の縁に達する。熱い空気が肌を焼くが、一瞬だけ耐えればいい。
剣を振り上げ——
「——ッ!」
ヴァンが反応した。
足音は聞こえなかったはずだ。だが——視界の端で動きを捉えた。純粋な反射神経。杖剣を引き抜き、アルトの斬撃を受ける。
金属音が訓練場に響いた。
「やるな。足音を消したか」
「消したぞ。聞こえなかっただろ」
「聞こえなかった。だが見えた。次は気配まで消してこい」
ヴァンが杖剣を払い、アルトを弾き返す。同時に火球を生成して追撃——
——ノーラ、今。背中。
矢文。
ノーラの指先に雷が収束する。
——消音。
俺は全神経を集中して、ノーラの放電の前兆音に逆位相をぶつけた。
バチッ——という音が、消えた。
無音の雷。
青白い光がヴァンの背中に迫る。音のない稲妻。前兆なし。気配なし。
ヴァンは火球をアルトに向けて放っている最中だった。背中はがら空き——
雷が着弾した。
衝撃がヴァンの体を揺らす。空気の電導率操作は間に合わなかった。「来る」と知らなければ、逸らす準備はできない。
「ぐっ……!」
ヴァンが片膝をつく。
だが倒れない。体を覆う魔力が防壁になって、雷の直撃を軽減している。火属性の高密度魔力は、それ自体が装甲の役割を果たす。
それでも——ダメージは通った。初めて。
「音を……消した? 雷の音を?」
ヴァンが振り返る。その目に、初めて驚愕の色があった。
「お前たち——前回と別人だな」
「十日あれば人は変わる。お前が教えてくれたんだ。弱点を」
ヴァンが立ち上がった。杖剣を構え直す。目の色が変わった。退屈の色が消え、代わりに闘志が灯っている。
「いいだろう。本気を出す」
ヴァンの体から放出される熱量が跳ね上がった。領域が拡大する。半径十歩が十五歩に、二十歩に——
空気が焼けるように熱い。アルトが後退する。ノーラの髪が熱風で煽られる。
領域の拡大。これは前回にはなかった。ヴァンの「本気」。
——まずい。領域が広がると、俺たちの「外からの攻撃」が届かなくなる。
「セレン、距離が取れない!」
アルトの声。もう領域の外に出られない。全員が熱の中に飲み込まれている。
「反響定位——」
起動する。案の定、高温で歪んでいる。だが前回よりは対処できる。歪み方のパターンを十日間研究した。高温での音速変化を計算に入れれば、ある程度の補正が効く。
完璧ではない。だが「使えない」から「使いにくい」に改善された。それだけで戦術の幅が変わる。
ヴァンが火球を連射してくる。前回の倍の速度。杖剣を一振りするたびに、拳大の炎が飛ぶ。
——アルト、右に二歩。火球は左上から来る。
——ノーラ、伏せろ。頭上を通る。
矢文で指示を出す。高温で多少歪むが、近距離なら届く。
アルトが火球を避けながらヴァンに接近する。ヴァンが迎撃の火球を放つ——が、その軌道に幻惑音響で偽の足音を割り込ませる。ヴァンの照準が一瞬ブレる。その隙にアルトが踏み込む。
剣と杖剣が交差する。
至近距離の打ち合い。アルトの膂力はヴァンを上回っている。ヴァンが押される。
「ノーラ、もう一発!」
声で叫んだ。今度は矢文ではない。敵にも聞こえる声。
ヴァンが反射的にノーラの方を警戒する。雷が来ると思って——
だがノーラは撃たなかった。
代わりに——セラが動いた。
セラの杖が光り、足元の地面に浄化の紋が走る。攻撃ではない。ヴァンの足元の空気を一瞬だけ冷やしたのだ。聖属性の浄化は「不浄を清める」力だが、応用すれば「過剰な熱を鎮める」こともできる。セラが三日かけて編み出した即興術。
ヴァンの足元の熱が一瞬消えた。
ほんの二秒。だがその二秒で、ヴァンの足元の空気密度が変わり、彼の体のバランスがわずかに崩れた。
その二秒を、アルトは逃さなかった。
剣の峰でヴァンの杖剣を叩き落とし、返す刃の背で喉元に押し当てる。
静止。
訓練場が、水を打ったように静まり返った。
「…………参った」
ヴァンが、両手を上げた。
一瞬の沈黙の後——ギャラリーが爆発した。
「勝ったぞ! 音の子が勝った!」
「四人がかりだけど——いや、あの連携は四人がかりってレベルじゃねぇ!」
「雷の音が消えた瞬間、マジで見えなかった。あれ反則だろ」
「聖女が火を消した!? あんな使い方あるのか!」
アルトが剣を引き、ヴァンに手を差し出した。
「いい勝負だった」
ヴァンはその手を取って立ち上がった。服が焦げ、髪が乱れている。だが顔には——笑みがあった。
「見くびった。前回から十日で、ここまで変わるとは」
ヴァンが俺の方を見た。
「音属性。お前の力は——“個”じゃないな。“繋ぐ”力だ」
「……そうかもしれない」
「音は見えない。聞こえた時にはもう遅い。幻聴で惑わし、足音を消し、雷の前兆すら消す。——正直に言おう。対人戦において、お前の音は最強だ。最も”やりたくない相手”だよ」
「一人では俺に勝てないだろう。だが四人を繋いだお前は、一人の俺より強かった。——面白い。実に面白い」
ヴァンが杖剣を拾い上げ、鞘に収めた。
「学園で会おう。そこではパーティ戦だけじゃない。一対一もある。その時までに——一人でも戦える力を身につけておけ」
「言われなくても」
「期待している。——今度はもっと本気で来る」
ヴァンが手を振って去っていく。
四人で顔を見合わせた。
「勝った……のか?」
「勝ったよ」
「勝ったわね」
「勝ちました」
四人同時に笑った。
訓練場の空気がまだ熱い。ヴァンの残した「熱の領域」の名残だ。だがその熱さが、今は心地いい。
◇
夕方。ギルドに戻ると、リディアが帳簿の上から顔を上げた。
「おめでとう。——それと」
リディアが一枚の紙を差し出した。
「Dランク昇格試験の推薦書。あなたたちのパーティの戦闘評価が基準を超えたわ。模擬戦の結果も加味されてる」
Dランク。Cランクまであと一歩。
「受けます」
「来月の第一週。内容は当日に発表。——あなたたちなら、大丈夫でしょう」
リディアが珍しくはっきりと笑った。
◇
宿の屋根の上で、四人で夜空を見上げた。
モルヴァの星は今夜も多い。
「いい戦いだったな」
「ええ。でも反省点もあるわ。ノーラの二撃目が入らなかったのは——」
「あれは俺が声で叫んだからだろ。ヴァンに警戒された。俺のミスだ」
「でもそのミスが逆にフェイントになったのよ。声で”ノーラが撃つ”と思わせて、実際にはセラが動いた。結果オーライじゃない」
「偶然を必然と言い張るな」
「それが戦術よ」
四人で笑う。
アルトが屋根の上に寝転がった。
「なあセレン。次はDランク試験だろ。その次はCランク。そしたら——」
「学園だ。王立魔法学院」
「ヴァンもいるんだろ」
「ああ。たぶん」
「楽しみだな」
楽しみだ。本当に。
だが、その前にやることがある。Dランク試験。そして大蛇型魔獣ヴァイパーロードの討伐。Cランクへの最後の関門。
先は長い。でも、一歩ずつ進んでいる。
研究ノートは十五頁目に達した。最初の一頁から比べると、音魔法の地図は何倍にも広がっている。
反響定位。共鳴探知。低周波威圧。超音波斬。音の矢文。幻惑音響。そして、まだ見ぬ技の種が研究ノートの余白に眠っている。
鑑定の儀で「ぽよん」と鳴ったあの日から——ここまで来た。
まだ先がある。もっと先がある。
音魔法はゴミなんかじゃない。
その証明は、まだ途中だ。




