第61話: ライバル
そいつがギルドに現れたのは、昼過ぎだった。
扉が開いた瞬間、空気が変わったのを俺の耳が捉えた。
足音が違う。ギルドに出入りする冒険者の足音には、それぞれ個性がある。酒に酔った重い足、急ぎの軽い足、疲れた引きずり足。どれにも属さない足音。軽く、正確で、一歩ごとの着地が完璧に均一。訓練された人間の歩き方だ。
振り返ると、赤い髪の青年が立っていた。
背は俺より頭一つ高い。整った顔立ちに、退屈そうな目。仕立ての良い外套の襟元に、金糸の刺繍。貴族の家紋だ。腰には装飾の施された杖剣を帯びている。
だが何より目を引いたのは、彼の周囲の空気だった。
——熱い。
彼の体から、微かな熱気が立ち昇っている。常に魔力が外に漏れ出しているのだ。それだけ魔力量が多いということ。制御しきれないのではなく、制御する必要がないほど溢れている。
火属性。それも、相当な高位の。
青年はカウンターに歩み寄り、リディアに声をかけた。
「パーティ登録をしたい。名はヴァン=エルフィード。火属性」
エルフィード。王都の中堅貴族の家名だ。ミロが前に教えてくれたことがある。魔法学院への輩出率が高い、魔法系の名門。
リディアが淡々と手続きを進める。
「ランクは?」
「Eだ。学院の推薦でBランクまで上がれるが、実績がないのは嫌でね。自分の足でFから始めた。先月Eに上がった」
「真面目ね。依頼履歴を見ると……一人で?」
「パーティは組まない主義だ。足手まといがいると戦いにくい」
傲慢な言い方だが、声に嘘の響きはなかった。本心からそう思っている。
ヴァンがふと視線を巡らせ、俺と目が合った。
一瞬、彼の目が細くなった。俺を見ているのではない。俺の木札——Eランクの銅色の木札を見ている。
「君、属性は?」
「音」
「音?」
ヴァンの眉が跳ね上がった。怪訝というより、純粋な驚きに近い。
「聞いたことがないな。珍しい」
「よく言われる」
「パーティを組んでいるのか」
「四人だ」
「四人。ふむ」
ヴァンは俺をまじまじと見てから、つまらなそうに視線を外した。
「四人がかりでEランクか。俺は一人でEランクだが」
——挑発、ではない。事実を述べているだけだ。だがその「事実」が、棘のように刺さる。
アルトが俺の横に来て、ヴァンを睨んだ。
「何だお前。喧嘩売ってんのか」
「喧嘩? 買ってもいいが、訓練場でやるべきだろう。模擬戦の申し込みなら受ける」
ヴァンの声には、見下しも敵意もなかった。ただ「戦えるなら戦ってみたい」という好奇心だけがある。
ノーラが腕を組んで言った。
「受けましょう。あの手の自信家は、一度叩かないとわからないわ」
「ノーラ……」
「私も火属性相手に力を試したいの。学院じゃ火属性の上位者とまともにやり合ったことがない」
セラだけが慎重だった。
「相手の実力がわかりません。火属性の高位者は——」
「だから試すんだよ。負けたら負けたで学びがある」
アルトが剣の柄に手をかける。
俺は少し考えて、頷いた。
「受ける。模擬戦を申し込む」
◇
訓練場。
ルールは単純。先に相手を戦闘不能にするか、降参させた方が勝ち。殺傷禁止。ギルドの訓練場には防護結界が張られていて、致命傷は防がれる。
四対一。数の上では圧倒的にこちらが有利だ。
だが——
「始め!」
審判役のリディアの声と同時に、ヴァンが杖剣を抜いた。
その瞬間、訓練場の空気が一変した。
熱。
ヴァンの体を中心に、半径十歩の空気が一気に加熱された。地面の砂が乾き、空気が揺らぎ、陽炎が立つ。
——反響定位が歪んだ。
高温の空気は密度が変わる。密度が変わると音の伝達速度が変わる。反響定位の反射パターンが普段と全く違う値を返してくる。距離の計算が狂う。方角の推定がズレる。
「くっ——」
これは想定外だ。火属性は「高温環境を作る」だけで、俺の反響定位を無力化できる。
「アルト、正面から——」
矢文を飛ばそうとしたが、超高周波の音も高温の空気で屈折する。アルトの耳に届いたかどうかわからない。
アルトは矢文を待たず、自分の判断で突っ込んだ。剣を構えて一直線にヴァンに向かう。
ヴァンが杖剣を軽く振った。
火球。拳大の炎の塊がアルトに向かって飛ぶ。速い。
アルトが横に跳んで避ける。だが二発目が即座に追いかけてくる。三発目。四発目。連射の速度がおかしい。詠唱なし。杖の動きだけで火球を生成している。
「速すぎ——」
アルトが防戦一方になる。
ノーラが横から雷を放った。ヴァンの側面を狙う。
ヴァンは振り向きもせずに、左手を翳した。空気中に熱の壁が生まれ、ノーラの雷が——逸れた。
「嘘……」
ノーラが目を見開く。
雷は電流だ。電流は空気中の最も通りやすい経路を流れる。ヴァンは空気の温度差で「電流が通りやすい経路」を操作し、雷の軌道を曲げたのだ。
火属性の応用で雷を逸らす。そんなことが可能なのか。
「面白い。雷属性の子がいるとは思わなかった」
ヴァンが初めて少し楽しそうな顔をした。
「だが雷は熱で制御できる。空気を温めれば電導率が変わる。知らなかったか?」
知らなかった。いや——理論上は知っていた。だが実戦で応用されるとは思わなかった。
こいつは火属性を「炎を出す力」としてだけ使っていない。熱を操る物理現象として、多面的に応用している。俺が音を物理学的に研究しているのと同じ方向性だ。
同類だ。——そして、俺より先を行っている。
「セレンさん、指示を!」
セラの声。
だが俺の反響定位は高温環境で精度が落ちている。共鳴探知もノイズだらけだ。音の矢文も空気の揺らぎで曲がる。
俺の強みの全てが、火属性の「熱」に封じられている。
——考えろ。高温で音が歪むなら、どうする。
考える時間がなかった。ヴァンがアルトを火球で追い込みながら、同時にノーラの方にも火の壁を展開し、二人の連携を分断している。一人で二人を相手にして、余裕がある。
「降参するなら今だぞ。これ以上やると怪我をする」
ヴァンの声に嘲りはない。純粋な助言だ。
だが——
「まだだ」
俺は低周波を撃った。ヴァンに向かって、超低周波の威圧を。
ヴァンの動きが一瞬止まった。——効いた?
いや。ヴァンは一瞬だけ眉を寄せて、すぐに体勢を立て直した。
「不快な振動だな。内臓に来る。——だがこの程度で止まるほど柔じゃない」
低周波威圧は「恐怖」を誘発する技だ。だがヴァンには恐怖がない。いや、恐怖を感じてもそれを理性で押し殺せるだけの精神力がある。
それが——才能の差だ。
ヴァンの火球がセラの防壁を叩き割った。セラがよろめく。アルトが庇いに入るが、その隙にノーラが孤立する。
「そこまで!」
リディアの声が飛んだ。
「審判判定。セラの防壁崩壊をもって、パーティ側の戦闘不能と見なす。勝者、ヴァン」
完敗だった。
◇
訓練場の隅で、四人で座り込んだ。
誰も口を開かない。
悔しい。
純粋な戦闘力で圧倒されたのではない。ヴァンは火属性を「物理現象」として理解し、俺の音魔法の弱点を即座に見抜いて対処した。高温で反響定位を潰し、空気の電導率操作で雷を逸らし、火球の連射でアルトの接近を許さなかった。
一人で四人を制圧した。しかも余裕を持って。
ヴァンが歩み寄ってきた。
「いい戦いだった。音属性、面白い。反響定位と呼んでいたか。あれは初見では対処が難しい。俺が火属性でなければ、もっと苦戦していたかもしれない」
「……お前、火を"物理"として使ってるだろ。炎の力じゃなくて、熱の操作」
ヴァンの目がわずかに見開かれた。
「……気づいたか。負けた直後にそれを指摘する奴は初めてだ」
「俺も音を物理として研究してる。振動の周波数、反射、屈折。お前と同じアプローチだ」
「ほう」
ヴァンが初めて、本当の興味を俺に向けた。
「ならば次はもう少し面白くなるかもしれないな。今日の弱点を潰してこい。——学園で会えることを楽しみにしている」
「学園?」
「俺は来年、王立魔法学院に入る。箔をつけるためにギルドで実績を積んでいるだけだ。お前もCランクを目指しているんだろう? 学院への入学条件だ」
「……ああ」
「ならいずれ顔を合わせる。その時には、もう少しマシな勝負を頼む」
ヴァンは手を差し出した。
俺はその手を握り返した。熱い手だった。火属性の体温は高いのだ。
「次は負けない」
「期待している」
ヴァンが去った後、アルトが地面を拳で叩いた。
「くそ。一太刀も届かなかった」
「私の雷も逸らされた。あんな方法があるなんて……」
ノーラが唇を噛んでいる。
セラが静かに言った。
「彼は強いです。でも——倒せない相手ではないと思います」
「根拠は?」
「彼の弱点は、一人であることです。四人のうち誰か一人でも彼の『熱の領域』の外側から攻撃できれば、対処しきれなくなるはずです。今日は全員が彼の領域の中に入ってしまった」
セラの分析は鋭い。
俺は立ち上がった。
「帰るぞ。研究することが山ほどできた」
研究ノート。十三頁目。
《対ヴァン戦・敗因分析》
1. 高温環境で反響定位が無力化される。音速の変化、反射パターンの歪み。
2. 音の矢文も高温の空気で屈折する。通信精度の低下。
3. 低周波威圧は精神力の高い相手には効きにくい。
4. ノーラの雷が空気の電導率操作で逸らされる。
→ 共通の問題:高温環境への依存。ヴァンの強みは「空間支配」。自分の周囲を高温にすることで、あらゆる遠距離攻撃を歪める。
→ 対策仮説:高温でも歪まない攻撃手段が必要。
音の屈折を「利用する」ことはできないか?
高温で音が歪むなら、歪み方を計算して「わざと曲げる」ことで、逆に相手の意表を突けるのではないか?
→ 幻惑音響(仮称)。音の屈折を操作して、「存在しない音源」を作り出す技術。
ペンが止まる。
幻惑音響。音の屈折を意図的に操る。
高温で音が曲がるなら、自分で温度差を作れなくても、音の「放射角」を調整すれば同じ効果が得られるのではないか。
これは——いける。
次にヴァンと戦う時までに、形にする。




